02 発現
そっと手を取り、目を閉じて心から祈る。
コーディの指先は氷のように冷たく、もう死の足音はそこまできている。
(……せめて、痛みが和らぎますように)
それでも、マリーは祈りをやめなかった。
生きて欲しい。神様、どうかこの子を連れて行かないで。そう、強く願う。
「……!!」
「なんだ、この光は……!」
コーディの周りにいた大人たちだろうか。
戸惑いの声が上がっている。
(なにかあったの?)
何が起きているのか、まるで分からない。
途端にざわめき出す病室に、マリーもゆっくりと
目を開ける。
すると、そのまぶしさに思わず目をほそめた。
コーディがまばゆいほどに輝いている。まるで天使かとも思ったけれど、すぐにその考えをやめた。
輝いていたのは、そこに伸びるマリーの手もそうだったからだ。
そして周りにいた人々の目は、光を受けて輝きながら、マリーを見据えている。
(ど、どうしてこんなに光っているのかしら!?)
突然のことにマリーが戸惑っていると、コーディを包んでいた光は徐々に弱くなり、それと同時にマリーの手の光も元に戻ってゆく。
光が完全に消えたあと。コーディの手がピクリと動いた。
心なしか、彼の手に熱が戻り、青白かった顔がほんのりと桃色になり、胸がゆっくりと上下し始める。
「……ちょっと待ってください!」
慌てた様子の医師が、コーディの手をとって脈を測る。それから彼の口元に耳を寄せて呼気を確認し、最後に聴診器を胸に当てた。
「信じられない……コーディの状態は正常に戻りました。このまま安静にしていれば……すぐに元気になるでしょう」
困惑した顔の医師が、そう皆に告げる。
その顔はマリーの方に向いていた。
「……奇跡だ」
誰かがそうぽつりと呟く。
そうとしか言いようがない。確かに死を待つだけだった子供が、光に包まれて生気を取り戻した様をこの目で見たのだから。
「マリーさまは、本当は女神様の遣いの天使様だったの……? 弟を助けてくれてありがとうございます、マリーさま!」
涙をぽろぽろとこぼす姉のキャロルは、両手をきつく結んでマリーに祈りに似た感謝を捧げてくる。
「ああ、そうだ。このあたたかな力は女神様だ……」
「マリー様、ありがとうございます」
「聖女様に感謝を!」
それに倣うように、そこにいた人たちが皆マリーに傅くような姿勢になる。
「そんな、みなさん顔を上げてください!」
マリーは慌てて皆に呼びかける。
戸惑っているのはマリーも同じだ。こんな不思議な力が宿っているなんて、知らなかったもの。
女神や聖女といったものについては、今世でもひととおりは学んでいるが、自分が聖女と呼ばれることには違和感しかない。
この国を創世されたと言われているアストリア星神。その女神の存在は、皆が幼い頃から貴賎を問わず学んでいる。
このラディアント王国では王国の大部分の人々は、「星神信仰」と呼ばれる宗教を信仰している。
この宗教は、「星々が人々の運命を司る」という思想を基盤にしており、王都にある大神殿が信仰の中心となっており、各地にも教会がある。
このティンダル伯爵領にも、小さい教会があり、馴染みの神父だっているのだ。
それに、『聖女』という言葉に、マリーの心が針に刺されたようなチクリとした痛みを覚えた。
聖女は『星神の加護を受けた存在』とされ、浄化の力を持つ。聖女は王宮と教会の双方にとって重要な存在――そう学んだのは、マリエッタ時代のこと。
マリエッタが転げるように凋落の一途を辿ったのも、元はといえばあの時召喚された聖女・ユイの存在があったからで――
そこまで考えて、マリーはふるふると頭を振った。
今考えるべきことではない。
マリーは『聖女』とも『ユイ』とも無関係だ。
「マリー様!」
混乱するマリーを呼ぶ声が救護院の入口の方から聞こえた。いつもは柔らかなその声が、どこか切羽詰まったように聞こえる。
「オーガス様。こんにちは」
慌てた顔で現れたのは、教会の若い神官オーガスだった。マリーはいつものように挨拶をする。
「緊急でと呼ばれて……と、今はそれどころではありません。マリー様、御手を失礼いたします!」
いつもは優しい顔をしている神官の表情がやけにかたい。
恐らくはコーディの件で呼ばれたのだと思うのに、彼はまずマリーのところに真っ直ぐやってくる。
そっと手をとられ、オーガスが何やら祈りながら呟くと、マリーの手の甲は再び光り輝いた。
「これは……! 文献では学んでいましたが、本当にこんな事が」
オーガスがマリーの手の甲から手をどけると、左手の薬指の部分が特にまばゆい光を放っている。
それはまるで、夜空に輝く一番星のようで――
「これは、【星の光】と呼ばれるアストリア星神のご神託……マリー様が今世の【聖女】であることの発現と思われます!」
「っ!」
興奮したように声高に告げるオーガスは、頬を紅潮させて文献にしかないその【星の光】を食いいるように見つめている。
一方でマリーは、気が遠くなるような心地でいた。
(聖女? 私が?)
「聖女の誕生は、すぐに大神殿に報告する決まりとなっております」
「オーガス様、何かの間違いではないのですか? 私が聖女だなんて……!」
認めたくないマリーが食い下がると、オーガスはいつものように寸分の隙もない爽やかな笑顔を浮かべた。
「マリー様。私が聖女を間違うはずがありません。では、急ぎますので」
そう言うとオーガスは身を翻して教会へと戻り、数日もしないうちにティンダル伯爵家には大神殿と王家からの使いが現れた。
王家の国璽が入った、逆らうことのできない召喚状を渡され、いち地方領主が反対することなどできるはずもない。
「マリー。嫌だったら行かなくてもいいんだよ」
「そうよ。マリー」
「紙切れ一枚でサッサと来いだなんて、横暴だわ!」
「かわいいマリーを王都に!? 今の王はめちゃくちゃ冷酷だと聞いているが……よし、抗議しよう!」
マリーの家族は、急に招集されたマリーのことを思いやって、そんな言葉をかけてくれる。
その温かさに、心がじんわりと温かくなる。
「お父様お母様。それにお姉様とお兄様。心配してくれてありがとう。……早く終わらせて帰ってくるから」
彼らを落ち着かせるために、マリーはにっこりと微笑んだ。そしてこの気持ちは紛れもなく本心だ。
王都に行ったとしても、このティンダル領に戻りたい。今世は幸せになると決めたのだ。
王命は絶対だ。
逆らってこのティンダル家が窮地に陥る可能性を考えたら、大人しく向かった方がいい。
──そうして、オーガスを随行人として、マリーはあっというまに王都に行くことになってしまったのである。