20 家族
その日の夜。
マリーはどうしても心に残る思いを整理したくなり、静かな夜の庭園へと足を運んだ。
(やっぱり、マリエッタのことがもう少し知りたいわ)
マリエッタ亡き後、ハフィントン侯爵家も没落したとシオドリックが教えてくれた。
あのプライドの高い父母がどうなったか考えると胸が痛いが、もう過ぎたことだと思うしかない。
マリーには両親がいて、兄姉がいる。マリエッタではなくマリーとして生きてゆくのだから。
「……きれいね、やっぱり」
月明かりに照らされた庭園には、白薔薇が優雅に咲き乱れ、かすかな露が花びらを輝かせている。
マリーは一人、庭の片隅に置かれた小さなベンチに腰掛け、しばし静かに思いにふけった。
役目を果たさなくなったユイのこと。
あの夜、やけに優しかったジェロームのこと。
シオドリックが言っていた『南部の瘴気さえ』という言葉。
(もしかしたら、知らなかった真相にたどり着けるのではない?)
そう思うと、落ち着かない気持ちになってしまう。
ふと、庭園の奥から誰かの足音が聞こえた。
この限られた庭園に出入りするのは……顔を上げたマリーの目線の先には、大きな人影がある。
「こんばんは、ヴィンセント陛下」
この前遭遇したからまさかと思ったが、やはりそこにいたのはヴィンセント本人だ。
「マリー……、いや、聖女殿」
「?」
先ほどまでの厳粛な表情とは異なり、どこか穏やかな佇まいで彼女に近づいてくるヴィンセントは、なにか言いかけた言葉を濁す。
今夜は月が明るい。おかげで、あわてて口を押さえたヴィンセントの表情がよく見えた。
(長い沈黙の前に私の名前を呼んだ気がしたけれど。それに、あの呼び方は……いえ、考え過ぎね)
マリー義姉さま、と明るく呼びかけてくる少年だったヴィンセントを思い出す。
『マリー』は奇しくもマリエッタの愛称だった。そう呼んでくれるのは、あの頃はもう幼いヴィンセントだけになってしまっていたけれど。
「ヴィンセント陛下。差し出がましいのですが、聖女と呼ばれるのはあまり好きではないので……どうか名前で呼んでいただけないでしょうか? マリーと」
マリーは思いきってそう提案してみる。
聖女、と呼ばれるのはどこか遠い。マリー自身を見てほしいと思うのは、どういう感情からなのかまるで分からない。
「……それは……」
虚を衝かれたような顔をしたヴィンセントに、マリーはこの振る舞いは不敬だったかもしれないと思い直した。
「あっ、いえ、出過ぎた真似をいたしました。呼び名についてはお気になさらず!」
「……マリー」
「は、はい」
「これからは、そう呼ばせてもらおう」
どうやら、咎められるわけではなさそうだ。
マリーはホッと胸を撫で下ろす。
「またこの庭園にお邪魔しております、陛下。私は立ち去った方がよろしいでしょうか?」
以前もここでヴィンセントに会った。同じように、夜に。
偶然とは思えない。きっとヴィンセントは、頻繁にこの庭園を訪れているのだろう。
そう思うと、ここから去った方がいい気がする。
「問題ない。いや、どうか……ここにいてくれ」
ヴィンセントは軽く頭を下げ、いつもの冷静さを装いながらもどこか戸惑いを感じさせる声で語りかけてきた。
「わ、わかりました。それでは、まだゆっくりしておきます」
「ああ」
ヴィンセントの懇願にマリーは少したじろいたが、まだ庭園にいたい気持ちが強かったため、残ることにした。
しかし、ここにはベンチがひとつしかない。
ヴィンセントは、やわらかな月光に照らされたベンチにマリーと並んで座り、しばらく無言で夜空を見上げていた。やがて、彼は低く、しかしどこか優しい声で口を開く。
「先程は急にいろいろな話を聞かせて悪かった。混乱しただろう」
「いえ。私も知りたいことがたくさんあったので、助かりました」
マリーは少し躊躇いながらも応える。
ユイもジェロームももうこの城にはいない。もし遭遇したらとどこか気にかかっていたが、その点は問題なさそうで安心したことは事実だ。
「それに……実は私、その侯爵令嬢に関することをもっと知りたいのです」
その言葉に、ヴィンセントは一瞬驚いた表情を浮かべた。普段は冷静な彼が、どうやら思いを秘めたような眼差しでマリーを見つめる。
「侯爵令嬢について、だと……?」
「はい。彼女のことがどうしても気になります。聖女と彼女がどうしてそんな結果になったのか、今も理解できずにいます」
マリーの言葉にヴィンセントはしばらく黙り込み、夜風に揺れる白薔薇を眺めながら、低い声で答えた。
「マリエッタについての記録は……保管庫にまとめてある。明日にでもシオドリックに案内させよう」
「よろしいのですか?」
「君は……彼女の記録を蔑ろにはしないだろう。私が独自に集めたものだから、完全とは言えないが」
「ありがとうございます! うれしいです」
まさかマリエッタに関しての記録が現存しているとは思わなかった。
マリーは心から喜ぶ。
「……どうして、侯爵令嬢のことがそんなに気にかかるんだ? ティンダル家は彼女と何の関係もなく、彼女が処刑されたときも君は生まれていなかっただろう」
マリーの心を推し量るように、ヴィンセントが慎重に言葉を選んでいるのがわかる。
想像していたとおり、マリー・ティンダルという人物について、すっかり調べはついているらしい。
マリエッタが処刑された年に生まれた田舎の令嬢が、マリエッタのことを気にかける理由はない。
ヴィンセントの疑問は尤もだ。
「私は、ユイのことも気になります」
「ユイだと?」
優しかった眼差しがまた鋭くなる。ヴィンセントが聖女ユイを良く思っていないのは分かっている。
それでも、本当に彼女が悪いのだろうか。
同じ立場になってしまえば、同情の気持ちの方が強くなってしまった。
「異世界から召喚されたら、ユイはこの世界にひとりです。そんな少女にこの国の存亡が君にかかっていると大人たちが寄ってたかったのでしょう? それはひどく無責任ですわ」
「……ユイは悪くないと、そう言いたいのか。…………他でもない、君が」
なぜだかヴィンセントは泣きそうな顔をする。
その歪んだ顔に、マリーはどう答えていいのか分からなくなる。
(どうしてあなたがそんな顔をするの)
マリエッタもユイも、まだ若くどこか幼かった。
為政者に利用されていたのではないかと、今ではそう思ってしまう。
聖女が現れて、得をした者。
婚約者が処刑されて、得をした者。
……考えると、ひとつの仮説にいきあたってしまいそうな気がして。
「私の立場で、彼女たちの真実を知りたいと思うのです。ヴィンセント陛下」
それがもしかしたら、前世の記憶を持って生まれてしまったマリーの使命なのかもしれない。
ヴィンセントはハッとしたような顔をすると、そっとマリーの手に触れた。
背丈も手もすっかり大きくなって、立派な男の人だ。幼い頃の自分には想像もつかなかったほど、優しく温かい。
それなのに、赤色の瞳は潤んでいるようにも見え、寄る辺のない子供のように不安そうな顔をしている。
大きくなっても、根っこはかわいいヴィンセントのままなのかもしれない。
そう思うと、彼には悪いがマリーはちょっとだけ嬉しくなった。
「……それが君が選んだ道なら、私はその気持ちを尊重する」
「陛下……」
彼が憎んでいるであろう先代の聖女ユイを庇ってしまったことに嫌悪感を示されると思ったが、ヴィンセントはそう言って祈るように腰を折った。
その横顔は、月明かりに浮かぶ影のように美しく、しかしどこか儚げだ。
「マリー。これから君は私と共に任務に赴いてもらうことになる」
「……はい、心得ております」
顔を上げたヴィンセントに真っ直ぐに見つめられて、マリーはこくりと頷く。
まだ手はしっかりと掴まれたままだ。
「最も瘴気がひどい南部にも、いずれ行くことになるだろう。危険も伴うが、君には聖女としての任務を遂行してほしい。王として」
「ええ。わかっておりますわ」
当然だと思って返すと、ヴィンセントはぐっと眉を寄せた。
さっきからずっと、苦しそうな顔をしている。どうしたというのだろう。
「絶対に、君を家族の元に帰すことをここに誓う。──今度こそ」
彼は強い決意を込めた声で続けた。確かな温かさと決意に満ちている言葉にマリーは静かに頷いたのだった。
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