17 神官
載せる箇所を間違っていたので再投稿しました!
お騒がせして申し訳ありません。
次の日。
すっかり元気になったマリーの所に訪ねてくる者がいた。
部屋の扉が軽くノックされ、入ってきたのはシオドリックだ。
「聖女様、目覚められましたか。このたびは任務に従事していただきありがとうございます」
「は、はい……?」
その口調は以前とは明らかに違い、敬意がこもっている。
いつもどおりに眼鏡のズレをすちゃりと直すと、シオドリックは姿勢を正した。
「聖女様、陛下がお待ちです。執務室にいらしていただけますか?」
「はい、わかりました」
マリーは軽く頷き、支度を整えて立ち上がる。
程なくして、シオドリックに案内され、ヴィンセントの執務室へと足を踏み入れた。そこにはもう一人、見覚えのある人物がいた。
「お久しぶりです、マリー様」
長い亜麻色の髪を持つ神官オーガスが、静かに微笑んでいた。
神殿にいるといっていた彼がここにいるのは、どうしてなのだろう。
「どうしてオーガス様がここに……?」
マリーはオーガスとヴィンセントを交互に見比べる。朗らかな笑顔を浮かべるオーガスと正反対に、ヴィンセントは険しい表情を崩さない。
この前治癒したばかりだというのに、その目の下にはまたうっすらとクマがあるように見受けられる。また、徹夜でもしたのだろうか。
「陛下のご命令です」
オーガスはヴィンセントを一瞥したあと、再びマリーの方を見た。
「先日のことで、聖女の力の詳細をより深く知る必要があるとの仰せです。聖女にまつわる伝書等は神殿に多く残っておりますので」
「それは……ありがたいことです」
マリーも知りたかったことだ。聖女という存在、聖女の役割、そして……先代聖女のこと。
マリーはヴィンセントを見つめた。彼の表情は無表情ながら、どこか焦りが見えたような気がする。
「マリー様。このたびは瘴気の浄化おめでとうございます。神殿を代表してお祝い申し上げます」
神官の白の装束がしゃなりと衣擦れの音を奏でる。マリーに向けて頭を下げる神官に、マリーは慌てて両手を振った。
「い、いえ。せっかく守れる力があるのだから、当然のことをしたまでで……」
「……マリー様はお心までも聖女なのですね。とても素晴らしいです」
オーガスがどこか遠くを見つめるように言い、マリーはその言葉が少し心に引っかかる。だけれど、今そこを問う時機ではないことは分かっている。
「マリー様が知りたいことのひとつに、聖女の力のことがあるそうですね。身をもって体感されているかと思いますが、聖女の力には制約があると言われています」
オーガスはその穏やかな声のトーンを少しだけ下げて、ゆっくりと説明を始めた。
「瘴気を浄化するには相応のエネルギーが必要で、その消耗は食事によって補われます。しかし、過剰に使用すると身体が強制的に休息を取るため、意識を失うこともある。このあたりについては、神殿にある書物にも記載されております」
マリーはその説明を頷きながら聞いていた。
どれも身に覚えがある。現に昨日まで三日は眠り続けていたのだ。
「……もう、体調はいいのか?」
ヴィンセントの声が挟まる。
びっくりしてそちらを見ると、ヴィンセントはバツの悪そうな顔をしてこちらを見ていた。
「事前にそれらの代償を聞いていたにもかかわらず、強行軍の任務に随行させてすまなかった」
「い、いえ……それは仕方のないことですもの」
「しかし、転移門自体も負担になっただろうし、最後は魔獣まで。聖女殿の身体を慮った行軍とはいえないだろう。これまでの非礼も含め、聖女殿には負担を強いてしまったことも詫びたい」
透き通る赤い宝石のようなヴィンセントの瞳が真っ直ぐにマリーに向いている。
大人になった力強さも確かにあるはずなのに、その瞳の奥底は寄る辺のない子供のように所在なさげに揺れているようにも見える。
(おかしいわね。こんなに大きくなったのに、ヴィンセントが幼く見えるなんて)
当時のマリエッタよりも年上で、最初は威厳に満ちた冷徹な国王だったはずのヴィンセントの姿が、庭園のお茶会でうっかり紅茶をこぼしてしまって泣きそうになっていたあの日と重なる。
ヴィンセントは泣いてなんかいないし、紅茶もこぼれていないのに、だ。
「お詫びというのなら、もう受け取りました。貴重なショコラをありがとうございます、陛下」
マリーはにっこりと微笑む。
転移門を使っての移動は確かに驚いたとはいえ、かなりの時間短縮になったと思う。馬車での長旅の方が、精神的にもきつかった、うん。
「……今後、無茶はさせない。聖女殿も体調には十分留意してくれ」
ヴィンセントの声が僅かに低くなる。
マリーは少し驚いたが、その言葉の奥にある気遣いに気づき、小さく微笑んだ。
「はい、ありがとうございます。ところで、陛下も魔力をすごく消費しているように見えました。任務の前にはしっかり寝てくださいね?」
「善処、する」
その言葉は、ほとんど実現しないような気もするのだが。
叱られた幼子のように目を逸らすヴィンセントを、マリーは微笑ましく見守る。
短い会話だったが、なんだかすこしヴィンセントとの間のわだかまりも解けたような気もする。
「ええと、陛下にマリー様。続けてもよろしいでしょうか?」
そう前置きをされたので、是非にとお願いする。
「瘴気は現在、特に南部を中心に広がりを見せていると言われています。十六年前に発見されてから、ゆるやかに領土を蝕んでいます。北部にも現れたのはここ最近です。そうですよね?」
オーガスが同意を求めるようにシオドリックの方を見ると、シオドリックは書物に目を落としながら頷いた。
「ええ、そうです。瘴気の消滅が確認できたのは、百年ほど前の先々代からすると先日のものが初めての観測でした」
「えっ?」
シオドリックの言葉に、マリーは驚きの声をあげ、それから口を押さえた。
どうしてそんなことになるのか。だってユイは、瘴気を祓うために呼ばれた存在だったのに──
マリーは浮かんだ疑問をオーガスに投げかけることにした。今しかないと、そう思ったから。
「あの……先代の聖女の方は、活動されなかったのでしょうか?」
マリーのその言葉に、オーガスの表情が一瞬曇る。
ヴィンセントやシオドリックの表情がこわばったのを、マリーは見逃さなかった。
「そうですね……瘴気を祓うことを聖女の活動というのであれば、活動していないということになるでしょう」
「活動していない……」
「はい。当時召喚された聖女ユイ様は、もっぱら貴族や王族の治癒のみを行い、瘴気浄化の力は用いなかったと記録されています」
「治癒のみ、ですか……?」
「ええ、そうですね」
マリーは戸惑いながらオーガスの言葉を反芻した。
(どうして……? 瘴気の浄化が聖女の役目なのに、なぜユイはそれをしなかったの?)
ヴィンセントは腕を組み、静かにマリーの様子を見つめている。
ユイが瘴気を浄化しなかった。この前ヴィンセントが言っていたことと同じだ。
でも、ユイには力があったはず。その力を、貴族にだけ使った……?
マリーの戸惑いを察したのか、オーガスが気まずそうな顔をしている。
「私も先代の聖女様には直接お会いしたことはありませんが、当初はとても清廉で美しい魂の聖女だったと聞き及んでいます。一年もすれば、国家を覆う瘴気を浄化できるほどの力をお持ちだったとか」
オーガスが控えめにそう話す言葉を、マリーはどこか遠くに聞いていた。
それだけ強い力があったユイはどうして、瘴気を浄化しなかったのだろう。
「マリー様、安心してください」
「え……?」
「これは僕が独自に調べたことですが、先代聖女のユイ様はある事件がきっかけで外出が恐ろしくなったようです。彼女の持つ力自体に問題があったわけではありません」
「……神官、主観の入った話は望ましくないだろう」
オーガスが話そうとするのをヴィンセントが制止しようとする。
だが、聖女信仰の強いオーガスは、先代の聖女がそうした不名誉なそしりを受けていることが気に入らなかったようで、語気を強めた。
「ユイ様が力を使えなくなったのは、当時の王太子の婚約者の令嬢に夜会で毒を盛られたからだそうです! そこから外にも出られなくなったのですから、悪いのはそのご令嬢の方だと思いませんか?」
「っ!」
一瞬、息が止まるかと思った。
悪気がないオーガスの翡翠の瞳は、本当にそう思っていることを告げている。
聖女ユイが浄化の力を発揮できなくなったのは、毒殺未遂事件のせい。
そう言われてしまえば、その令嬢が誰のことを指しているのかマリーには当然よく分かった。




