*閑話・シオドリックの考察
*シオドリック視点
その日の夕方、シオドリックは庭園での出来事を護衛騎士のデイモンから報告を受けていた。
「シオドリック様、聖女マリー様が庭園で荒らされた花壇を復元されました」
「荒らされた花壇? そして復元ですか?」
「はい。奇跡のような光景でした。マリー様の侍女殿が大切にしている花壇のようだったのですが、踏み散らされ茎が折れた花が、再び美しい姿に戻る様子をこの目で目の当たりにして……」
恍惚とした表情を浮かべるデイモンの言葉には、マリーへの敬意と感動がにじんでいる。
シオドリックは再びこめかみのあたりにズキズキとした痛みを覚えた。
花壇が踏み荒らされていたとは何事だ。マリーに散策を許した庭園は、王宮の裏側に位置する。
裏側にあるからと言って手入れを怠るようなことはなく、前庭と比べたら関係者しか立ち入ることができないために、より安全だろうと思って薦めたのだ。
それにあそこは、国王の命令で白バラとリリーを絶やさずに咲かせ続けている花壇がある場所でもある。
そこで花壇に異変が生じたとなれば、ただの故意で片付けることができないではないか。
「……ティンダル嬢は、どんな様子でしたか」
頭をおさえながら尋ねると、「はい!」と威勢のいい声が返ってきた。
「侍女殿と一緒に、花壇に次はどんな珍しい薬草を植えようかという話で盛り上がっておりました!」
デイモンは良い笑顔だ。
きっとこの騎士はその時もにこにこと見守っていたのだろう。
嫌がらせを受けている状況でありながらも、彼女は自分の力を使い、誰かを救おうとした。そして、そのあとも侍女と楽しく過ごしている――それは彼が知る限りの聖女の姿とは全く異なるものだ。
「……薬草ですか。よく分かりませんが、あの庭園を荒らした犯人を至急見つける必要がありますね」
「はい。あ、そういえば侍女殿が、『この薬草を踏んだなら、その汁が衣服にも付着しているはず』と言っていました。特殊な効能の花のようです。時間が経つと浅黒くなるらしく」
「……なるほど。その方向で調査を進めましょう。報告を感謝します。今後も聖女様とその周辺の護衛を頼みます」
「お任せください、坊ちゃん!」
「坊ちゃんはやめてください……」
デイモンはどんと胸を叩く。その親しげな様子にシオドリックは困ったように眉尻を下げた。
「僕の勝手な感覚ですが、マリー様は悪いお方ではないと思います」
デイモンは元はマクナイト侯爵家でシオドリックに仕えていた騎士である。シオドリックが王城に入る際に一緒に連れて来た男だ。同じ年頃で、侯爵家では兄弟のように育った。
まっすぐで正義感の強い男。その騎士からは聖女に対する悪い印象は感じられない。
(……聖女マリー、か)
シオドリックは執務室の窓から、例の庭園の方をそっと見遣る。
すでに日が落ちかけていて、庭園の様子はよく見えない。
──彼女は、ただの自己中心的な人間ではないのかもしれない。
シオドリックの胸中にはそんな思いが去来している。そして、ヴィンセント王の意向を尊重しているつもりで、自分勝手に彼女を冷遇していた自分の判断を恥じた。
「そうですね。これからは、自分の目で見て判断します」
過去の聖女にとらわれすぎていたことに気がつく。
マリー・ティンダルは十六歳。
何の偶然かわからないが、前回の聖女が召喚されたときにはきっとまだ生まれていなかったはずだ。そんな少女を頭ごなしに否定するなど、すべきではなかった。
当初、聖女が城に来ると聞いたとき、シオドリックは嫌悪感を抱いた。
その令嬢が謁見の間に現れたときも鋭い視線を向けてしまった。
──一瞬、息が止まった。
人の良さそうな神官の隣にいたその令嬢が顔を上げると場の空気がわずかに変わった。控えめながらも毅然とした姿勢、揺れる淡い髪が神々しささえ感じさせる。
なによりも、彼女が持つ色。
輝く金糸の髪に、湖面を映したような澄んだ空色の瞳。その瞳にまっすぐ見つめられると、なぜだか心臓のあたりがざわりとした。
ヴィンセントを見た彼女が、少しだけ目を細める。冷酷無慈悲、氷の彫像と異名を持つ彼ではあるが、その美しい尊顔に夢中になる令嬢も多い。
その類いの目線かと思ったが、目の前の娘の瞳はそうした熱は孕んでいない。
大切な者を慈しむような、安心したような……不思議な目線だった。
『ティンドル伯爵家が次女、マリー・ティンダルでございます』
ヴィンセントの前に進み出た彼女は、一瞬だけ小さく深呼吸をすると、完璧なカーテシーと口上を披露した。まるで一流の貴族令嬢のような流麗な動きだった。
ティンダル家は社交をしない。それなのに、洗練された一流の仕草を見せたことに驚く。
さらには彼女が城に滞在することになり、数日後に訪ねてその境遇に驚いた。
食事や身の回りの世話を言いつけた者たちが仕事をせず、マリーは暖房器具のない部屋で自分で暖炉を扱っていたというのだ。これには絶句し、城を管理する者としての落ち度を感じずにはいられなかった。
そして、そんな中にあっても彼女の輝きは失われず、凛と前を向いていた。
「デイモン、報告をありがとうございます。持ち場に戻ってください」
「はい。では、失礼いたします」
デイモンを下がらせたシオドリックは、王宮内でのマリーへの待遇を見直すよう密かに手配を進めた。嫌がらせを行っていたメイドたちへの処罰も進める。
そうしてこれからとりかかるのは、ヴィンセントへの報告書だ。
『聖女への待遇が不当に下げられ、彼女に不便を強いていた』
『ただ、そのことに怒りを露わにするでもなく、置かれた状況で最善の行動を取っていた』
『荒らされた花壇を蘇らせ、侍女と楽しく過ごしている』
『彼女がかつての聖女と異なる存在であることは、疑いようがありません。彼女は、私が持っていた偏見を覆しました』
最後にそう締めくくり、シオドリックは筆記具を机に戻す。
立ち上がって向かうのは王の執務室だ。
これを見てヴィンセントが何を思うかシオドリックには分からないが、頭痛のタネがすこしでも減ってくれればいいと願った。




