10 再生
「そんな……」
エイダは小さく声を上げると、花壇へと駆け寄った。
彼女が向かった先、花壇の中央部分が無残に踏み荒らされ、花びらが散って茎が折れているのが目に入った。
「ひどいわね」
「これは……自然なものではなさそうですね」
異変を察知したデイモンも、眉をひそめてその場所へ近づく。
その言葉に頷きながら、マリーもその部分へと足を進めた。
(どうしてこんなことに……。獣らしい足跡はないようだから、やっぱり)
ふかふかとした土壌に、野獣の足跡など残っていない。この王宮の中にある庭園に、馬や家畜が入ることもないだろう。
大きな犬でも飼っていれば別だが……そんな気配はみじんも感じられない。
数ある花壇の中、エイダが案内してくれたこの花壇だけが無残な姿になっている。
エイダは花壇の前にひざまずき、傷ついた花々をそっと撫でていた。
「……大切に育ててきたのに……どうして、こんな……」
その背中は小さく震えており、彼女がどれほどこの花壇を大切に思っていたかが伝わってくる。
マリーはエイダの隣にひざまずき、静かにその傷ついた花々を見つめた。
(──ああ、そういえば)
その瞬間、マリーの脳裏にまた一つの記憶が蘇った。
前世のマリエッタが愛していた白い薔薇とリリーの庭園。その花々が急に全てしおれてしまったことがあった。
庭師には原因は分からないと言われたが、当時は聖女ユイが現れて、ジェロームの関心を失っていた頃で。
マリエッタは泣きながら荒れ果てた花壇を見つめて――そのときは、ただ嘆くことしかできなかった。
あれもきっと、マリエッタへの嫌がらせだったのだろう。今となれば、冷静に受け入れることができる。
過去の苦い思い出を振り切るように頭をぶんぶんと振った後、マリーはふと自分の両手を見つめた。
(……聖女の癒やしの力は、花にも使えるのかしら)
穢れを祓い、癒やすという不思議な星の力。
マリーはきゅっと拳を握りしめ、決意を込めた表情でエイダを見つめた。
(誰がこんなことをしたのかはわからないけれど……こんなに大切に育てていた花たちがこんな目に遭うなんて、とても許せないわ)
「エイダ、大丈夫よ。ちょっと試してみたいことがあるの」
「試したいこと、ですか?」
「ええ。せっかくの聖女の肩書きですもの。花にも有効なのかどうか、利用してみましょう!」
極力明るく言ったマリーは、手を花壇の上にかざすして目を閉じた。
この花壇が、花々が元の元気な姿に戻るようにと心の中で祈りを捧げる。
前世の記憶と現在の自分が重なり合い、強い気持ちが湧き上がるようだ。
(どうか、お願い。エイダの笑顔を取り戻したいの)
マリーがそう願うと、柔らかな光が彼女の手から広がり、花壇全体を優しく包み込んだ。
折れた茎が再び立ち上がり、散り散りになった花びらが元通りになる。
花壇の彩りが蘇ると同時に、空気がふっと柔らかく変わるような感覚がした。
「すごい……これが聖女様の力なんですね……!」
驚きと感動の入り混じったような声でエイダが呟く。
その言葉を耳にしたマリーはゆっくりと目を開け、復活した花壇を見つめた。
荒れた花壇は美しく蘇り、愛らしい花々が風に揺れている。
「よかった。とてもきれいな花壇ね、エイダ」
手を下ろしたマリーは、エイダに笑顔を向ける。
花壇の荒れた部分が意外と広範囲に及んでいて、力の使い方がよく分からず、ちょっと力を入れすぎてしまったかもしれない。
額にじんわりとした汗をかいてしまった。
それでも、この光景を見ることができたことにマリーは安堵する。
エイダが大切に育てた花壇が荒らされる……そこに偶然とは思えない悪意を感じるのは、きっとマリーが人のひどい裏切りを知ってしまっているからだろう。
他のメイドたちがマリーに対して明らかに冷遇するような措置をとる中で、ひとり笑顔でマリーのお世話をしてくれているエイダに彼女たちの攻撃の矛先が向けられたのかもしれない。
「マリー様、ありがとうございます! ここには貴重な薬草もこっそり持ち込んでいるので、元気にしてもらって助かりました」
「あなたは何をしているの……?」
「えへへ、せっかくなら実用的なものも育てたかったのでっ!」
エイダがこの花壇にやけに力を注いでいたのはそのためだったらしい。王宮の庭園でこっそり薬草を育てるなんて、なんて自由な子なんだろうか。
少しだけ呆れてしまったが、先程までものすごく落ち込んでしまっていたエイダに笑顔が戻ったことに安堵する。
貴重な薬草が踏み荒らされたからこその落胆だったようだ。
「ふふ。せっかくだから、こっそり薬草の範囲を拡大しない? 私も離宮と庭園しかまだ動き回れないようだし、お世話を手伝いたいわ」
「いいですね! 実は……まだ種はあるんです。マリー様のお世話なら、きっとものすごい効能の薬草が育ちますね!」
「聖女にそういう力まではないと思うけれど……?」
「いえ。マリー様に育ててもらうだけで嬉しいと思います」
「そういうものかしら」
「はい、絶対に!」
すごい自信だ。マリーに全幅の信頼を寄せてくれているらしい侍女に、マリーは嬉しくなる。
「マリー様、こちらの薬草をみてください」と楽しそうに花壇を案内するエイダの薬草説明を聞くことにした。
「……シオドリック様に報告をしなければ」
彼女たちから少し距離をおいたところに立つ護衛騎士は、ぼそりと呟いた。




