主人公(♂)がお嬢様学校でお姉様になってカミングアウトに成功する話。
Side:最上咲
――私立橘女学院。
古くから良家の子女が通う名門女子校である。
季節は3月の初め。卒業式が間近に迫っている。
そんな学校全体が慌ただしい中、今日はお別れ会が開かれていた。
可愛い後輩たちがセッティングしてくれたものだ。
今、私、最上咲は控室にいる。
他にも生徒会メンバーの三人がいて、私たちは最後に紹介されることになっており、それまで待機していた。
そして、今日は私が「俺」に戻ると決めた日であった。
私、最上咲は男である。
女装してこの女子校に通っている。
当たり前だが、好きで女装しているわけではない。
全ての始まりは祖父の遺言だ。
我が最上家は昔は名家であったらしいが、今では没落している。貧しいと言ってもいい。どれくらいかと言えば、両親が借金に耐えかねて蒸発したくらいだ。
そんな私を育ててくれたのが祖父である。
だから遺言は叶えてやりたかったが、「咲は女心を知るために女子校に通うこと」という内容を聞いて「阿呆か!」と怒鳴ったのは当然の反応と言えるだろう。
祖父はずっと祖母と離婚したのを後悔してきたそうだ。
あの時女心をもっと分かってさえいれば、と。
いや、そんなの知らんし。
全力で拒否したが、遺産の分け前をあさりに来た分家の連中が――借金しかなかったが――、本家当主の遺言は絶対などと言いだして、結局、私は私立橘女学院に強制入学させられた。
なぜ橘女学院かと言えば、叔母が学院長をしているからだ。
名家だった頃の最上家が学院創設に関わり、今でも影響力を残していいて、男の私を紛れ込ませるくらい可能らしかった。
本当か?本当だった。
そんなわけで、私はこの女子校で三年間を過ごしてきた。
「色々あったな……」
「お姉様、何か言いましたか?」
私のつぶやきに耳ざとく反応した姉小路萌香が話しかけてくる。
「何でもないです。それより、萌香さん、改めて今まで副会長として私を支えてくれてありがとうございました」
「お姉様、それはもう何回も聞きましたよ」
「何回も言いたいくらい感謝しているんです。本当にありがとう」
「まったく、もう……私こそ感謝しています。生徒会長のお姉様と過ごした日々は生涯忘れることのない素敵な日々でした。今でこそ言えることもありますが」
「あはは、ケンカしましたね」
「はい、ケンカしました」
萌香と笑い合っていると、二つの声が割り込んでくる。
「ちょっとー、何二人でいい雰囲気になっているのよ。というか、お姉様、私には感謝がありませんの?」
「……お姉様、私にも感謝をプリーズ」
三条院月と獅子ケ谷小毬だ。
萌香を含めて、彼女たち三人は日本を代表する大財閥の令嬢である。
限りなく庶民に近い私とは考え方で反目した時もあったが、今ではかけがえのない友達だ。
「みんな、大好きだよ」
「んんっ」
「きゅ、急に何言い出すのよっ」
「……ふぁっ」
――でも、ごめん。今日で友情も信頼も何もかも失うことになるだろう。
「お姉様!」
「うん?何、萌香さん」
「わ、私も貴女のことが――」
「お姉様方!準備よろしいでしょうか?そろそろ出番です!」
「あ、時間みたいですね。続きはまた後で。……まだ萌香さんが私と口を聞いてくれるならですが」
私は萌香の話を打ち切って控室のドアへ向かう。
ドアの外では後輩が待っていて彼女の先導でお別れ会の会場へ進んでいく。
さあ、覚悟を決めねば。
Side:姉小路萌香
お姉様――最上咲が控室のドアの方へ行きます。
私、姉小路萌香は言えなかった言葉を飲み込んで息を吐きます。
そんな私の肩に手が置かれました。
三条院月です。
「言わなくてよかったの?もうチャンスはないかもしれないわ」
「月さん……いいのです。先程はお姉様があんなことをおっしゃったので衝動的に口に出しそうになりましたが、本来、この想いは秘めるべきものですから」
「それは、そうかもしれないけど」
「……私たちは男と付き合い、子を生む義務がある」
いつの間にかそばに来ていた獅子ヶ谷小鞠がそうこぼします。
私たち財閥の娘には同性婚など認められません。お見合いをし、子を生むまでのレールが敷かれています。
ただでさえ今でも高校卒業まで待ってもらっている状態です。
でも、男の方を愛せるでしょうか。
お姉様以上に。
私は知らず知らずのうちに握りしめていた拳を解いて、胸に手を置き、心を落ち着かせます。
「行きましょう、二人共」
私たちはお姉様の後を追います。
先を行くお姉様の背中。
さらさらと揺れる綺麗な黒髪は出会った頃と変わりなく、あの時のことが今でも鮮明に思い返されます。
私がお姉様と初めて出会ったのは学院の入学式の日です。
私は首席合格ということで入学式に新入生代表の挨拶をすることになっていました。
車で向かっていたのですが、渋滞で立ち往生してしまいました。
姉小路家の子女たるもの、入学式に遅れるわけにはいきません。
そこで自分の足で走ることにしました。
息を切らしながら走っていると、
「へい、お嬢さん、乗ってくかい?」
何とも軽薄な声が私の横から聞こえてきました。
それがお姉様でした。
カゴの付いた自転車とはあまりにもミスマッチな気品ある顔立ちの少女の登場に、一瞬惚けてしまいましたが、私は申し出を断ります。
「二人乗りは、道路交通法違反ですっ」
「そう言えばそうですね。んー、なら、こうしましょう」
お姉様が自転車を止めて降ります。
私もつられて足を止めました。
「どうぞ使ってください。私は歩いていきますので」
「え!?その制服、貴女も橘女学院ですよね?私と同じ新入生なのでは?貴女が遅れてしまいますよ」
「まあ、そうかもしれませんが、貴女みたいな見るからに良いところ子がこんなに走っているのだから何か理由があるのでしょう?さあ、モタモタしていると時間がもったいないですよ」
お姉様に押し切られる形で私は自転車を借りて何とか予定の時間前に学院に着くことができました。
体育館の入り口にお姉様が現れたのは式が始まって少ししてのことでした。
先生に平謝りをしているお姉様を見て罪悪感でいっぱいになります。
入学式が終わってすぐにお姉様を見つけて謝罪とお礼を言いました。
私のせいで式に遅刻したことについて一言文句があってもおかしくないのですが――、
「間に合ってよかった」
と、ひだまりのような笑みを浮かべただけでした。
胸が高鳴ったのを覚えています。
この時から私はお姉様を心からお慕いしています。
入学後は体育祭、文化祭、音楽祭、修学旅行……たくさんのイベントをお姉様と過ごし、三年の初めにある生徒会長選挙では自薦の私と他薦のお姉様の一騎打ちになりました。
生徒会長、つまり、学院でただ一人の「お姉様」の称号をめぐる争いです。
家族の期待が重荷となった私は焦って空回りして、お姉様とケンカして、最後には仲直りして。
結果はお姉様に負けてしまいましたが、悔いはありません。
宝石のような日々を思い返しているうちにお別れ会の会場につきます。
お姉様が会場に入ると、下級生、同級生の大歓声が上がります。
けれど、お姉様の様子がどこか固いのが気になります。いつ何時も泰然としているお姉様にしては珍しいことです。
私は訝しく思いながらもお姉様に続いて中に入りました。
Side:最上咲
後輩からイヤホン一体型のワイヤレスマイクを渡される。
私はそれを耳にかけて皆の前に立ち、一つ深呼吸してから話し始める。
「ご機嫌よう、みなさま。生徒会長の最上咲です。今日は私たちのためにこんなにも素晴らしい席を用意してくれてありがとうございます――」
思えば人前に立つのに慣れたものである。
最初は「ご機嫌よう」の挨拶さえうまく言えなかったが、生徒会長に推薦され、今では「お姉様」として憧れの的になっている。
私は男であるのに。
マガイモノのニセモノなのに。
私は「私」の幻想を打ち砕き、「俺」に戻らなければならない。
「……最後になりますが、みなさんに一つ謝らなければならないことがあります。私は三年間、重大な隠し事をして、みなさんを欺いてきました。それをここで告げようと思います」
ざわつく生徒たちを無視して続ける。
「私は――」
喉を絞って声のキーを上げていたが、それを元に戻す。
「俺は――男だ!俺、最上咲は男なんだ!本来、女子校にいてはいけない人間だ!ましてやお姉様なんて崇高な存在じゃない!信じられないか?なら、証拠をばっちり見せてやるよ!俺が男のな!」
俺はその場でブレザーを脱ぎ去った。
スカーフを外し、ブラウスのボタンを全部外した。
ブラジャーとパットを投げ捨てて真っ平らの胸をあらわにする。
最後にスカートを落とした。
ボクサーパンツ一丁になった俺は息を吸って声を張り上げた。
「これで分かっただろ!俺は男だ!」
凍りついた会場。
最初に動き出したのは一人の女性だった。
この学院の学院長である叔母の最上雪だ。
「ちょっ、ちょっと、何やってるの!咲くん!」
「叔母さん……ごめん……」
「ごめんじゃないわよ!ああ、もうっ!とにかく、こっちに来て!」
俺は叔母に引きずられるようにして会場の外へ連れ出された。
途中、萌香、月、小毬のいつもの生徒会メンバーが見えた。
どいつも愕然とこちらを見ている。
「今までありがとう。これでお別れだ。元気でな。じゃあな」
俺は笑顔を作って矢継ぎ早にそう告げた。
胸に刺す痛みを誤魔化しながら。
Side:姉小路萌香
あれからどれくらい経ったでしょう、いまだ思考がまとまりません。
「……お姉様が、男?」
「……うそ」
そんな月と小毬のつぶやきが会場全体へさざ波のように広がっていきます。
私自身、足元の地面が崩れ落ちるくらいショックですが、生徒会副会長としてこの場を収めなければ、と止まっていた頭を無理に動かします。
ここには多感な年頃の女子が大勢います。
一歩間違えれば、大変な騒動になることは目に見えています。
私が彼女たちにかける言葉を選んでいると、スピーカーから声が聞こえてきました。
『どういうつもりなの!咲くん!』
学院長の声です。
おそらくお姉様のワイヤレスマイクが拾っているのでしょう。
学院長は最上の性で、お姉様の叔母に当たります。
当然、お姉様が男であると知っていたはずです。
『あと何日かで卒業だったじゃない!あそこには生徒はもちろん、先生方もいた!このままだと咲くんは退学処分になるわよ!』
『……』
『「女子校に入れ」なんて父のふざけた遺言を真面目にここまで守ってきたのに、どうして今更!』
遺言?
学院長の父ということはお姉様にとっての祖父。その方の遺言?
お姉様の事情を一言も聞き逃すまいとスピーカーに全神経を集中します。
月も小鞠も、他の生徒たちもいつの間にか黙って聞いています。
『……叔母さんには悪いと思っている。あ、よく考えたら叔母さんも退職になるかもしれないじゃん』
『ほんと今更ね。でも、私のことはいいのよ。今は咲くんのことよ。咲くんが男であることはすぐに広まるわ。学校外にもね。そうなると、モデルの仕事だってできなくなる。今までは男という性別込みで使ってくれていたけど、女装で女子校に通っていたなんて悪いイメージがつくともう使ってもらえないわ。借金はどうするの?』
お姉様は忙しい学業の合間にモデルをしており、つい先月は有名ファッション雑誌の表紙を飾りました。私たちは見開きのお姉様の姿に大興奮したのですが、お姉様はそれを見て苦笑いするだけでした。
借金のために嫌々やっていたのでしょうか。
お姉様の家の財政状況が苦しいのはなんとなく分かっていましたが、お姉様があまり話したがらなかったですし、私たちもプライバシーに配慮して調べることはしませんでした。
『あー、いよいよ、カニ漁船かな』
『その時は私も乗るわよ。学院長は辞めさせられるだろうし』
『いや、マジごめん。男だってカミングアウトすなら今日しかないって考えしか思いつかなかった』
『それだけ自分を追い込んでいたのね』
『そうかもな。カミングアウトするにしてももっと穏当な方法があったはずだし、そもそもこんな卒業前にやることじゃあない。けど、俺はこのまま卒業しちゃいけないと思った。俺はマガイもだ。性別も、言葉遣いも、所作も、何もかも偽ったニセモノだ。そんな俺を皆、お姉様なんて慕うんだぜ?言われるたびに辛かった。友達もたくさんできたが、その絆はお姉様の最上咲のもので、俺のものではない。はは、俺の三年は一体何だったんだろうな……』
しんと静まり返った会場。
お姉様のすすり泣く声と学院長の「お疲れ様」と労る声だけが響きます。
私の脳裏に最後に見たお姉様の悲しげな笑みがよみがえります。
お姉様の隠し事は許されざることでしょう。女装して女子校に通うなんて前代未聞です。
でも、お姉様は一つ勘違いをしています。
私は――いえ、私たちはお姉様の外見だけで「お姉様」と慕っていたのではない。その称号はお姉様のかけてくれた温かな言葉が、優しい心が、陽だまりのような笑顔が、私立橘女学院の全生徒に認められた証なのですから。
たとえお姉様でもこの侮辱は我慢なりません。
もう一度、お姉様に会わなければいけない理由ができました。
一方的に断ち切られた絆を結びなおすために――。
そして、胸に秘めたる想いを男の最上咲に伝えるために――。
私はここに集う全校生徒の前に一歩踏み出しました。
皆を見回せば、お姉様への悪感情は感じられません。
これならいけるでしょう。
「生徒会副会長、姉小路萌香が宣言します。只今から生徒会臨時総会を開きます。議題はお姉様、最上咲の学院の退学と『お姉様』の称号剥奪の是非について――」
Side:最上咲
学院長室に隔離された俺はソファに背中を深く預けていた。
何もやる気が起きない。
まさに「燃えたよ……真っ白に……」の状態だった。
今頃、叔母は釈明に奔走しているのだろうか。
叔母の迷惑を一切考慮外だったのは不覚だ。この三年間、色々フォローしてくれたのに。特に体育の着替えとか。体に手術痕があるからという理由でここでやっていた。
ちなみに、手術痕があるのは本当だ。
ドアがノックされる。叔母が帰ってきたようだ。
「どうぞー」
「失礼します」
「失礼するわ」
「……失礼する」
入ってきたのは叔母ではなく、もう二度と会うこともないと思っていた生徒会メンバーの三人だった。
「お前らなんで……いや、なんで会ってそうそう目をそむける?」
「それはその、お姉様のお体を思い出してしまい……」
「殿方の裸なんて家族以外では初めてなんだから仕方ないでしょっ。ましてお姉様のなんだから」
「……ナイス筋肉だった。特にお姉様の腹筋はダンチ」
俺はその反応に苦笑しながら、萌香、月、小毬の順に見る。
「まだお姉様って呼んでくれるんだな」
「当たり前です。私たちがお姉様をお姉様と呼ぶのはそれがお姉様という理由だけではなくお姉様がお姉様だからこそお姉様と呼んでお慕いしているのですよ」
「なんだその怪文。とりあえず慕ってくれているのは伝わったけど……」
「信じられませんか?」
「当たり前だ、俺はみんなを騙してきたんだぞ」
俺はそう言い捨てる。
そんな俺に萌香が胸に抱えていた紙の束を差し出す。
そこには氏名とクラスがずらりと書かれていた。
「これは……」
「お姉様の卒業を求める嘆願書です。生徒全員分あります」
「まさか、そんな……」
「私たちの思いの強さが伝わりましたか?私たちが紡いできた絆は決してニセモノなんかではありません」
嘆願書を見る視界がぼやける。
慌てて目をこすった。
「これを教師陣に提出してお姉様の卒業を認めてもらう方向です。私たちの決定に教師も嫌とは言えないでしょう。お姉様のモデルのお仕事や借金のことに関しては私たち三大財閥がバックアップします。これからどうするのが最良か一緒に考えていきませんか?」
借金のことをどうして?
疑問に思っていると、萌香が耳を示すジェスチャーをする。
迂闊にもワイヤレスマイクをつけっぱなしだった。
すぐに外してオフにする。
校長室はお別れ会の会場から離れているから今の会話は聞かれてはいないだろうが、一応。
「いいのか?お前らの家に迷惑をかけるかもしれない」
「お姉様はもっと私たちのことを頼ってください。私たちはお姉様の本当の姿をもっと知っていきたいのです」
「そうか……やっぱり、みんなのこと大好きだ」
三人の優しさに胸が温かくなる。
この三人と友達になれただけでも女子校で女装したかいがあった。
生涯、この絆は大切にしたい。
そう感慨にふけっていると、三人がおもむろに近づいてきて。
そして――、
「はい。私も貴方のことを愛しています。ちゅっ……これで両想いですね」
「萌香さん、抜け駆けは禁止ですわよ。ちゅっ……これからは咲さんとお呼びしても?」
「……このビッグウェーブに私も乗るしかない。ちゅっ……あい、らぶ、ゆー」
代わる代わるキスされた。
「さあ、お姉様、行きましょう。まだお別れ会は終わっていません。皆、お姉様のことを待っていますよ」
突然の出来事に呆然とする俺を三人が引っ張っていく。
明るいその顔はまるで蛹から蝶が羽化したかのごとく華やいでいて、俺がこの三年間で一度も見たことのない表情だった。
俺はお嬢様学校でお姉様になってカミングアウトに成功したが、どうやらまだ女心は分からないらしい。