衣食住の真ん中のやつ
食の記憶というのは凄まじい。
匂いなき梅の気候が忘れ去られた異常気象のその季節、私は日の沈まない国へ再び降り立った。
人生の大半を無自覚に費やしてきたこの国は、無礼にも懐かしさを抱かせることはなかった。いやこの場合無礼なのは私の方なのか。右だか左だか方向はわからないが、まだ見ぬ将来へ歪んだ勝利宣言をした実に虚しく大きい帝国での経験はあまりに偉大であり、ありふれた式年遷宮程度の年月では礼にも及ばなかった。結局、短期に偉大な私に懐かしさを与えたのは食であった。もちろん横にも縦にも一つとして同一の料理は存在しないわけだが、島国の命の源は似て非なる島国のそれとは意外にも、いやもちろん違うものであり、異なる島国での記憶に浮かれる私を強く叱責するものであった。衣も住も成し得なかったこの功績(国籍の再獲得?)は、同時に「食べる」ことの価値の大きさを再認識させた。
このように機械的手続きとは若干の差が生じさせながら日の丸の構成員たる自覚を取り戻すことに運よく成功した私であるが、一度膝下を離れたからこそ「日本人」に対して感じる心象が少し、いやかなり変化した。第一に自己中心的な群衆思考である。世間大衆の倫理から逸れた出来事に対する独自な解釈に基づいた法律での、群衆による群衆のための独裁が横行してはいまいか。もちろん世の中を通して似たような事例は発生するし、より激化する事例もある。それでも些かなものかと感じる瞬間が多くなったのは確かだ。実像を持っていたメディアとは異なり、何人も犯せぬ聖域と化した「世論」は裁かれることがなく、その影響力は日に日に多なものとなっている。この歪な正義感に日本人的気質を感じるかは人を選ぶところではあるが、私は気質に起因しているところが大きいと考える。日本人は元来右に倣う性格と言われることが多い。(これこそ歪な日本人への見方だが)これは周りの行動との乖離から発生する恥を避けるためであると考えられる。個人の恥は、当人へ向けられる評価の変動により等価交換がなされ、うまく抑え込まれる構図となってきた。しかし、匿名性という手段を用いて偏屈で視覚的な世論を獲得し、恥を克服した人々は罰せられるものがなくなった。法的制限を除いては大凡の攻撃をヒットポイントに際限がない世論が肩代わりしてくれる。いや、もしかしたらこの姿こそ日本人たる気質なのかもしれない。これまでの姿は、内外が作成した日本人という枠組みに適応するための一種の生存本能であったのかもしれない。第二に、、これ以上かくと自らを自らとたらしめる根源的精神が参ってしまいそうなのでこの辺で筆を止めたいと思う。
異常気象も相まって短パンを常用する季節となった。出る膝下を横目に恥のない世界を走り回るのではなく、ゆっくりでもいいから堂々と歩くことのできる人間でありたいと思う。下ではなく目線を上に持っていき、舌に食べる価値を思い出させれば、何かを取り戻してくれたりはしないだろうか。




