鎧の戦士
鏡を見ると装着品だらけで本体なんてものはもうみえはしなかった。だからしょうがないのだろうか。本体でないからどんなに傷ついても平気なのか。装備を変えればまた戦えるのか。まいにちまいにち、戦いに明け暮れては装備品を自分の周りに付け加えた。気が付くといつの間にか装備品で埋め尽くされて本体なんてものはとっくに姿を変えていた。
いや本体なんてあったのだろうか。もう思い出すこともできない。深手の傷を負っても鋼でできたプレートを一枚傷ついたところに重ねれば傷は見えなくなる。これで完全回復だ。おい、まてまてみかけでだましても自分の体を見てみろよ。もう虚空のものかもしれないけど、。体はもう歩くので精いっぱいだ、足取りがおもい。全身絹か木綿の鎧の姿を見ても誰もおもしろいともちかづきたいとも思わない。中身がわからないものに対し人は一定の距離を取る傾向にあるからだ。ん、傾向って何なんだ。これでさえ自分の目の前の真っ暗な視界の範囲だけの話ではないのだろうか。
こんなに鎧を重ね着してるくせに、鎧を迷彩にすることがある。だからたちが悪いんだ。まあ、迷彩にしたら戦いやすいのかもしれないが、あいにくこれはせいぜい二色までにしかならない。
戦う必要が少なくなったとき鎧をはがそうとしてももう遅い。中身を見たことのない鎧の戦士は、知らない人からしたらそれが本体だろう。皮膚は脱げるわけないのだ。だって痛いじゃん。
真っ暗な視界のせいで歩く方向もうまく定まらない。手すりにつかまっていくことはできるんだがその手すりがゴールまで続いているのかはわからない。たまに手すりを離してみるが前が見えないのだからすぐに戻ってくる。
こんな右も左もわからないじぶんだが一番外側の鎧ではなく外側から何番目かのはとれたのだ!そうなんだよ、鎧をすべて外す必要なんてないんだ。必要な鎧は残して軽量化できればまた前とは違う戦い方ができるというものだ。誰しもちゃんと装備をしないと戦っていけない、ただその枚数がちょっとばかし違うだけだ。
鎧の枚数は関係ないしまえが見えなくてもいいじゃないか。ころんだって、なんでころんじゃダメなんだ。いまの自分なら立ち上がれるだろ。まあはいつくばってでもゴールするさ。一番輝いてるところを目指せばいんだろ。