第六話 「特訓開始」
──んん…。ここは…?
どこか既視感のある豪華な装飾。ふかふかで寝心地がいいベッド。真っ暗な夜空の中で月の光が窓から差し込んでくる。ラデスは一瞬で自分がどこにいるのかを把握した。
「また、ここか…。」
目覚めてしばらくすると、またもや既視感のある看護婦が、しかめっ面でつかつかとこちらに歩いて来る。そしてラデスの前で立ち止まり、大声でこう言い放った。
「またですか!? こんな短期間で二回も死にかける人初めて見ましたよ!!」
驚くのも当然だ。冒険者は治療所や宿などの料金が騎士と比べ高い。だからこそ自分の身を滅ぼさないために無茶な依頼を受けないのが冒険者の基本だ。
ラデスの場合は、ローザにボコボコにされたのだが…どうやらローザはそのことを話してないらしい。
「もう、心配かけないでくださいよ…。」
心底心配していたのだろうか。ラデスは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「まあ、あなたのような鴨 あっ、いや、冒険者がいるおかげでここが潤っているのは事実なんですけどね。」
…今の一言で完全に台無しだ。一応小声で言ったようだが…ていうか今、鴨って言わなかったか?
ラデスは呆れながらこう思った。だがこの看護婦がこういうのも分かる。
現在、このグリンガ帝国とその西にある軍事国家カイエンが冷戦状態であり、戦争のための準備をしている。その最中で国に、治療所の運営のための金を回せる余裕などないだろう。
「…料金はいくらだ?」
「あ、それはこちらになりまーす。」
「うっっっそだろっっっっっっ!!!!」
料金が書かれた明細書には金貨十五枚と書かれていた。高級な酒場に行ったとしても金貨二枚で十分食える。ラデスは泣きそうな顔で猛抗議した。
「頼むぅぅぅ。最近依頼をあんまり受けてなくて金がないんだぁぁぁ。少し負けてくれぇぇぇ。」
必死の抵抗に聖母のような笑みで看護婦は答えた。
「無理です」
「そこをなんとかぁぁぁぁぁぁぁ」
「無理です」
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「はあぁぁぁぁぁぁ」
こんな夜中に通りを歩く人は少ない。それでも人が驚くほどの大きなため息をつきローザの道場へ向かうラデス。あの後何度か頭を床にこすりつけて交渉したが、銅貨一枚すら負けてもらえず結局全額を払った。
銀行の金を下ろしてなんとか払えたが、そのせいでほぼ一文無しになってしまい、あの勝負を受けたことに少し後悔しているラデスであった。
「あの眼鏡看護婦ぅぅぅ…。いくらなんでも高すぎだろぉぉ…。」
ラデスは生涯あの笑顔を忘れないだろう。あの聖母に見せかけた悪魔の笑顔を…。
少しの…いやかなりの恨みを感じたと同時に前の料金を払ってくれたローザに、ラデスは感謝していた。感謝したが…今回もローザが払っていればよかったなとも思った。
──痛っで!!
この先どうしようかと沈んでいるラデスの頭の強い衝撃が走った。振り返ってみてみると、呆気にとられた顔のローザが立っていた。
「なんて顔してんだい。あんた」
「いや、金が無くてですね…。」
「なるほどね。まあ、あそこはぼったくりで有名な治療所だからな。」
それを聞いた瞬間、ラデスに怒りが湧いてきた。そんなんだったら、ちょっと傷が残ってもいいから安いところにしてくれよ。
「…そんなキレんなよ。あそこは腕だけは確かなんだ。」
それにしても割に合わない。傷が治っても金が無きゃ明日を生きていけない。ひどく落胆した様子のラデス。上目遣いでローザに何も言わず訴えかける。
「なんだよ…。」
その言葉を無視し、ずっと泣きそうな顔で見ているとしびれを切らしたのか、仕方ないというような顔でローザは言った。
「ああ、もう!!わかったよ!!明日からお前を道場に住まわせてやる!食事もちゃんと用意してやるよ!これで文句ないだろ!!」
「おっっっっっしゃああああああ!!!」
冒険者としての矜持を捨てることで衣食住の内、二つが保障されたラデスであった。
「そういや自己紹介忘れてたな。アタシはローザ。ローザ・マードレンだ。」
「そういえば忘れてましたね。俺はラデスです。ラデス・バッファウッドです。」
握手を交わした二人。そして新たに誕生した師弟コンビは道場への帰路に就いた。
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まだ朝日が昇りきっていないにもかかわらずラデスは叩き起こされた。ローザ曰くアタシの道場に来たからにはアタシに従ってもらうとのことだ。
裏庭に来た二人は木刀を持ちながら話し始めた。
「よし、特訓するぞ。その前にお前は魔力についてしっかり考えたことはあるか?」
「それくらいさすがにありますよ。武器に流して強度を上げるものです。魔法使いとかは杖に流して魔法陣を展開して魔法を打ったりしますよね。」
「まあ、大まかな定義はそうだな。だが歴戦の猛者は魔力を体に流して戦うんだ。」
「それ、出来るんですか!?子供の頃、興味本位でやってみたけど出来なかったですよ!?」
「魔力を体に流すのはかなりの難易度だからな。なんせ体の細胞一つ一つに魔力を流すんだ。できる奴は少ない。今から見本を見せてやる。」
そういうとローザは真剣な面持ちで腕に力を込め始めた。すると、ローザの腕が薄っすらと赤くなり始めた。
「おお!!すっげぇ!!!」
「初心者のお前は、指先だけでも出来たら上出来だ。とりあえずやってみろ。」
「はい!!」
威勢よく返事したものの、指先にいくら力を入れても、うんともすんとも言わない。
「ふんぬぬぬぬぅぅぅぅぅぅ~~~~」
「こればっかりは毎日やるしかないな。よし、次のやつ行くぞ。」
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「今から、お前の体を鍛える。徹底的にな」
王都の喧騒が聞こえる中、ローザの口から出たのは魔力を上げるとかそれらしいトレーニングではなく誰でもできるような特訓の提案だった。
「お前の魔力量は壊滅的だ。魔法とかには期待できねえ。だからアタシみたいなゴリ押しで相手を圧倒する戦い方を覚えろ」
「そのために今からお前の身体能力を限界値まで上げる。毎日基礎的なトレーニングを続けるんだ。強くなるには少し地味すぎるかもしれねぇが...出来るか?」
確かに少し地味だと思ったラデスだったが、元王直騎士の意見。これが最適なのだろう。強くなるためなら考えている暇はない。
「はい!!!」
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「はあ゛はあ゛じぬぅぅぅ。じぬぅぅぅぅ」
「へばるの早いぞ。マジで早いぞ。さっきの威勢はどうした」
「だっでぇぇぇぇ。」
ローザは呆れていたが、ラデスがばててしまうのも無理はない。もうかれこれ10kmは走っている。何度も嘔吐し、もう吐き気が来ても、空気しか吐き出せないほどだった。
「うぅぅ。お゛えええぇぇぅぅぇえぇ」
「何回そうしてんだ。ほら、まだまだ行くぞ。」
「い゛や゛だぁぁぁぁぁぁぁ」
こうして地獄の生活が始まったのだった。
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「まったく…熟睡だな。」
一日中トレーニングをして疲れ切ったラデスがよだれを垂らして寝ている。まるで遊び疲れた子供のように。
「…これで、よかったんだよな。リグ。」
目を細め追想するローザ。その顔は笑ってはいるが、とても儚く消え入るような声だった。