第五話 「卑怯者の執念」
突然の提案にラデスは混乱し、この勝負に挑むのを躊躇した。無理もない。彼女が本当に王直騎士だったのならラデスには全く持って勝ち目のない勝負だからだ。
しかし、この勝負を蹴ればこのような機会は二度と来ないかもしれない。何より勝負に勝てば最高の師を手に入れることができる。
「わっ、分かりました。勝負を受けます。」
「よし、裏庭に来い。」
木刀を持ち相対する両者、しかしどこか余裕のあるローザに対して緊張から呼吸が荒くなっていくラデス。
「よし、アタシの体に木刀を当ててみろ。一回でいいし、どんな手を使ってもいい。だが…こちらも本気で行くぞ。」
「はい、分かりました。」
わずかの言葉を交わし、睨みあう両者。どちらも動かず膠着状態が続くが、どこからか風が吹いたときそれが崩れた。
先に動いたのはラデスだった。
「うおおおおおおぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
今までにない剣幕で斬りかかろうとするラデス。彼の狙いは彼女の足だ。
条件の都合上、わざわざ胴体を狙う必要はない。
油断を誘うためにあえて大声を出し、大振りの剣を繰り出す。彼女の足に当たらなくても、せめて鍔迫り合いの状況に持ち込むことを狙った。
しかし、現実は無情だった。
「ああああああああぅっっっ! はっ?」
先ほどまで捉えていた彼女の体がない。まるで狐にでも化かされたように。
最初からそこには何もなかったかのように、一瞬で消えた。
次の瞬間、ラデスの脇腹に強い衝撃を感じた。鈍い音が聞こえたと同時にラデスの体が吹っ飛んだ。
何メートルも転がり続けながらようやくラデスは理解した。ローザはとんでもない速さで上に飛び、落ちる途中でラデスの体を攻撃したのだ。
「こんなもんじゃあ終わんねぇよなぁぁ!! 勇者さんよぉぉ!!」
うずくまったままのラデスを煽るローザ。その言葉に応えるようにラデスは苦しみながらも立ち上がり、再び向かっていく。
「あっっっがっあああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「また、大振りか。」
「ぐっっふぁぁぁっっっっ!!」
何度立ち上がってもローザに吹っ飛ばされていく。顔が腫れあがり、体が歪み、心が削られていく。
「おらあああああぁぁぁぁぁ!!!」
「──少しは頭を使えよ。もっと敵に脅威を感じさせろ。」
「うごぁぁぁっっっ」
大振りだけしかしないラデスにローザは心底呆れていた。
「うるうああああああああぁぁ!!」
「もう、終わりだな。」
「あっ」
何度目かのローザの攻撃にラデスの木刀が耐え切れず、ついに粉々になってしまった。みっともない姿になった得物が現在の絶望的な状況を伝えている。
しかし短く欠けてしまった木刀を持ち再び立ちあがる。
「うっがっっあああ」
「…まだ、やんのか。」
ぐふぁっ がっ おぼぁっ ぶっっふぁっ
立ち上がる隙も与えられず、ただただ傷を増やされる。
一方的な勝負の中、ラデスは何度も体が傷つくことに対する恐怖に吞まれかけた。その度に記憶の中の勇者がラデスを奮い立たせた。
立ち向かわなければいけない心と逃げ出したい心が混ざり合いラデスの顔に壊れた笑みを浮かべさせる。
「うぐっふっ。ふひっ。ふひひひっ。ひひひひ。」
他人からしてみれば異常者にも見える行動にローザはぼそっと言葉を漏らした。
「──まるで取り憑かれているみてぇだな。」
勇者にならなければいけない。約束を守らなければいけない。もう昔の自分に戻りたくない。
まさに今のラデスは'勇者'に取り憑かれていた。
「ひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひっひいひひっひっひひひひっひひひひひひ」
ゆっくりとゆっくりと近づいてくる狂気の権化にローザは──
「もう…これで終わりだ。」
「おごっあっぅっっ」
正確な一撃がラデスの胴体を捉えた。そのまま吹き飛び、動かないラデス。
「やっぱり…お前もか。もう誰も死んでほしくねぇんだよ」
そのまま去っていくローザ。しかし後ろから音がした。砂を握りしめ必死に立ち上がろうとする音が。弱者の精一杯の決意と覚悟の音が。必死に約束を守ろうとする生者の音が。
「もうやめとけ。死ぬぞ。」
「あ........ど.........いっ.....がい..................だげ.........」
先ほどの一撃で正気に戻ったのだろうか。笑顔が消えている。
「だめだ。今から治療所に行くぞ。」
ローザの言葉を無視し、たどたどしい動きでこちらに来るラデス。しかし途中でふらっと体が揺れ今にも倒れそうだった。ローザはそれを受け止め彼に話しかける。
「おい。もう諦めろ。」
「う.........あ.....」
ラデスは必死に左手でローザの体を突き離そうとしている。だがもはやそんな力もない。
──おい!いい加減に…
いい加減にしろと言いかけたところでローザは異変に気付いた。左手を押し付けてられている体に手の感触とは明らかに違う何かを感じた。疑問に思い左手を見てみるとローザは愕然とした。
そこにあったのは木刀の破片だった。
木刀を彼女の体に当てることが勝利条件だが、破片はその条件には含まないとはローザは言わなかった。
その瞬間、大振りばかり連発していたのはこの会心の一撃のためだと、何度も立ち向かってきていたのは破片を拾うためだと、先ほどの狂気もすべて彼女をラデスに近づけさせるための物だったのだと彼女は気づいた。
「こいつ.....」
「お.........で....の.........がぢ.........」
約束の穴を突いた一撃。勇者とは思えない卑怯な一撃。ローザは瀕死の勝者に祝うわけでもなく、叱咤するわけでもなく、ただ笑っていた。
──ははっ。全く卑怯な勇者だねぇ。