第二話 「約束の更新」
喉を何かに取られた様に声が出なくなる。瞳孔は開き、目の前のその情報しか入らなくなる。開いていた口が乾いていき、水分が消失していく。
この状態を茫然自失と呼ばずに何と呼ぼうか。
──ユーキが…死んだ…?
呆然とするラデスの耳に野次馬の話が入る。
「なんで死んだんだ? まさか、魔将軍にやられたのか?」
「いや、魔族に襲われそうな女の子を庇ってのことらしい」
「そうか…。最期の最期まで勇者らしいな…」
「そこなんだよ。冒険者にとっちゃあ魔族は脅威だが、あの勇者なら魔族を一瞬で倒して女の子を助けることだって出来たと思うんだよな。そもそもなんで一人で行っちまったのかもわからん…」
「まあ、なんにせよ勇者が死んじまった以上は世界の平和も遠のくばかりだな…」
勇者はいつ何時もいるとは限らない。その実力、人徳ともに高尚な人間だけがもらえる称号、それが”勇者”なのだ。
当てはまる条件の難度ゆえに、魔王がこの世界に君臨し数百年が経った今も、勇者の称号を授与されたのは、ユーキを含め五人しかいない。
これまでの生活でも、ユーキがラデスを連れずに危険な依頼を受けることはあった。しかしラデスはユーキが報酬を独り占めしようとしているものだろうと思い込んでいた。
「──まさか、俺を守るため?」
ラデスは周りの誰も知らない事実に密かに気付いた。思い返してみてもラデスを連れて行った依頼の内容は、王都の掃除や薬草取りのような、簡単だがみんながやりたがらないような地味なものばかりだった。
失意の中、宿屋への帰路に就いていたラデスは、目を赤く泣き腫らせたカノンに会った。
すると──、
「いでっ!!」
騒がしい市場では聴き慣れないような、乾いた音がしたと同時に、ラデスは倒れこんだ。
そして左頬に痛みが走る。
痛みが無理解を理解へと変えていき、倒れ込む彼が何が起きたのか分かった。
──ああ、ぶたれたのか。
「昨日、ユーキに会ったわ。 あんた、ユーキに何言ったのよっっっ!!! あんな顔したユーキ見たことないわよ!!!!」
「──」
目も合わせる事も出来ず、ただただ地面を見て彼女の言葉をやり過ごす。そうでもしなきゃ心が壊れてしまいそうだったから。
ラデスが何も言えず黙り込んでいると、ラデスの頭に何かが落ちてきた。
──手紙?
「それは、二日前ユーキから預かっていた物よ。しばらく帰らないからあんたに渡してほしいって。今日はそれを渡すためにここに来たの。どういう経緯があったのかは知らないけど、正直あんたになんかもう会いたくない。さよなら」
去っていくカノンを見るラデス。賑わう道の真ん中でふさぎ込んでしまったラデスは、
民衆に奇怪なものを見るような目で見られていた。
「なんだ? あいつ…。」
「ほら、あいつだよ。ラデス。勇者とパーティを組んでいたやつだ」
「ああ、勇者にずっとくっついてたやつか…」
「あいつがいなきゃあ、もっと勇者が魔族を倒せるって噂になってたもんな…」
ラデスは走った。そして、目の前で言われた事実を、受け入れないために自分の部屋のベッドで目を瞑る。
これは悪い夢だ。そうに決まってる。目を覚ませばあいつは笑顔で俺を迎えてくれるんだ。それで後は、謝って、それで許してくれて、またいつもどおりが続くんだ。
これは現実じゃない。現実なわけがない。そうじゃなきゃ俺は、なんだってんだ。
妄想や幻想を並べ立て、ラデスは次第に眠りにつく。きっとその果てが、自らが考えた理想の現実へとつながっていると信じて。
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「──」
少年は見ていた。その数多の亡骸を。
「──」
少年は知っていた。その数多の悔恨の念を。
「──」
少年は肌で感じていた。数多の生を貪り食う、怪物のような熱の温度を。
「──」
少年は決意する。奥歯が砕け散るほど歯を食いしばって、血が出るほど強く剣を握りしめて。こんなことになった、こんな目に遭った原因を彼は知っているから。
「──してやる」
少年の中に、ある物が芽生える。それは平和な日常生活の中で、決して芽生えることはない思い。幼いその年齢で、決して芽生えてはいけない思い。
「──ろす。──ろす」
何度も何度もその思いを口に出して確認し、芽生えたその気持ちを成長させていく。その思いが枯れてしまわぬように、その心を風化させてしまわぬように。
「絶対に!! 殺してやる!!」
それは、色濃い殺意だ。
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「うわあああ!!!」
絶叫をあげ、ラデスの意識は覚醒した。簡素な布団が衝撃のまま空を舞い、部屋の隅にひらひらと落ちる。
「はあ、はあ、はあ」
思い切り飛び起きたせいか、その瞼には一切の眠気は残らず、ぱっちり開いている。まあ、あの悪夢をもう見たくないという拒否反応もあると思うが。
「はぁー、ふぅー。はぁー、ふぅー」
ラデスは荒くなる呼吸を無理やり、深呼吸に切り替えた。平常心を取り戻すための行動だ。胸に手を当て、目を閉じ、その行動のみに専念する。
「はぁ。はぁ。よし」
一呼吸置き、ふとラデスは部屋を見回した。眠る前と何も変わらない、ただの宿屋の一室だ。だが、以前とは明らかに違う部分があった。
「──」
──もう、そこにユーキの姿は無かった。
「俺は」
「うわああわん!」
思いをたける暇も無く、ラデスの独り言は外の泣き声に途中で断ち切られた。それに誘われて、ラデスは窓の外に目をやる。
「もう、夜か」
ラデスが眠っている間に、どうやら夜になっていたようだ。ほんのり光る月明りと、紺青の美空。いつの時代も空は美しい。
自然と上へ行く視界を下にやると、王都の住人達が一列に並び、王城への長蛇を作り上げていた。
恐らくはユーキの葬儀だろう。
「そういや、やるって貼ってあったな。……ていうか葬儀は二日後じゃなかったか? いや、俺が丸二日間寝てたのか…」
住人たちのほとんどが参加している中、ラデスは部屋の窓から眺めることしかできなかった。勇者の葬儀が終わったころ、ラデスはふと思い出した。
──あ、手紙……。
封筒を開けて手紙を見てみると、丁寧な文字でこう書かれていた。
ラデスへ
本当にごめん。無自覚とはいえ君を傷つけたことを心から反省しているよ。
もし、君が許してくれるのなら、また君とパーティを組みたい。
僕は、君と魔王を倒したいんだ。
これから依頼があって、何日か王都から離れる。
帰ったら、またカノンと三人で浴びるほど酒を飲もう。
ラデスはもう戻れないあの日の記憶を思い出していた。
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もう無くなってしまった村の前に二人の、腰に剣をさした幼い少年がいる。一人は村の残骸を見つめ、もう一人は俯き、大声で泣いている。
「もうなくな!!ユーキ!!」
「うぅ…。で、でもぼくがにげおくれたせいでぇぇ...」
「むらのみんながしんだのはおまえのせいじゃない!!」
「みんながおれたちをいかしてくれたんだ。みんなのいのちを、むだにしないためにもおれたちがいきるんだ!! 」
目に大粒の涙を浮かべた少年は、振り返り笑いながら言う。
そんで──
──おれたち、ふたりでまおうをたおしてゆうしゃになるんだ!!!
うつむいて泣いていた少年は、顔をあげ笑顔でこう言う。
「うん!!!」
「よし、そうとなったら」
「どうしたの?」
少年は安っぽい剣を抜き、剣の柄に尖った石で十字に傷をつけ始めた。
「おれたちのけんに傷をのこすんだ。」
「え?」
「やくそくのあかしだ。このけんがやくそくをわすれても、おもいださせてくれる。」
もう日が沈む。拳を突き出し、重ねる両者。お互いに涙を浮かべ見つめあう。
「おれたちならきっとできる。だろ?」
「うん。ぼくたちなら…いや、ぼくたちにしかできないよ。ラデス。」
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鮮やかな記憶が蘇る。少年は思わず部屋を飛び出した。
少年は問う。
「うおっ! なんだお前!? そんなこと知らねーよ!!」
少年は問う。
「おう! 俺たちに何か用か? 勇者? それは知らねーな…。」
少年は問う。
「なんだぁ? 小僧? あ? もう葬儀は終わっただろ。 知らん。 いや、ちょっと待て。もしかしたら…衛兵の連中なら知ってるかもな。 棺桶を運んだのは衛兵だかんな。」
少年は問う。
「なんだ? 勇者の遺体? それは言えん。 なぜお前がそんなことを気にする? もしやお前、魔核憑きか!? おい!! どこへ行く!! 待て!!!」
少年は問う。
「うわ!? びっくりした…。ていうかもう会いたくないって言ったでしょ。早く帰って。え? ユーキなら…。 確か私たちの村に埋めるって… ちょっとどこ行くの!!?」
少年は走った。なりふり構わず走った。雨が降り、ずぶ濡れになっても走った。何度も転び、擦り傷がついても走った。 息が切れても走った。
──づぃ...だ...。
息も絶え絶えになりながらようやく少年たちが住んでいた、魔族に襲われて滅んでしまった村に着いた。
少年は村の中を血眼になり探した。しかし、どこにもない。あたりの土を手で掘り起こしてもみた。しかし、見つからない。
いつかの約束の剣を見る。
「ごめ゛ん ごめ゛んなぁ...。俺なんかのために...。」
「俺、気づかないフリをしでた...。お前が強くな゛って、それを認めたくなくて...。でも、こんなちっぽけなプライドのせいで、お前が死んじまうなんてお゛も゛わ゛な゛がっだんだぁぁ...。」
やがて泣き止み、笑って少年は言う。
「お前は立派な勇者だったよ。誰も文句なんか言えねぇくらいに。俺はお前を殺しちまったようなもんだ。俺は…生きてちゃいけないのかもな。」
「でも、後追いなんで死んでもしねぇぞ。ユーキ。まだお前に何にもしてやれてねぇ。だからさ。」
──俺が魔王を倒すよ。
「天国でお前に顔向けられるように、約束を守れるようにがんばるよ。お前の思いを背負った俺が、魔王を倒す。そして俺が勇者になる。これで2人で倒したって言えるよな。」
──今度こそ約束だ!
大雨の中、ラデスが空を見上げたその時、そよ風が吹いた。まるで誰かが返事した様に。
「こっからだ。俺はこっから...。」
朝日が差し込む。この時ラデスの人生は2度目の産声を上げた。