第一話 「後悔と堕落」
「キャー!!! 勇者様ぁぁぁぁ!!!!」
「いいぞー-!! 勇者ぁぁ!! そのまま魔王もぶっ倒してくれ!!!」
彼に降り注ぐ歓声。彼の帰還は彼の勝利を意味する。王都を凱旋しながら、その胃もたれするほどの歓声に彼は丁寧に手を振り、応える。
みなが建物から出て祝杯を挙げる中、宿屋の窓からそれを見る者が一人。
「──いったいいつから、こんなに差がついたんだろう」
勇者の幼馴染、ラデス・バッファウッドは消え入るような声でそう呟いた。
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──もういい!!! 俺たちはこれで終わりだ。
怒りに任せたこの言葉がここまで後悔させるとは、ラデスは思わなかった。
―三時間前―
まだ太陽が空の一番上に昇りきる前にもかかわらず、王都の酒場は賑わっている。
酒場の隅のテーブルで二人の男女が話している。一人は普通の冒険者の恰好をしている、黒髪黒目の目つきが悪い少年、もう一人は豪華なドレスに身を包んだ青い瞳のロングヘア―の少女だ。
「ええ!? まだあんたユーキのパーティー入ってたの!?」
昔からの幼馴染であり、お金のために冒険者を辞め王城の専属魔導士になったカノンはラデスの言葉に目を丸くした。
思わず立ち上がり出した大声にほかの冒険者たちが反応し、じっとこちらを見る。それを見たカノンは恥じらいを見せながら席におとなしく座った。
「いや、別にいいだろ。やるべき仕事はしてるんだしさ。」
「ふーん。で、そこら辺の村の悪ガキでも勝てるゴブリンにも勝てないあんたは何の仕事をしてるのかしら?」
ラデスを鼻で笑いながらカノンは、上から目線でそう聞いてきた。
「そりゃあ、いろいろあるだろ。宿屋の予約とか依頼の受注とかいろいろな!」
「え、あんたはそれを仕事って思ってんの...」
自信満々のラデスの発言に軽蔑の視線を送るカノン。
彼女がこう言うのも当然だ。ラデスが自慢げに語った仕事は冒険者ならできて当然のこと、
冒険者になりたての若者がつまずくような所だからだ。
「それで仕事してるって言ってんの? それってただのパシリにされてるみたいなもんでしょ?」
「そんなわけねえよ。あいつは引くほど優しいし。それはお前も分かってるだろ? あ、お姉さん。酒、ジョッキでもう一杯お願いしまーす」
「……ああ、はい。分かりました」
パシリ、という言葉に若干引っ掛かりつつも、ラデスは空になった木製の大ジョッキを天に掲げウエイトレスにアピール。
悪酔いする彼に明らかに嫌そうな顔で応対する彼女だが、ラデスはわざわざそんなことで怒ったりはしない。
なんせこの混み具合だ。他にも業務があるであろうにまた仕事が増えたら、たまったものではない。まあ、だからといってラデスににはそんなことは関係ないが。
「まあ、ユーキが優しいのは認めるけどさ」
ラデスの言葉に若干の賛同を送りつつ、カノンはサラダの豆をひょいと口に入れる。そして彼女も大ジョッキの思い切り飲み干し、
「それで、今回あんたを呼んだ理由だけど!」
「急になんだよ。そんないきり立って」
ジョッキを思い切りテーブルに叩きつけ、彼女はラデスを真っすぐ見つめる。
そう、カノンの言う通り今回の飲み会の決行は彼女に誘われたのがきっかけだった。一週間前に彼女とばったり会い、無理矢理今日の約束を取り付けられた。その結果がこれだ。
「あんたは弱い! だから私と稽古しなさい!!」
「いや、別にいいよ」
「よし! そうとなったら今日から……ってはぁ!?」
淡白に返したラデスに、またも大きい声で返したカノン。こちらの席を通りがかったウエイトレスの体がびくっとなり、じろとこちらを睨む。
二人で「すみません」と軽い謝罪をしつつ、彼らは話へと戻った。
「一応生活できてるし、まあ別にもういいかなって」
ラデスの覇気のない言葉に、カノンは頭を抱えてため息をついた。
「あんたさぁ。いっつもいっつも他の奴らに鼻で笑われて悔しいとか見返してやろうとか思わないわけ?」
「うるさいな。本人がいいって言ってんだからいいだろ」
ふと、ラデスにいら立ちが募った。だって本人がいいって言ってんだから、わざわざ世話を焼いてもらう筋合いなんてない。
「それにさ──」
「あんたはユーキとの約束を忘れたの?」
一番言われたくなかったことを言われた。
耳に、頭に入ってきたそれをかき消すように、ラデスは声を荒げた。
「うるっせぇなあ! 成金魔導士のお前に言われたくねぇよ!」
「はぁ!? 別に成金じゃないし!」
「いや、どっからどう見たって成金だろうがその格好!! この場でマジで浮いてるぞお前!!」
その言葉を受けたカノンは周りをきょろきょろした。周りの客たちがさっと目を逸らしたのを確認した彼女は、みるみるうちに赤面。
「ばっ場違いで悪かったわね!! もうあんたには失望したわ!」
カノンは酒場代を差し引いてもかなり余る分の金をテーブルに叩きつけて、酒場を出て行った。
そのお金を握り、ラデスは呟く。
「そんなの俺が一番よく分かってるんだよ…」
店内でおもいっきり怒鳴ったせいか周りの視線が痛い。しかし叩きつかれた分の金を酒に使い果たしラデスはふてくされながらその場を後にした。
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「あ゛~~頭いっで~~」
ラデスはあの後一人で酒場を何軒か回り、酔いで冷静さが消えたところで酒場の店主に放り出された。
千鳥足で王都の道路を歩く彼を王都の住人たちは避ける。酔っ払いに絡むことにメリットなどないし、ましてや逆上されるデメリットさえあるからだ。
「ららいま~~」
フラフラになりながら宿屋の自分の部屋に帰ると見慣れた顔の人物がいた。淡い青髪に金色の目を持つ少年。
彼は、ラデスに優しい微笑みを浮かべながら彼を歓迎する。
「おかえり、ラデス」
現在の勇者であり、この世界の希望と呼ばれているユーキ・ハイゼンだ。その強さは折り紙付き。このグリンガ王国及び、魔力量、剣戟において世界最強と言われている。
彼が魔物を討伐するために凱旋を開き、帰還すればまた凱旋を開く。彼はラデスが知る中で最も凱旋してる人物だろう。
彼が身に着けている白い鎧がその清廉さと強さを物語っている。この安い宿屋と高そうな装備。これにはアンバランスという言葉が最も似合っているだろう。
「今日、カノンに会ったんだ。あんたはラデスを甘やかしすぎだってさ。そんなつもり全然ないんだけどね」
「……そうなんだよ~~ あいつはいっっっつもよけいなおせわするんらよな~~」
いつもと変わらない。彼は許してくれる。これが俺の日常だ。これがラデス・バッファウッドの人生。
何も変わらないと次の瞬間までは思ってた。
「でも、一理あると思ったんだ」
全身に鳥肌が立つ。彼からそんな言葉が出ると思わなかった。酔いが一気に醒めていくのがわかる。
君に見捨てられれば、俺は何もなくなる。文字通り、なんにも価値のない人間になる。
いやだ。いやだ。
それだけは、その言葉だけはやめてくれ。
「だから、僕なりに考えたんだ。」
ユーキはラデスの動揺する姿を尻目に、話を続けていく。
手の震えが体に伝播していくのが分かる。今まで甘えてきたツケを払うときが来たんだ。心ではそう分かっていても、簡単には受け入れられない。
心が、体が、俺のすべてがそれを拒否している。
ラデスは震えそうになる息を必死に我慢する。
次に彼から出る言葉なんか簡単に予想できる。
「──ごめんラデス。君と」
「いやだあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!」
彼が何か言うと同時に叫びラデスは、その言葉を遮った。彼からの離別の言葉を、彼からの餞別の言葉を。
「どうせ俺をパーティから追放させる気なんだろ!!! 使えねぇゴミカス入れるより一人で戦った方がマシだもんなぁ!!!」
「―─いや、ちが」
「俺なんかと一緒にいたって!! お前は恥ずかしいもんなぁ!! こんなんなんかと一緒にいる事自体がお前の人生の唯一の汚点だ!!」
「僕は」
「もういい!!! 俺たちはこれで終わりだ。それで、それでいいんだろ」
ユーキはまだ何か言いたげだったがそれに背を向け立ち去る。泣きながら王都中を走り回る。
それからのことはあまり思い出したくはない。
強引に酒を飲み気分を紛らわせ、数時間後に嘔吐する。それを繰り返した。勇者の話が出たらその話を聞かないように、そそくさとその場を去る。
宿屋になんか戻らなかった。路上で寝て、朝を迎える。体が痛くなっても、そんなものは彼と偶然会ってしまうことに比べれば、どうでもいいことだった。
我ながら、最低最悪な生活だったと思う。実際、王都の住人に後ろ指を指されたことか。でも、プライドが許さなかった。あんなことを言って、「ごめん。許してくれ」なんて口が裂けても言えなかった。
十二日くらいが経ち所持金が尽きたところで、漸くユーキの所に戻ることを考えた。我ながらかっこ悪い。でも、生きるためだ。しょうがない。
何より、もう限界だった。毎日、地獄のような罪悪感を味わい続ける日々なんて、もううんざりだったんだ。
あいつなら許してくれる。あいつなら助けてくれる。
あいつなら、きっと……。
そう願いながら、ラデスは宿屋までの帰路についた。だがいつもの市場にしては何処か違和感がった。
「人、少ないな」
時間は朝を少し過ぎ、昼前。この時間帯は通常、買い物をする親子や、依頼に向かう冒険者がたくさんいるはずなのだ。通常は混雑し、気を付けて歩かないと誰かとぶつかる物なのだが。
少ない人通りの量に驚きつつも、彼は歩みを進める。
「なんだ……?」
違和感に気付いたのは、冒険者の依頼の案内板を通りがかったときのことだ。いつもは依頼の争奪戦になり騒がしくなるのだが、今回は何かおかしい。
騒がしいというよりも皆がネガティブ交じりの声をあげているのだ。すすり声をあげ鳴いている者もいる。
「どうかしたのか?」
周りの騒音が彼の言葉を遮った。同時に目に飛び込んできたのは一枚の張り紙だった──。
──勇者 村民を庇い死亡。
「え?」
今までの生活が崩れる、そんな予感がした。