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翌週の火曜日も新吾はまったく説明抜きでわたしを手伝ってくれた。
教師から注意されることはなかったが、そろそろわたしたちの行っていることが全校生徒たちの間で噂になってきているようだった。
「わたしに関わるとロクなことにならないわよ」
「それもまあ一興さね!」
翌週の火曜日になると、わたしたちの行為を知る生徒たちの目線が明らかに違ってきていて、チクチクと刺されるようだった。
行為の間、気づいている生徒たちは基本無視の態度を取ったが、それも含めて身体中がトゲだらけになった。
「身を退くなら今だと思うよ」
「もう遅いんでないかい」
甲木新吾の予想通り、翌日の水曜日の昼食後、わたしたち二人は担任の遊佐先生から職員室に呼び出された。
遊佐浩子先生は今年二十六歳で来年結婚を控えていると聞いていたが、真偽まではわからなかった。
「噂に聞いたけど、屋上からボストンバッグを投げているんだって?」
「甲木くんは関係ありません」
「つまり首謀者は池谷さんってこと? でも甲木くんも参加しているんでしょう?」
「甲木くんは勝手にわたしを手伝っているだけで、頼んだわけではありません」
「甲木くんはどうなの?」
「ぼくは池谷さんが何をしているのかを知りません」
「呆れたわね。……じゃ、池谷さんに聞くけど、あなたは何をしたいの?」
「重力加速度の実験です」
「重力加速度って、それは中学校で習うはずよ。実験は中三でだったと思うけど、確か、打点式タイマーを使って…… でも、どうして?」
「どうしてって、本を読んでいたらそれが出ていて、面白そうだったから測ることにしたんです」
「ボストンバッグで? もっと別の、例えば野球のボールとかじゃダメなの?」
「空気の入った軽いボールだと風で流されますし、軟球や硬球だったら、人に当たったら危ないです。だから、考えた末にボストンバッグにしたんです」
「まあ、確かに大きいから気付き易いし、落ちれば音もするわよねぇ」
「はい、そうです。それにボールだったら音が聞こえないし、地面に落ちた瞬間だってわかりにくいでしょう」
「理には適ってるわね。でも公共の場で黙ってやるのは感心しないわ」
「ですけど相談したら学校側は許可しないでしょう。たとえ先生が良いって言っても職員会議で否決されります。だから、」
「だから?」
「既成事実を作ろうと思って」
「ふうん。で、上手く測れたの?」
「何となくですが…… 精度が出ないのはわかっていますから」
「屋上から地面までの高さはどうやって?」
「巻尺を使って少しづつ測って足しました」
「いったい、いつまでやるつもりなの?」
「わたしが満足するまでです」
「それは、何時くらいになるかなぁ?」
「わかりませんけど、小学校を卒業するまでやっているとは思えません」
「そう、わかったわ。じゃ、気をつけて実験しなさい。もっとも、いつまで実験が続けられるか先生にもわからないけどね。で、甲木くんは池谷さんと他の人たちが危なくならないように手伝ってあげてね。これで、終了! あ、そうだ。くれぐれも授業には遅れないように」
そのときのわたしにはわからなかったが、後になって高校や大学の友だちに話を聞くと誰もがそんな教師はいるはずがないと主張した。
遊佐先生にはその後迷惑をかけることになったが、いまでもあのときのままの先生でいてくれれば良いとわたしは勝手に思っている。
「池谷さん、先生に言ったの嘘だろ」
職員室を出て教室に向かう途中で甲木新吾がわたしに問いかけた。
「どうしてそう思うわけ?」
「理由はないよ。でも先生は信じたようだね」
「さあて、どうだか? 遊佐先生は若いけど、大人だしさ。 で、どうするの? もう、わたしに付き合うのは止める?」
「もう少し考えてみるよ」
クラスに戻ると黒板の天気を記す欄の隣に相合傘があって、温子/新吾と記されていた。
わたしたちはそれを見やると、互いに気の抜けた笑みを浮かべてそれぞれの席に戻った。
相合傘の落書きは遊佐先生が午後の授業を始める前に感慨もなく黒板消しで拭き消した。
それでわたしと甲木新吾の擬似的な恋人関係は幕を閉じた。