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ボストンバッグの隠し場所が決まったので、わたしはそれを使った実験をいつから始めようかと思案した。
月曜日は週の初めで、朝には校庭か体育館で全体朝礼があるので落ち着かない。
逆に金曜日は週の終わりで休みを控えて気分が緩んでいるだけに、わたしの実験が発覚すると却って大騒ぎになってしまう可能性がある。
とすると実行日は、火曜日か、水曜日か、木曜日となるが、水曜日の最後の授業はホームルームに当てられていたので、これも避けたい。
とすると、実行日には火曜日と水曜日が残されることになるが、わたしは一存でそれを火曜日に決めた。
木曜日に決めなかった理由はない。
生理的に火曜日の方が木曜日より落ち着けると思っただけだ。
曜日が決まれば、次はその実行時間だが、わたしは一時間目と二時間目の間の五分間の休憩時間か、同じく三時間目と四時間目の間の五分間の休憩時間のどちらかにしようと考えていた。
わたしの学校では、二時間目と三時間目の間には二十分の休憩時間があった。
また四時間目と午後の五時間目の間には、当然のように昼休み休憩があった。
そのどちらの休憩時間も屋上に遊びに出る子供や、実際には居ないことの方が多いが、それを監視する教師の姿がある。
衆人監視の下で事を為すのは、わたしにはやはり躊躇われた。
よって、わたしは一時間目と二時間目の間の五分休憩の時間に実験を開始しようと決心した。
もちろん五分休憩の間にも屋上に出てくる子供がいないとは限らないが、その数はずっと少ないだろう。
学校によっては午前中と午後のそれぞれの授業間に十分の休憩時間を設けているところもあるようだが、それだと行動自体は楽になるが却って発見される危険性が高いようにも感じられた。
わたしのクラスの教室は三階建ての主校舎の三階にあって屋上まではすぐだったが、逆に一階……というか、地面に辿り着くにはかなりの時間が必要だった。
だから、それが五分で足りるかどうか心配だったが、他に選択肢はないように思えた。
それで、わたしは覚悟を決めた。
翌日登校すると、その日は当然のように火曜日で、わたしが怯みさえしなければ、最初の実験が行われることになるはずだった。
朝の略式ホームルームが長引いて一時間目にずれ込んだので、わたしは気がそぞろになった。
そうでなくとも緊張していて授業内容は上の空だったが、当てられたときには反射的に黒板を見て正解を答えるくらいのことは容易だった。
それでほっとしていると授業が定刻少し前に終わった。
わたしは速攻で屋上に上がり、非常用ザイルの入った袋の紐を解くと、その中からボストンバッグを取り出した。
ボストンバッグを持って屋上を校庭側ではなく裏門側に移動すると、教師からも、生徒からも出来る限り死角になっているとわたしが判断した地面の真上近くまで移動して、屋上の安全フェンスに身体を擦り付けるようにしながら、フェンス越しにボストンバッグを地面目掛けて落下させる準備をした。
ボストンバッグは最後は右手一本で持った。
バッグを持つわたしの右手はプルプルと震えていた。
勢いを込めて手を離すと同時にわたしは左腕にはめた時計を見た。
約一秒後に、ボストンバッグは鈍い音を立てて地面と接触した。
わたしは屋上フェンスから身を乗り出すようにして落下後の様子を確認した。
幸い、落下が原因で怪我をした者はいないようだ。
わたしは安心してボストンバッグの回収に向かおうとした。
すると――
「池谷、おまえ何やってんだ」
後ろを振り返る前に声が聞こえて、わたしは心臓が破裂するかと思った。
声をかけてきたのは、同じクラスの甲木新吾だった。
「何って、何よ!」
わたしの中で論理が破綻していたようだ。
(とにかく早く回収しないと……)
口の中でそう呟くと、わたしはそのとき居た場所から屋上への出入口まですっとんで走り、急いで階段を駆け降り始めた。
わたしの顔の横には甲木新吾の顔があった。
「手伝いなら、いらないわよ」
「おれも下に用があるんだよ」
結局、新吾はボストンバッグの落下地点までわたしにぴったりと付いて来て、ボストンバッグを拾い上げたわたしの手からそれを奪うと、こう言った。
「で、どこまで運ぶわけ?」
わたしは口を利かずに屋上階に非常用具袋の置いてある階段の下まで移動すると、大急ぎで階段を駆け上がった。
「ここに入れて」
非常用具袋の中を指し示してわたしが言うと、甲木新吾は素直にそれに従った。
わたしが袋の紐を締めていると、時計を見て、先に階段を下りていく。
それから新吾は、「急げば、まだ間に合うよ」とわたしに言った。
その言葉の後にも何か一言いったようだが、そのときには、わたしの耳には届かなかった。
後で聞いてみると、「一緒に教室に戻るのは、池谷が嫌だろう」というような意味のことを言ったと新吾は答えた。