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崎原和明を篭絡したので、次の段階にはいつ進むのかと、わたしは郁恵に連絡をした。
城野美佐については――おそらく、わたしだとは気づいていないだろうが――、浮気を悟った彼女が和明にそれを問い詰めた際、彼が決定的な別れの言葉を口にしたので意気消沈し、その後決心して田舎に帰ったので、もう和明と縒りを戻すことはないだろうと考えていた。
帰省に際し、和明に渡す予定だった連絡先を書いた手紙は新吾の手を借りて和明に届く前に回収して燃やした。
後は美佐の自殺が心配だったが、田舎に帰って心機一転する気配を見せていたようなので、おそらく大丈夫だろうと腹を括った。
自分が原因で人の死を見るのは楽しいものではない。
あのときだって偶然の作用が働かなければ、わたしは殺人犯になっていたかもしれないのだ。
絶対に殺そうとまでは思っていなかったが殺意はあった。
何故急に子猫や赤ん坊から対象を方針変更したのか、当時のわたしの心境変化は、今に至るもわからない。
ただ性格的にいじめが嫌いだったということなのだろう。
だから対象が変わったとしか、わたしには説明できない。
自分より弱いものをいじめるのが現代の病的ないじめの本質だろう。
生活のために子猫を殺すのは、本質的なところで、いじめではない。
それは責任を引き受けることであって、他人に転嫁することではないからだ。
わたしは幼くして母にそれを教わっていた。
あのとき母の目の何処にも狂気の色は見当たらなかった。
きわめて冷静に自己の行動を規定していた。
そのことを思い出すたびに、わたしは自分が母には追いつけないのだと淋しくなる。
わたしには母ほど冷酷に行動することが出来ない。
すべてを自分のために捧げることなど出来ないのだ。
わたしの因果な商売だって、そうだろう。
この別れさせ屋の商売でわたしは相当な報酬を得るが、得をするのは他人なのだ。
情けは人の為ならずの諺通り、いずれは自分の身を助ける何かになるのかもしれなかったが、今のところわたしにはそんなことが起こると信じる気はなかった。
郁恵が修羅場を望まなかったので、わたしの役割は妻の深い愛を知って身を引く純真な女に決まった。
本当はそれでは前の愛人に気が戻る可能性があるので、わたしは「わたしと旦那さんがいる部屋にあなたが駆け込む方が効果的ですよ」とアドバイスしたが、郁恵は「でも」とか「ええ、ですけど……」とか言葉を濁して取り合おうとしない。
まあ、崎原夫婦がこの後どうなっても、わたしは役割を果たしているのだから構いはしない。
だが、せっかく高い料金を払っているのだから、確実に元の鞘に納まって欲しいとわたしは願うのだった。
こんな可笑しな商売を続けながらそんなふうに考えてしまうのだから、わたしはただのお人良しなのかもしれなかった。
そんな自分がわたしは自分で可笑しく、また哀れに思えた。
今回の仕事は、これまでのところ波乱もなく単純だったが、わたしにとっては予想外の事実もあった。
行き掛かり上和明と寝てみて、わたしは彼の意外なテクニックに驚いたのだ。
もっともそうはいっても、わたしは彼を愛してもいないし、また感じもしない。
けれども身体の方が「へえ!」と吃驚するくらいに反応して、もしも伯父との経験がなかったなら、わたしは彼にのめり込んでしまったかもしれないと思わせた。
人は見かけではないと言うことだろう。
出来ることならば、その性の喜びを美人の妻に与えてあげて欲しいものだ。
わたしはぼんやりとそんなことを考えながら、和明に遺す電子メールの文面を考え始めた。