第一章 一
伊豆長岡駅の改札を出ると小さなバスターミナルが目に入った。
本数は、そう多くないバスだが、地域の人々にとっては重要な交通手段だった。
山之辺隆志はターミナルから商店街方面へと歩みを進めた。
夕暮れ時とあって、行き交う人々は皆速歩きだった。
その中で、山之辺は珍しくゆったりと歩いていた。
しかし彼の放つオーラ、とりわけその暗い瞳が放つ鈍い光は決して楽しんでいるようには見えなかった。
伊豆半島の真ん中あたりに位置する伊豆長岡。
静岡市から鈍行で2時間以上かかるとあって、相当田舎の匂いがした。
東京駅から新幹線を使えば1時間半ほどか。
十七年だな、と山之辺は思った。
ここは始まりの土地であり終焉の地でもあるのだ。
商店街を道なりに進むと、伊豆を流れる川がある。
天城山から流れるその川は狩野川といった。
商店街を進めば、そのまま狩野川を分断する
「千歳橋」に達する。
しかし山之辺は橋を渡らずに河川敷に降りた。
「おう、もう待っとったんか。なんや、えらい早く着いたみたいですな」
山之辺が橋の袂にいる男に話し掛けた。
アクセントは関西弁だった。
「ほんまやわ。急ぎすぎてしもた。まあ早い分にはかめへんやろ」
男も関西弁のアクセントで答えた。
ああ。構わないよ。
山之辺は心の中で答えた。
十七年間待った、その瞬間が早まるだけだ。
やっと、やっと果たせる。
この黄昏の復讐はまもなく完遂する。
全ては…美咲の為に。
五十嵐美咲は東海道新幹線に乗っていた。
まもなく三河安城に着く頃だった。
今頃…。
隆志は何をしているのだろう。
別段気になる訳ではなかった。でも、美咲の中で何かが引っ掛かっていた。
十七年だ。美咲は指を折り曲げながら確認した。
あれからもう十七年経とうというのに、今でも昨日の事のように思い出された。
隆志は…何が目的だったのだろう。
今となってはそれを確認する手立てすらもないことが美咲を一層惨めにさせた。
今でも聞こえる隆志の声。
「どうしてや…どうしてなんや?」
アクセントは関西弁だった。
東京駅はいつもながらの騒がしさだった。
次々とホームに滑り込む電車に、次々と溢れ返る人々。
息つく暇もなく人が入れ代わる。
その入れ代わりの真っ只中に石垣剛はいた。
山之辺は一体何を企んでいるんだ――
この十七年間石垣は同じ問いを繰り返してきた。
いつも自問自答してきた。
しかし、山之辺隆志が何者なのかさえ石垣には掴みきれていなかった。
もっともそれは、直接面識のない人間を調べるにあたっては当然なのかもしれなかった。
それにしても、妙ではあった。
いくら山之辺の足取りを辿っても、一向に本人に迫る話を聞かなかった。
ひょっとすると、自分の存在を感知して、上手く逃れようとしているのだろうか。
それだけは許さない。石垣はそう思った。
それは彼の刑事としてのプライドが許さなかった。
この25年間、逃したヤマはない。
今回だって必ず真相を暴いて見せる――
そう決意した石垣の、白髪が目立つその頭を太陽が照らした。
黄昏れ時とあって、その光は随分弱く、また切ない色合いを醸し出していた。