救世主(20)
直前まで休んでいた少年はジビレの支えなくば歩くのもままならなかった。しかしミザリーは、這ってでもヴァオロンに向かおうとする彼を制止などできない。
「そんな状態で戦闘は無理です」
成り代わって護衛が非難の眼差しを向ける。
「お前たちと同じ操縦システムならば不可能だろうな。幸い、こんな状態でも操作円環とクリスタル接触端子は僕の意思を読みとってくれる」
「ミザリー様のために叩き壊してやりたい気分ですけどやめておきます。わたしのヴァオロンまで動かなくなるようでは守るのも難しいので」
「安心しろ。仮にやったとしてもレイデがどう考えるかは分からない」
意外な台詞が返ってくる。
「くだらない実験を終わらせたいと考えているかもしれないからな。あれとてミザリーを泣かせたいとは思ってないだろう」
「そこまで分かっていながらあなたは!」
「僕の中にも意地が残っているのだよ」
薄くくまの浮いた目で見つめられれば、ジビレもそれ以上は責められないようだ。恨みがましい視線にヴォイドが目礼で謝意を伝えると彼女は踵を返して自分の機体へと向かう。
「必ず帰ってきて」
ベルトを締めると少年は緑の瞳を伏せた。
「約束は難しい。迷いもある。どんな死に様が一番お前を苦しませずに……、いや、詮無いことだ」
「わたくしの前で逝って。なんでも受け入れる覚悟はしたから」
「努力はしよう。だが、感謝は伝えておく。ありがとう」
ヴォイドは力無く持ち上げた手を彼女の頬へと伸ばす。
「お前のお陰で悪くない人生だった。短くとも色んな事を知ることができた」
「本当は……、あなたに知ってほしかったことはもっとたくさんたくさんあるの」
頭を寄せて唇を重ねる。甘やかな時間のはずなのに、体力の乏しくなった彼の冷たい唇がもの悲しさばかり際立たせる。すり寄せた頬の涙が少年をも濡らした。
「あなたの義を尊ぶ心をバルキュラ国民は決して忘れないでしょう。ご健闘を」
「すまない。ミザリーを苦しませるために生まれたのではないと思いながら戦える」
キャットウォークへと転回する昇降バケットがヴァオロンのハッチから離れていく。こらえていた想いが身体を動かしてしまい、手を伸ばしてしまった。その手を受けるようにヴォイドが微笑を浮かべて手を差しのべた。
閉鎖したコクピットプロテクタが二人を分かつ。
◇ ◇ ◇
「ヴァオリー1から8を放出」
『放出します。制御サポートを最大値に設定』
「助かる、レイデ」
『……いえ』
人工知能とは思えない間が彼女の感情を反映しているとヴォイドは思う。彼らを生み育み、そして放置してしまった時間は昇華の時へと向かわせているだろう。
(試行錯誤し、判断し、決定したのだから上出来なのにな。今の後悔さえ熟成の糧になる)
創造主再生計画ほど思いきった決断ができるのならば知能として十分に成熟していると思えた。
(現人類にも受け入れられているし敬意も抱かれている。あちらと馴染むのもそう難しくはないだろう。あとは機会だけか)
彼にはもう作ってやる時間はないが。
焦燥に駆られたトゥルーバルも進撃速度は鈍い。何時どこに出現するか分からない敵を警戒して広範囲に展開せず密集陣形をとっている。
しかも艦隊は遥か彼方。狙いを定かにさせるためにこんな布陣にしたのだろう。直掩も残していないのか数は多め。艦隊を狙われたら逃げまわるつもりか。
(これでは戦況判断もままならないだろうに)
光学観測の限界距離を超えている。
(違う指揮手段を講じたか)
電磁波の乱れる戦闘宙域に信号を送るのも困難になる。
(ならば目がある)
どこかにある観測機器を探してヴォイドはヴァオリーを発進させた。
「前に出るぅー? 裏に回るぅー?」
妙に間延びした声がかかる。
「どうした、お前たち?」
「訊くな! ミザリーさんのあんな顔を見せられて援護しないわけにはいかないじゃんか!」
「律儀なことだ。情にほだされていては長生きできないぞ」
隊長のロミルダがナセールたちを連れてやってきたらしい。独断なのか、ヘルムートの配慮なのかは分からない。おそらく後者だろうとは思う。
「それに、僕に付き合ってもいられないのではないか?」
敵陣の様子を顎で示す。
「わお! 連中、いきなり頑張りはじめちゃいましたぜ、隊長」
「なんでぇー?」
「観測機器を潰したからな。指揮系統が寸断した。さしずめ開き直って一気に攻めてやれとでも思ったか」
恐慌状態にも見えない。
「どうしてお前はいつも余計なことをするんだよ!」
「余計か、ナセール?」
「奴ら、退くに退けなくなっちまったじゃん」
一面では正しい意見。
「元より後がない状況だ。ここで崩せば確実に終わらせられる」
「う……。まあそうか」
「お前も開き直って戦果を求めろ。もう少し上の肩書がないとミザリーとは釣りあわない」
「お前にだけは言われたくねー!」
青年宙士はキレる。
「事実だからな。……あれのことを頼む」
「……ここで言うのかよ。馬鹿野郎」
声のトーンは尻すぼみになっている。
慌てて迎撃に向かう小隊の後ろにヴァオロンをつけた。ここで決着をつけねば悔いが残る。生きて帰っても再び出撃できるとは思えない。
「ここを決戦と考えているのは僕だけではないか」
「いざ勝負!」
無線からの聞きなれた壮年の声が耳を打った。
次回 「偉業ときたか」




