救世主(18)
「ナセール・ゼア宙士……」
あいもかわらず思春期の少年のようにミザリーを見る青年。
「こんばんは。お会いできて嬉しい……。どうかしたんですか?」
「ちょっと気掛かりがあって」
少年を思いわずらう気持ちが顔色に表れていたらしく心配をかけてしまった。
(こんなでは駄目ね)
取り繕う余裕もない自分を腹立たしく思う。
「たいしたことではありませんのよ。お気になさらず楽しんでくださいな」
言葉は出てくるがナセールの態度は変わらない。
「そう言われても気になってしまいます。あの協定者の少年が横暴なことを言っているのではないですか? それだったらオレがガツンと……」
「違います。お手を煩わせるようなことではない……」
青年の目が見開かれる。その反応を見てミザリーは自分が涙を流しているのに気付いた。頬を伝う雫の感触に慌てて顔を逸らし、ハンカチを取りだして押さえる。
すかさず背中を押される。ナセールの上官らしい女性が肩を抱いて娯楽室の隅へと誘う。力強い感触に、女性であってもパイロットなのだなと思った。
「やはり退席いたしましょう」
ジビレも彼女と二人掛かりで隠してくれる。
「なんか事情があるのねぇー。無理しなくてもいいのぉー」
「司令官のほうにはわたしから話しておきます」
「根に持つような人じゃないからぁー。あたしも口添えしておくしぃー」
優しさが身体の芯まで染みてくる。
(こんな方たちに政治的な理由で嘘を重ねてしまうのが心苦しくて堪らない)
自制しようにも違う痛みが湧いてくる。
「彼は……死ぬの」
「他言無用に願います」
ジビレがすぐに言い添えた。
「へっ?」
「どういうことです?」
「声が大きいの!」
ナセールと一緒にいた男も唖然としている。
「う、すんません」
「静かにしろ、ザズ」
「あの子は死んでしまうの。もう戦えるような状態ではないのです」
ザズと呼ばれた男も空気を察してか、大きな身体でブラインドを作ってくれる。ミザリーが泣いている様子は知られなくて済みそうだ。
「負傷はしてないな。えっと、重い病気かなにかで?」
青年も案じている。
「それなら早く医療機関にかかったほうがいい。嫌がっているんならオレが説得しますから」
「病気……。ええ、そんな感じだけど誰にも言わないでくださる? もう手の尽くしようのない状態だもの」
「士気に関わっちゃうよねぇー。二人とも、これは軍事機密レベルよぉー?」
即座に敬礼で応じたのは訓練された人間らしい。
(結局は嘘で塗り固めるしかない。申しわけないわ)
本当のことなど言えたものではない。
「それであいつ、なんて言ってるんですか?」
ナセールは少し怒ってるような口調。
「最期まで使命を果たしたいって。わたくしにはもう止められない」
「分かりました。何とかしてみせますよ」
「お? 男をみせる気かよ」
ザズが肘でつついている。
「何をどうする気だ?」
「げ!」
聞き慣れてきた甲高さを残す声に慌てて男たちが振り向く。そこには腕組みしたヴォイドがおり、冷たい視線を送っていた。
「ミザリーに何をしているのか説明してもらおうか」
涙の跡が目に留まったらしい。
「説明もクソもない。あれはオレの所為じゃなくてお前の所為だぞ?」
「そういうことか。耐えられないとは情けないぞ?」
「ごめんなさい」
立場のこともあろう。
(でも、違う。ヴォイドは自分が悪者になろうとしてる)
それで彼女の失態を覆い隠そうとしているのだ。
「こちらの都合だ。ここで聞いた内容は忘れてしまえ」
「そうはいくか。こんな思いさせておいて平気なのか?」
青年が詰め寄っていく。
「平気でいるしかないだろう。終わっているのは僕でミザリーではない」
「終わってって、お前!」
「勝手を言うな、責任を取れもしない奴が。それとも何か? 僕が消えた後、彼女の面倒をみてくれるとでも言うのか?」
少年が挑発している。
「喜んでみてやるさ! でも、話はが違うだろ? 今のことを言っているんだ!」
「言ったな。忘れるなよ、絶対」
(ヴォイド!)
彼はもう自分が死んだ後のことを考えているのだ。それをナセールに託そうとしている。叶うなら全てを片付けた後に。
青年宙士も興奮はしているが、少年に掴みかからない程度には自重してくれている。病気だと言ったのを慮っているのだろう。自分の涙一つが思いがけないほど多くの事態を引き起こしてしまって反省する。
「なんなんだよ、これは!」
「こらぁー、そんなに騒がないのぉー」
女性宙士が戒める。
「なんでもない。そう、なんでもないことだろう? 僕にしろお前にしろ、死はすぐ隣で待っているものだ。だが、責任をどうこうと言ったんだからな、ナセール・ゼア? もう死ねないぞ?」
「うぐぅ」
「墓穴を掘ったな」
ザズは隣で肩を竦めて溜息。
頭を抱える青年の横でヴォイドは満足げにしている。そんな彼の優しさが再びミザリーの涙腺を緩ませようとする。
(それでも彼は死なないといけないの? こんなではもうゼムナの遺志を神様のようには思えないわ、わたくし。あまりに厳しい宿命を課した存在を)
恨み言が彼女の胸をよぎる。
そこへ空気を変えるかのごとく、会場に注目を促す音声が鳴り響いた。
次回 「どうやら無能が混じっていたようだ」




