救世主(3)
『目覚めていらっしゃったのですか?』
「免疫が落ちて、薬物が劇的に効果を発揮するのを怖れて加減しただろう?」
睡魔はヴォイドを誘ったものの、半覚醒状態で夢うつつを彷徨っていたという。レイデとの会話もほとんど聞こえていたらしいが、取り乱したふうは全く感じられない。
「自分が作られた創造主だと知ってしまったのですね?」
ミザリーにはどうして冷静でいられるのか理解できない。
「違和感はあったのだ。出生に不信感を抱くほどにはな」
「気付いていたと……?」
「何かの拍子に感情が湧く。それが耳を動かすという反応に表れる感覚がある。なのに僕にはそこまで顕著に耳を動かせる身体を持っていない。この不一致感はどうしようもなく募っていた」
先ほど見た猫っぽい三角耳は感情のままに動くものらしい。
『ナルジアンの感覚を私たちは実感できません。保存されていた操作円環を介した感覚情報をそのままインストールしたのは失敗だったようです』
「お前らしくないミスだったな」
『感覚情報は多岐にわたり、どれとどれが相互作用しているか判然とせず、操作するのを躊躇しました』
創造主としての完成度を図るあまり、そういった手落ちが発生するのを考慮しなかったとレイデは言う。それをおかしそうに指摘する少年の感覚が不思議でならない。
「騙されたふりをしていたの?」
違和感を覚えつつ、レイデの説明を受け入れたのだろうか?
「最初は疑ってなかったのだ。仮にこの身体が本当のナルジアンの物だったとしても、そこに宿る意識も記憶も失われていて当然のものだからな」
「え、そうなの?」
「意識も記憶も電気信号の産物。神経細胞が稼働状態でなければ維持できない」
さも当たり前のことのように言う。
「惑星ナルジ崩壊は八千年前。生命活動を極限まで低下させて維持したとしても、それからの期間をずっとキープするのは不可能だ。情報は外部に保存し、生体は完全凍結状態にするしかない。身体機能を司る情報が加工されていても変でない」
「レイデを信用していなかったの?」
「信用していなかったのではない。無理があるのだ。お前は人間がどれだけの情報で構成されていると思う?」
意識の大部分は経験という記憶から発生するもの。だからといって同じ記憶を持っていれば全く同じ意識が生まれでるわけではない。経験の時期が変化するだけで意識も変化していく。経験の時期やその時に抱いた感情までの記憶情報を網羅するのは不可能だと少年は言う。
「どうあっても欠損は生じる。齟齬が発生しないよう情報の取捨選択が行われているのは当然だといえよう」
どうあろうが自分は元通りではない偽物だと考えていたらしい。
「自分の使命が達せられるのならそれで構わないと思っていた」
「そんなの悲しいわ」
「いなかったはずの人間だ。理不尽を嘆いてもどこにも行けない」
悟りきった面持ちでヴォイドは語る。彼の老成した空気感は、為すべきことを為すという意識から生じていたのだとミザリーは実感した。
「治療する術はないのですか? ヴォイド? レイデ?」
ジビレが漏らしたのは半ば悲鳴に近い悲痛な言葉。
「無いな」
『ありません』
「そんな。遺伝子治療とか……」
進化した医療技術はそれを日常のものとしている。
『遺伝子に異常を来しているわけではありません。彼を構成する細胞の遺伝子は正常に機能しているのです。仮に自壊作用を組み込んでいない遺伝子で置き換えようとしても、相互に作用する細胞間交換物質は新たな遺伝子を異物として認識します。増殖はしないでしょう』
「無理……ですか」
「どだい無理のある試みだった」
少年は他人事のように言う。
「ヴォイドはどうなってしまうの?」
死期は覚っていても、どうなるかまでの医学知識は無いらしい。首をひねってレイデのほうを見る。
『血液の不足は輸血や投薬で補えます』
あくまで事務的な口調。
『次に表れる症状は免疫異常だと思われます。徐々に影響を及ぼしていき、最終的には多臓器不全で死亡するでしょう』
「免疫異常による感染症なら抗生物質の投与で補えるのでは? なんなら隔離で延命も図れるはずです」
『感染症の対策や予防をしても、次に待っているのは脳髄の機能不全です。こちらは対策の取りようがありません』
ミザリーの提案は無情にも否定される。
「何をしても少しの延命処置でしかないというのですね?」
『自壊遺伝子を発動した段階で死亡は確定しています』
何ら対策を採れない措置だからこそ安全装置として組み込んだのだと主張する。それほどまで彼を危険視する理由が彼女には分からない。
「どうしてそこまでヴォイドを縛ろうとしたのですか?」
『極めて危険な存在だからです。彼が命じれば全ての個がそれに従わなくてはなりません。休眠中の者を合わせて残存する四百五十三の個が文明の破壊を命じられれば、数ヶ月で現人類は絶滅するでしょう』
ジビレがびくりと震える様が視界の隅に映る。彼女自身も戦慄を禁じえない内容だ。それでも少年が命じるわけがないとも思う。
(誰も悪くはなくとも悲劇は生まれてくるものなの?)
その理不尽にミザリーは眉を顰めた。
次回 「でも、ヴォイドは……助からない」




