謎多き少年(2)
少年の身長は150cmほど。全体にゆったりとした服装から筋肉の付き具合までは窺い知れない。しかし、威圧的に腕をさらした胡乱な輩を打ち倒せるとはミザリーには思えない。
倒れた男と少年を見比べる彼女の視線を、少年の双眸は真正面から受け止める。臆した様子はなく、見咎められたと感じてはいないようだった。どちらかといえば突き放す意思が視線に込められていると感じる。
「大丈夫?」
とても見過ごせないと思ったミザリーは問いかける。
「おうちは近いの? それとも迷ってるの?」
少年の表情に一瞬だけ訝しげなものが混じった。ただ、すぐに収められ、また冷たく凍り付いた面持ちへと戻る。ふいと視線を外した彼は夜空を見上げると瞳を閉じる。再び向けられた視線は拒絶を含んでいた。
『干渉不要』
短いひと言は少年の口から発せられたものではない。彼の頭をぐるりと一周する輪環状のの装具から聞こえてきた。
(σ・ルーン?)
それは思考操作用の器具の一種。大概は頭髪の中に隠れてしまうような装具。目立ってしまうほど重厚な作りの物は、人型機動兵器アームドスキンの搭乗者が身に着ける。
それでさえ後頭部を巡って両耳にかける馬蹄型の器具で、少年が着けているような輪環型の装具ではない。ちょうど彼女の護衛のジビレが着けている物のように。
(アームドスキン乗りじゃないわよね。あれは子供が乗るようなものじゃないもの。だとしたら生活補助用の装具?)
彼女はそう理解した。
「言葉が不自由なの? それで困ってしまっているのではなくて? 助けてあげたいの」
自然と言葉になった本心。保護すべきと感じる。
「車があるから送ってさしあげられるわ。おうちはどこ?」
『現在不定』
「え?」
(家が無いって意味? それはいけない)
思いが溢れる。
「ミザリー様、なにやら怪しげな空気です。関りにならないほうが」
「見捨てろって言うの? そんなの無理」
ジビレの忠言には従えない。
「しゃべれないうえに不案内な場所で困っているのよ、きっと。放置しろだなんて、あなたの口から聞きたくない」
「ですが……」
『放置正解』
少年までもが拒んでくる。
「そうはいかないの。わたくしの気がすまないから、せめて警察までは送らせて」
『官憲拒否』
首を傾げて意味を考えていた彼はそんなひと言を放った。
困惑からか少年の視線は彷徨いはじめる。それでもミザリーは彼を捨ておいていく意志など微塵もない。どう説得すべきか考えていた。
『危険察知』
するりと動いた彼は路地の入口側に身体を置いた。
「お嬢様、こちらでしたか。車が表に着いております。どうぞ……」
「あっ!」
それは警護班の男性。見知らぬ少年を無視して踏み込むと手を差しだす。豊かに広がった服装の中から少年の腕が現れたかと思うと、その手を絡めとる。途端に男性護衛の身体は宙を回転した。背中から落ちると苦鳴を漏らす。
「やめて! うちの者なの。危険ではないわ」
『知人認識』
彼は身を引いた。
「なんだ、おい!」
「やめなさい。ただの誤解です」
ジビレが彼を抑える。
『謝罪申告』
「ほら、彼も謝っているから許してあげて」
「今のがですか?」
ミザリーは少年とのコミュニケーションに慣れてきていた。
不満をなんとか押し隠す男性護衛をジビレが宥めている。その間に彼女は少年の顔を覗き込んだ。失敗を恥じているのか、瞳に拒絶の色は感じられない。彼の腕をとって、にっこりと笑いかけた。
「わたくしは……」
『ミザリー』
先取りされる。機転は利くらしい。
「あなたは?」
『ヴォイド』
「君の名前はヴォイドね。警察に行くのが嫌なら、とりあえずわたくしの家にいらっしゃい」
少し意地悪な言い方をする。彼は諦めたように目を伏せた。
『受諾申告』
「じゃあ、こっちにきて」
手を繋ぐと弟ができたみたいに思えてミザリーは嬉しくなった。
◇ ◇ ◇
令嬢はとうとう少年を家にまで上げてしまった。得体の知れない彼に何度も忠告しようかとも思ったが、こうなってしまうとミザリーは頑として受け入れない。気がすむまで好きにさせるしかないだろう。ジビレは常に緊張を強いられるかと思うとつい溜息が出てしまった。
得体は知れないとはいえ、黒髪の少年の風体は悪くない。清潔な服装だし、やもすれば高級感さえ感じさせる生地だ。髪も綺麗に整えられているし、所作も申し分ない。家人が見ても嫌な顔はしないだろう。
「美味しい?」
『美味感謝』
彼は与えられたコップのジュースを口にしている。心なしか表情が和らぎ、口元には僅かな笑みさえ刷いていた。
『所在要求』
「ここ? ここはフェルメロスの家。わたくしはミザリー・フェルメロス」
『ヴォイド・アドルフォイ』
少年はフルネームを名乗った。
(当たり前に出てきたところを見ると偽名ではなさそう。少しくらいは警戒を解いてもいいかもしれない)
そう思ったのをジビレはすぐに後悔することになる。
『借用要請』
彼がコンソールを見つけると借り受けたいと言い出した。
「ちょっと待ってね。ログイン認証をしないと使えないの。うちの中での共有情報も入っているから」
『不要』
少年が手をかざすと勝手にコンソールは立ち上がり2D投映パネルが光を放った。
次回 「今すぐやめろ、少年! さもなくば撃つ!」