退化の恐怖
ルイス・ドローが1893年に提唱したのが進化非可逆の法則というもの。
古代生物研究者の彼は様々な生物の進化の流れを当時の生物学の理解でもって解明しようとし、その中でそんな法則性を見つけた。
そんな進化非可逆の法則の法則は提唱してから半世紀以上は「オカルトめいている」と言われていたが、遺伝子研究などが発達した2010年頃から「恐らく間違っていない」ということがわかっている。
「進化非可逆の法則」とは何かといえば、「一度退化した部分は二度と元に戻ることはない」ということ。
つまり、「不必要」とされ生物が自らの選択でもって排除した部分は絶対に元に戻らない。
例えば、深海生物においては「眼」というものを持つものと持たないものがいる。
この「眼」を捨てた者は、海が干上がって深海に相当するものが無くなったと仮定した時、似たような器官を発達させることで再び「視野」というものを擬似的に獲得できるかもしれないが、
「眼球」などに相当する部分が完全に消失した者は二度と「視覚」というものを得ることはないわけだ。
逆に、どんな形であれ「眼」という存在を維持している生物群の場合、進化の過程において「浅瀬に上がってきた」生物などが実際に存在していて、例えば「ウナギ」なんかがそれに相当することがわかっている。
そんな仮定や過程の中で最近筆者が興味を抱いたモノと言えば2008年頃から提唱され、「進化非可逆の法則」の中でもがいているとされる生物である「蟻」や「蜂」などである。
彼らは遺伝子研究の発達した現在、「いくつかの種は元は寄生虫だった」ということがわかっている。
そして重要なのは「彼らが進化するに当たり、その祖先より分科した際、寄生虫とそうでない者に分かれた」ことがわかっている。
今回はそれをメインにして話をしよう。
蜂。
それまで蜂は「どういう進化をしたか」というのはあまりよく解明されていなかった。
なぜなら、「幼虫」とされる状態が2パターンに分かれるからだ。
特にややこしいのが「生態」として「寄生」する種と「寄生」しない種、双方共に、幼虫が「まともに身動きできる者」と「まともに身動きできない者」双方がおり、余計に分類がややこしい。
ただ、現在の技術と研究においてわかっていることは、私達一般人が「蜂」と認識するハナバチ系はほぼすべてが「元は寄生虫」だったことがわかっている。
そしてそれは「蟻」ですらそうなのだ。
2008年。
ある生物学の学会発表があった。
それは蜂を遺伝子的に進化の過程を探ったところ、蜂は古代にて「ハバチ系」と「それ以外」に分科したということ。
そして「それ以外」というのは「寄生バチ」から進化して今に至るということ。
これは諸説ある1つということでまだ確定された情報とはされていないものの、今最も有力な蜂の進化のルーツとされ研究が続けられている。
この説が最も有力とされる理由は、「ハバチは針という存在を持たない」「祖先にあたるハバチ系はすべての種が幼虫が縦横無尽に動くことが出来る」
その上で「古代生物を見るとハバチと共通点が多く、遺伝子的な情報を見ても間違いなく蜂の種においては祖先にあたる種であると裏付けられる」
その逆に「ハナバチなどは殆どの幼虫がまともに身動きできない」という点から、以前より「仮説の1つ」として注目されていたが、遺伝子的な解明により、それがより「事実」として裏づけされつつあるということだ。
今やハナバチなんかは「寄生される側」だったりして大変なのだが、寄生蜂とされる存在に共通するのは「幼虫が無駄に動かないというよりかは動けない種が多い」ということ。
そもそも、寄生虫という進化のルーツを辿れば「中間宿主を必要とする種」以外は殆どが「まともに身動きできない」のがザラで、
これは必要以上にカロリーを消費しない形態に「退化」することによって、殆どの寄生生物が得た特徴のようなものであり、
寄生蜂の系統は「多少は身動きできる者」と「身動きできない者」で別れるようになる。
それらが寄生する際は「幼虫の時代に食い尽くす」「蛹の最中に食い尽くす」など生態の特徴に現れるようになるが、これがようは「進化の流れ」を証明しているわけであり、
そして未だ解明されないのが「なぜか寄生虫だった蜂はいつの日からか寄生をやめた」ということと、「寄生をやめた分、蜂は殆どが大型化した」ということと「社会性を得た」ことが挙げられるが、
「社会性を得た」という最大の理由は間違いなく「進化非可逆の法則」により、幼虫がまともに生きていけないので「そういうものを獲得するに至った」という、選択的な適応を迫られた上での「進化」をしたということ。
なぜ「寄生」をやめたのかについては、今のところ「彼らが元々寄生していた生物が絶滅したのではないか」という説が有力で、
本来、幼虫を生みつける宿主が絶滅した結果、彼らは「木の中」など、新たな住処を模索し、最終的にそれすらも種の存続としては危ういということから「自ら巣を作る」ようになったのではないかと言われている。
ただ、そんな生き方が出来るようになった最大の理由は「元々は交尾と産卵のためだけに残された成虫の姿」というのを維持した結果、
その「成虫」の姿をさらに発達させた結果であり、むしろこれは「既存の殆どの寄生虫は宿主が絶滅した場合は同時に新たな宿主を見つけない限り死滅する」ことを示唆している。
既存の寄生虫の殆どは「宿主」に頼りきりで自力で移動できる種は限られていることから、「進化非可逆の法則」を踏まえればそのまま「寄生虫」として今後を過ごす以外に他なく、
遺伝的多様性があったとしても「どうにもならない」状態のまま滅ぶしかない。
そして蜂の場合はこういった退化の影響で「幼虫が脆弱すぎる」という点から巣が崩壊することは少なくなく、
成虫はあの手この手で幼虫を守ることがわかっており、そのための「役割分担」の結果「働き蜂」などが生まれたと推察される。
例えば働き蜂は他の寄生バエや寄生蜂の幼虫を駆除する能力があることがわかっているのだが、
蜂の巣を狙う寄生生物系で巣が絶対に崩壊することがないのは、彼らがある意味でかつては同属だった者達の生態系をミームとして覚えていて排除することができるからである。
そして笑えないことに、かつて同属だった「寄生蜂」は大体「巣が大規模になる前に寄生を狙う」ことがわかっており、
同属だった者で寄生をやめない寄生蜂の中には、かつて同属だった者に寄生するという環境的適用を示して今日生き残っている種がいる。
幼虫自体はある器官を退化させてなかった事から繭を作ることが出来るのだが、それは蛹になる前の段階ででしか使わないため防衛手段は持たない。
笑えない事にハチを狙う寄生ハエや寄生ハチは「成虫になる前の段階で繭を作って蜂の蛹に擬態する」というようなふざけたレベルに賢い種もいたりするが、
それらを見抜けるか見抜けないかは働き蜂の中に「感のいい者」がいるかどうかにかかってたりする。
つまり、遺伝的多様性と言われる「種の適応能力の高さ」について遺伝子的にあったとしても、各部器官を殆ど退化させてしまった状態での環境変化への適応は非常に難しいが、
蜂はその前の段階にて何とか抜け出ることが出来た存在だというわけだ。
昆虫としては最も進化した先にいるとされる「蜂」と「蟻」なわけだが、彼らは元々「他者」に擦り寄ることで何とか血脈が絶たれぬよう生きていたわけだが、
「こんな博打みたいな生き方やってられるか! 俺は寄生をやめるぞ!」とばかりに進化した結果の今があるというわけだ。
ちなみに「針」とされる存在は生殖器が進化したものと言われるが、遺伝子的研究からこれは元々「木などに卵を産むために」新たに進化させた器官であり、その使い方が変わっただけに過ぎない。
そして近年の研究により、いわゆる巣を作る蜂の中で寄生蜂と大規模な巣を作るハナバチの中間的な存在であることがわかってきたのが「クマバチ」である。
あの割と大人しくデカくて丸っこいやつ。
アレ、見た目はとてもかわいいのだが、いわゆる「巣」というものは一般の人が知るような巣ではない。
他のハナバチのように巣は木の中に作るのだが、彼らは微妙な社会性を得ていて、生まれたばかりの幼い成虫は働き蜂のような仕事はしないし巣も大規模ではないが、彼らは「巣を守る」行動を示す。
これらはwikiなどでは「亜社会性」というものを得ているとされるが、1990年代は「他の蜂とは分科した存在」とされていたものの、
実際には「進化の過程の1つが今もその形のまま生き残っている」ということがわかってきているのである。
そして複数の「女王」とも言うべき巣を作る雌の蜂が「共同体」というような巣を作り、大規模な巣を生み出す例があることがわかっていることから、
これが後の「大規模な巣」というものを作るキッカケとなったと考えられている。
大規模な集団を作るというのは、実はライオンなどに対してそれに近縁するとされる猫科の動物でも共同体みたいな雌のグループを作る種がいることから、
後にそれが「社会的にミームのようなものを受け継いで進化した」と裏づけられるので、彼らがそうなったと想像するのは難しくないが、それが遺伝的にも証明されつつあるということだ。
ちなみに蟻の場合は「いや、飛んでるとエネルギー消費高すぎだし地上で活動した方が効率的じゃない?」という感じで途中で進化して地上に特化した存在であるのだが、
基本的に蟻のほうが寿命が長いことから、恐らく「それで正解」なのだと思われる。
蜂がどんなに長くとも「1年」なのに対し、蟻は働き蟻であすら働き蜂の2倍の寿命。
そして女王蟻なんかは「10年単位」で生きられるので、いかに「カロリー消費とそれに伴う進化」が寿命という存在を短くしているかがわかる。
つまり、より動けるように体を作れば寿命が短くなってしまうということ。
女王が長く生きれば生きるほどに遺伝的多様性が得られると考えた蟻は女王を長生きさせる方向性で進化し、あえて体を蜂ほど大型化させず小型のままを保って今日に至る。
その結果というわけだ。
そのような事を考えると、人類も進化の過程で多くの退化が見られるが、
これらの退化は割と今後を考えるとどうなるかわからない恐怖を孕んでいると言えるだろう。
ところで余談を挟むが、蟻と蜂の中には「すでに出来上がった巣を乗っ取る」という「社会的寄生」と呼ばれる行動を示す者がいるが、
これは「寄生」というミームがいまだに蜂や蟻に残っているから出来るのであって、
元が「寄生虫」でない他の社会性を持つ昆虫においては、そういう「社会的寄生」の行動原理はないということがわかっている。
彼らは寄生を一度やめたが、結局別の形で寄生するという方法を得たようだ……何か人間に通じるものがある気がするが気のせいだろうか。
さて、最後にシロアリについてちょっと語りたいのだが、彼らはゴキブリであるのは普通に有名な話だろう。
つまり、あいつらは3億~5億年ぐらい前の状態をほぼ保ったまま、適応性だけで現在に至る化け物。
そんな奴らの中で社会性を得たのがシロアリだが、
笑えないことにこいつらは「副女王」と「副王」とも呼ばれる存在がいて、「女王」とされる存在を倒せば絶対に巣が崩壊する蜂や蟻と異なり、「副」とされる連中が生きている限り巣が崩壊しない。
だからシロアリの場合、女王を倒してもまた巣がすぐ復活するので駆除するのが大変なのだが、
副女王も副王も複数いて、状況によってはこいつらが巣を一旦脱出して新たな巣を作ることがわかっている。
その昔、シロアリは蟻やハチと比較して「彼らを模倣しても生物的にゃ蜂や蟻のほうがもっと進化した先にいる存在だ」なんていわれたが、
殆どゴキブリから進化していないこいつらの方が「社会性」といった視点で見ると、蜂や蟻よりよっぽど上なものを構築しており、
木という存在が消滅しても雑食性なので変に環境適応したら……(こいつらは餌がないと普通に肉食に化ける)
――などと、一部の学者からは割と怖がられてる生物。
それだけではなく、蜂や蟻の進化においては「反乱」という可能性から「女王は基本1匹にする」という進化をしたと考えられているが、
シロアリはそういう反乱が全くない上で「複数の女王が巣に存在して役割分担を果たす」ということから、統率力的にはこちらの方が上だ。
反乱を防ぐためにまるで違う立場の働き蜂を作る蜂に対し、彼らがどうやって「反乱」と呼ばれる行為を防いでいるのか人間の精神学な意味でも注目される。
なぜなら「継承順位」が明確に決まっていて、王や女王が死亡しても「第二位の継承者」が新王や新女王になるからである。
しかも「王」と「女王」が巣に同時に存在し続けるのがシロアリで、蜂や蟻など他の種のように「雄は飛んで交尾に行くだけのニート」とは異なり、王は王としての行動を示し、集団行動を統率する役割を持っている。
最終的に新王と新女王は巣を離れて外で新たなパートナーを探し、その巣の初代王と初代女王となって新たな国家とも言うべき巣作りを開始するが、
その際でも王はただ交尾する相手ではなく、階級が低い者を統率して率先して動く。
これは一部全く別系統ではあるが社会性を持つ蟻の上位階級の雄にも見られる行動だったりする。
この中で絶対に「第三位」がいきなり女王や王になるケースがない。
昆虫という限られた思考力の中でどうやって「統率」し、どうやって「継承順位」を定めているのかさっぱりわからない。
そして反乱などの行動によって巣が崩壊しない統率力の理由もわからない。
しかも笑えないことに「こいつらに寄生しよう」とおもう種が皆無の恐怖。
これらは「不完全変態だから寄生しにくい」という影響もあるのかもしれないが、それにしたって地球に適応しすぎだろう。
そんな彼らについては「必要ないから進化が滞っている」と言われているのだが、「1億と-2000年後ーも生きているー」みたいな存在になりそうだ。
「変にアレコレ退化させなくていいんじゃね?」ってのを証明するシロアリと、変に退化させた後で生き残りを模索した蟻と蜂、最後に笑うのはどちらなのか。