嘘吐きの恋(うそはきのこい)
何処かで、何かが軋む音がした気がした。
突っ伏して眠っていた机から身体を起こし、なんとなく周りを見回してみるけど、静かに聴こえた冷たい音はもう聴こえなかった。
代わりに教室の真ん中あたりで一人の席を取り囲んで談笑している女子のけたたましい笑い声が聞こえる。
「えー、なにそれー!」
「ちょーウケる!」
なにがそんなに楽しいのか俺にはよくわからないけど、その集団のなかに幼馴染の姿を見つけたからぼんやりと視界の端で眺めた。
家が近くて、幼稚園から高校までずっと一緒の幼馴染。中学まではどっちかっていうと物静かなタイプだったと思うけど、今じゃスクールカースト上位の女子と仲良くなってこの有り様だ。
有り様、なんて言い方したけど、別に今のあいつの友達関係に文句があるわけじゃない。
けど、興味もないテレビ番組のために走って帰ったり、四六時中携帯を手放せないあいつを見てると、本当にこの友達関係が良いものなのか…。
ま、あいつ自身が決めることか、と独りごちると、ガラッと教室の扉が開かれ女子が飛び込んできた。
「ねえ、聞いて聞いて聞いて聞いて!」
「あ、唯おはよー」
「おはよー唯、なになに? ビックニュース?」
「ビックニュース、ビックニュース! さっき駅で嘘吐き見ちゃった!」
女子の持ち込んだニュースは確かにビックだった。
教室中がざわつき、女子の話を聞いている。
嘘吐き。
それはこの国に存在する体質の話だ。
誰しもが持ってる持病と言い換えることもできる。
嘘吐きとは文字どおり嘘を吐く人のことだ。
でもこの場合の嘘吐きは病気のこと、そして死因のことをいう。
この国では嘘を吐いたものは死んでしまうのだ。
一度や二度の嘘では死んだりしない。
けど、何回も何十回も何百回も嘘を重ね続けると最後には身体がボロボロに砕けて死んでしまう。
この病気はずっと昔からあって、この国の人間にとっては当たり前のことだ。
他の国の人はどうしてそんな病気が存在するのか不思議がって国際的議題として何回か取り上げられてるらしいけど、何百年も前からあるこの病気を今更気にする人などこの国にはいない。
国際結婚とかそういうのを考えている人にとっては大問題かもしれないけど、みんなうまいこと折り合いをつけている。
そもそも、嘘を吐きさえしなければ死ぬことはない。
それも沢山の嘘を吐かないかぎり。
それなら、いっそのこと人が比較的正直に生きられて良いことなんじゃないだろうか。
そんな楽観的な考えかたでこの国の人たちは長い間この病気とともに生きている。
そして、嘘吐きとは病気の名前であるとともに、死因の名前でもある。
失血死、窒息死、餓死、焼死…そんなもののなかに嘘吐き、がある。
嘘吐きは嘘を吐き続けて死んでしまうことだ。
必要に迫られて限界を超えてしまったか、もしくは自殺かだ。
保険の授業で少し教えられた程度だけど、嘘吐きはものすごく痛いらしい。
身体の内側から削られて、ひび割れてしまう。
削られたこともひび割れたこともないからどんな痛みか想像できないけど、なるべく嘘を吐くなと言われているし、嘘を必要以上に吐くつもりはないからこれから先も想像できないだろう。
教壇の上で女子が興奮気味に話を進める。
「なんか一人でブツブツ呟いてて怖い人いるなーって思ってたの。で、あんまり近くに寄りたくないなーって思ったんだけどその人の後ろ通らないと改札に行けなくて、だから仕方なく近づいたの。そしたら、なんか変な音がするなーって思って、で、すれ違ってちょっとした後に崩れる音がしたから振り返ったらその人嘘吐きで死んでんの!」
「うっそ、マジで!?」
「うわー、エグッ!」
「いやいや、全然エグくないよー! なんか変な色の塵の山みたいな感じだった。前に嘘吐きが一番綺麗な死に方、なんて言われてたけど納得したわー!」
「え、それってその後どうなったの?」
「すぐに、駅員さんきてブルーシートで隠されちゃったけど、写真撮ってる人とかいたからツイッターには載ってるかも」
「あ、ほんとだ」
携帯で事件を調べてた男子が声をあげて、画面を見せる。
俺も自分の携帯で調べてみれば、すぐに写真を見つけた。
まるで身体が突然消えたかのように脱ぎ捨てられた服と靴。
そのまわりにはボロボロに崩れた赤と黒と茶色を混ぜたような塵の山がある。
これがさっき女子が言っていた嘘吐きの人だろう。
少し詳しく調べていけば、決定的になった嘘もわかった。
すぐ近くにいた人が嘘を聞いたみたいだ。
なんでも、会社に行きたいと最期に言ったらしい。
「うわー、これって自殺でしょ?」
「たぶんそうじゃない?」
「でも、線路に飛び込んだりしない分マシじゃない?」
「いやいや、結局騒動になって駅一部閉鎖してるから迷惑度的には一緒だよ」
それもそっかー、とのんびり言っているとチャイムが鳴って先生が入ってきた。
話はここまでで、事件を目撃した女子に詳しいことを聞いてたやつも渋々と席に戻っていく。
「もう知ってる人もいると思うけど、さっき駅で嘘吐きが出ました。この中で居合わせちゃった人いたりする?」
「私見ましたー」
「水島さん、気分悪かったりしない?」
「特にないですー」
「そう…。もし少しでも体調悪かったら遠慮せずに保健室に行ってね」
「はーい」
「それじゃあ、朝のホームルーム始めます。今日は…」
いつもと少しだけ違う話をした後に、いつもと同じ話をし始めた先生。
俺は右から左へと話を聞き流しながら窓の外を眺めた。
ちょっとした丘の上に建ってる学校からは街の様子がよく見える。
駅はこの教室からは見えないけど、もう警察とかマスコミが来てたりするのだろうか。
陽の当たる自分の席から外を眺めているとだんだんと眠くなってくる。
大きなあくびをこぼして、目を瞑る。
目を瞑るとホームルーム中にもかかわらずコソコソと話をしているクラスメイトの声がよく聞こえる。
「ね、昨日のジャニスポ見た?」
「たい焼き食いたい。帰りに食ってこーぜ」
「モイモイの読モのマドカちゃんちょー可愛くない?」
「新刊で出てきたキャラ、どストライクなんだけど!」
「えー、俺たこ焼きの気分」
「可愛い! でも安定のアキラちゃんもやばくない?」
「長谷やんの話長いわ」
「新キャラでしょ? 私長髪はパスだな」
「見たよー」
「早くおわんないかなー」
ジャンル数多とはこのことをいう。
テレビ、食事、雑誌、漫画、愚痴…。
ほかにもいろいろ聞こえてくる。
というか、これはすでにコソコソの域を出るのではないだろうか。
長谷やんこと長谷川先生も注意すればいいのに。
ま、寝てる俺が言うことじゃないだろうけど。
「野村くん」
なんてことを考えていると突然名前を呼ばれた。
「あい」
慌てて居住まいを正して返事をすれば、少し裏返った声が出た。
「今日、日直だからよろしくね」
「あぁ…はい」
そういえば日直だった気がする。
面倒だけど、一ヶ月に一回必ず回ってくる仕事だ。
渋々日直のノートを受け取る。
今日の日直を伝えたところで、朝のホームルームは終わった。
「ホームルームやっと終わったわ」
「やっぱ中井くんがかっこいいって!」
「よし、じゃんけんで勝負だ!」
「私も読モになりたいわー、目指す!」
「髪結んでる長髪は、解けた時のあのサラツヤがやばいんだって!」
「えー、小松くんも負けてないよー」
「長谷やんスタイル良いのにダサいからもったいない」
「さいっしょーはぐー! じゃんけん…!」
「まずは痩せるとこっからっしょ」
「あー…なるほど、わかるわ」
「でも、一番人気は…」
『森繁くーん!』
ホームルームが終わったとたん、遠慮なくはじまる談笑。
いつものことだから特にうるさいとも思わないけど、寝るには向かない環境だ。
仕方ないからいつものように机に突っ伏して目を閉じてじっとしていようと思った時。
また、何かが軋む音がした。
さっき聴いたばかりの音がまた聴こえた。
空耳じゃないだろうと、まわりを見るけど、そんな音が聴こえてきたそうなものはない。
なんというか、透明感があって、繊細なガラスみたいなものが削れあってる、そんな感じの音だ。
「結局ぶつぶつ言ってたのはなんだったの?」
「よくわかんなかった。すれ違う時に聞き耳たてたんだけど、なんか…頑張らなくちゃとか会社が、とか言ってた気がする」
「完全に社畜じゃん」
嘘吐きを目撃した女子は、嘘吐きへの興味が絶えないやつらから質問攻めにあってる。
嘘吐きはそこそこ珍しいかもしれないけど、仮にも人が一人目の前で死んだってのに、よく平気で喋れるなと思う。
けど、実際に人間が嘘吐きで崩れる瞬間は見てないんだったら、それも仕方ないかもしれないとも思った。
嘘吐きで死んだ人は人ではなく、まるで無機物のように変化する。
その部分だけ見ても、グロテスクさは感じないかもしれない。
「最期の嘘聞いちゃった?」
「いや、聞こえなかった。でも、なんか変な音が聞こえたー」
「変な音?」
「んー…なんていうか、こう…ぴきぴき? ぴしぴし?」
「凍った水たまりの上歩いた時みたいな音?」
「そうそれ! って野村くんも聞いたの?」
「ん、いやなんでもない」
突然話に参加した俺に女子は驚きつつも答えてくれた。野村くんも嘘吐きみたことあるのー?と食い下がってくる女子を振り切って、俺は教室を出た。
日直の仕事は別に大変じゃない。
その日の時間割、内容、感想、そんなものを書いて提出するだけだ。
でも、大変じゃなくて面倒だから疲れる。
たらたらと適当に授業の感想を書いて、どうにか空白を埋めていく。
書き終わったら職員室に提出に行かなくちゃいけない。
帰ってから勉強する気はないので、教材は全部置いていく。
軽いリュックを背負って、脇にノートを挟んで教室を後にした。
職員室の前で幼馴染に会った。
「一人?」
「うん。なんで?」
「いや、珍しいなって思って」
いつも賑やかな女子たちと一緒にいるから、一人で行動しているところを見るのは随分久しぶりな気がした。
「なにそれ、嫌味?」
「いや、事実を言っただけ」
連れションだの、移動教室を一緒に行こうだの、一人で行動できない人間をバカにするような気持ちはない。それが好きならそうすればいいと思ってる。
「んー…確かに事実ではある」
「だろ」
「で、みっちゃんは職員室になんのご様ですか」
「今日は俺が日直です」
「あぁ、ノートを出しに来たんだ」
「朝のホームルーム聞いてなかっただろ」
「聞いてたよ」
「話してたのに?」
「話してたけど聞いてたの。なんなら、みっちゃんが裏返った声で返事したのも聞いてたけど?」
「それは聞くなよ」
あれだけ賑やかに話してたくせにしっかりと長谷やんの話に耳を傾けていたらしい。
聖徳太子かよ。
「あい、って返事してたじゃん。思わず吹き出すかと思ったよ」
「頭で考えるより先に口が返事してたんだよ」
「ちっちゃい子みたいで可愛かったよ」
「そりゃどうも。全然嬉しくない」
幼馴染らしい軽口を叩きあっていると、がらりと職員室の扉が開かれ先生が出てきた。
「こらこら君達。職員室の前で騒がない」
「あ、長谷やん」
「長谷川先生と呼びなさい。日直ノート持ってきてくれたんでしょ?」
「はいこれ。ちゃんと書いたから隅々まで読んだりしなくて良いよ」
「それはつまり、適当に書いたからしっかり目を通されると困るってことかな?」
「いや、俺的にはちゃんと書いたけど、長谷やん的にはどうかわかんない」
野村くんは相変わらず不真面目系天然だなぁ、と呆れられた。
真面目じゃないことは認めるけど天然ではない。正直者と言ってほしい。
「あの、先生」
「あ、ごめんなさい」
どうやら幼馴染は長谷やんに呼び出されたらしい。
遠慮がちに声をかけた幼馴染に長谷やんは少しだけ心配そうな顔をして口を開く。
「相沢さんたちと仲が良いみたいだけど…無理してたりしない?」
どうやら内容は幼馴染の交友関係についてのようだ。
仮にもクラスメイトの一人である俺がいる前で堂々と話をしているが…こういったことに関心ゼロなことと幼馴染であるから話をしているのだろう。
「もちろん、相沢さんたちと仲が良いことを責めるわけじゃないわ。けど、あまりにも性格というか…好きなものの趣味なんかが合わない気がして…。あなたがそれで大丈夫なら良いんだけど…」
「大丈夫ですよ。相沢さんと一緒にいるの楽しいし、趣味も合います」
「そう? それなら、良いんだけど…」
じゃあ、二人ともまっすぐ家まで帰るように。寄り道しないでね。
その言葉とともに閉められた職員室の扉。
「寄り道か…たい焼きかたこ焼きが食べたいな」
「今日お財布忘れたんじゃないの?」
「あ、そういえばそうだった…。なんで知ってんの?」
「家の前通ったらおばさんとちょうど会って、リビングに財布忘れて行ったって聞いたから」
「やっぱりリビングか…。というか、俺より後に学校来るの珍しいな」
「寝坊しちゃって」
「へー。あれ、相沢たちはいいの?」
ずるずると下駄箱まで二人で歩いて行き、てっきり女子集団を待つか待たれているかしていると思ったら、そのまま靴を履き替えるから不思議に思って聞く。
「うん。先生に呼び出されて、どれだけ時間がかかるかわかんなかったから先に帰ってもらったの」
だから今日はみっちゃんと一緒に帰ってあげる。嬉しいでしょ?
ふふっと笑って言われた言葉に真顔でいや、普通、と返せば無言で背中を殴られた。
ローファーに履き替えて、上履きを片付けていると、下駄箱の扉をあけて固まっている幼馴染がいた。
「なに? ラブレターでも入ってた?」
覗き見れば、ローファーの上に水色の封筒が置いてあった。
「マジでラブレターじゃん」
「勝手に見ないでください」
「はいはい」
たしなめられたので仕方なく首を引っ込めて、幼馴染が靴を履き替えるのを待つ。
てっきりその場で封筒を開けるのかと思えば、カバンにしまい、靴を履き替えるとさっさと行ってしまう。
「読まないの?」
「今? 読まないよ」
「果し状だったらどうすんだよ」
「果し状って…どういう意味?」
「だから、音楽室で待ってます、みたいなもんだったらかわいそうじゃん」
「あぁ、そういうこと」
俺の言いたいことが伝わったのか、幼馴染は確かにそれはちょっとかわいそうかも…と一瞬考えるそぶりを見せる。
けど、すぐにあっけらかんと笑うと歩き始めた。
「その場合は縁がなかったということで」
「うわー…ドキドキしながら待ってる相手かわいそう…」
「本当に思ってる?」
「思ってる。二割くらい」
「ほぼ楽しんでるじゃん」
同じ男として、もし女子に告白しようと下駄箱に手紙を入れて、相手がくるのを延々と待ち続ける気持ちがわかないでも…いや、やっぱわからない。
そんなに誰かのことを好きになったことないし。
「帰ってから読んで、もし呼び出しだったら謝りに行くわ」
「ごめんなさいって?」
「私には好きな人がいますって」
「それ謝罪っていうか、トドメ刺しに行ってるよな」
余計相手のことが少し不憫になりながらも、高校では影を潜めていた幼馴染のお茶目な一面を久しぶりに見れて内心面白がってた。
高校と家までの道のりのちょうど真ん中あたりに小さな公園がある。
小さい頃はよくここで一緒に遊んだ。
今では公園で遊ぶ子供なんてほとんどいないようで、公園はいつも寂しそうにブランコを風に揺らしている。
横目でそんな公園を眺めていると、幼馴染の携帯が音を立てた。
「もしもし、凛恵? どうしたの? ……カラオケ?」
どうやら先に帰ってもらったはずの女子集団は寄り道をしていて、そのカラオケに幼馴染を誘っているようだった。
幼馴染はあの集団のなかでは一番おとなしく、なにを頼まれても、なにに誘われても基本的に断らない。
今も、これからカラオケに直行するんだろうなと思いながら隣を歩いていると。
「ごめんね、実は今学校出たばかりで、これからそっちまで行くには結構時間がかかるからまた今度行く。…うん、ごめんね、じゃあね」
あっさりと通話を切ると、何事もなかったような顔で携帯をしまった。断ると思っていなかったので、少し驚きながら幼馴染を見ていると、強い風が幼馴染の柔らかそうな髪をかき乱した。
ブランコも風にあおられ大きく揺れている。
そんな風のなかに、軋む音が隠れて聴こえた。
「なあ」
「なに?」
乱れた髪を手櫛で直しながら、隣にいる俺を見上げる幼馴染。
俺の知っている幼馴染と少しも変わってない。少しだけ、俺の方が背が高くなって、少しだけ幼馴染のほうが丸くなっただろうか。
言うべきか、どうか迷ったけど、知ってしまったからには言っておきたいと思って、意を決して口を開いた。
「それ、嘘吐きの音だろ」
嘘吐きの音、と言われて幼馴染はきょとんとしていたが、すぐにとくに慌てる様子も見せずに返事をした。
「知ってるんだ」
それは、嘘吐きの音がどういうものなのかについてか、それとも幼馴染が嘘吐きだということについてなのか。
どちらかわからなかったので、事実を言うことにした。
「最近なんか聴こえると思ったら、お前から聴こえた」
「どんな音?」
「薄いガラスにひびがはいるような音…かな? お前も聴こえるだろ」
「うん。私のなかから音が響いてくる。私から音がうまれてるの」
「…なんかそういうとちょっとロマンチックだな。ロマンチストかよ」
「ロマンチストだよ」
幼馴染が嘘吐きだってわかったのに、幼馴染に嘘吐きだってバレたのに、俺たちはちっとも変わらなかった。
昔から、ずっと変わらない関係だった。
幼馴染が決めたことには口出しをしない。
それは、幼馴染が自分で決めたことだから。
もう一人はそばで見守るだけ。
助けを求められたら、その時は最大限の力で助けてやるんだ。
「嘘吐きになる気?」
「……」
「死にたいの?」
「……」
「それとも、生きてたくないの?」
「……」
無言は肯定の証、なんて言われるけど俺たちにとってはそれは全然当てはまらない。
無言は考えている時間だ。
答えが出るまで待つ。ちょっとすれば、答えが見つかったようで幼馴染は微笑んだ。
「…それが、一番近いかな」
「そっか」
いくら口出ししないにしても、どうして嘘吐きになることを選んだのか気になりはする。
けど、根底までは聞き出さない。
触れていい部分だけ壊れないようにそっと、恐る恐る触れる。
「疲れた?」
「うん」
「おばさんは知ってんの?」
「お母さんはなにも知らない」
「お前のあと追っちゃうかもよ?」
「一応、手紙は書いた」
「そっか」
家族ぐるみの付き合いだから、幼馴染の母親とも親しい。
幼馴染が亡くなった後、あの優しい母親が一体どうするのか、そう考えると少しだけ悲しくなった。
そして、幼馴染が誰にも自分が嘘吐きになると打ち明けていないのだろうと思うと、考えるよりも先に口が動いていた。
「…俺が気づかなかったら、俺に何も言わずに死ぬ気だった?」
「……」
「それとも俺にも手紙書いてくれたの?」
「…手紙、書こうと思ったんだけど書けなくて」
母親と同じように手紙を残してくれようとはしたみたいだ。
けど、書けないとはどういうことか…。
「言葉にできないってやつ?」
「というより、手紙っていう形で残るのが恥ずかしいなって」
こう見えて物持ちがよく、手紙などもらった物は捨てられずに全部残してるということを知っている幼馴染は、俺の手元に自分の手紙がいつまでも遺り続けることを危惧したのだ。
「おばさんはいいのに?」
「お母さんはいいの」
「そっか」
腑に落ちないような気もするけど、母親とただの幼馴染ならば母親のほうが勝るだろう。
ここは潔良くおばさんに勝利を譲ろう。
「毎日嘘吐いてるだろ」
「うん」
「あとどれくらいとか、わかんの?」
「うーん…。たぶんあと少し」
嘘吐きになりたくない人は滅多なことでは嘘を吐かない。
けど、今日の幼馴染の様子からして、幼馴染にとって嘘を吐くことは日常茶飯事なのだろう。
「最期に吐く嘘とか、なんか大事だな」
「そうかもね」
「もう決めてるの?」
「…うん、みっちゃんと話してて決まったよ」
「そっか」
どうやら、誰にも打ち明けてなかった嘘吐きを俺にバレてしまったことで幼馴染なりのけりのつけ方が決まったらしい。
それで、心置きなく死ねるのならそれはいいことかもしれない。
「じゃあ」
「うん、ばいばい」
俺の家のほうが幼馴染の家より学校に近い。
先に家に着いた俺は、幼馴染に別れを告げ、鍵を出そうとリュックを下ろした。
「みっちゃん」
「ん?」
もう帰っただろうと思っていた幼馴染が後ろから声をかける。
リュックを身体の前に抱えながら振り返れば、俺より小さな手を左右に振りながら幼馴染が笑う。
「また明日」
「…うん、また明日」
真似するように手を振り返すと、満足したのか幼馴染は軽い足取りでさっさと行ってしまった。
小さい頃のように、手を振り合って別れたのは一体どれくらいぶりだろうか。
いつぶりだったか思い出すよりも先に、中身の少ないリュックの中から鍵を見つけ、家の扉を開けた。
翌日も、その翌日も、さらにその次の日も、俺たちは一緒に帰った。
相沢たちはいいの?と聞いても、幼馴染は楽しそうに笑うばかりで何も答えてくれなかった。
幼馴染が楽しそうならそれでいいだろう。
あと少しで死ぬと言っていた割に、幼馴染はずっと生きていた。
嘘を吐くのをやめたのだろうか。
俺は幼馴染といる間、時々耳を澄ませたが軋む音は聴こえなかった。
けど、幼馴染は確実に嘘吐きになっていった。
「大丈夫?」
「…うん、痛いけど…まだ大丈夫」
帰り道、突然うずくまった幼馴染を慌てて公園のブランコに座らせた。
身体が内側から崩れて痛むのだろう。
幼馴染のあと少し、が迫ってきていることがわかった。
「帰れそう?」
「うん…もう少しすれば、立てそう」
「…なあ」
「なに?」
「あとどれくらいか、わかる?」
あとどれくらいでお前は死ぬんだ、と聞いてるも同然だった。
けど、幼馴染は少しも顔色を変えずに、脂汗がうっすらと浮かぶ顔で微笑んだ。
「実はね。…たぶん、あと一回」
「…そっか」
次に幼馴染が吐く嘘は、大事な嘘だ。
そして、最期の嘘だ。どんな内容かなんて聞いてないし、誰に吐くのかも聞いてない。
もしかしたら、学校の屋上から全校生徒に向けて大々的に嘘を吐いて、みんなの目の前で死ぬ気なのかもしれない。
「あの人さ」
「あの人?」
「ほら、駅で死んだ人」
「あぁ」
「あの人、最期の嘘、会社に行きたいだったんだって」
「そうなんだ」
「それで、その勤めてた会社はブラック企業で遺族に訴えられて今大変らしいよ」
「そう」
「だからさ」
「うん?」
「お前もそんな風に世界に何か爪痕でも遺していったらどうかなって思ったんだ」
「世界に?」
「うん。なんでお前が嘘吐きになろうと思ったか知らないし、わかんないけど。心残りがないように、嘘が吐けたらいいなって思った」
「爪痕…ね…」
俺の言葉に一理あるかもと曖昧に笑った。
ポケットから取り出したハンカチで脂汗を拭い、パタパタと風を仰ぐ。
「爪痕、遺してもいいのかな?」
「…残すあてがあるんだ?」
「……一応、ね」
ね、爪痕遺していい?とブランコに座ったまま横に立つ俺を見上げる。
血色の悪い顔で、微笑みながら言われたその言葉に、俺は幼馴染が最期に吐く嘘を誰に対して言うものなのか理解した。
理解して、そして受け止めた。
俺が一体幼馴染にどんな恨みをかっていたのかなんてわからないが、それでも幼馴染が俺に対して遺したい爪痕があるというのなら、俺はそれを受け止めようと思った。
「いいよ」
うまく笑えていただろうか。いつもの、天然と言われるほどのほほんとしている俺の締まりのない顔はちゃんと笑みを浮かべられていただろうか。
「…ありがと」
俺の返事に幼馴染は嬉しそうに笑うと、ブランコからゆっくりと立ち上がった。
ふらつく身体を支えてやれば、幼馴染が目に涙を浮かべているのが見えた。
なんで泣くんだ。
これで死ぬから? これから、ひどいことをされるのは俺の方だってのに、なんでお前が泣いてるんだよ。
俺は幼馴染の名前を呼ぼうと、口を開こうとした。
けど、名前を呼ぶ前に目の前が暗くなる。唇に柔らかくて、温かくて、けどちょっとだけ冷たいものが触れた。
それが幼馴染の唇だって気づいて、そして幼馴染にキスされていることに気づいて、どれだけ時間が経っただろうか。
一分もなかったかもしれない。
それでもずっとずっと長い時間に感じた。
ようやく幼馴染が離れていく。
近すぎてぼやけてよく視えなかった幼馴染の顔が視えた。
目に溜められていた涙はいつの間にかこぼれ落ちて、頬を伝っている。ぼろぼろと溢れる涙を拭うこともせず、幼馴染は目尻を少しだけ赤く染め、心底幸せそうに微笑み、声を震わせた。
「 」
幼馴染の葬式にはクラスメイト全員が来た。長谷やんも来ていた。早すぎる死に、葬式に来ていた人はみんな泣いていた。
俺を除いて。
「死んだ原因、嘘吐きらしいよ」
「え…なんで、そんな…」
「…野村くん幼馴染だから何か知ってるかも」
俺に聞こえるように言われた言葉、伺うようにこっちを見てくる視線。煩わしくて、俺はいっそ清々しいほど笑みを浮かべて言った。
「知らないよ」
何処かで、何かが軋む音がした気がした。
時間の関係上、最後の展開が早すぎてややしり切れとんぼ感があります。
創作病気とかオリジナル異性恋愛とか初めて書いたけどおもしろかったおー。