一 公爵令嬢、婚約破棄される。(5)
——やはりそうか。
王妃様の言葉は予想通りのものだった。
王家の婚約は、恋だの愛だのといった甘いことではなく、先ず純粋に利益が重視される。王家に連なる人間一人の結婚が宮廷内のパワーバランスに大きく影響するのだから当然だ。
だから当人二人の間に必要なのは、熱情よりも理性。愛なんて後から芽生えたら儲け物。それが婚約という行為である。
その婚約において理性を欠いて恋に走ったセドリック様は問題だ。
しかし、問題が起きているのに目先の研究という熱情に没頭し、理性的に対策しようとしなかった私にも問題はある。
いくら王妃様が私を高く買ってくれていようと、婚約者を諌めることもできず、いたずらに放置してしまった私に対する周囲の評価は推して知るべし。
よって、私の方にも落ち度がある以上、双方に何かしらの処罰を下さないと、周囲が黙ってはいない。
そういうわけで、続く言葉を戦々恐々と待っていた私だったが、そこでふと違和感に気がついた。
——あれ、王妃様、ちょっと嬉しそうじゃない?
「そんなに怯えないで。それに、貴女の今後について、まだ話すことがあるの」
「……それは、謹慎でしょうか。それとも絶縁、或いは修道院送りとか……」
「まあ、そんなところまで思い詰めていたの?」
つい耐えきれず私の予想をぶち撒けたところ、王妃様は目を丸くして、次の瞬間には大笑いしていた。
「そのような処罰は重すぎます。今回の件における双方の非の割合は、どんなに多く見積もってもあの子が九なら貴女は一。加えて男爵令嬢側の非もあるというのにそのような罰を与えてしまったら、この国では些細なことで極刑が下されているわ」
「それは確かに……そうですが……」
「それに、今回の破棄は決して後ろ向きな理由からではないのよ。それも含めて、貴女の今後についてなのだけれど、」
王妃様は、悪戯っ子のような茶目っ気のある笑みを浮かべてこう続けた。
「貴女には今後、正式に学園の東棟に所属してもらいます。婚約者としての勉学はもう結構。今後は研究者として我が国に仕えなさい」
「王妃様、それは……!」
「婚約を結んだ時、貴女とセドリックは五歳だったわね。その頃はまさか、貴女がこれほどまで魔法に関する才能があるとは思っていなかったわ。特にここ数年の成果の数々は、正直言って貴女を婚約者なんていう立場に置いてしまったことを後悔するほど目覚しかった」
侍女が淹れた紅茶を含み、王妃様は楽しそうにしている。
その気品ある佇まいと今口にされている言葉の噛み合わなさに、私はぽかんとするしかない。
「正直、貴女のような人は公務を行うより研究をしていた方が良いと思うの。だって、こんなことを言ったら怒られてしまうけれど、公務って慣習やら仕来りやら細々としていてまどろっこしくて、気を配ることが多すぎるもの。そんなものに気を取られて国を支える技術の進歩が遅れるなんてどうしようもないわ。第一、公務は覚悟さえ決めてしまえば誰でも出来るのよ」
「ちょっ、王妃様、それ以上は流石に……」
「あら、人払いは済ませているから大丈夫よ。……それに、幸運にもラファエルとクリスティアナは仲睦まじいから、貴女たちの結婚自体も火急ではないし。正直言って今ここで貴女を無理に婚約者に留め置く必要もないのよ」
王太子であるラファエル様とその婚約者であるクリスティアナ様は、政略結婚でありながら大層仲が良いと評判だ。お二人の様子は恋人であると同時に戦友か何かのようで、前にお会いした時もそれはもう楽しそうに本気の議論を戦わせていた。本気になりすぎて魔法での殴り合い——本人たち的にはじゃれあいのつもりだったらしい——に発展しかけた時は流石に焦ったけれど。
あの二人もなかなかに苛烈なのだ。公務においては優秀なので、まあご愛嬌ということで。
「貴女は今後、変わらず公爵家の人間であると同時に、国の研究員という立場になるわ。よって社交界にも定期的に顔を出してもらうことにはなるけれど、場合によっては研究を理由に欠席しても構いません。立場の使い分けに関しては、これまで通りで宜しい。ただ、立場に合わせた相応の振る舞いをしてもらうことになるから、手を抜いては駄目よ」
王妃様の言葉を咀嚼するのに、十秒ほど時間を要した。
そして漸く、私は自分の処罰について理解した。
これ、私にとって全く処罰になってないです。
それを正直に伝えようと口を開いた私だったが、王妃様は「わかっています」と笑った。
「貴女にとっては今まで通り、寧ろそれよりも良い境遇になってしまった、と言いたいのでしょう? でもこれは、私たちとしてはただ実利を取ったに過ぎない。貴女の利用価値は研究者としての方にあると、そう判断しただけなのよ」
「だとしても、私としてはこれ以上の喜びはありません。私のような不甲斐ないものに寛大な措置を施してくださり、有難う御座います」
「帰ったら東棟の方たちに感謝をなさい。あと、クライド・ロッドフォード第二師団長にも。あの方達の証言のおかげで、今回の貴女の処遇の正当性が証明されたのよ」
聞けば、婚約破棄の日の夜には既に「これを機に婚約を破棄し、私を研究員に」という話になっていたらしい。
しかし私は未だ学園の一生徒に過ぎない。そのため、仮にも王子の婚約者であった公爵令嬢をあんなところに放り込んでいいのかという懸念の声の方が多かったのだそう。
そんななか、研究棟の方達とクライド様率いる師団は、様々なデータを用いて私の有用性を支持したのだという。その結果、私には婚約者としてより研究者としての方が使い道があるという結果になったと。
正直、以前から「若いうちの道楽として黙認されているだけで、学園を卒業したら研究できなくなるかもなあ」なんて思っていた身としては、嬉しすぎて泣きたくなるような話だった。
「私としては貴女の有用性を認知させることができてとても嬉しいのだけれど、これからは以前よりもっと忙しくなるわ。特にターフェン侯は『やっと堂々と研究の申請が出せる』と喜んでいたもの」
ターフェン侯はクライド様のお父上であり、我が国の南東部にあるターフェン侯爵領を治めていることからこう呼ばれている。
彼は軍内部でも結構な地位におり、クライド様を通じて私を知ると、早くから実地で研究の試験が行えるよう融通を利かせてくれていたのだ。
なんだか、私の知らないところでいろんな人が手を貸してくれていたらしい。その事実には未だに実感が湧かない。
けれどこの数年、自分が学園を世界の全てのように感じていたことに、今更気がつかされた。
(学園の外にも人はいて、こうして私を見てくれているんだ……)
そんな思いが、じわじわと胸に込み上げてきた。
私は涙が出そうになるのを堪え、今できる精一杯の笑顔を浮かべて、もう一度王妃様に感謝の礼を述べたのだった。