竹の花
奥山で竹の花が咲いている。若衆仲間の甚吉がそう報せたのは、去年の夏のことだった。
何十年もただ青々と若竹を繁らせるばかりの竹が花を咲かせることがあるのだろうか。死んだ親父でさえ、言い伝えを聞いただけで実際には見たことがなかったという。そして一斉に花を咲かせた後、一斉に枯れるという言い伝えがあると言ったような記憶がある。親でさえ見ていないくらいだから、おそらく五十年ではきかない年月を眠っていることになるが、またおそろしく気の長いことだと思った。竹が花を咲かせたら飢饉が続くと言い伝えがあるとも言っていたが、そんな莫迦なと大笑いしたことを覚えている。すると父は大真面目で私に食って掛かった。先祖の言い伝えを莫迦にしてはいかんと。先人の知恵が語り継がれているのだと。青筋をたてて食って掛かる父に、俺がどう応えたかは忘れてしまったが。その花が咲いたという報せだった。
先祖の言い伝えをまともに信じる者がどれほどいるだろう。表立って反論しないだけで、実はせせら笑っているのではないだろうか、俺のように。
しかし、甚吉の報せは瞬く間に村人の知るところとなり、村役の伝兵衛さんの耳にも届いた。
村役の動きは素早かった。その日のうちに男衆が集められ、明日の朝からそれを確かめに行くことになったのだが、村役を筆頭に、長老どもの顔が強張っていたことを異様に感じたものだ。
迷信を怖がってどうすると俺たちは薄笑いを浮かべていたのだが、村役は頑固だった。
「ええか、竹が花つけたっちゅうのが本当じゃったら、しばらく飢饉が続くことを覚悟せにゃならん。そこでじゃ、これから当分の間は、食い物を貯えることを考えにゃならんぞ」
俺たち若い者は、えっと顔を見合わせたものだ。竹が花を咲かせた。たかがそれだけのことだとしか思っていないのだ。梅が花を咲かせる、柿が花を咲かせる。そうしてはじめて実がなるのではないか。竹の実とはどんなものだろう。喰えるのだろうか、美味いのだろうかくらいしか考えていなかった。
「村役さん、食い物を貯えるっちっても、腐っちまうでねぇか」
甚吉が威勢よく言った。山で採れるものにせよ、野菜にせよ、長く置くことはできないものばかりだ。
「甚吉、それと若い者も聞け。飢饉に備えて食い物を貯える。クリ、トチ、クルミ、何でもええ、日持ちする木の実を集めるんだ。それと、芋を植える用意をしておけ。ソバや麦の種も用意しておけ」
甚吉をちらっと見やった村役は、あれこれ指示を出し、若衆を見回した。
「えぇか、飢饉にならねぇですんだら、こんなにありがてぇことはねぇんだぞ。無駄になったら幸いなことだ。それに、ソバもクリも売れるでねぇか。銭を稼いで、嫁にべべの一枚も買うてやればええ。ちがうか?」
与助爺さんは村一番の年寄りだ。その与助爺さんが、歯の抜けた口でぼそっと言ったのだが、村役の言い方とくらべると穏やかな感じがする。そして、無駄になったら金にせよと俺たちの欲をくすぐってきた。へらへらと笑っているが、その実、目には力がこもっていた。
翌朝、甚吉が先に立って奥山へ行くと、なるほど見たことのない花がいっぱい咲いていた。
「増えたなぁ」
白とも薄紫ともつかぬ花で竹薮とは思えぬほど色づいていた。
「うどんげの花みてぇだ」
後でぼそっと呟いた者がいた。
「爺さん、これが、そうか?」
「さぁて、俺も初めてだからなぁ。だけんど、杉に咲いてるんじゃねぇんだし、そういうことなんだろうなぁ」
与助爺さんはそれを毟り取って眺めていたが、何を思ったかがさがさと藪を歩き回った。そして村役を呼んだ。
「伝兵衛さん、これ見ろや」
なんだろうと俺たちも周りに寄ると、爺さんは熊笹を指差している。穂をのぞかせたそこに、小さな花がついていた。
確かに花が咲いていた。俺はもちろん、与助爺さんでさえ初めてのことだそうだ。それほど珍しいということはわかったが、だからといって飢饉と結びつけることはできない。
竹が花を咲かせると虫が湧くか? イモチが出るか? 皆、そう考えていた。実際、稲は順調に実っているし、綿も機嫌よく育っている。心配しなくても飢えるようなことにはならないはずだ。
「みんな、ここは俺の言うことをきいてくれ。なっ、頼むからそうしてくれ」
村に戻った俺たちに村役が頭をさげた。
「なぁみんな、今年はおかげでまずまずの取れ高が見込める。綿も順調だ。だがな、ちょっと考えてくれ。太閤検地以来、ずっと田の広さは調べられてねぇ。その頃と較べると倍に広がったんだがな。ただしだ、半分つぶして綿を植えている。とするとだ、米の取れ高が減ったら年貢がのしかかるぞ。綿だってうまくいくとは限らねぇし、相場しだいで安値になるかもしれん」
車座になった俺たちを見渡して、村役は発言を待った。が、誰からも声が上がらないので続きを始めた。
「もしもだ、もしも米や綿がだめになったら、たちどころに困ることになる。だから、収穫が終わったらすぐに裏作をするんだ。それと、できるだけ米を食わねぇで残してくれ」
「そらぁ、みんな村役さんから土地を借りているんだから、言う通りにはするけどなぁ、本当に飢饉になるんだろうか」
と言ったのは、俺の嫁の父親、作治だった。俺たち若い者ばかりでなく、親の代ですら言い伝えに懐疑的のようだ。それに同調する者が大多数であった。
「作治の言い分は、もっともだ。だが、明日の日和だって、本当のところはわからねぇわなぁ。だとすると、秋の日和もわからねぇ、正月に雪が積ってるかもわからねぇ。迷信って言っちまえばそうだが、そういうこと、虫の報せっていうのかなぁ、それも満更莫迦にゅあできねぇ? 伝兵衛さんの言うことのほうに分があると思うぞ」
与助爺さんが上手く間を取り持って、裏作をすることになった。
そして明くる年、一斉に竹薮が枯れだした。筍が生えないことを不審に思っていると、次々に茶色くなった葉が春の嵐で吹き飛ばされてしまい、まるで骸骨のようになった。
竹の花は飢饉の前触れだなんてつまらぬ迷信だ。若い者は隠れて笑ったものだ。ところが、すでに異変は始まっていた。誰も気付かなかっただけだ。
花が咲いたその冬、山にも里にも雪がほとんど積らなかったのだが、凍えるほど寒かった。春になり、わずかな雪解け水は小川を満たすことはなく、埃をまきあげた風ばかりが吹きすさった。
田に引く水が少なくて井戸水をくみ上げるありさまだったが、どうにか田植えはできた。しかし、水が冷たすぎるのだろうか稲の育ちが悪く、量が少ないのでヒョロヒョロした苗にしか育たない。このままでは不作になると皆が心配した。
待ち焦がれた梅雨があっという間に終わってしまう。それだけ夏が長くなり、十分に実をつけていない穂が力なく項垂れることになった。
村役の不安が的中したのだが、無駄を承知で裏作しておいたおかげで、来年は豊作間違いなしだと空元気を出すだけの余裕があった。
こんな年でも年貢は年貢。地主にも土地代を払わねばならない。
ここの領主様は定免法を取り入れている。いわゆる四公六民だが、検地があったのははるか昔のことで、その頃に較べると田の広さは倍になった。だから実際には二公八民ということになるのだが、年貢と同じだけの土地代が必要だった。それは豊作の年でも変らないかわりに、不作であっても同じだ。一方で、米だけでは現金収入にならないので、村ぐるみで綿の栽培をしていた。
綿が順調に育ってくれれば買納で丸く収まるというものだが、その綿が日照りで育たない。耕地の半分をつぶしてしまったのだから、深刻な事態だ。
クズ米までかき集めて年貢を納めた村人は、一斉に芋を植えた。麦を、ソバをと日持ちするものを育てたのだ。
さっさと収穫を諦めた田や畑に芋のツルが延び、ようやく食べられるようになったとき、すでに冷たい風が吹き始めていた。次々と芋を掘っては納屋に運ぶ日が続いた。そんなだから、正月がきても特別な料理などない。大切な米を使って粥を煮たくらいのものだ。それでも山に初雪が降り、里も雪に覆われた。去年のように水不足で困ることはないだろう。明るい出来事だった。
粗く固まった雪を溶かすように雪割草が小さな花を咲かせた。雪解け水がしたたる土手に福寿草が咲いた。凍える冬をのりきって、春がやってきた。
今年は小川を流れる水が豊富にある。すっかり新芽が生え出した土手に土筆が頭を出し、こごみが、わらびが元気に伸びている。今年はきっと豊作だ。村の衆は晴れ晴れと代掻きに精出した。
満々と水が張られた田で、青々とした苗が育っている。今年こそはと種を蒔いた畑では、綿の苗がぐんぐん大きくなっていった。
ところが、雪解け水の多いことを喜んでいたのも束の間、長梅雨が村を襲った。どこにこんなたくさんの雨があるのだろうかと呆れるほどの雨を降らせ、それでも止まずにシトシトザァザァ降っている。
暦ではとっくに明けているはずなのに、厚い雲が空を覆ったままだ。
冷夏だ、冷夏がやってきた。
陽が照らない。陽が射しても暑くならない。それに反して水は溢れるほどあった。
お天道様の光を浴びない苗は、ヒョロヒョロだ。稲も綿も背ばかり伸びて、いっこうに実をつけようとしない。中には黄色くなりかけた葉があるくらいだ。これは一大事だ。
村の男どもは村役の家へ集まって対策を講じた。わけても、村全体の年貢を取り纏める立場の村役が一番青ざめていた。
たしかに地主として年貢と同じだけの米を受け取ってはいるが、少なからず使用人を抱え、なにかといえば物入りだ。それに、役人への供応も村役の自腹で、皆が想像するほど楽な暮らしなどできないのが実情なのだ。そもそも村役の田も穂が実らないのだから必死だ。が、相手が天気ではどうにもならない。なりはしない。その上年貢を納められない者が出たら肩代わりをしなければいけないのだ。深刻さの度合いが違う。
せめて年貢分だけはなんとしても育ってほしい。それは村役を筆頭に、全員の願いであった。
盆をすぎた夜のことだ。寄り合いで村役が裏作の話をもちだした。今年も去年のように食い物をかきあつめろということで、さすがに異論は出なかった。というのも、春先に豊富な水を得られたものだから、誰もが安心しきって米を食べてしまったからだ。ソバや麦も大半を売ってしまった。豊作間違い内と安易に考えたからだ。
去年は冬を越すくらいの米が残してあったのだが、今年は正月を迎えられるかどうかしか残っていない。豊作の悦びに沸いたのが嘘のように、重苦しい寄り合いだった。
定められた年貢を納めた俺たちに、大きな救いが差し伸べられた。村役の好意で、土地の借り賃を半分にしてくれたのだ。
今年こそはと祈りが通じたのか、三年目は日和に恵まれた年だ。山の水も豊富で、ミミズやドジョウもいっぱい湧いた。稲の育ちもよく、盆には青い穂が一斉に頭を下げ、むせるような草いきれに包まれていた。
秋風が吹きだし、水を落とした田では稲穂が実を太らせていた。黄金に輝く稲穂を見るのは何年ぶりだろうか。ここまでくれば間違いなく豊作だ。綿畑でも実を大きくふくらませて風に揺れていた。
村の者は沸きに湧いた。
梅雨が明け、ギラギラしたお天道様が顔をのぞかせる日が続いたので豊年を確信した俺に、天からの授かりものがあった。そう、初めての子だ。知らなかったのだが、若い者の多くが子宝に恵まれていた。田んぼの米ばかりでなく、子産め(こぅめ)も豊作のようだ。
出穂して三十日くらい経った。あと十日もすれば刈り入れも好機だ。しかし、突然黒雲が空を覆い、シトシトと雨を降らせた。
厭な空模様だ。
せっかく水を落としたというのに、割れた地面に雨粒が吸い込まれてゆく。出たばかりの草の芽が雨にうたれて地面にへばりついている。
俺たちは不安げに空を見上げるしかない。
雨は徐々に激しくなり、夕方からは酷い風を吹かせた。
夜半になって雨風が激しくなった。夕方見回ったときでも蓑は飛ばされそうな風だったが、時がたつにつれ、益々勢いを増している。すでに堤の七分目くらいまで水嵩が増していたことを思うと、山奥では激しい雨が降っているのだろう。鉄砲水にならなければ良いがと別の不安が胸に湧き起こる。しかし、そこらじゅうの隙間から吹き込む風で屋根が吹き上げられ、外の様子を窺うどころではなかった。俺と弟はもちろん、母親とサトも、壁や戸を破られないように押さえているのがやっとだ。
そうこうするうちに、土間に水が入ってきた。それほどの雨が降っているのだろうか。それとも大川の堤が切れたのだろうか。なにがなにやらわからないうちに、水は上がり框にまで達した。
嵐が治まると、刈り入れ前の稲が心配だ。
股まで浸かった土間を戸口へ向かったが、どっぷり浸かった戸は重くて開かない。無理やり開けてみると、波打ちながら水が流れこんできた。外はというと、見渡す限り池になっている。そしてあっちの家から一人、むこうの家からも一人、男たちが様子をうかがいに出ていた。
田は、稲は? 考えるまでもなく、どっぷり水に浸かっていた。
血の気が退くとはこのことだ。いよいよ刈り入れとなった稲は水の中に沈んでしまい、納屋も水浸し、おまけに井戸だってどこにあるのかわからない状態だ。汲み置きの水がどれだけ残っているか、食べ物が残っているか心細いかぎりだ。
そうして三日、俺たちは水すら満足に飲めないまま過ごしたのだった。
水が引いた田では、泥をかぶった稲がなぎ倒されている。それを弟と二人で必死に起してまわったのだが、水を吸った籾からは小さな芽が出かかっていた。
眠ってなどいられず、俺たちは泥水をかぶった稲を刈った。刈った。月明かりを頼りに、刈りに刈った。
しかし、刈るまでの僅かな間にも芽は少しづつ伸び続けた。
豊作間違いなしと信じ込んでいたのが、たった一夜の出来事でかくも無残な有様だ。天は味方してくれたのではなかったのかと、途方に暮れた。
「今年こそはと大喜びしたのに、とんだ糠喜びだ。とんでもないことになってしまった。相手は嵐だから、お役人に御願いしてみる。してはみるが、やられたのはこの村だけじゃあるまい。だとすると、年貢を目こぼししてもらえるとは思えん。だからだ、なんとか年貢分だけでもそろえてくれ。土地代は来年ということにしよう」
村役が力の抜けたような声で言った。稲がやられ、綿もやられた今、村役は気力を失ってしまったようだ。それを聞いて、誰も声をあげることができなかった。身動きすることも憚られ、咳ばらいすら聞こえない。
「うちの土蔵も水が浸かって、貯えておいた米がビショビショになってしまった。怖くて調べてもおらんが、眼を出したものが多いだろう。麦もソバもやられた。喰えるものは半分あればいいところかもしれん」
村役の家は、俺たちより少しは高台にある。しかし、裏山の湧き水を引き込んでいたことが裏目になった。また、周囲を土塁で囲ってあることも裏目に出た。俺たちのように堤が切れて水浸しになったのではなく、山から溢れた水が逃げ場を失ったのだ。それに、種籾にすることを考えて脱穀していなかったことも被害を大きくした原因だ。
「そこでだ、皆の衆。こんなことは言いたくない、考えちゃいかんことだが」
村役は辛そうに言葉を切り、暫く下を向いたままだった。
「腹の子を、水神様に捧げちゃくれないか。それでも生まれるようなら、天狗様に頼むしかないのだが」
震える声で言い終えると、その場にへたりこんでしまった。
水神様ってなんだ。天狗様に何を頼むというのだ。俺には意味がわからないように、若い者の中に理解できる者はいない。互いにヒソヒソと想像しあうのが関の山だ。
「お前たちに意味がわからんで当たり前だ。このところずっと飢饉には縁遠かったからなぁ」
与助爺さんがやっと聞き取れるくらいの声でぼそぼそ言った。
「爺さん、飢饉なら何回かあったぞ、俺、覚えてる」
不審に思ってそう反論すると、爺さんは俺を見て力なく首を振った。
「勝一かぁ、お前が知らんで当たり前だ。お前のいう飢饉を思い出してみろ。その年は不作だったが、翌年には持ち直しただろうが。こんな、三年も続けて不作じゃなかったはずだ。おまけにだ、貯えておいた食い物までやられてしまった。井戸さらいをせにゃならんだろう? 切れた堤を直さにゃならん。田の泥を捨てにゃならん。そのうえ芋や麦を植えにゃならん。なんとしても働き手が必要だ。それに……口が増えるのは……」
そこまで言うのがやっとのようで、爺さんは骨のような膝に眼を落として口をつぐんだ。
「それと水神様と、どうつながるんだ? 天狗様に何を頼むんだ?」
甚吉が声を上げた。爺さんの遠まわしな言い方では、肝心なところがわからないのだろう。それは俺も同じだった。
「だからな、これから一層苦しくなる。満足に食えねぇかもしれん。そんな地獄に生まれるのは不憫でねぇか。それならいっそ、縁がなかったものとしてやるのが慈悲ってものじゃねぇのか?」
辛そうに口を開きかけた村役を遮るように、爺さんが続けた。
「つまり、流せってぇのか? 腹の子を」
子ができたことを喜んでいる若い者が騒ぎ出した。俺だけではなく、甚吉も宗八も初めての子を授かったのだ。とうてい納得できることではなかった。
かなり長いこと俺たちは不満を言いつのっていたが、爺さんは俯いたまま何も返そうとはしない。やれやれ、納得したようだと安心したものだ。しかし、実はそうではなかったのだ。
力ない足を踏ん張って立ち上がった爺さんは、明らかに怒っていた。
「お前たちの考えはよくわかった。じゃあ訊ねるが、でっかい腹した嫁ぁに仕事さすんだな? 食い物が足りねぇのに乳が出るんだな? 子供を地獄に産み落とすっちゅうんだな!」
口から唾をとばして言い切り、血走った眼で俺たちを睨みつけた。
「それと、何人か子がおる者。すぐにでも奉公に出してやれ。そのほうが子のためになる」最後にそう言い残すと、肩を落として帰ってしまった。
子を流せなどと言えるものではない。が、いつまでたっても寄り合いの話をしないものだから、母親もサトも、話の深刻さを察したようだ。ためらいながら子流しのことを告げると、案の定二人ともいきりたって食って掛かった。それが当たり前なのだと俺も思う。だけど、苦境をのりきるために、そう考える者もいるとしか言えない。
なんとか方法はないか、知恵はないかと責められもしたのだが、俺に知恵などあるわけがない。弟はおろおろし、母親は苦虫を噛み潰したように不機嫌だった。
どうにか年貢を納めて、追い立てられるように芋や麦を植えていると、甚吉の嫁の腹がぺしゃんこになった。それから十日もすると、宗八の嫁の腹もぺしゃんこになった。きっとサトがしているように大川に浸かって体を冷やしたのだろう。しかしサトは、そうまで辛いおもいをしたというのに、ますます腹が大きくなった。
正月がすぎ、村は雪に覆われた。
せめて少しでも温くしてやりたいといって、母親はサトと納屋で寝起きをするようになった。稲藁の中にもぐりこめばたしかに温い。俺は母親の言い分を鵜呑みにしていたのだが、納屋へ移って三日もしただろうか、そこに人の出入りがあったようだ。
俺がそれを知ったのは、朝になってからだった。
納屋の戸口の雪が乱れ、点々と足跡が残っていた。
なにかあったのだろうかと声をかけてみると、「なんでもない」と、母親が呟いた。青ざめてはいるが力のこもった眼をしていた。
「誰か来てたのか?」
「……天狗様がな」
足跡のことを訊ねてみると、母親はポツリと呟いた。
「天狗様?」
その一言でピンと来た。きっとサトが子を産んだのだ。そして、俺が気付かぬ間に間引いてしまったのだろう。情が移るから、一目も会わせずに葬ってしまったに違いない。
「サトは?」
「そっとしといてやれ。男にはわかるまい、女の気持ちが」
母親は胸の内を一塊にしてぶつけてきた。
去年の暮れから、大川を下る嬰児の骸が多かったとか。
骸は藁づとにくるまれて、下へ下へと下っていったという。
おわり