【幻想千夜一夜01】わがまま無欲なディードリンデ
そろそろ日が暮れるという時刻、王都の外れにある管理するものも、祈る者もいない半分屋根が崩れかけた教会がある。中の椅子や机は半分以上が壊れており、もはや廃墟といったほうがいいだろう。そんな教会の隠されていた地下室にディードリンデは訪れていた。
ディードリンデは小さな商会の一人娘だ。歳は20を超えたところだろうか。癖の強い赤毛混じりの金髪に、少し強気に見えるツリ目を本人は気に入っていなかったが、十分に美しいと言える容姿をしている。
誰もいない地下室で教会に落ちていた燭台を拾って、持ってきたロウソクに灯した明かりだけを頼りに所在なさげに誰かを待っている様子だった。
「お嬢さん、私に何かごようですか?」
つい先ほどまで確かに誰もいなかった地下室の暗闇から突然低い男の声で呼びかけられてディードリンデは危うく飛び出しそうになった悲鳴を何とかこらえた。
「あ、あなたがアルベルト?」
「いかにも、私がアルベルトです」
ロウソクの光のみという薄暗い中でも、男の容姿は輝くような美しさを見せていた。25歳前後に見える容姿はその落ち着いた仕草のせいだろうか、30歳にも40歳にも見ることができた。清潔に撫でつけらえれた黒髪に碧眼。がっちりとした体格に仕立ての良い服がとてもよく似合っている。
「私の名前はディードリンデよ。突然の呼び出しに応えてくれてありがとう」
「いえ、礼には及びません。で、こんな場所に呼び出した要件をお伺いしてもよろしいですか?」
「お願いよ…私と、け、結婚してほしいの!」
赤くなりながらも要件を切り出したディードリンデを、少しの驚きと大きな好奇の目で見つめるアルベルトは、にっこりと微笑むと恭しく淑女に対する礼とりつつも、いやにあっさりと返事を返した。
「承知いたしました。お嬢様。死が2人を分かつまで、あなたの夫となりましょう」
こうして2人は結婚をした。
結婚は順調だった。アルベルト目当ての女性客が増えたことで、商会の売り上げは上がったが、当のアルベルトはそんな女性に目もくれず、手堅い仕事を行い、時間になれば酒も飲まずにまっすぐに家に帰ってきた。しかし、アルベルトは商会同士の付き合いなども最小限にしか参加しないため、横のつながりも少なく、商会が大きくなることもなかった。
そんなある日、ディードリンデが少し言いにくそうにアルベルトに語りかけた。
「ねぇアルベルト、あなたはとても良く仕事してくださっていると思うのだけど、私は父から受け継いだこの商会をもっと大きくしたいわ。お願いだからもっとお仕事をがんばってくださらないかしら」
アルベルトはいつものように穏やかに微笑みながら答えた。
「そうだね。それが君の願いなら。もう少しがんばって見るよ」
それからのアルベルトは人が変わったように働き、10年後には王都有数の大商会にまで登りつめた。
それからさらに5年の月日が経ちディードリンデの美しさにも陰りが見えるようになってきたが、アルベルトは出会ったころと同じ美しい容姿を保ち続けていた。そのころには商会は王都随一と呼ばれるような規模になり、自慢の夫と大商会夫人となっていたディードリンデは幸せの絶頂にいた。
そんな幸せの代償とでもいうのか、ディードリンデは病に侵されてしまった。何人もの医者が匙を投げ、治療の見込みもなく、徐々にやつれていくディードリンデにかつての美しさはすでになく、死の影すら見えるようになってきた。
死を間近に感じながら枕元に立つアルベルトに向かってディードリンデは最後のお願いをした。
「ねぇ、アルベルト。お願いよ。私は死んでもあなたのそばにいたいわ」
「あぁ、わかった。そうしよう」
いつものように穏やかに微笑むアルベルトの返事を聞くと、安心したようにディードリンデは息を引き取った。
アルベルトはディードリンデの死を見届けると、ぽつりとつぶやいた。
「やれやれ、ようやく3つ目の願いが決まったか」
そう言うと、元妻との約束通りディードリンデの魂を掴みその姿を煙のように消した。