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魔王の弱音と人狼の主人

「二度と甘味珈琲作ってやらねぇ」


 がしゃがしゃと鉄製のボールに入れられたミルクをかき混ぜ、首の痛みを庇いながら人狼の主人は皮肉を口にする。その隣では頬を膨らませながらコンロの薪をくべる赤髪の魔王が、火力の調整をしながら燃える薪木を見てしゃがみ込んでおり、その姿はあからさまな不機嫌な様相を醸し出していた。


 執事に捕らえられた人狼の主人が引き剥がそうと奮闘しているところにやってきた魔王。そんな二人に肉体による綱引きを強行され、本気で頭と体がおさらばするのでは無いかという恐怖を味わい、ようやく解放されたのは人狼主人の首から異音が響く三十分後の事であった。


「ツーンじゃ! わしを置いて執事と戯れとるのが悪いんじゃ!」

「てめぇはあの惨状を和気藹々とした楽しい光景として見取ってたのかよ。とんだ節穴だな魔王の眼孔ってのは」

「何を言っておるか主様。わしの視力は本気を出せば遙か先の砂粒まで数えることが出来るぞい?」

「そういうことを言ってんじゃねぇよ」


 しかもそれ魔力頼りじゃねぇかとつっこみを入れるも、魔王は膨れ面のままに人狼主人の言葉を無視し、充分な火力まで燃え上がった事を確認してコンロの蓋を閉める。燃え上がる炎の熱が上部に伝わるには時間がかかるが、下拵えが終わるころには充分にコンロの鉄部も一瞬で火傷するほどに熱されているはずだ。


 泡立て器を駆使してかき混ぜている人狼主人の隣で、頬についた炭を拭って興味深げにボールの中身を覗き見る魔王の立ち姿に、人狼の主人は溜息をこぼす。


 そもそもの話、客人である筈の自分達が何故厨房なぞに立たねばならないのだろうか。


「大体なんでケーキの用意が出来てねぇんだよ。厨房担当はどうした」

「わしとて初耳じゃったわい。てっきり出来あがっとるもんじゃと思っておったのに」

「むしろお前が来てるから作ってないって可能性もあるがな」

「どういう意味じゃ!」


 どういう意味もなにもないだろうと肩をすくめる。牙を向いてくる反抗期真っ只中の魔王へと視線を向けると、その頬に黒い炭がトレンドマークの如く付いていた。


「数時間前の会話をもう忘れてんのかてめぇは。うら、炭付いてんぞおっちょこ魔王」

「わひゃ!? くすぐったいのじゃ~!」


 頬を膨らませる魔王の横顔を拭い、柔肌に触れる人狼主人の獣毛に魔王は表情を綻ばせる。しかし何度拭っても炭は引き延ばされるばかりで取れる気配が無く、しかたなく布巾で拭おうと魔王の頬から手を離そうとすると、引きかけた手が魔王の手によって引っ張られた。


「なんだよ。炭を顔に付けたままでいる気か?」


 人狼主人の手を離すこと無く、魔王は無言で狼の獣毛で埋め尽くされた手を己の頬へと宛がう。まるで親に甘える子供のような仕草をする魔王に人狼主人は首を傾げる。


「どうした。そんなに人狼の毛が気に入ったのか?」

「……のぅ、主様」


 弱々しい、魔王らしからぬそんな声が、小さな口から紡がれる。


「わしは、間違っておるのかのぉ……?」


 宛がう暖かな手に頬をすり寄せ、今にも泣き出しそうな表情で言葉を作り出していくその姿に、人狼の主人は尖った耳を傾ける。


「なにがだよ。お前の火の付け方か?」

「主様、分かって言っておるじゃろ?」


 魔王の言葉に人狼主人は目を背け、頬に当てる手をそのままにしゃがみ込む。ちょうど魔王を見上げる位置にまで腰を落とすと、魔王は表情を少しだけ和らげた。


「ほんに、主様の優しさは分からぬのぉ」

「なんだよ、こんなに優しさに満ちあふれた雇用主なんてそうはいないぞ?」

「それを聖女に申したら、なんと言われるか分かった物では無いぞい?」


 つい先ほどにも当の聖女に否定されただけあってなんとも言えぬ気持ちになる主人に、魔王はくすくすとほくそ笑む。


「のぅ、主様」

「なんだよ」

「少し、少しだけ、弱音を吐いても良いかの?」

「……聞くだけならな」


 弱音を吐く。

 どれほど強くとも、どんなに高位の存在であっても必要なその行いは、魔王にとって絶対に許されない行為。

 弱みを見せれば他の上位魔族達はこぞって魔王の地位を奪おうとする、からではない。そもそも、魔王の地位は奪い取れるようなものではないのだから。


 人間にとって聖女が正義と信仰の象徴であるように、魔王とは魔族にとって絶対的な存在だ。

 力こそが全ての魔界において、その頂点たる魔王が弱みを見せてはならない。どんなに辛くあろうとも、どれほど過酷な試練を迎えようと、魔王はそれらを己の力でねじ伏せなければならない。


 そうあるべきが魔族であり魔王である。そしてそれを、魔族たる主人は重々に承知している。弱者たる自分は、それに従わねば生きていけないことを知っている。


 承知している上で、存分に熟知している上で、そんなものは糞食らえだと認識している。

 変わらない。そんな主人の姿に、魔王は頬にすり寄せている人狼の手を離し、主人の首に己の腕を回して抱きついた。


「うぉい!? そこまで許容はしてねぇぞ!?」

「良いでは無いか。どうせ誰も見ておらぬし」

「見てる見てないの問題じゃねぇっての!?」

「まぁまぁ。それに、魔王たるわしに抱きついて貰えて内心では喜んでおるのではないかの主様ぇ?」

「いや、俺に貧困趣味はないし」

「相変わらず口が減らぬのぉ主様は。初めて会ったときから何も変わらぬわい」


 懐かしむように、魔王は精一杯の強がった声色で笑い声を上げる。そんなあまりにも子供らしく弱々しい姿に、人狼の主人は嘆息を吐き出し、抱きついてくる魔王の頭に手を乗せた。


「……わしはの、主様」


 肩に顎を乗せてくる魔王の声に、人狼の主人は魔王の頭に手を置きながら耳を傾ける。


「怒られるなら、わしも我慢できた。納得がいかないと叫ぶのであれば、説明が出来た。どんなことであっても、わしは耐えて、新たな未来を紡ぐ自信があった」

「……そうだな」


 実際にその姿を見たわけでは無い。

 魔王を怒ることが出来る存在なんて、広大なこの世界においても決して多くは無い。己の道を突き進み、自分の欲望に誠実であるその姿に、多くの魔族は惹かれ着いていく。そんな存在を怒ることが出来るのは、怒ってくれる人達がいてくれるのは、たった一つの暖かい居場所だけ。それを知っているからこそ、人狼の主人は否定をしない。


 赤き髪の絶対君主。この存在はとても強大で恐ろしいことを、魔界に住む者達は知っている。


「でも、でもの」


 だが、ただ唯一、絶対的存在である魔王が真に慕う、人狼主人だけは知っている。


「泣かれてしもうては、わしはどうすれば良いのかわからぬ……」


 この小さなこましゃくれた赤髪の従業員が、本当に弱い存在であることを。

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