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人狼と男色執事と筋肉と

「流石は人界最強と称される聖女ですね。まさかあの店主をあそこまで飛ばすとは」

「いやなに、日頃の鍛錬の賜物だ。貴女こそよく鍛錬されているようだが?」

「いえ、私などまだまだ未熟の身。未だ腕立てを五千回もすれば腕が震えるほどです」


 とてもではないが女性同士が話し合う事柄では無い内容を楽しげに話す二人の女性の言葉を、顎をさすりながら人狼主人は恨めしげな表情で前方を歩く常人から逸した会話をする二人を眺めていた。


 まさか天井をぶち破るほどの威力で殴られるとは思ってはおらず、だんだんと暴力のレベルが上がっていく鉄拳聖女には後で屋根の修理代を請求することを心に決め、深く吐き出したくなる溜飲を飲み込みつつ歩みを進める。


 筋肉男爵の屋敷は人魔線からは少し離れた場所に建てられている。とはいえ徒歩で行ける距離であることを考えれば遠いとも言いがたく、そこにたどり着くまでの道程に魔物が現れることも無い。安全な道で確実な物資を届けねばらならない農園を作り出すという点においては、筋肉男爵の定めた場所柄は作物を育てるにはうってつけの地であるとも言えるだろう。それに関心はすれど、その野菜に対する心意気の内容については人狼の主人が納得しているわけではないが。


「つか、案外普通に話してんだな軍人メイド」

「何がでしょうか」

「お前人間をあれほど嫌ってた割には聖女と普通に話してるじゃねぇか。つかむしろ尊敬もしてる風合いだしよ」

「私が嫌悪しているのは、己が弱さを認めず、知能があるからなどと述べて己が鍛錬を放棄し、言い訳ばかりを考え述べる惰弱な人間です。己を知り、それでもなお鍛えることを諦めぬ者に対しては魔族であろうと人間であろうと同評価を与えてこそでしょう」

「そんなもんかねぇ」


 今更人間の弱さなどを話し合ったところそれは泥沼に陥る議題だ。それに人間であっても強い者は居るし、人魔対戦ではその知恵によって苦渋を舐めさせられることも少なくは無かったと聞いている。人間とて誰がそうであるからと、全ての者がそうとは限らないのだ。

 それを知っているからなのか、規則正しく足踏みを繰り返す軍人メイドは一切の曇り無い言葉遣いと視線を聖女へと送っていた。


「魔族とてそうでしょう? 店主のようなお方もいれば、魔王様のような方もいるように」

「あぁなるほど、そう述べられると分かりやすいな」

「どういう意味だ筋肉馬鹿共」

「そういうところだと何故気づかん」


 白ける主人に聖女は大仰に溜息を吐き出す。礼儀という言葉を破棄したような性格のこの男は何を言っても聞かぬのだろうと若干の諦めを持ってしまった。


「まぁ店主のその性格は死んでも直らぬとしてだ。店主よ、一つ尋ねておきたいのだが」

「なんだ暴力の化身」

「もはや聖女とすら呼ばぬか」

「俺の知る聖女ってのはもっと優しさと慈悲に充ち満ちた存在だと記憶している。少なくとも何の罪も無い喫茶店の主人を空の彼方にぶっ飛ばす奴じゃ無いことは確かだ」

「罪の塊が何かほざいているようだが、まぁ私は優しいからな。聞き流してやろう」

「おい軍人メイド。お前の同類が居るぞ。自分の暴力を是としか認めない奴はお前のお友達だろ」

「はて、私がいつ店主様に暴力を使ったのか皆目見当も付きません。私が行いますのは部下に対する制裁と徹底した殲滅のみです」


 まじかよと青い顔をする人狼の主人に、聖女はこほんとわざとらしく咳払いをして話を戻す。このままでは話す前に屋敷にたどり着いてしまいそうだ。


「その男爵とやらはどのような方なのだ? 先日の社交界ではお見受けしなかったのだが」

「なんだよ、パンツ伯爵から聞いてないのか」

「ほぼ八割は聞き流していたのでな。もしかしたら話していたのかもしれないが、あいにくと記憶には残っていないのだ」


 賢明な判断だと、人狼の主人は素直に思う。恐らくその八割の会話のさらに七割はパンツの話で満ちていたのだろう。むしろ自分であれば全て聞き流しているであろう内容を二割も聞けた聖女には感嘆の意を表する。それを表に出すことは決して無いが。


「まぁそうだな。少なくとも覚悟だけはしておいたほうがいいかもな」

「失礼な。男爵様は魔族の中でも有数な権力者にてございます」

「黙れ狂信者。端的に言えばパンツ伯爵と同類だ。同じように対応してれば問題ない」

「む、そうか。なれば良いのだが。……時に店主よ」

「なんだよ」

「人間の言葉に類は友を呼ぶという言葉があるのだがな?」


 聞かなかった振りをして人狼主人は歩みを早め二人の前を通り過ぎていく。あんなキチガイ共と同類扱いなどされたくはないと言わんばかりの態度に、聖女とメイドは呆れながらも笑みを浮かべてそれに続いていく。




 三人が歩くこと約一刻、巨大な屋敷と共に見えてきたのは目を見張らんばかりに実る数々の野菜と、それらを世話する下手人達の働く姿。それらが地平線にまで続くその光景に、聖女は感嘆の息を吐き出した。


「これは、すごいな」

「そうか? 人界で見慣れてるものだとばかり思ってたが」

「もちろんそうだが、ここまで見事な作物をここまで広大に育て上げているのは見事という他ない」


 確かに野菜達は一つ残らず生き生きと太陽に向かって育ち伸びている。栄養を多分に含んだ広大な大地、それらを育てる豊潤な水が織りなすこの光景は、争いを繰り返す人界ではそうそうお目にかけることは難しいのかもしれない。しかし人界の技術力も馬鹿に出来た物ではない事を考慮すれば、それぞれの力の入れ方の問題でしかないのかもしれないとも思えてくる。


「ここでは魔界で育てられる作物は全て育てています。地域によって育てられない作物は交配を繰り返すことにより屈強な作物を作り出し、逆に屈強が故にほかの作物に悪影響を及ぼす作物は隔離することでその影響を受けぬように育てることで作物の成長を損なわぬよう、日々の研究を重ね多くの作物を作り出すことに奮闘しています」


 感嘆する聖女に少しばかり誇らしげに話すメイドへと頷くことで返事を返し、巨大農園の中央にそびえ立つ屋敷へと近づいていく。屋敷の入り口には雄牛の姿を形取られた紋章を中央に施した鉄柵の門がそびえ、軍人メイドがその門を開こうと人狼主人と聖女の前に出るも、手を向ける前に重厚な音を奏でながら門が独りでに開きだし、その奥から執事服を完璧に着こなした一人の麗人が三人に、正確には人狼の主人と聖女に向けて頭を下げていた。


「ようこそお越しくださいました。聖騎士団団長にして人界の聖女様。そして男爵のご友人であられる喫茶店の店主様」


 ゆっくりと顔を上げたその男は決められていたかのような台詞を流麗に整った顔立ちからなる口から吐き出し、そして一定のリズムを崩さぬ歩調で二人へと近寄っていく。


「うむ、今日は突然の来訪で申し訳ない次第」

「いえ、男爵様も聖女様のご来訪を首を長く、いえ、角を鋭く研ぎ澄ましながらお待ちしていた次第でございます」


 そして手を差し出した聖女へと執事であろうその黒髪の男は白い手袋に包まれた手を伸ばし、聖女の伸ばした手をすり抜けてそのまま人狼の主人の屈強な胸元へと、その細く折り目のつけられた執事服から伸びる手の平をすりつけた。


「……えっ?」

「……おい」

「いつ見ても、いえ触っても見事な胸板でございます店主様。貴方のご来訪、私は全身に興奮剤を打ち込まれたが如く心をときめかせながらお待ち申しておりました」

「おい」

「あぁ! やはり素晴らしきは鍛え上げられた男性の肉体! この力強さは女性には作り出せぬものであることは世界の理であるのだと日々黙考しておりましたが、やはり直に触れば触るほどにその思いは強く、そして堅く私の心と体を掴み離すこと無く」

「おい、いいから離れろ男色執事。その気色悪いくらいに細い喉を噛み千切られたくなかったら俺から半径五メートル以内に近寄るな」

「良いではありませんか店主様。貴方が訪れると男爵様より伺い、急ぎ服を着替え伯爵様のお持ちになられた勝負下着なる物を着用し、こうして馳せ参じた次第であるというのに」

「それこそが気色悪いから離れろって言ってんだよ」


 全身の獣毛を逆立てながら離れようとする人狼の主人に対して頬を赤く染めながら近づく執事というその構図に軍人メイドは呆れたように顔に手を当て、聖女は表情をひくつかせながらその光景に呆気にとられていた。


「……えっと」

「申し訳ありません聖女様。いつもの光景でございますのでお気になさらないでください」

「いや、まぁ、嗜好はそれぞれだとは思うのだが、もしやも無く彼は、その」

「ご想像の通りです。見ての通り、あそこで店主様にすりよっているのはこの屋敷の全管理を任されている執事でございまして、執事としての働きは目を見張る物があるのですが、残念なことにその性癖は男色で染め上げられております。特に人狼の店主様には異様なほどの執着をみせておりまして、店主様が屋敷に訪れる際には必ず新品の服を着用するほどの好意を隠すこと無く顕わにしている次第です」


 執事から離れようと後ろに下がる人狼の主人に、体幹を一切ぶらすこと無く無音のすり足で近寄る黒髪の執事。端から見なくともその光景を望んでみたいと思う者は少ないだろう。いたとすればそれは特殊な性癖を持った者達だけだ。


「まぁあの二人は放っておきましょう」

「えッ?! いや、放っておいていいものかどうか」

「しばらくすれば店主様も執事を引きずって訪れることですし、いつものことなので気にしていては時間の無駄という物です」


 さぁこちらへと聖女を促し進む後ろで、ついには走り出す音か二人分聞こえたことを確認した聖女は、人狼の主人へと心の中で謝罪しつつ屋敷の屋内へと足を運んでいった。


「お待ちを我が君!」

「だぁぁぁああああ! 近寄ってくるんじゃねぇ変態執事! つうか俺を置いていくんじゃねぇ鉄拳聖女!」


 前言撤回。そのまましばらくは走り続けていろと青筋を浮かべながら後ろで叫ぶ痴れ者を見捨て、一切振り向くこと無く豪華な装飾を取り付けた扉を、聖女は力の限りに内側から押し閉じた。

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