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人狼と軍人メイド 仲良く喧嘩しな

「主様よ! スイーツじゃ!」

「死ね」

「開口一番で罵倒じゃと?!」


 挽き立ての珈琲の香りが狭くも落ち着きのある店内に漂い、多く取り付けられた窓から入る日の光が暖かく差し込む。そんな穏やかな空気の中、一匹の狼が二足で立ちつつ壁際に取り付けられた二つのベルとラッパのような形をした送話口の電話機の前で焦燥に駆られた声を出していた。


「話くらい聞いてくれても良いじゃろうて主様!」

「うるせぇ黙れ。なにがスイーツじゃだ馬鹿野郎。こちとら煮物を作るのに忙しいんだよ板っきれ」

「今日はいつにも増して口が悪くないかの主様よ!? そんなじゃから色めいた噂の一つも立たぬのじゃ!」

「俺は結婚できないんじゃないの。結婚しないの。それにそれを言ったらお前だってそんな噂一つ立たねぇだろ」

「わしの立場と主様の立場を一緒にするでないわ!」

「うっせぇただの従業員」


 姦しく騒ぎ立てる声の主はその場には存在せず、人の顔のようにも見えるというビジュアルからしてあまり顔を近づけたくは無い電話機の向こう側から聞こえてくるその怒声に、喫茶店を営む人狼の主人は受話器から耳を離して声を遠ざける。腕を大きく広げて受話口から耳を離しているにも関わらず聞こえてくる声に半ば呆れつつも、受話器を置こうとはせず電話の向こう側で怒り狂って居るであろう従業員の話を珈琲を嗜みながら聞いていく。


「んでなんだってんだ。ケーキなら聖女が一月に一度のペースで持ってくるだろうが」

「そうではないのじゃ! 確かにわしが食べる分は持ってきてくれるが、店に出す量としてはあまりにも少ないじゃろ?」

「あぁ、どこぞの従業員が独り占めするから俺は一口も味わえてないくらいにな」

「……ま、まぁそこは良いではないか我が主様よ。なんじゃったら主様も聖女に頼んでみてはどうかぇ?」

「頼んだところでてめぇが盗み食いするのが目に見えてるからな。絶対頼まねぇ」

「強情じゃのぉ。さしものわしとてそこまで意地汚くはないぞい?」

「ほほう? なら先日俺が楽しみにとっておいたオレンジペーストのアイスが保冷庫から消えていたんだが、それはどうしてだろうな?」


 思い起こすこと三日ほど前の事。いつしか常連客として頻繁に現れるようになった聖女が土産と称して持ってきたアイス。人界の南東でしか採取育成出来ないオレンジを創意工夫して作られた菓子を、人狼の主人は確かに保冷庫に入れて休日にでもと楽しみに取っておいたはずのアイス。それが次の日になってみればアイスは保冷庫のどこにも無く、振り返ってみれば見えるのは汗を流して吹けぬ口笛を無理して出そうとしている不良従業員の姿がそこには存在していた。

 

本当ならば給料をカットしてやろうかとも思えるその横暴な行為を見逃していたのは、決して主人の優しさなどでは無く、こうして魔王に罪悪感を募らせるためでもあった。


「…………そ、そうじゃ主様よ! そんなことより本題なのじゃがな!?」


 逃げやがったなと、姿は見えずとも冷や汗を流していることが容易に想像できるほどに声を震わせている従業員のその声に、人狼の主人は長い口から垣間見える鋭い牙の隙間から小さく息を吐き出した。


「実は男爵にケーキの事を話したら酷く興味を持っての。それならば野菜のケーキなどはどうじゃろうかという話になっての」

「野菜のけーきだぁ? なんだその不味そうなの」


 苦みのある野菜と甘いケーキのコラボレーションと聞いて浮かび上がるのは、スポンジの土台の上に色とりどりの野菜が並び置かれ、その上から生クリームをかけられたケーキの姿。とてもではないがそれを旨そうだと言えるのは味も分からぬ廃棄処理に使われるスライムくらいなものだろう。半ば食に対する冒涜的なその姿を想像してしまった主人はげっそりとした雰囲気を纏いながら電話越しに聞こえる魔王の言葉を耳に届けていく。


「わしもそう思ったのじゃが、なにやら男爵はノリノリになってしもうての。わし一人が犠牲、もとい味見をするのは心が引けるものがあるからの。主様と聖女も一緒にどうかと思うてな」

「一人だけ犠牲になってろ」


 口頭で悪態を吐きながらも、ふむと鼻先を弄りながら考える。

 確かにイメージでは不味そうな姿しか思い浮かべられないが、仮にも野菜を愛する、いや野菜と筋肉を愛する変人男爵のことである。思想には少々問題はあるものの、食に対するその舌は確かなものだという確信は人狼の主人の中にも存在する。

 ともなれば不味い物が出てくる可能性は低い。そして旨い物を魔王一人に喰われるのは癪だという気持ちも少なからず沸いてきた。


 しかし、ここで問題なのは連れて行く相方の存在である。


「行くのは構わねぇが、聖女もか?」

「無論じゃろ? 聖女も働き手として頑張っておるわけじゃし」

「言っておくが俺は認めてなかったからな? いつのまにか普通に居着いてるけどよ」

「何を今更。主様とて文句を言いながらも聖女に珈琲の入れ方を教えておるくせに」


 その言葉に人狼の主人はぐぅと喉を引きつらせる。

 魔族の仇敵である筈の聖女。しかし今では何の因果なのやら、この喫茶店で研修という名目で度々働くことになった聖女へと人狼の主人は文句を口にしながらも珈琲の入れ方や店の経営方針などを教え込んでいる。

 客に対して客扱いをしないことをスタンスとしているこの店ではあるが、やはり店から客へと出す物に失敗作を出すわけにはいかないという一般常識もある。ともなれば、嫌々であろうとも働いてもらうからにはそれなりのことは覚えてもらわなければ困る。


「というわけでじゃ。わしは今男爵の屋敷におるでの。のんびりと来てくりゃせ」


 二の句を告げないでいる主人の耳にこまっしゃくれた声が届く。その言葉に盛大に溜息を吐きながらも、どうせ拒否権は無いのだろうなと焦燥に駆られる心を奮い起こす。


 そしてその話を聞いて、目線に入れるまいと全力で視線から外している存在の理由もハッキリした。


「それで、いつまでそうしてるつもりだよ」

「ハッ! 店主殿の準備が出来るまででございます!」


 直立不動のまま電話が鳴り響くよりも数十分も前に現れて手を後ろに組む女性は、人狼の主人の問いに対して店内全域を響き渡らせるほどの声量をもってして答えた。その通る声に耳をふさぎつつ、もう何度目になるか分からぬ溜息を吐き出して潔く目の前に立ち尽くす存在に目を向けた。


 女性にも関わらず体格の良い人狼の主人と同等の身長を持ち、長い黒髪を後ろで一本に縛り垂らしている姿をまとめ上げているのは、魔軍が着用する薄緑色の軍属服で全身を覆いつくし、いかにも堅物なイメージを醸し出していた。今にも背後から強烈なラッパの音色が聞こえそうなその佇まいと合わさるかのようにして付いている鋭い目つきを人狼の主人に向けたまま離すことは無く、その突き刺すような視線に居心地の悪さを覚えながらも受話口を耳に当てて説明を求めた。


「なんで堅物メイドが来てるんだよ」

「わしが命じたのではないぞい。男爵が寄越したんじゃ」

「んなこた分かってんだよズボラ従業員。男爵の屋敷までの道のりなんざ忘れたわけでも無いのに迎えなんざいらねぇだろ」

「ズボラじゃないわい! ……こほん、まぁそれについては男爵の考えもあってのことじゃて」

「筋肉で出来たような脳味噌の奴に考えも何もないだろ」

「ほんに常連客に対して慇懃無礼な男じゃの主様は……。そこなメイドの人間嫌いについては主様も知っておろう?」

「あぁ、よぉく知ってるよ。人界との交流の話をしたときに俺の首がはね飛ばされかけたからな」


 あのときの恐怖は今でも忘れられない。

 男爵と共に訪れたメイドへと人間と手を取り合うことを決意した魔王の話をした人狼の主人の顔面へと向けられた鈍器の感触を思いだし鼻頭をさする主人へと直立不動のメイドが待ったをかけた。


「店主様、先ほどの会話で一言訂正をよろしいでしょうか」

「あ? なんだよ堅物メイド。なんか間違ったこと言ったか?」

「私は店主様の頭をはね飛ばそうとしたのではありません。頭を打ち飛ばそうとしたのです」

「さして変わらねぇよ殺戮メイド! どっちにしろ俺の命が吹き飛ぶだろうが!」

「そう、あの一撃を受けてなお立ち上がった店主様を見て私もまだまだ鍛錬が足らぬと思い知りました。その頑丈な肉体、流石男爵様の御盟友と感服いたします」

「まったくもって嬉しくねぇよ。つかそんな主の友人を殺す気だったのかてめぇは」

「私程度の攻撃で死んでしまったのであれば男爵様の御盟友として不適切であったというまでのことでございます」


 メイドというには些か物騒な忠誠心で身を包んではいるものの、目の前で直立している女は紛れもない筋肉男爵のメイド長として働いていることは人狼の主人も重々承知している。だがその主である男爵の友人の首を打ち飛ばそうというのは従者としてどうなのかと疑問を持たざるを得ない。

 なんで魔族でここまで違うのかと、同族である筈の軍服メイドに対して冷たい視線を向けるがまったく変わることの無いその冷淡な表情にさしもの主人も諦めを禁じ得ず、話を電話口の向こう側にいる人物と戻した。


「おい本当に大丈夫なのかよ。この店で血で血を争う戦争なんて勘弁だぞ」

「そこはほれ、そこなメイドとて男爵の言葉には絶対服従じゃし大丈夫じゃないかな~と」

「随分と信頼できない言葉だなおい」

「それに聖女とて未だ人の敵地である魔界で騒ぎを起こそうとも思ってはおらんじゃろ。もしなるとしても主様に拳痕が刻まれるだけじゃし」

「……なんか不機嫌になってないかお前」

「違うもーん。わしいつも通りじゃもーん」


 妙に棘のある言い回しをする魔王に訳が分からぬと首を捻る。少なくとも自分は何もしていない筈だし、しているとすればお使いに頼んだにも関わらず店主である自分を向かわせようとする電話越しで頬を膨らませているであろう使えない従業員の筈だ。少しばかり立つべき関係が入れ替わってやしないかと内心で疑問を抱く。しかしこれを訪ねたところで答えが返ってくるはずが無いのは目に見えているため、本題である内容へと話を戻した。


「まぁなんでスイーツの話になったのかという理由はわかった。すぐにでも準備をして向かうとするよ」

「おぉ! 主様にしては珍しく素直じゃな」

「けどよ、なんでお前が筋肉男爵のところにいるんだよ」


 さかのぼること数刻前、買い出しを頼んだにも関わらずいつまでたっても帰ってこない従業員に苛立ちを覚えた時に入ってきた一本の電話。そして鼓膜を破らんとばかりに耳に響いた大声を思い返し、眉間に指を当ててできうる限りの我慢を重ねて人狼の主人は訪ねる。低く呻くようなその質問に、「あ~、その~」などという曖昧な言葉しか戻ってこないことに我慢の糸がちぎれそうになった頃、喫茶店の扉に取り付けられたベルが姦しく店内に鳴り響いた。


「むっ? 取り込み中だったか?」


 硝子が取り付けられ店の外側の通路も見えるように設計された扉を開いて現れたのは、金色の髪を短くも流麗に切り揃え、その容姿に似合ったさわやかな白い軽装に身を包んだ女性。人間の代表として魔族討伐を主としながらも魔王と交流を深め、魔族との邂逅を広げようと画策する存在、聖女が電話機の前で佇む人狼の主人へと声を小さくして尋ねかけてきた。


「むぉ? 誰かお客さんかえ?」

「ん、あぁ」


 突然の来訪、というには些か場所柄的にも合わぬ言葉が頭をよぎりながら、人狼の主人は電話先の相手へと来訪者について答える。そんな主人に対して会話の邪魔にならぬようにと静かにベルの取り付けられた扉を閉める聖女の耳に、無礼者の言葉が鋭く入り込む。


「丁度今陥没聖女が来たからそのままそっち向かうわ」


 床を踏み抜かんとばかりの重い踏み込みの音と共に比喩では無く宙へと浮かんだ一匹の馬鹿犬曰く、「世界って、本当に丸いんだな」と、聖女が機嫌を取り戻すまで幾度もの殴打を食らいつつぼそりと呟いたのであった。

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