人生は謎?と、矛盾?に満ちている。。(私の人生考察瞑想ノートより)
人生において
いくら『なぜ?』と問いかけてみても、
一向に答えが帰ってこないって
そんなこと、、実は、、ありふれたこと?ですよね。
たとえば、、
それは
不慮の事故死であったり
急病死であったり
通り魔に、ころされたり、、であったり、、
或いは突然の大津波が襲って来たり、、
突然の火山噴火であったり、、
そんな時、
なぜ?
と問いかけても、、
その事態が、よっておこる、確率とか
蓋然性とか
は説明できても、
「じゃあ、なんで、それがその時私に振りかかったのか?」
という因果率?については
誰も説明できませんよね。
たとえば、、、
別に通り魔に殺されるのが、、「私」ではなくてもよかったはず?
別の誰かでもよかったのに、、
なぜ?よりによって?
「わたし」なのか?という
惨死者の「私」の問いに、、誰も答えられません。
たまたま通りかかったばかりに、、
偶然そこにいたので、、
通り魔に殺されてしまった、、。
その「たまたま」とか
「偶然」というのは、
ほんとに?
「偶然?」だったのか?
それともなんらかの
因果率というか
前世からのカルマ?の為さしめる必然?だったのか?
いくら問い、、煩悶し、思考しても、
答えは出ませんね?
でも?
こういう生死にかかわるような大事件でなくても、
人生って
こんな、、「分からない」ことだらけでしょ?
なぜあの時ああしたのか?
なぜあの時あれを選んだのか?
偶然?
何となく?
結局そういうことだったでしょう?
沈思黙考
ひたすら考え抜いて?
選んだ?って、、自分を振り返ってみても、、
ほとんどないです。
こうして今まで死にもせず生きてきて
「人生の選択」もそれこそ何千回?ってしてきましたよ。
そのほとんどが
今、つらつら振り返ってみれば、、
いわば「直観」?でしたね。
どっちにしようか?
なんとなく、、こっちだろ_?
みたいな、、そんな選択?
というのは、、、考えたってムダというか、
未経験の
未知の
それこそ、、それが人生行路であり
その未知の行き先を一凡人の私に
そして、、あなたに、、
土台、いくら考えてみても、正直、
分かるはずなんかないんですよ。
熟考して考え抜いて、、こっちだろ、と
選んだ選択が、、あとで、、大間違い、、ってこともよくある話ですよね。
又逆に、、
「えーと、どっちかな?、、ま、こっちだろ?」
と、勘?で、選んだ進路が、、あとになって振り返ってみれば大正解、、ってこともありますよね?
そうして晩年になってから
「あの時あの偶然の出会いが私の人生をこうして大成功に導いたのです」とかなんとか、、
いわゆる一代の成功者たちが異口同音に回顧していますよね?
偶然の出会い?
偶然の転機?
いわゆる大成功者たちの自叙伝とか伝記とか読むと、
そういう「天の配剤」が
おおく語られていることも事実ですね。
まあこういう人たちには
いわゆる「神が降りた」のでしょう。
そうしてその反対に?
最前の例のように無残に不慮の死を迎えたような人には、
「死の神が降りた」?のでしょうか?
いずれにしてもなぜ?その人なのか?
私なのか?
あるいは、、あの人なのか?_
という根本疑問には、、回答は無いです。
善人だから、、悪人だからには一切無関係だからです。
大善人が横死したり
大悪人が大繁盛したり
そんなのいくらでもこの世ではあるからです。
すべては
不可知であり
不条理です。
いくら問うても答えはないのです。
それを人は古来より
「運命」とか
「宿命」と呼んでいたのです。
だからこそ
人はその不条理なる人生という闇に対して
神に祈り
神とコンタクトを取り
自分の未来を知ろうとし
啓示を求め
霊言を求め続けたのでしょう。
もし?
人生が全く合理的?だったら
そもそもそんなの必要ないですからね。
1たす1が2の世界であったら、、ね。
でも我々の人生って?
1たす1が、、時には、、、、マイナス5000であったり
又ある時に
1たす1が、、、、10億円であったりするのが日常茶飯事なわけですよ、
まあ。それが人生さ、、と言ってしまえばそれまでですが、、ね。
そうです
人生は不条理に満ちみちています。人生は、、謎そのものです。
というか
人生は不条理の塊といっていいでしょう。
善意の塊のような義人が、業病に取りつかれてもだえ苦しみ自殺したり
悪意のデパートみたいな人がもてはやされ、勲章までもらったり、
とかく人生は矛盾だらけ。
矛盾のデパートです。
まあそれがあくまでも人間界であり
ここが天国じゃない証拠だよって、、言いますけどね。
確かにここは「人間界」であり、決して「天国」ではないという事実からすれば
先のような不条理とか矛盾も、
あって当然?というサトリ?でしょうか?
喜怒哀楽、、憎怨争奪 矛盾撞着違和不条理
それがあって当然なこの人間界でしょう。
それらが無かったら、、ここは天国ですよ。
あるから?人間界なんですよ。
というサトリ?でしょうけど、、、、
でもじゃあなんで、、
それが私なのか?
別の人でも良かったのに、、なんでよりによってこの私なのか?
という疑問は、、おそらくいくら誰に、、問いかけてみても、、
答えは無いでしょうね。
それが、、人間界
それがこの世なのですから。
その矛盾道
不条理道を
今日も生きる
自分の勘だけをおそらく唯一の指針にして、、、
まあ、、喩えはあってるかどうかですが
人生とは地雷原を行くようなモノでしょうね。
その一歩が地雷を踏んだら、、ハイさようなら、、
それが我らの人生図そのものですよ。
或いは、、、
人生とは賭けであるというのも先人の譬えですよね。
振ったコマが吉と出るか?
凶とでるか?
それは神のみぞ知る。
それが人生、
それこそが
私の
そして
あなたの人生。
人は今日を生きる。
明日はどうなるか知れないけど
今日を生きる。
それが人生
あなたの
そして私の
それが、、、人生。
神が
ある日
「もう終わりだよ」
っていう日まで
私は生きる、
あなたも生きる、
それが
人生、、、、、。