黄昏に吹かれて(2)
「いらっしゃいませ」
真鍮製の鐘が鳴ると、レインは店の入り口に立つ男にそう言った。
山吹色の髪で耳を隠した男はとても端麗な顔立ちで、絹の服に身を包んでいる。男は背中の矢筒と弓を深緑のマントを羽織ることで隠している。
「久しぶりと言うべきなのかな」
店内に他の人物がいないことを確認した男は、うなじを掻き上げ、異様に尖った耳を見せた。
男はアールヴ――――古樹が連なる森の奥地に住む種族の者であった。
「久しぶり。一年ぶりの再会になるね」
二人は、レインがまだ漂流者として旅をしていた頃よりも前の仲であった。
「私達にとって一年はとても短いものに感じるから、人間との時間感覚に合わせるのはどうも慣れていない」
「それぐらいでアリオスの正体がばれることはないよ。そもそもエオラスには他種間に対する軋轢を全く感じないと言っても過言じゃない。そんなに気を張り詰めなくてもいいと思うよ」
「分かっている。分かってはいるが、いかんせん緊張してしまうものだよ。私達はあちらと不干渉条約を結んでいるから、街に来るまで油断はできない。いくらこの街に、私と同じ種族が身分を明かして過ごしている、としてもだ」
「まあ、それはお互いの文化に触れる交流としてここに住んでいるからね。そもそもアリオスとは、身分が大きく違うじゃないか。こっちで表現したら、国王様と平民だよ」
王国とアールヴは互いに干渉しない条約を結んでいるが、現国王は他種族との協調を目指しており、その一環としてエオラスには数名のアールヴが住んでいる。
エオラスである理由として、アールヴの国【アルフヘイム】に近いということが挙げられる。
また、エオラスには昔から他種間とのやりとりがある為、この町の住民は他種族への偏見がないのだ。なにせ、敵対している帝国からの亡命者にも親密な関係を築けるほどなのだから。
だからこそ、アールヴの男――アリオス・ヴァーチェもエオラスの住民に受け入られると、レインは思っていた。
「それはそうと、今日はどんな要件なんだい?」
レインは店の扉に掛けてある営業中の看板を休業中に変える。
アールヴの王子が、旧友の顔を見る為だけにエオラスに来るはずもないと知っていたからだ。
この程度で他者が二人の会話を聞くことを防ぐことはできないが、他者がアリオスの姿を直視するのを防ぐ役目は十分に見込める。また、レインとアリオスは気配察知に長ける為、他者が盗み聞きしようと店に接近していても、聞き耳を立てられる前にその存在を知る事ができた。
「すまない。店の運営に影響するなら、後でも良いのだが…………」
「大丈夫だよ。どうせこの時間帯は、ほとんど人が来ないからね。それに生活には困っていないから、謝る必要はない。茶菓子を貰っているから、それでも摘まみながら話をしよう」
「かたじけない」
レインは口角を上げながら、常連の騎士から貰った茶菓子を出すと、紅茶を淹れた。
芳醇な香りが店内に広がる。
「それで、どういった内容なんだい?」
紅茶が入ったカップをアリオスに渡すと、レインは再度尋ねた。
アリオスは紅茶を一口飲むと、懐から羊皮紙を差し出した。
折りたたまれた羊皮紙には、砕けた蝋封が見られ、すでに開封済みであることを示していた。
砕けた蝋封の中に鷲の頭が見受けられる為、それが帝国からの信書であるとレインは考えた。
「………………見ても……良いのかい?」
「ああ。それは私達以外の種族にも送られている。心配はいらない。私から言った方が良いか?」
「…………その方が良いかな。一介の鍛冶師が読んで良い物ではないからね」
一介の鍛冶師。
そう表現したことは、レインが今の自分が鍛冶師としてここに居ることを表していた。
一介の鍛冶師から信書を返してもらったアリオスは、信書を懐に閉まってから口を開いた。
「信書には、帝国が私達、ドヴェルグ、そして王国……半月後、この三大種族で会談を行いたいとする旨が書かれていた」
決して周囲に張り詰めた気を緩めることなく、小さな声でアリオスは続ける。
「なんでも、帝国のある街が赤帽子に襲われたらしい」
「赤帽子だって?」
赤帽子――――地上に古くから存在するゴブリンの一種である。
ゴブリンの中でもひときわ残忍、性悪な一族である。
血塗られた過去を持つ廃墟となった古城などを住処とし、そこで何千という数で住んでいる。
赤帽子の名前の由来は、彼らが赤い帽子をかぶっているゴブリンであるということからだ。
彼らは血を好み、人間を含めた生き物を殺しては、その血で帽子を赤く染めているのだ。
一見すれば、身の毛もよだつような一族ではあるが、集団で暮らしているせいか実にまとまりが良く、無駄のない動きをする為、戦いになると大きな力を発揮する。
騎士団の部隊が各街に配属されている王国としても苦しい相手である。
「襲われた街は灰と煤だらけになったらしい。住民も、そのほとんどが殺されて、逃げられたのはほんの僅かだということだ。しかも…………」
「でも、なんで赤帽子は帝国の街を襲ったんだい? あそこにはまともな食料がないだろう」
話の途中であったが、レインは我慢できずに口をはさんだ。すると、
「それを今から説明するところだ」アリオスは制するように言った。「どうして赤帽子達が帝国の街を襲ったのか? 信書には貴金属や宝石を奪う為だと書いてあった。どうやら襲われた街から貴金属や宝石の類が奪われていたらしい。しかし全てと言う訳ではなく、どうやら曰く付きのものだけが奪われていたらしい」
「そうか、赤帽子は曰く付きのものを好むから、ドヴェルグの方を襲っていないのか。ただ、貴金属や宝石なら帝国よりもドヴェルグの方が種類も多くて、質も高いからね。でも、腑に落ちないことがある。なんで赤帽子は帝国を襲うことが出来たんだい? 機甲兵を使えば、なんとか対抗できたはずだ。王国騎士団が対抗できる相手なんだから、機甲兵が対処できないことはない」
「それが…………信書には、なんとか逃げおうせた何人かの住民が、空飛ぶ金色の蛇が街の防衛をいとも容易く突破したと書かれていた」
「空飛ぶ金色の蛇…………ドラゴンか」
レインの言葉にアリオスはうなずいた。
「ああ。どうやら、と言うのも……北の森に住む私達の仲間が知らせてくれたところによると、数万年前に絶滅したはずの種族が復活したらしい。未曾有の脅威に、帝国は三大種族での会談を持ちかけたということだ。ドラゴンを野放しにしていれば、いずれ私達、ドヴェルグ、王国にも被害が出るだろうと訴えている」
(なるほど。騎士達の行動はドラゴンに対する為のものだったのか。赤帽子からの侵攻を防ぐ為に、城壁や城塞の整備、武器の調達を行う……兵粘を整えることは、理屈としては正解だ)。
「つまり、エオデンは僕にアールヴの一員として会談に参加して欲しいんだね」
「話が早くて助かる。レインは私達が信用する者の一人だ。会談に参加する資格はある」
そこまで言うと、アリオスはレインの顔をじっと見つめた。あらたまった口調で話す。
「レイン。この行為がいかに愚鈍であるかを承知で頼みたい…………私達に協力して欲しい」
アリオスは深々と頭を下げた。
「残念だけど、それはできない」レインは答えた。「僕はこの町が好きなんだ。アールヴの代表として会談に応じた場合、僕はこの場所にいられなくなる。鍛冶師としてじゃない、農夫としても、猟師としてもだ。いくらこの町の人達の人柄でも、気を遣わなくてもいいと言ったとしても、今までのように僕は暮らすことができなくなる。だから…………」
「だがドラゴンを放っておけば、いずれこの町も襲われる! すでに私達の方から、他の種族にもドラゴンのことが本当であると知らせている。王国、ドヴェルグはこの会談に応じる姿勢を見せた。しかし私達にはドラゴンに対する知識がない。いにしえの民を、どう対抗して良いかのかも分からないんだ。帝国の機甲兵は既に役に立たないことを証明した。ドヴェルグは空に対しての攻撃方法がない。王国騎士団、特にその長である聖騎士の魔法は目を見張るが、私達のものほど強力ではない。このままでは皆死ぬか、ドラゴンの奴隷となるだけだ!」
「落ち着くんだ! まだ僕の話は終わってない!」レインは鋭い声で言った。それから、少し口調をやわらげると、諭すようにこう続けた。「恐怖に囚われるな。恐れることは何も悪いことじゃない。でも、恐怖に囚われて視野を狭くすれば、機知に富むことはない」
アリオスはこくりとうなずいた。それを見ると、レインは話し始めた。
「僕は無花果の刀匠だ。王国でドラゴンに対する武器を作れると言ったら、僕や他の無花果の刀匠ぐらいしか候補に挙がらない。王国からの武器の依頼はもうじき終わる。実のところ、今日の夕方に最後の工程に入るから、明日の朝には依頼を終えることになる。つまり、僕は時間を持て余すことになる。そうなれば、自ずと王国から会談の話が出てくるだろう。だから会談には参加することになる。王国の鍛冶師として…………今の僕が会談に出席するんだ」
「だが、もし、他の無花果の刀匠に、会談に参加するよう言っていたらどうするんだ? いくら王国に認められた鍛冶師だとしても、その中には年功序列があるだろう」
「…………その時はアールヴの友として出して欲しい。おこがましい頼みではあるけどね」
すると、アリオスが溜息を吐いた。
「おこがましいのは私達の方だ。レインは頼む側ではなく、頼まれる側だ。何なりと頼めばいい。それで、私達はどうすれば良い? 必要なものがあれば、会談前に出来る限り集めよう」
それを聞くと、レインは天を仰ぎながら、ゆっくりとした口調で言う。
「旅の準備を頼みたい。防風、防寒対策。必要最低限の食料とか……それに、ボートがいる」
「ボート?」
「川を上るのに必要になんだ。二隻もあれば十分けどね。後は、戦の準備を怠らないように。恐らく他の種族はドラゴンに対する準備を進めるだろう。でも、脅威なのはドラゴンだけじゃない。確かに、ドラゴンは脅威だ。一匹で国を滅ぼすことができるぐらいだからね。でも、その隷属になった赤帽子は、決して無視できない。それに今や赤帽子だけじゃなくて、他の種族……俗に魔族と呼ばれている者達もドラゴン側に協力しているだろうね。彼らは人間によって住処を追われたから……酷く人間を憎んでいる。彼らに対する準備を怠ると、手痛い攻撃を貰うことになる」
魔族――人間に害を与える種族の総称である。帝国を襲った赤帽子も魔族の一員であり、他にはメローやナーガなどが例として挙げられる。しかし、一方で、レプラホーンなどの妖精やミノタウロスなどの半身半獣の一族など、人間に対して害の無い種族を亜人と呼ぶ。
最も、ナーガが半身半獣でありながら人間に害を与えるように、魔族と亜人を分ける明確な基準は存在しない。人間が魔族や亜人に対して何らかの攻撃をした場合、どちらも報復をする為、決して害の有無で両者を分けることはできない。
「遂に、私達も彼らと相対してしまう日が来るのか…………」
アリオスは悲しい顔で俯いた。
人間――特に帝国側は魔族や亜人と敵対しているが、王国、アールヴ、ドヴェルグは防衛以外では魔族や亜人に手を振るうことはない。特にアールヴは魔族と比較的友好な関係を築いていた。
「決して彼らとの戦いは避けられない」レインはきっぱりと言った。「でも、例え矛盾をはらんだとしても、僕達は生き続けなければいけない。決して、全てのものを善悪に分け隔てることはできない。でも、自分の方が正しいと思わなければ、相手に抗わなければ、自分達が滅ぶことになる。一度壊れた種族間の関係を元に戻すのは難しい。でも、僕らのせいで今がある。決してアールヴが引き起こしたことじゃない。この戦いでの罪は、僕らが償う。だから協力して欲しい」
アリオスは顔を上げて言った。
「無論、協力するさ。今回の戦いに参加すると決めたのは私達だ。その責任を他の種族に擦り付ける気はさらさらない。それに……なにより、これは因果によってもたらされたものだ。私達の…………アールヴ、人間、ドヴェルヴの果たさなければならない償いだ」
「そうか…………。それと、もし僕が鍛冶師として出席した時は、会談中は僕の発言に支援をして欲しい。会談中は僅かな、それも高位の者達だけでの話し合いになる。その場で、僕に発言権はない。けど、エオデンの……アールヴの後ろ盾があれば、ドラゴン対策としての一案として扱われる可能性はある。会談中なら、僕がアールヴの友だと露見しても、この町で住むには何も支障はないからね」
「分かった。全力でレインの発言を支援しよう。……しかし…………一応、レインの案を聞いても良いか? その方が支援もし易い」
「そうだね。僕の案と言うのは――――――――」
剣はヤスリで磨かれることで輝き放つ。
それは、剣が刃を持つこと。
しかしヤスリで刃を作ったとしても、それだけで剣に切断能力を付加することはできない。
なぜなら剣自体がまだ柔らかく、加工しやすい状態であるからだ。
つまり鈍らなのだ。
すると、剣を硬くする作業が必要になる。レインは鈍らを火床で炙る。
刃物としての命を吹き込む為だ。
この工程に叩いたり、削ったりする作業は無い。
ただ熱したり、冷ましたりすることで剣の温度を変えるだけだ。一見すれば簡単な作業に思えるが、熱し過ぎれば剣は割れ、一方で冷まし過ぎても剣は割れてしまう。
レインは剣を火床から取り出し、側においてある水桶に剣先を浸した。
剣先が水面に触れると、水が気化する音と共に大量の水蒸気が噴き出した。剣から気泡が跳ね踊る。
レインはこの水の踊り方を数分間維持しながら剣を自然冷却した。
「やっと、終わりが見えてきた」
夜通しで行った甲斐もあってか、日付が変わる前に、レインは鍛冶作業の八割を終えることになる。
残す作業は、剣の歪みを取り、研ぐことで刃を鋭利にすることだけだった。
先程、成形した剣を木の板で挟み、所定の場所に置く。そこには二百本もの剣が、その一つ一つが木に挟まれた状態でずらりと並んでいた。
その中で一番早く成形を終えたものを取りだし、歪みが無いことを確認すると、レインは素手で冷ややかな剣の温度を感じながら、ヤスリであらかじめ作っておいた刃を荒削りする。
刃の平面を作ると、人造砥石で研ぎ進め、最終的に自然砥石で研ぎあげた。
防錆油を剣全体にまんべんなく塗り、ブレードが完成する。次に、鍔と柄を取り付けると、レインは一本の剣を作り上げたことになる。
剛健かつしなやかな剣はレインの鍛冶理論を明瞭に顕在したものである。
自身の腕を証明する逸品を鞘に納め、レインは剣を所定の位置に置いた。
すると、一秒たりとも休むことなく、次々に剣を完成させていく。
次第に空が白み、太陽が顔を完全に覗かせると同時に、レインは王国からの依頼を完遂した。
眠い目を擦りながら、レインは農作業へと勤しんだ。
程よく実った野菜や果物を収穫し、雑草を取り除く、水やりも忘れずに行った。
二日に渡って一睡もしてないと言うのに、レインの動きに無駄は無かった。しかし、流石に、疲労の表情を隠すだけの力は残されてなかった。
「昼ごろまで…………どうせ客足は悪いんだから、寝ていよう」
誰となく、自嘲気味な声音で、レインは呟いた。