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黄昏に吹かれて

 王国領オーファン。

 街の周りは鬱蒼と茂る樹海で、その奥には雪をかぶった山脈がある。

 山脈から流れた水は樹海と街を潤し、街の側にある海に注ぎ込んでいる。

 漁港には色とりどりの漁船が繋がれ、毎朝、東の空が明るくなると海へと出かけていく。

 朝日を浴びながら色とりどりの漁船が四角形の帆をあげて、いっせいに海に出航していくのだ。

 この街では、人々は漁をしたり、狩りをしたり、農業をしたりして暮らしている。

 街で収穫された資源はそのまま街の特産品となり、その特産品を求めた貿易商などが街にやってくる為、商売も盛んである。街の中央付近に王国でも最大の規模を誇る商店街があるほどだ。 

 広大な自然に支えられた、街の外れのオーファン・エオラス区にある鍛冶屋にレイン・ギルフォードはいた。

 無花果の刀匠レイン・ギルフォード。

 この世に生を受けてまだ十九の青年だが、王国ではぎりぎり成人として扱われる年齢だ。

 鍛冶師の腕は国王に認められるほどであり、最高の鍛冶師を示す無花果の称号を有している。

 レインは軟鉄を基盤に少量の鉄を鍛接した武器を作る。

 軟鉄のしなやかさと鉄の硬さを併せ持つ武器は、研ぎやすく、また折れにくい性質を持つ。

 「温度は…………まだ駄目だな」

 レインは火色と高温温度計で、加熱炉の炎が芯まで同じ温度であるか確認する。

 レインが行おうとしているのは、鍛接と呼ばれる鍛冶作業だ。

 鍛接とは軟鉄と鉄を接合する作業であり、刃の素を作成する工程である。

 数ある鍛冶作業の中で最も困難であるが、レインが最も楽しく感じる作業であった。

 「火床は…………大丈夫そうだな」

 鍛接を行う準備が整うと、レインは深く息を吸い、精神を集中させる。

 同時に、洗礼された作業の流れを思い描き、ゆっくりと全身の力を抜いた。

 軟鉄を火床に入れ、八〇〇℃程度になるまで加熱していく。

 レインは、芯まで十分に軟鉄が加熱したことを見計らうと、軟鉄を火床から取り出し、水を付けたハンマーで軽く叩いた。軟鉄の表面にできた被膜がいとも容易く剥がれ落ちる。

 被膜を完全に除去した後、軟鉄と鉄を鍛接剤やヤットコなどで圧着し、再度火床の中に戻した。

 軟鉄と鉄を圧着させたものが、武器の刃のもととなる素材である。

 (序盤は良好。次は仮付けだな。)

 レインは心の中で呟くと、素材の元と先に温度の違いが生じないように注意して加熱する。

 素材が一〇〇〇℃程度になると、一度取り出し、素材の四隅をハンマーの角で軽く叩いていった。

 ほんの少し溶けた鍛接剤が漏れるが、レインは気にとめずに素材全体を軽く叩いていく。

 素材の温度が下がる前に火床に戻すと、軟鉄と鉄が離れずにきちんと接合されているのを確認する。

 「次からが本番だ。気を抜くな」

 レインは自らを叱咤し、気の緩みを許さない。

 素材をまんべんなく加熱した後、軟鉄と鉄の境目から先端に向けて叩く。

 腰を据えた、力強く、しかし丁重な、スピーディーなハンマリングであった。

 熱で水飴状になった鍛接剤が軟鉄と鉄の間から絞り出されると同時に、細かい火花が宙を舞う。

 しかしその程度の火花で、レインのハンマリングを止めることはできない。

 この作業は、軟鉄と鉄が加工できる温度の最小値に達するまでに行わなければならない。

 再加熱はできない為、冷めてしまえば今までの作業が水の泡と化してしまうのだ。

 火花程度に臆する暇などないのだ。

 「…………良い感じだ」

 鍛接を終わらせると、レインは切っ先の作成、イメージに合うように形や厚さを微調整する。

 次にレインは素材を火床に入れた。

 暫くして素材を取り出すと、水を打ち、ハンマリングをする。

 その作業をレインは何度も何度も繰り返した。

 これは軟鉄と鉄の複合体の組織を細かく均一化する作業である。

 一見すると簡単な作業ではあるが、中途半端に行えば剣の質を大きく下げることになる為、鍛接後に行われる鍛冶作業において、重要となる工程の一つであった。

 「…………やっと終わった」

 濃密な息を吐き出すと、レインは窓の外を覗いた。

 徐々に白んでいく空、朝を告げる太陽が少しだけ顔を見せていた。

 閉じようとする瞼に抗いながら、レインは開店の準備を始める。

 在庫の整理と点検を行い、仕入れの為の注文書を作成する。本来ならば、鍛冶師としての腕を示す為の武器の見本を点検するのだが、レインは無花果の刀匠の称号を有するため、王国の証明書を壁に掛けるだけで十分であった。

 その代わりにレインが行うのは、店の掃除であった。

 早朝の内に店内、倉庫、店回りを入念に綺麗にする。

 商店にとって、衛生を保つと言うのは当然の事である。

 しかもそれが、武骨で汚らしいイメージを持たれやすい鍛冶屋ならなおさらだ。

 不潔な店舗に好んで足を運ぶ客など、どの世界にも存在しないだろう。

 清潔さは勿論、店舗全体のレイアウトも重要となる。

 特に、鍛冶屋と言う職人の腕ありきりで成立している職業の場合、どのように華やかに見せるか、と言うのが最重要課題となる。

 しかし、レインはその事についてどうも無頓着であった。

 (良し、店の準備はこれぐらいで良いかな)。

 店内は花の一つもない殺風景なものだが、満足げに自身の店を見渡し、レインは雑巾を所定の位置に戻した。

 掃除が終わると、レインが次に行うのは農耕である。

 例え無花果の刀匠の称号を有していたとしても、鍛冶師としてのレインの稼ぎは少ない。

 常連の騎士はいるが、レインの店に訪れる客のほとんどが農夫と主婦である。

 鍬や鎌などの農具の製作依頼、包丁の製作などが稼ぎの主軸であった。

 しかしそう言った依頼は頻度が少なく、稼ぎの宛にするのは心許ない。

 そう言った経緯で、農夫としてのレイン・ギルフォードが誕生した。

 元々、農耕の才能があったのか、レインは日々の食事を得るだけの農作業を一人でこなせた。

 すると、日々の食事を豊かにするために、レインは街近くの樹海で動物を捕まえるようになった。

 レインは、狩人としての一面も持っているのだ。

 「うん。眠気も去ったし、朝食でも取ろうかな」

 街が活気づき始める頃に農作業を終えたレインは、ジャムを塗ったパン、動物の肉、野菜を食べる。

 収穫した野菜や動物は、特産物として売るのが一般的であるが、レインが売ると言う考えに至ることはなかった。

 必要な分だけを確保し、無暗に動物を狩ることはしない。

 自然と寄り添って生きているレインならではの考えが故であった。

 「ご馳走様でした、と」

 食事を終えると、いよいよ開店――となるのだが、平日の朝早くにこの店に客が訪れる事はない。

 オーファンも同様であるが、王国領の街は幾つもの町や村を総称しているものである。街を構成する町や村は区と呼ばれる。元々が個別の町や村であった為、例え同じ街の住民であっても、区間での移動に時間を要する場合がある。また、区間の距離は街によって様々であり、中には百里離れている場合もある。

 エオラスに一番近いのはシンシリアと呼ばれる区であり、その区間距離は一里ほどである。

 区間を行き来する馬車もあるが、わざわざ早朝に包丁や鍬の為にエオラスに来る客はいないのだ。

 それを常連の騎士に教えられた店主は、開店時間を遅らせてランニングを日課に入れた。

 健康面は元より、街の情勢を知る為のものだ。

 しかしこれが、いざ始めてみると別の付加価値もあった。

 レインの巡回コースはエオラスの外周を一周し、シンシリアに向かい、区内を巡るものだ。

 シンシリアは王国最大の商店街がある為、周囲を走っていると商売人と顔を合わせる機会が多い。

 レインが無花果の刀匠の称号を持っている為、オーファンに鍛冶を生業にしている者は他におらず、レインを商売敵と見なす者達は存在せず、愛想の良い面々がこぞって声を掛けてくれる

 体力維持の為のランニングだったが、今では殆ど挨拶回りと化していた。

 僅か十分足らずでシンシリアまでたどり着いたレインはいつものコースを巡回しようとする。

 「おはようございます。今日も元気ですね」

 その刹那、早くも呼び止められた。

 レインは早速立ち止まる。

 「おはようございます…………って、何ですか、これ?」

 毎日のように話しかけられる女性薬草士の店の外装に、レインは思わず目を丸くした。

 二十歳と言う若さで薬草士の資格を得た女性店主は薬草屋を営んでいる。

 その可憐な容姿から男性客がひっきりなしに店に来ては、特に使う宛のない薬草を大量に購入していく為、毎日が大繁盛である。また、淑やかな物腰から、地域住民からの信頼も厚い。

 その為、店の営業には何一つ問題もないはずなのだが、女性店主は自身の店に休業の看板を立てかけようとしている。

 「今朝、王国から薬草の大量発注がありまして、お店の在庫を切らしてしまったんです」

 「ああ…………なるほど」

 思い当たる節がある為、レインは感応してしまった。

 「レインさんの方にも、王国から注文があったのですか?」

 「うん。動物の肉や革、後は野菜とかの注文がありましたよ」

 「武器ではないんですか?」女性薬草士は首を傾げて質問をする。

 「僕も最初はそう思ったけど……もしかしたら、王国は立食会でもしようとしているのかもね」

 「そうだったら良いんですけどね。でも、薬草だけではなくて、雑貨屋や建築家にも王国の注文が殺到しているそうですよ。港では、漁師さんたちが何時にない王国の行動に、また帝国との戦争が再開するんじゃないかって、噂しているらしいですよ」

 帝国――――王国と対をなす大国。

 氷と雪の世界にある帝国は、王国と違い食料資源に恵まれていない。

 一方で、いくつもの鉱脈が存在している為、鉱石の精錬や金属加工技術を有している。

 その技術を用いた機甲兵団は、王国騎士団に対して幾百年もの間、対等に渡り合った歴史を持つ。

 しかし食料資源の無さが災いした為、ここ数十年間、王国と帝国の戦争は勃発していない。

 食料確保の為にありとあらゆる手を尽くした帝国が王国への侵攻を再開する。

 それが事実ならば、間違いなく一大事だ。

 「でも、武器の依頼をしていないから、戦争にはならないと思うよ。もしかしたら、帝国との話し合いが行われるのかもしれない。帝国は王国の食料資源を、王国は帝国の鉱物資源を条件に和平するのかもしれない。互いにそれぞれの欲しい物を交換し合えば、戦争をする意味がなくなるからね」

 「確かに、そうかもしれませんね。国王様は、ずっと帝国に和平を呼びかけていますから、国王様の声が帝国に届いたと信じましょうか」

 「うん。そうだね。わざわざいがみ合って、殺し合う必要性なんてないからね」

 「…………ありがとうございます。レインさんの言葉を聞いて、安心しました」

 「なら、良かった。じゃあ、僕はこの辺でお暇します」

 にこやかな笑みを浮かべる女性薬草士の視線を背に浴びながら、レインは心の中で嘆息を吐いた。

 (やっぱり、王国は戦の準備をしているのかもしれない。)

 実は、レインが王国から請けた注文は女性薬草士に言った事と違っていた。

 剣、槍、戦斧や戦槌に至るまで、計四百人分もの武器の作製が本当の依頼であった。

 例え、無花果の刀匠の称号を持っているとしても所詮は一人の鍛冶師。

 一日に作れる数はそう多くはない。

 本来ならば、レインであったとしても一カ月を要する依頼であったが、寝食の時間を削ることで、残すのは剣百本のみとなった。しかも、剣の刃は朝方に作り終えた為、後は刃を成形して剣を作るだけであった。

 「おう! 精が出るじゃねーか」

 薬草屋を後にしたレインを呼び止めたのは、三人の漁師達であった。

 三人とも元傭兵という肩書を持ち、還暦に近い年齢であった。しかし、その肉体は衰えを感じさせず、身長はレインの頭一個分は優に超えており、全身がレインよりも一回りも二回りも大きかった。

 「おはようございます。今日の漁はもう終わったんですか?」

 「ああ。かなりの魚が浅瀬に来ていたからな。大漁だったぜ。気持ち悪いぐらいにな」

 漁師にとって魚を大量に得る事は決して悪いことではなく、寧ろ喜ばしいものであるのだが、漁師達はどこか怪訝な顔して後頭部を掻いていた。

 「しかもよ。陸に上がったら、騎士達が貿易商を差し押さえて、我先にと魚を買っていくんだぜ。今日だけじゃねぇ。昨日もそうだった。絶対、何かしら悪い事が起こるんじゃないかと俺は思うんだ。だってよ、この国の騎士達が、俺らの食事分の魚も買おうとするなんて、今までにないことだぜ」

 「それでなんだけどよ……ギル坊のところに兵士は来たか? 例えば武器の注文がたんまりと来たとか、鎧の発注がたんまりとあったとかよ」

 「僕の所に来た依頼は、動物の肉と革、後は野菜ぐらいですよ」

 「それは本当か? わざわざエオラスに来てまで、お前さんに武器を頼まない奴がいるのか?」

 疑問を呈したのは、三人の中でも一番大柄な漁師だった。

 その漁師は傭兵時代に、肉ダルマの知将と言う二つ名で呼ばれていた。その二つ名の通り、漁師は大きな巨体とは不釣り合いほど、頭が冴えていた。

 自らの嘘が見透かされたのでないかと、レインの心臓の鼓動が大きくなった。

 「寧ろ、エオラスに来たから、僕に動物や野菜を頼んだと思いますよ。確かに、僕は鍛冶師だ。でも鍛冶師であると同時に、農夫でもあるし、猟師でもある。オーファンの樹海に精通しています。だからこそ、頼んだと思いますよ。実際、頼んだ分よりも足りなくて、昨日狩りに出かけましたからね」

 「仮に、港から必要とする分の魚が得られなくとも、森から得ればいいか…………。普段狩りなんてしない騎士らにとって、悪戯に時間を浪費するよりかは、森を知っているお前さんに頼んだ方が手っ取り早いってことか」

 「そうかもしれませんね」

 肉ダルマの知将と呼ばれた漁師を騙す為に、レインは真実で偽りを隠した嘘を吐いた。

 その嘘は肉ダルマの知将に深い思考を呼び、様々な結論を生み出させた。その中には、レインが知られたくない真実も少なからず含んでいたが、結果として肉ダルマの知将が至った結論は真実とは違うものであった。

 「疑って悪かったな。お前さんらの世代と違って、俺らの世代は戦争を体験している。ガキ同前の時から三十路になりそうになる時までな。だからその時の様子は鮮明に覚えている。何度も何度も王国と帝国との境界線で闘いが起こるんだ。その度に、騎士らが食料を買いあさっていた。だから、今回のも、それと同じなんじゃないのかと、俺らは思っていたが…………」

 「どうやら違っていたみたいだぜ。はっはっはっはっは!」

 「ギル坊の所に武器の注文が無いなら可能性は薄いな。ま、帝国との戦争が起こったら、また俺達が腕を振るってやるとするか。はっはっはっはっは!」

 「いや、今の騎士らなら、俺らの手助けもいらんだろうな。ふっはっはっはっはっは!」

 漁師達は豪快な笑い声を挙げながら、レインに別れを告げてどこかへと歩いていく。

 その後ろ姿が見えなくなると、レインは再度心の中で嘆息を吐いた。

 ここまでして、レインが真実を隠すのは理由があった。

 そもそもレイン自身が、事の行先を知っている訳ではないのが大きな理由であった。

 例え、武器の大量発注があったとしても、それが帝国との戦争に繋がる訳ではない。騎士団同士の腕を競い合う舞踏会がある可能性も少なからずあった。

 まだ不確定要素の多い現状で、帝国との戦争が起こると言う話が広がると、無駄な不安や恐怖を呼んでしまう恐れがあった。下手をすれば、パニックに陥る可能性も否めなかった。

 真相を知らない者が出しゃばるのは止めよう。それがレインの考えであった。

 (帰ろう。これ以上この話をすると、いつかボロを出しそうで怖い)

 気疲れしているレインは、大きな溜息を吐いた後に家路を走りだした。


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