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ぷれいんぐ(1)

大変お待たせいたしました。年内最後の更新です。

 チャオの世界に唯一あるとされる大陸、オブリブィオン大陸はとにかく広大である。チャオ公式ホームページに入ると真っ先に現れるのが、オブリブィオン大陸を真上から見た俯瞰図のような絵だ。その形は北海道のような、オーストラリアのような、ずんぐりむっくりでありながら尖った半島などがあるのだが、ホームページの絵はひどく抽象的に描かれており正確な全貌は分からないようになっている。


 そこで、ある奇特な指揮官プレイヤーが、このオブリブィオン大陸全土の地図を作ったら売れるのではないかと思い立ち海岸沿いにぐるりと一周する旅に出た。地方ごとの正確な地図は高価だが確かに存在するため、それを繋ぎ合わせ、また地図がない空白部分は手製の測量機器を用いてデータを読み込み、地区を跨いでオブリブィオン大陸を制覇していった。チャオの伊能忠敬と呼ばれたその指揮官プレイヤーは、最南端と思われる熱帯地区ホットランドの岬から出発し、約半年もの月日を掛けてようやく三分の一まで回った。


 そこで判明したのが、オブリブィオン大陸には時差があったことだ。


 どこまで凝れば気が済むのだとネットで一時騒然となったこの時差問題は、他の指揮官プレイヤーの手によって計算、測量され、ついにオブリブィオン大陸とそれらがある惑星の大きさが判明した。なんとオブリブィオン大陸がある惑星は地球とほぼ同じ大きさであり、中心にあるオーダー皇国地区の標準時が日本と同じなるよう設定されていたのだ。


 金と技術の無駄使い、壮大な世界滅亡論、なぜゲームにした、などと騒がれたこの時差問題であるが、運営側のある一言で一気に鎮静した。後に流行語大賞にノミネートされるこの言葉は、チャオを現す代表的な言葉として有名になる。


曰く、『本気でやらなきゃ、ゲームじゃない』。


 本気でやり過ぎだ、と全ての指揮官プレイヤーが胸中で呟いたらしい。


 そんなチャオの舞台となるオブリブィオン大陸の東側、広い草原と肥沃な森、そして起伏の少ない無数の丘が殆どを占める悠久地区ヒルランドでは、遅咲きの白い花が森を華やかに染めていた。線の歪んだ平行四辺形のような悠久地区ヒルランドの中でも少し西寄りにあるミッツリンク大森林も例に漏れず、小ぶりだが地面を埋め尽くすような乳白色が道の脇に続いている。


 土を踏み固めただけのろくに整備もしていない、荷馬車が一台でも通ればそれだけで塞がってしまうような細い道は、木々に隠れるようにして延々伸びており、その先は草木に隠れてしまって見えない。その道の始まり、ニュートロンの町の門の前には、十一人のヒューリア人が並んで立っていた。


 一人を例外にそれぞれ、継ぎ接ぎの目立つ茶色のズボンに獣の革を縫い合わせたシャツを着ており、背中には大きなズタ袋に二本の肩紐と雨避けの垂れ布を付けたリュックを背負っている。腰には細身の剣が納まった二枚の木を合わせた鞘。左腕には丸い木製の盾が縛りつけられている。


 そんな彼ら彼女らとは対照的に、たった一人だけ灰色の髪をした男だけは少しだけ装いが違う。


 膝まである裾の長いローブのような栗色の上着の下に若草色に染めた麻のような質感のシャツを着ており、縫い目が見えない丈夫そうな飴色のズボンを腰帯で留めている。足元には柔らかい革を縫い合わせ底を厚くした靴、細かい装飾の入った袋の道具入れは中でも高価に見える。


 中でも一際目を引くのは、腰帯に差した剣だ。いわゆる指揮棒のような特異な形状をしたその剣は、鞘にも納めず抜き身で、その状態でも腰帯が切れぬということは酷いなまくらか元から刃を付けていないとかであり、指揮剣と呼ぶそれは実際のところ後者である。その目的から、刃など無用なのである。


「よし、じゃあ出発しようか」


 楽吾がマイク越しにそう言うと、十人が口々に頷き、雑多だった列を崩しニュートロンの町を背に綺麗に整列し直した。門の向こう、町の中には見送りは一人もいない。いつも通り、二人の門兵がいるだけである。その門兵ですら十人には視線も向けず、じっと道の向こうを睨んでいる。(はなむけ)の言葉すらない。


 十人を見ていた指揮官プレイヤー、ラクゴはチラリとだけニュートロンの町を振り向いた。三日間過ごした町並みと変わらぬいつもの装い――と思われたが、よく見れば家の影に少し歳のいった人が隠れているのが分かる。彼ら彼女らは決して表には出ず、声も出さず、無言で涙を流している。それを見た楽吾は静かに顔を十人の若者、自身の指揮するlucky five部隊へ戻した。


 それから暫しの間黙して、指揮剣を抜き道の先へ力強く向け叫んだ。


「進め!」


 十人は一斉に気勢を発し、足を揃え歩き出した。ラクゴもそれを追って歩く。整然とした行進の音は静かな余韻を残しつつ、白い花を巻き上げながら遠のいていく。後ろは振り返らない。言葉も残さない。生きて戻れる可能性はゼロに等しい出立を見送るのは静寂と湿った視線のみ。


 季節は春過ぎ。時は早朝。日の上がるのが早い悠久地区ヒルランドのミッツリンク大森林は遅咲きの花に染まる。


 若者たちは、ついに旅立った。


 花は、いつまでも揺れていた。



――――――――



「この道を真っ直ぐで良いのか?……地図だとちゃんとした道なのにな」


 スクリーン右上に出した、紙に描かれたと思われるミッツリンク大森林の地図を睨みながら、楽吾は首をひねった。


 朝六時にいそいそとベッドから起き出し、冷蔵庫にあったものを適当にチンした朝飯も早々に食べ終わり、逸る気持ちを抑えつつチャオの電源を入れた楽吾だったが、二時間も同じような道を進み続けていささか気落ちしていた。特に酷使もしていない指を振って、足元に広げたパソコンを覗く。そこには雑多なログから楽吾自身がふるいにかけて抽出し、理路整然とした情報に纏められた文章ファイルが開かれている。といってもそこには生活の知恵や旅の心得などの訓示的なものが多く、実用的なものは少ない。


 チャオのハードとなるゲーム機本体は有線によってパソコンやその他の電子機器と繋げる事が出来る。その有用性は非常に高く、楽吾が使っている会話ログ自動コピーソフト「あなたのお話聞きたいな」などは無料でダウンロード出来るため多くの指揮官プレイヤーが愛用している。自動で情報が更新されるインフォメーション機能に引っ掛からない、微々たるが重要な情報を収集するのだ。


 そんな、楽吾が丸三日間いたニュートロンでの会話から得られた情報の中に、こんなものがあった。


『紙が羊皮紙より安いのには理由がある』


 シタの草という植物から比較的簡単に作る事が出来るゆえに安価で広く流通しているが、その代わり質が悪く燃えたり濡れたり破れたりして呆気ないほど簡単に消失してしまう紙は、地図や書籍など長く留めて使うには適しておらず、そのような場合は羊に似たネイチャーであるメルシープ種の革をなめして作られる羊皮紙が使われる。


 要約すれば、紙に書かれた情報は、羊皮紙に書かれた情報に劣るという意味だ。


 そして、ニュートロンで楽吾が買った地図は端が崩れた古い紙製。信用度は、控えめにいってもかなり低い。


『おそらく、大丈夫だと思いますが』


 ラクゴの隣で地図を眺めていた金髪の青年が、ふと顔を上げて言った。


「どうだろうな……メルトはここ通ったことある?」


 ラクゴを金髪の青年へ向けて問いかけると、青年は小さく首を振る。


『私の両親は町の外から来ましたが、私は生まれも育ちも町の中なので』


 金髪の青年――メルトは僅かに道の先を見て口を開いた。


 ラクゴ達lucky five部隊は今、道の真ん中で休憩を取っていた。普通なら対向する人たちから顰蹙ひんしゅくを買うような場所での休憩だが、人一人通らない閑散とした道ゆえそれを咎めるものはいない。始めこそ一列に整列して行進していた彼らだったが、ニュートロンからしばらく歩いた頃から二列に変え、隊列を崩しつつ進んでいる。


 少人数の部隊の隊列には、指揮官プレイヤーの前に六割、後ろに四割という一定のセオリーに似た不文律がある。外敵を察知する斥候役や会敵時に先頭に立って戦う前衛役などを指揮官プレイヤーより前に立たせ、後方支援を担当する後衛役や戦闘に特化しない輜重役などを後ろに立たせる、戦闘に入った場合の陣形に最も移行しやすい典型的な隊列だ。


 lucky five部隊も例に漏れず、前に六人、後ろに四人の単純な型を取っている。


 そして、前から三列目の右側、ラクゴに最も近い位置にいるのが、メルトだ。


 ラクゴとほぼ同じ身長である四頭身で、耳が見える短めの金髪、目付きの鋭いやや険しい顔つきはどちらかというと年齢よりも高く見える。ステータスは平均的なオールラウンダーで、『せきにんかん』の性格の通り部隊のまとめ役であり、歳は上から三番目でありながらlucky five部隊の隊長であった。


 隊長、正式にいえば小隊長はチャオの中でも特に重要な役割である。部隊はその人数や兵種、役割などでいくつかの小隊に分ける場合がある。チャオの慣習では小隊内の最大兵数は二十人前後なため、それを越える場合は部隊を分けることが望ましいとされている。その際に小隊を纏めるのが隊長だ。隊長は任命制だが、様々な資質が求められるため自然となる者は限定される。


 メルトはその点優秀だった。常に冷静沈着な現実主義であり、不慣れなラクゴに意見を出すことを躊躇わず、かといって自己主張が激しい訳でもない。


 地図を反対に見ているラクゴに、静かに直してやる態度は、良くできた補佐官のようだ。


「んー……この調子だといつ着くのか分からないな。二時間歩いてもまだ最初の目印にたどり着かないなんて」


 ラクゴが肩を落とすと、浅く頷いたメルトが地図を拾い丁寧に丸め硬そうな麻の紐で結った。ラクゴはそれを受け取り腰の布袋、ロマノの道具入れに収める。明らかに地図と道具入れの大きさが合っていないが、それを可能にするのがロマノの道具入れだ。


『まだ日は高いですから、余裕はあります。ラクゴ様』


『そうですよだんなさま。まだ旅は始まったばかり、焦りは禁物です』


 メルトが軽く空を仰いでからそう言うと、メルトの前列で座っていたふんわりとした栗毛が目立つ優男風の青年、ジグロがにこりと笑いながらラクゴに向かって両腕を広げながら立ち上がった。


 物腰の柔らかそうな、十人の中でも特に目を引くジグロは、行動特化のステータスを持つ、性格が『いろおとこ』という異色な隊員である。ラクゴと比べて背は少し高いが線が細く、およそ戦い向きとは思えない、地方貴族の三男坊といわれれば納得してしまいそうな容姿の彼だが、その行動力から斥候役としてすばらしい働きをする。戦闘時には先頭に立って敵の挙動を読む先読みの才能も然ることながら、父親が商人という経歴から世間の常識や慣習についての知識も高い。


 それらについて一通り知っている楽吾ですらジグロを見ると苦笑いしてしまうのは、やはり『いろおとこ』という性格の所以ゆえんを、ニュートロンで見たからだ。


『そうそう! 森を出ないうちからそんなに考えてたんじゃあ持たないですぞ! 指揮官殿!』


 列の最後尾に座りながら先頭まで響き渡るような声で叫んだのは、縦にも横にも一番大きい岩のような最年長の青年、スロースである。刈り上げた栗毛に一人だけ汗が滲んでいるのは、傍らに転がしたリュックに一番荷物を積めているからであろう。ごつごつとした手を腰に当て、歳に似合わぬ豪快な笑い声を上げた。


「うん。そうだな。じゃあ気楽に、そろそろ行こうか」


 楽吾が整列の命令を打ち込むと、ラクゴは手を地に突き立ち上がり、ズボンに着いた砂ぼこりを払うと長めに一回口笛を拭いた。やや間延びしたその音に追随するように十人も立ち上がると、荷物を背負い直し二列に整列する。隙がない、とは言えないが肩肘が張った型通りの整列を見て頷き、楽吾はコントローラーを操作する。


「進めー」


 今度はコマンドを入力することなく、気の抜けた合図と共に十人は歩き出した。


 やや雑然とした、揃ってはいないが長時間歩くには疲れないであろう速度と歩調で隊は進んでいく。


 コントローラーで移動を入力し続けるだけの単調な作業にすぐ飽きた楽吾は、隠すことなく欠伸をして、スクリーンから目線を外し部屋の窓の外を見た。北向の窓からはからりと晴れた空と青々しい森を望む事が出来るが、太陽は見えず、ただ屋敷の影が伸びているだけである。


 楽吾たち仁科家がこの家に引っ越してから、まだ一週間も経っていなかった。チャオと本体機器などが届いたのは来てから次の日の金曜日なので、今日は四日目の朝、週末の日曜である。楽吾の母、舞と妹の彼方は二人揃って一時間ほど前に買い物に出かけてしまい、広い屋敷には楽吾しかいない。


 楽吾は今年十六歳になる。世間一般でいえば高校に入学する歳だ。こちらに越してきてから転入手続きをした高校へは明日から通うことになっている。なので、終日ログイン出来るのは今日までだ。スマートフォンとリンクをさせれば指示などは出せるが、指揮官プレイヤーを操作することは出来ない。当然といえば当然だが、チャオの独特の時間の流れから見れば非常にもどかしい、と楽吾は感じていた。


 高校に行きたくない、という気はないが。


『……敵。囲まれている』


 イヤホンから突然聞こえたCVキャラクターボイスに楽吾は驚き、慌てて顔をスクリーンに戻した。会話ログの不穏な単語に再度驚き、ラクゴの視線を操作してぐるりと一周させる。


 そこには、森のなかにには、無数の疾走する影が点在していた。


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