ふぉーるだうん。
チャオの世界でよく取り上げられるのが、作りこまれた自然の造形美だ。実世界と共に四季が移り変わるオブリブィオン大陸も今は春過ぎに設定されており、森は花を散らした樹木や雑草で濃い緑に染まっている。斜め上に据えられたカメラを視点変更しアップにすれば、青々と繁る木々の葉一枚一枚まで精巧に写し出すことが出来るだろう。踏み固められた地面は風に吹かれて土埃を上げ、空に舞い上がり消えていく。
画面が徐々に明るくなっていき、楽吾はホッと息を吐いた。恐らくかなり上空から落とされたラクゴは、無事に生きていた。草原を何度も歩いて出来たような舗装されていない地面剥き出しの道に、ラクゴは四肢を投げ出して寝転んでいた。持っていた指揮剣もすぐ近くに落ちており、道具袋もしっかりと腰についている。落ちたといっても、本当に空から落下したわけではないようだ。
「とりあえず……起きようか」
コントローラーで入力し、ラクゴを動かす。放心していたラクゴはゆっくりと上体を起こして、身体を何度か擦り、やっと立ち上がった。指揮剣を広い道具袋とは反対側に差すと、服に付いた埃をはたき落としてやっと落ち着いた。シャツに半ズボンだった服はいつの間に着替えたのか、旅人風のしっかりとした装いになっている。
麻のような質感のシャツの上に、前が大きく開いた裾が膝上まである濃い栗色の上着を重ね着しており、腰帯を巻いて薄いズボンを穿いている。靴は革製の柔らかいものだ。四等身とはいえ、その格好は様になっていた。楽吾は深く息を吸い、視点をぐるりと一周させる。
ラクゴは町へ続く道のど真ん中に寝ていた。西、つまり左へ続く道の先は森へと繋がっている。右を見れば、木で出来た柵と簡素な門があり、細い槍を持った門兵と思わしきヒューリア人が二人、談笑しながら立っている。
「あれがスタート地点かな」
視点をバックビューに戻し、ラクゴを門兵の所に向かわせた。柔らかい靴は足音がしないらしく近づいても気がつかない。あれで門番が務まるのかと思いながらも、ラクゴは門兵へゆっくりと歩いていった。五歩の距離まで来てようやく門兵の一人がラクゴに気づき、直立不動になる。画面の下に会話ログが開いた。
『ニュートロンへようこそ』
『ニュートロンへようこそ』
二人の門兵が同時に口を開く。年若い少年の声と共に、ログにメッセージが現れた。
チャオでは、開放的メッセージと閉鎖的メッセージの二種類のログがある。俗に扉と窓と呼ばれる会話の方法だ。開放的メッセージ、通称扉は近くにいるプレイヤーの会話が全てログに書き込まれ、誰でも見ることが出来る全対象の会話である。普通に話しかけられた場合開くのはこちらだ。逆に窓とは限られたプレイヤーしか見ることが出来ない限定的な会話で、互いに許可を出さなければ開けることが出来ない内緒話専門のログである。門兵が開いたのは扉の方だ。ラクゴが門兵の目の前で立ち止まると、左の門兵が話しかけてきた。
『お一人で、しかも軽装でなんて、遭難でもしましたか?』
門兵はかぶっていた金属のヘルムを取ると、ラクゴをじろじろと見た。短い赤毛の、そばかすが散った青年だ。楽吾は小さく咳をして、マイクに話しかける。
「初めまして。俺はラクゴっていいます。えーと、これを見てもらえませんか?」
メニューからラビオリの推薦状を取り出すと、ラクゴが道具袋から折り畳まれた布の束を出して、赤毛の門兵に渡す。受け取った門兵は、推薦状を呼んで、なるほど、と頷いた。もう一人の門兵が横から覗き込んで、ラクゴの腰に下げた指揮剣を見る。
『旅の指揮官さまでしたか。これは失礼しました。どうぞこちらへ』
ヘルムをかぶったままの門兵がラクゴの前に出て頭を下げる。アクションにあるお辞儀をし返すと、ヘルムを脱いだ赤毛の門兵が推薦状を持ったまま歩き始めたので、慌ててラクゴに彼の後を追わせる。門兵が持ち場を離れていいのか、と楽吾はまた心配になってしまった。楽吾は変なところが気になるのである。
ニュートロンの町は、はっきりいえば田舎の村だった。土を踏み固めただけの舗装されていない大通りはただただ真っ直ぐで、木造平屋の建物が道沿いに家半分ほどのかなり広すぎる間を空けて建てられている。細い道の先を見れば、畑の間を放し飼いされた鶏が走り回っており、子犬や猫の姿もある。道行く人々は赤毛と栗毛が半々で、簡素で補修の痕が目立つ茶色の服ばかりだ。門兵の後を歩くラクゴの姿を遠目に見ながら、ひそひそと話し合っていた。
『私の名前はガーランドといいます』
先を歩く門兵、ガーランドが歩調を緩めラクゴの隣に並び振り向いた。子供の幼さが残る顔つきではあるが、意外に堂々とした大人の風格を持っている。
「よろしく、ガーランド。ちょっと聞いていい?」
『私にお答えできることであれば』
少し堅苦しい言葉使いも慣れた様子でガーランドはいった。近くで見て、ヒューリア人にも童顔ってあるんだな、と楽吾は思った。
「ここってどんな町?」
『ニュートロンがどんな町か、ですか。そうですね、ごくごく普通の田舎町ですよ』
大通りを進んでいくと、道沿いに並んでいた民家が開けた商店へと変わっていった。歯抜けの並びが適度に詰め込まれた様に変わっており、地面にホロのような布を敷いて直接商品を並べている。並んでいるのはチャオ特有の根菜類や塊の干し肉、乳製品などの食品類から、剥いだままの毛皮やネイチャーの爪や牙などの素材品やあまり良いものではない服類、木材、金物など日用品ばかりである。
『ここは大陸街道から少し外れたニュース街道と繋がっているのですが、四方をミッツリンク大森林に囲まれているためあまり人が来ないのですよ。特産のグリーンウルフェンの毛皮とグレーラビティアの肉を買いに行商指揮官さまの方々は来るのですが、ミッツリンク大森林には強いネイチャーが出ないからか、戦闘目的の指揮官さまは殆ど来ません。先ほど入ってきた道を半日ほど真っ直ぐ進めば商業都市ニューエバーに着きます。逆にこのまま行き町を出て一日ほど歩けば、林業の村ニュースタインに着きます。人が来るのは殆ど間違いなくさっきの門からなので、ニュースタイン向きの門には誰も立っていません。まあ、あちらも三日に一隊来れば多いほうなのですが。そのおかげで、ラクゴさまへすぐに志願兵をお渡しできるのですけどね』
ログが埋まるほどの大量の文字が流れ、ガーランドが一息つくと画面の右上に「!」が現れた。アイコンを開くとインフォメーションが更新しました!、と文字が流れる。なるほどこうやって情報を溜めるのか、と楽吾は頷いた。商店の続く道を過ぎると、それまでの家とは段違いに大きい長屋と屋敷が数件連なって現れた。看板や表札がないのは、ここの住人がなんの建物かか知っているのでつける意味がないからである。
『失礼ですが、ラクゴさまはいつごろ空から?』
「え? さっき落ちてきたばかりなんですけど、どうしてそれを?」
楽吾が驚いて聞くと、ガーランドはやや驚いた表情をして、それから納得がいったように頷いた。
『落誕したばかりなのですね。これは失礼しました。えーとどこから説明すればよいか……すいません、こんな大役を私みたいのが行えるとは思わなかったので』
ガーランドは一瞬高揚したような驚愕したような、感情が高ぶり紅潮して、ラクゴを熱い視線を向けた。
『空から落ちる、というのは指揮官さまがこの大陸に落誕することを暗喩した言い回しのことです。実際に空から落ちてくる訳がないのに、誰がいい始めたのか変な言い回しですよね』
「は、ははは」
乾いた笑いが楽吾から漏れる。
『それで、落誕したばかりのラクゴさまにお話しなければならないことが、二つほどあります。一つは、この推薦状はここ以外でも使えるということです。こんな田舎町では良い人材がいるとは限りませんし、もっと大きな都市に行けばいくつかの志願兵部隊から選ぶこともできます。この町で生まれた若い子よりも、大都市の方が錬度も素質も高いことは間違いないですからね』
当たり前のように話すガーランドだが、その表情は幾分か先ほどよりも硬い。事実ではあるが生まれ故郷であるニュートロンを悪くいうことは不本意なのだ。
『そして、もう一つですが、志願兵部隊を引き受けたが最後、彼らの命はあなたが守らなければなりません。彼らはひよっこもひよっこ、生まれたての雛のように幼くか弱い存在です。最低でも一歳ぐらいはあなたが守ってやらなければ、志願兵たちは死んでしまうかあなたから逃げてしまうでしょう。志願兵を卒業するのは八歳からなので、若い人材しかいないこの町で志願兵部隊を引き受けることもまた、ひとつのハンディーになってしまいます』
大きな建物がなくなり閑散とした所まできて、ガーランドはラクゴを見たまま立ち止まった。その顔は無理矢理作ったような冷たい無表情で、茶色の瞳だけギラギラと熱く燃えている。スクリーン越しにそれを見た楽吾は、ごくりと喉を鳴らした。
『どうしますか? ニューエバーまでならお連れすることも出来ますし、そこまで行けば他の大都市にだって安全にいくことが出来ます。ここまでいっても、ラクゴさまはここニュートロンで部隊を引き受けますか?』
「……うん。ここで部隊を引き受ける。今はっきりとそう誓うよ。それに……いや、なんでもない」
途中まで話そうとした言葉を、楽吾は飲み込んだ。楽吾が信じたのは、チュートリアルで会っただけのラビオリの存在だった。短い期間ではあるが、ラビオリが意味もなくこんな田舎町に落とすはずがない、と楽吾は思ったのだ。更に、理由は分からないがここまで実情を話したガーランドのことも、楽吾は信じていた。二人がゲームの中のAIだということなど、楽吾の頭の中にはすでに取るに足らないことになっていた。
ガーランドは楽吾の発言に嘘がないことを確かめると、深く息を吐いた。
『試すようなことをいってすいませんでした。私はこの町の生まれなので、変な指揮官に村の子供たちを任せたくなかったのですよ。大変失礼しました。それではこちらへどうぞ』
歩き出したガーランドを追ってラクゴも歩き出す。コントローラーを握りながら楽吾はマイクに拾われないよう気をつけながら、深くため息をついた。ガーランドの気迫に一瞬気圧されていたのだ。
入ってきた方とは反対側の門のところまで来ると、道の両脇はすっかり均された運動場のような大地が広がっていた。所々布を巻いた木の杭が刺さっており、地面も固く踏み固められている。宛らここは鍛錬場といったところだろう。門の手前にはこれまでで一番背の高い建物がそびえている。外壁は総レンガ造りで窓の代わりに木の板が貼り付けられており、質素ながらもこれまでで一番堅牢そうな建物だ。ガーランドはさっさと中に入ってしまい、慌ててラクゴも薄い押し扉の中へ飛び込んだ。普通のゲームとは違い建物の縮尺は外見も中身も同じで、中に入ったからといって画面が切り替わることはない。視点は天井をぶち抜いた斜め視点で、角度を変えれば部屋の中が全て見渡せる横視点にも出来るのだ。建物の一階は食堂のように木制の長机とイスが並んでおり、奥にキッチンも見える。火は暖炉と竈の中間のような、少しこっけいなものではあったが。
『全員集合!!』
ガーランドが叫び声を上げるとともに縮尺のおかしいハンドベルのようなものへ向かって木槌を叩きつけると、重低音の金属音が建物中を響きまわり、音が尾を引く前に上階からドタドタと走り回る音が聞こえてきた。キッチンの横ににあった段差の急な階段を駆け下りてきたのは、幼いといっても良い位のヒューリア人たちだ。その数十人。男子に混じって、女子も二人ほどいる。
『お前たちの引き取り手が見つかったぞ! 喜べひよっこども!』
さっきまでの優しい感じはどこへいってしまったのかと聞きたくなるほど豹変したガーランドが叫びを上げると、十人の子供たちは燃え上がったように高揚し沈黙の熱気に包まれた。楽吾は思わず息を呑む。今日から、彼らを指揮するのだ。もうゲームだとはこれっぽっちも思えていなかった。
『それでは、隊に名前をつけて下さい』
ガーランドは推薦状を取り出すと、ペンとともにラクゴに渡してきた。文字入力のアイコンが画面下に現れる。
楽吾は、部隊の名前に昔のあだ名を使おうと決めていた。ここに引っ越して来る前、一緒に文字を習った友達が付けてくれた、もう一つの大事な名前だ。
ラクゴが書き終えると、ガーランドが推薦状を受け取り、一瞬目を見張った。視線だけでラクゴを見るがそれには楽吾は気づいていない。十人の子供たちをみて胸を躍らせている最中だった。ガーランドはもう一度推薦状に書かれた部隊名を呼んで、ほんの僅かに微笑んだ。そして振り返り、ラクゴの配下となった十人の子供たちに向けて、いい放つ。
『今日からお前たちはこの方の元で生きる! その部隊の名前はLuckyfive部隊だ! 心に刻み付けろ!』
はいっ!! と住人が一斉に言葉を返し、ぎこちない動きで深く頭を下げた。
次回詳しくラッキー隊の隊員のプロフィールを乗せますので~。