げーむすたーと。
『戦略とは、すなわち戦闘の根幹をなす部分です』
静かに歩き出したラビオリを追って、ラクゴと歴戦の遊騎士も歩き出した。弱い風が草原に生える下草を揺らし、凪いでいた緑の海が湿った音をたてて波を踊らせる。
『戦いにおいて、実力の差というのは絶対的なものです。装備の違い、経験の違い、兵数の違い、それらは僅かな差であっても、積み重なれば強大な壁となって目の前に立ち塞がるでしょう。自分より兵力が高い部隊を実力のみで倒すことは、月に弓打つこととなんら変わりはありません』
『そこで現れたのが戦略、つまり知略と権謀によって兵力の差を逆転させる、ヘロンの槍なのです』
ラビオリは立ち止まり、画面越しに楽吾を真っ直ぐな目で見つめた。
ヘロンの槍というのは、チャオの中で伝わっている神話に出てくる英雄が持っていた神器のことだ。農民ばかりが集まった非力な軍勢で龍のネイチャーを倒した軍師の神、ヘロンが愛用していた、刃がなくなにものも貫くことが出来ない最弱の武器。ヘロンはその槍で民を率いて、龍のネイチャーを倒したのである。
オブリブリオン大陸には独自の宗教感が存在する。人々を見守る神々は偉大なる英霊がなるとされており、英霊が奇跡を起こし昇華すると、神格化され奉られるのだ。ヒューリア人は神となった先祖を崇めて暮らしており、まだ神ではなかった英霊の冒険譚が集まった伝承が、神話として伝えられているのだ。
『指揮官であるプレイヤーの役目は、戦略を用いることだ、ともいえます。逆をいえば、戦略の出来ないプレイヤーは指揮官ではないでしょう。ただ部隊に命令を出すお飾りに過ぎないのです』
ずいぶんキツいことをいうんだな、と楽吾は心の中で苦笑した。プレイヤーはいってみればチャオを買ったお客さまなのに、お飾りだなんていい切ってしまって良いのかな。これ。クレームとか来てそうだけど。楽吾は言葉に出さないよう口を抑えながらそう思った。
『それでは、実際に戦略を使用してみましょう。歴戦の遊騎士に構えを指揮し、続いて行けと指揮してください』
ラビオリが指を鳴らすと、さきほど倒したのと同じ犬のネイチャーが少し離れた所に四匹現れた。前後二列に並び、ラクゴを睨んでいる。
「よし、構えて行け」
指揮を入力すると、ラクゴは剣を振り上げネイチャーに向けて突き出した。歴戦の遊騎士は即座に反応し、片手剣を抜き盾を構えてネイチャーに摺り寄っていく。唸りながらそれを見ていた犬のネイチャーは、一声鳴き、歴戦の遊騎士に飛びかかった。
歴戦の遊騎士は盾を全面に構え二匹の爪を弾き、横一線の切り払いで跳ね返した。赤いエフェクトが二匹から吹き出る。更に追撃を加えようと歴戦の遊騎士が走り寄ると、二匹は後ろに飛びずさり、ジリジリと距離を詰める歴戦の遊騎士に警戒心を高めた。
『歴戦の遊騎士は一人でもとても強いです。しかし、敵の持つ数の利にはかないません』
なにを、と楽吾が歴戦の遊騎士から目を離した瞬間、犬のネイチャーが左右から飛びかかって来た。後ろの列で戦いを見ていたネイチャーだ。何とか反応し爪と牙を防ぐが、足を止めた瞬間に周りを取り囲まれてしまった。立ち止まり逃げ出そうと剣を構える歴戦の遊騎士を、四匹のネイチャーはぐるぐると回りながら包囲網を狭めていく。
『犬型のネイチャー、ウルフェンは単体では非力ですが、群れを作り仲間と協力することで本来以上の実力を発揮できるのです』
歴戦の遊騎士が一匹に狙いを定め切りかかるが、後ろにいたウルフェンが出来た隙を突いて背中を引っかいた。赤いエフェクトが歴戦の遊騎士から吹き出る。倒れそうになるも堪えて振り向いた瞬間、狙っていたウルフェンに体当たりをされてしまう。歴戦の遊騎士の顔に、焦りの色が滲んで来た。
『このままでは歴戦の遊騎士といえども負けてしまうでしょう。それではいけません。では、戦略メニューを開いてください』
「分かった!」
返事と同時に、楽吾は通常のメニューとは違う入力をして戦略メニューを開いた。テレビの左側に、ウィンドウが現れる。項目は、ラビオリズ・ファイルというのがたったの一つあるだけだ。
『戦略メニューでは自分の使いやすいようにカスタマイズすることが出来ます。が、今はチュートリアルなので私が選んだ戦略を使ってみましょう。ラビオリズ・ファイルを選択してください』
いわれたとおり楽吾がラビオリズ・ファイルを選ぶと、そこには二つの戦略が入っていた。晴眼の鼓舞と、サークルスラッシュである。
『戦略は大きく三つに分けることが出来ます。一つは、決められた時間の間ステータスが上昇したり特殊なスキルが付加される強化系の戦略、鼓舞です。これは効果時間が表示されないので、部隊の反応に注意してください。二つ目は、特別なアクションをさせることが出来る行動系の戦略、戦技です。これも注意しなければいけないことがあります。ガード系の戦技を使う場合は盾を装備していなければ効果がありませんし、味方にもダメージ判定がつくものは同士討ちになってしまうでしょう。そして最後のが、最も使い方が難しく、また重要な戦略、陣形。これは部隊の形を状況や戦法に応じて変えることができます。いまは歴戦の遊騎士一人なので、これは入れませんでした。使用回数などですが、鼓舞はプレイヤー様の生命力と智力、戦技は兵士の生命力に応じて決められています。この点に関しては、経験を積んで理解してもらうしかありません。陣形はいつでも出来ますよ。乱戦になっていなければの話ですが。では、まず晴眼の鼓舞を使ってみましょう』
「分かった」
楽吾はいわれたとおりに晴眼の鼓舞を選択した。すると、ラクゴが剣を天に向けて鋭い口笛を吹き鳴らし、同時に歴戦の遊騎士に青いオーラのようなエフェクトが表れた。取り囲んでいたウルフェンが怯み立ち止まるも、すぐに立ち直って歴戦の遊騎士の背後にいた一匹が背中に向けて飛び掛った。
が、それまで避けることの出来なかった歴戦の遊騎士が初めて反応し、身を捩って切り返した。赤いエフェクトと共に薙ぎ飛ばされるウルフェン。
『晴眼の鼓舞は感覚を研ぎ澄ませる効果を持っています。精神を集中させ、冷静さを取り戻すことが出来るでしょう。それではサークルスラッシュで止めを刺して下さい』
返事をする暇もなく、楽吾はサークルスラッシュを選択した。先程と同じようにラクゴが剣を掲げて口笛を吹き鳴らすと、歴戦の遊騎士の持つ片手剣が炎のようなオーラに包まれた。遊騎士の表情が変わる。
なにかを悟ったウルフェンが鋭く遠吠えを上げて、四匹一斉に飛びかかった。避ける隙もない完璧な同時攻撃だ。無意識に楽吾が叫ぶ。歴戦の遊騎士はオーラに包まれたまま動かない。青と炎のオーラが、ゆらりとぶれる。
シュッ、と風を切る小さな音が響いた。オーラを纏った剣が振るわれたのだ。歴戦の遊騎士を中心に燃える剣の軌跡が広がり、軌跡に触れたウルフェンが同時に赤いエフェクトを吹き出して地に崩れ落ちた。煙と共に動かなくなる。
『これが戦技、サークルスラッシュです。兵士の力に応じて円形の範囲にいる敵を切り裂きます』
歴戦の遊騎士は周囲を鋭く見回し、剣をおろした。楽吾が解けと指揮すると、ホッと肩から力が抜けラクゴを見た。剣を納める。
『チュートリアルは以上になります。まだまだ足りないとは思いますが、これから先はrakugo様ご自身で体験して、学んでください。それでは一度戻りましょう。……と、歴戦の遊騎士とはこれでお別れになります』
ラビオリが歴戦の遊騎士を見る。すっかり警戒を解いていた歴戦の遊騎士は、小さく一礼すると、画面越しに楽吾を見つめた。
「そうか……ありがとう。助かったよ。歴戦の遊騎士」
照れくさそうに頭を掻くと、歴戦の遊騎士は両手を組み顔の前に掲げ、目を瞑って静かに頭を伏せた。楽吾には意味が分からなかったが、これはオブリブィオン大陸における騎士の上位敬礼である。最上位敬礼が国王や皇帝に向けられるもので、上位敬礼は自分より優れている指揮官に対して感謝と畏敬の念を込めてされる信頼の証だ。歴戦の遊騎士は、ラクゴへ黙してエールを送ったのだ。
ラビオリが手を叩くと、画面いっぱいに煙が上がり真っ白になった。しばらくして晴れると、ラクゴとラビオリは一番初めの真っ暗な場所に戻っていた。
『それでは、最後にお渡しするものがあります』
ラビオリが指を鳴らす。ラクゴの上から革袋が落ちてきて、わたわたと慌てたラクゴが腕を伸ばしなんとか落とす前に掴みあげる。中身を確認したラクゴは、それを腰帯に括りつけた。画面の右上に「!」のアイコンが現れる。
『今お渡ししたのはロマノの道具入れという神器です。これで、メニューにアイテム欄等が追加されるでしょう。確認してみて下さい』
「分かった」
楽吾がもう慣れた手付きで入力し、メニューを表示させた。項目が先程よりも幾つか増えていた。
・rakugo
・unknown部隊
・兵士ステータス一覧
・ロマノの道具入れ
・マップ
・フレンド
・インフォメーション
『メニューはコレだけではありません。これからも増えていくでしょう。またチュートリアルで聞いたことはインフォメーションで再度確認することが出来ます。インフォメーションの内容も、見聞きした事などが逐次更新されていくので、時々確認しましょう。それでは道具入れを見てください』
ロマノの道具入れを選択する。中には、三十ケリーとラビオリの推薦状が入っていた。
『三十ケリーは私からの、贈り物です。これから色々と大変だと思いますのでぜひコレをお使い下さい。推薦状はこれから送る街で見せれば志願兵を集うことが出来るでしょう。正真正銘、rakugo様の部隊です』
それから、ラビオリは画面越しに楽吾に向かって、深く深く頭を下げた。
『短い間でしたが、これにてチュートリアルを終わらせて頂きます。新しい世界で、rakugo様の名声が轟くことを、心から期待して待っていますので』
「うん。……ありがとうラビオリ。君のおかげで俺もなんだかやっていけそうな気がしてきたよ。本当にありがとう」
マイクにそう、楽吾が話しかけると、ラビオリは頭を上げ、嬉しそうに微笑んだ。そして一旦表情を消し、真剣な眼差しでラクゴを見る。
『それでは最後の仕事です。rakugo様を、旅立ちの地へ』
『落とします』
え? と楽吾は無意識に呟いていた。画面の中のラクゴもピクッと身体を震わしラビオリを見る。楽吾がなにか言おうと息を吸った瞬間、ラビオリが指を鳴らした。黒い世界が丸く切り取られ、空と思われる澄んだ青と薄ぼんやりした白の景色が現れた。
ラクゴの、すぐ足元に。
「あぁぁぁぁあぁーーーー!!!!」
楽吾の絶叫と共に、ラクゴは空に落ちて行った。画面が暗転に包まれた。
本格的に、ゲームスタートです。がんばれラクゴ。