せっとあっぷ。
戦争。
それは知性を持った生命体にとって必然ともいえる現象である。武器を振り、血を流し、命を燃やして戦う愚かとも取れる行為は、地球上に限られたものではないのかもしれない。
ここオブリブィオン大陸でもその愚かな行いは繰り広げられていた。人種、思想、国家、それらのもつ独善的な欲望を糧に、今この時も、戦争は続けられていた……
Chaos And Order。混沌と秩序の世界。好評発売中!
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箱から出したばかりのゲーム機に、これまた封を切ったばかりのゲームのディスクを入れると、「~install now~」という文字が画面を横切った。木の板を傷つけて書いたような、やけに無骨で荒々しい字だ。その下に普通の日本語で「インストールには約五分かかります」と現れ、仁科楽吾は思わずため息が出た。焦って繋げようとしていたキーボードの有線コードが手から落ち、楽吾は慌てて床から拾い上げる。コードの先端を確認し、安堵のため息を吐いて、今度は慎重に据え置きのゲーム機を探り始めた。
楽吾の周りにあるのは傷一つない真新しいものばかりである。無線式のコントローラーも、分厚いゲームの説明書も、壁にかかったテレビも、一人用にしては少し大きすぎるベッドも、全て買ったばかりの新品だった。対称的に、部屋自体は少し古くさい。なにも張られていない寂しい壁、梱包用の発泡スチロールやビニールが散らかる床、高く露出した梁が見える天井、これらは全てレトロな木製だ。最新の機械と古風な部屋は、酷くアンバランスのようにも取れる。
「五分もかかるんだ……。じゃあ、先に説明書見ようかな」
楽吾は小さく呟き、説明書を開いた。一ページ目には広大な山脈を背景にゲームの世界観が書いてある。梱包材を丁寧に畳ながら、楽吾はゆっくりと読み始めた。
Chaos And Order。混沌と秩序の世界。
楽吾は一行目を読んで、小さく微笑んだ。少しずつ視線を動かし繰り返し文字を読んでいき、読み終えるとなにを思ったか説明書を閉じてしまった。両手をわきわきと閉じたり開いたりしたあと、梱包材を持って部屋を飛び出した。木製のシックな階段を駆け降りてキッチンに飛び込むと、中にいた仁科彼方が驚いて飛び上がった。
「驚かさないでよ楽吾」
「ごめんっ」
興奮しっぱなしの楽吾は返事も適当に、床に置かれた段ボールから普通のより一回りは大きいマグカップを取りだし、サーバーに入れたコーヒーを注ごうとして、左手に梱包材を持ったままであることを思い出した。あ、と小さく呟いてマグカップを置き、キョロキョロとキッチンを見回して、結局妹の方を見る。彼方は、幼い姿に似合わぬ貫禄のついたため息を吐いた。
「ゴミは玄関でまとめてあるからそこに置いといて。それよりちょっとこっちも手伝っ……」
「サンキュー彼方!」
楽吾はバタバタとキッチンを出て梱包材を段ボール等が雑多に置かれた玄関に重ねると、そのままの勢いで二階に駆け上がってしまった。一人呆然と立ち尽くす彼方。段ボールを開いていた小さな手が僅かに震えだし、ぎゅっと握りしめられた。一本に括った髪がふるふると揺れ出す。
「まったくもう楽吾のバ……」
「忘れ物!」
「ひゃっ!」
いつのまに戻って来たのか、顔を紅潮させた楽吾がキッチンに飛び込んできた。怒鳴り声をあげようとしていた彼方が驚き奇声を出す。楽吾はサーバーからコーヒーをマグカップにギリギリまで注ぎ、近くにあったチョコレート菓子を掴んでまたキッチンを飛び出してしまった。取り残された彼方は、今度こそなにもいえなくなってしまった。ぽかんと口を開けて、彼方は二階のある方向を見上げて少しの間茫然自失としていた。
自分の部屋に戻った楽吾は、テレビを見てまだインストールに三分もかかることを知り、がくりと肩を落とした。両手に持ったコーヒーとチョコレート菓子を床に置いて部屋を見回すと、当てを付けて段ボールを片っ端から開いていく。真新しい高校の教科書や参考書が詰まった箱をどかし、服が入れられた本当に小さな箱を積み上げ、やっと目当ての段ボールを見つけた。ガムテープを丁寧に剥がし、取り出したのは真っ黒なクッションだ。楽吾はにっこりと笑い、クッションを引っ張り出す。小さく潰されていたそれをパタパタと膨らませてテレビの前で座ると、やっと落ち着きを取り戻して、深く息を吐いた。
「はあぁぁぁ」
コントローラーとキーボードを目の前に並べ、楽吾はこれでやっと始められる、と感慨にふけった。まだインストールが終わるにはまだ二分もかかるのか。いや違う。たった二分待つだけで良いんだ。これまでの時間を考えれば二分なんてあっという間だ。楽吾は天井を見上げ、ふと窓の外に視線を向けた。外は一面新緑に覆われていて、細い糸のような道路がポツポツと立つ木造の家々を繋げているだけである。丘の上に立つこの家が道の終着点であるため、楽吾はここが世界の末端であるようにも思えていた。細い真っ直ぐな道は暫く延びた後建物の密集する近代的な街に吸い込まれ、代わりに太い紐のような国道が現れる。それより先は完全なる都会だ。
「やっとか……」
手を握りしめ、身体を丸めながら楽吾は震えていた。
Chaos And Order、通称CAOが発売されたのは今から一年と半年前のことである。
バーチャルリアリティーの技術が発達した現代において、画面を見ながらプレイする旧式の据え置き型のゲーム機は衰退の一途を辿っていた。感覚をリンクさせ五感で仮想世界に没入することが出来る最新鋭のテクノロジーに、コントローラーを使ってキャラクターを操作したり、キーボードを使ってコミュニケーションを取る旧来の方式は徐々に市場を占領されていたのである。オンラインゲーム、MMOもヘッドギアを用いたVRMMOが席巻していた。そんな低迷期に発売されたのが、モンスター討伐とプレイヤー同士で戦争をする戦略ゲームを組み合わせた市場最大規模のオンラインゲーム、チャオだった。
架空の大陸を舞台に繰り広げられる国取り合戦、スパコンや高性能AIを用いた戦闘アクション、細部まで作り込まれたファンタジックでありながらリアリティー溢れる雄大な世界観。爆発的なヒットで瞬く間に普及したチャオは、店舗の片隅で埃を被っていたゲーム機本体まで売り切れが続出する結果となった。発売元の予想を大きく上回る人気に、予約は三ヶ月待ちまで跳ね上がった。そして楽吾も、そんな予約待ちを強いられたうちの一人だった。
その時とは、大きく状況は異なっているが。
「お、来た」
インストールが終わりテレビの画面が切り替わった。黒かったスクリーンに大自然の映像が写り出させる。青々とした山脈、幾つもの帆船が浮かぶ海原、石造りの城壁に囲まれた中世を思わせる大都市。そこを歩くのは、四頭身の一見コミカルな人間だ。この人間、ヒューリア人が、オブリブィオン大陸での主人公となるのだ。
「おっほー」
たっぷり五分ほどオープニングムービーを見て、コントローラーを握る楽吾の手に汗が滲むほど力が入っていく。剣戟の金属音と火薬の爆ぜる音でムービーが切り替わり、初期画面に飛んだ。すぐにスタート画面に向かう。煌めく光のような燐粉が舞い上がり、画面が真っ暗になった。楽吾の期待も一層増す。
黒一色となった画面。そこに、ヒョコ、ヒョコとコミカルな足音を立てながら一人のヒューリア人が歩いてきた。四頭身の女の子だ。アニメチックでありながら人のようなリアリティーがあり、表情も豊かで老若男女の細かな違いがある。これこそチャオの魅力の、大きな一因だ。中央で立ち止まりこちらを向いた、ローブのような白いマントを着た若い女の子のヒューリア人は、こそこそと金髪をいじり、大きくお辞儀した。
『初めまして。私の名前はラビオリといいます。あなたのお名前はなんですか?』
「うっわー……すごいな」
合成音声とは思えない柔らかで透き通った声に、思わず楽吾の腰が引ける。あまりゲームをしたことがない楽吾はこれほどのクオリティーに唖然としていた。もじもじとスクリーンの真ん中でこちらをみる四頭身の女の子は、強烈な愛らしさがあり、ついつい見入ってしまう。足首が少ししか見えないほど長いフード付きのマントは、いわゆる魔法使いのマントというのだろう。袖口も広く、腰帯は赤いなにかの革製で、靴は爪先の尖った焦げ茶色の木靴だ。顔は適度にコミカライズされてはいるが、ぱっちりとした目や輝く金髪は美しいと素直に思えてしまう。
これが最先端のゲームか。楽吾の顔はすっかりにやけている。
『あのー、お名前をお願いしたいんだけど……』
「わっと、いけないいけない」
ラビオリに催促され、慌ててキーボードに名前を打ち込む。名前はそのままrakugoにすると決めていた。左手だけでさっと打ち込み、エンターを押す。同時にポンッ、と弾けるような軽い音とともに、スクリーン上から巻物のような布の束が落ちてきた。ラビオリは一歩飛びずさると束を掴み取りパッと広げた。
『rakugo様ですね?』
「あちゃー。イントネーションが違う」
文字入力で名前を決めたので、「落語」のイントネーションになっていた。楽吾のイントネーションは「覚悟」や「錯誤」のように、初めの一音を上げて発音するのだ。漢字だけ見て正しい発音で呼んだことがある人は、今まで一人もいなかった。
ラビオリがまた返事待ちに入ってしまったので、慌てて繋いだマイクのスイッチを入れて首に掛けた。ラビオリの顔がぴくっとあがる。
『音声入力に切り替わりました』
「あ、はい」
返事をすると、ラビオリがこくりと頷き、楽吾は恐る恐る画面の向こうに話しかけた。
「発音がちょっと違います。落語じゃなくて楽吾」
一音一音をはっきりと発音すると、ラビオリは手に持った布になにかを書き込み顔を上げる。
『了解しました。rakugo様ですね?』
「はい」
見えないにも関わらず楽吾は頷いてしまった。傍目から見ればおかしいな光景である。
『それでは、性別とキャラクター設定に参りたいと思います。画像設定と詳細設定がありますが、いかがいたしますか?』
画像設定とは、3D写真などを送り実際の人間の顔を元にヒューリア人らしく加工してキャラクターを設定する方法である。逆に詳細設定は、無数にあるパーツから細かく指定して一から作り上げる、いわば従来型のキャラクター創造方法だ。前者は手間が掛からず自分に似たキャラクターを作ることが出来るのに対し、後者は全て自分の好きなように作ることで仮想世界での独特な雰囲気を味わうことが出来る。体格はヒューリア人の四頭身姿だけなので、キャラクター設定はつまり顔の設定というわけだ。楽吾は折角なので自分に似たキャラクターを作ることに決めていた。インストールする前に写真データを一枚だけ取り込んである。
「画像設定で。写真は本体のファイルに入っているのを」
『了解しました。しばしお待ちを』
ラビオリが短い左腕を上に伸ばすと、またもや画面の上から布の束が落ちてきた。それを掴み確認し、はたと固まってしまった。なんかミスったかな、と楽吾が思っていると、ラビオリが布から顔を上げた。
『性別は♂でよろしいですか?』
「はい」
ラビオリはむっと顔に力を入れ二枚目の布を振り上げると、向かって右側へ放り投げた。布はヒラヒラと広がりながら見えない床へ落ちる。少ししてラビオリが指を鳴らすと、煙と共に一人のヒューリア人が現れた。若い男の子の、楽吾に似たヒューリア人だ。
真っ黒の髪は耳の下まで伸びていて、四方へツンツンと立っている。細く若干垂れた目も少しコミカライズされているが楽吾そっくりだ。服は白いシャツに緑色の半ズボンで、だらーんと立っている。楽吾は見ていて少し恥ずかしくなってきた。
『こちらでよろしいですか? 修整は可能てすけど』
「髪の色だけ変えたいです。えーっと、灰色でお願い」
了解です、とラビオリがいいまた指を鳴らすと、楽吾そっくりのヒューリア人の頭が煙に包まれ、髪の色が銀がかった灰色に変わった。これぐらいの方が面白いかな、と小さく呟き、楽吾は了承の言葉をマイクで伝えた。ラビオリは頷き布になにかを書き込むと、えへん、と作ったような咳をしてこちらを見た。
『それでは、これにてキャラクター設定を終了とします。続いてチュートリアルに参りたいと思いますが、rakugo様は初心者ですか? チュートリアルはショートカットバージョンとロングバージョンがありますが、どちらにしましょう』
「ロングバージョンで」
迷わず楽吾は答える。予約してから三ヶ月の間ネットや掲示板で色々な情報を集めていたが、折角なのでちゃんとしたチュートリアルを聞いておこうと思っていたのだ。大体十分くらいしかかからないと書いていたので、きちんとした操作方法などを聞いて損はないはずである。ラビオリは深く頷き、布を楽吾の分身となったヒューリア人に渡して、佇まいを整えた。思わず喉が鳴る楽吾。
『了解しました。それではチュートリアルロングバージョンをさせていただきます』
ラビオリが両手を打ち鳴らすと、画面が煙で真っ白になった。モコモコと分厚い煙は数秒ほど画面を埋めつくし、そして呆気なく消えていく。代わりに現れたのは見たことのない巨大な大陸の俯瞰写真だ。ラビオリが大陸をバックにマントをはたいている。
『これが新世界における唯一であり最大の大陸、オブリブィオン大陸です。五つの山脈と八つの湖、二つの砂漠と火山、無数に存在する森林と平原。便宜上八の地方に分けられる私達の故郷であり、あなたの新天地となる大陸です』
オブリブィオン大陸は、とてつもなく大きかった。なんというか北海道とオーストラリアを足したような少しぐにゃぐにゃした形をしており、頭の白い山や紺青色の湖、薄いベージュを塗りたくったような砂漠などが散らばっている。ラビオリが大陸を指差すと、架空の大陸に赤い線が走った。線は大陸を八つに切り分ける。
『オブリブィオン大陸には二種類の生命体が住んでいます。一つは見てわかる通り、私のような人型知的生命体、ヒューリア人。二足歩行をし、道具を使い、言語を話す大陸の人類です。rakugo様の分身もヒューリア人ですね。そしてもう一つが、ネイチャーと呼ばれる、自然界の支配者たるモンスター達です』
大陸の俯瞰写真から煙と共に一匹のネイチャーが飛び出して来た。毛の長い犬のような姿をしており、ラビオリの半分の高さである。
『ネイチャーは固有の種の総称です。つまり、ヒューリア人以外の生命体は全てネイチャーというわけなのです』
ぱん、とラビオリが手を叩き犬のネイチャーを煙に変えてしまう。
『ヒューリア人は自然界の支配者たるネイチャーからその命を守るため、集団で暮らし武装することを覚えました。いわゆる国家の始まりです』
『しかし、それは戦争というヒューリア人どうしの戦いを引き起こしてしまったのです』
ラビオリが指を鳴らすと、美しいオブリブィオン大陸の俯瞰写真は、真っ赤な炎に包まれ焼け落ちていった。
『それでは具体的なチュートリアルに参ります。準備はよろしいですか?』
楽吾は震える声で大丈夫です、と呟いた。