表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
連弾のオリハルコン  作者: 常日頃無一文
第2章:不立文字飛鳥
5/13

第1話:ネクロマンス(前編)

 大陸東岸に位置する港湾都市レナコーンは、ギリシア帝国指折りの大都市であった。

 異国との主たる貿易港として栄えたそこは、コルネリオ蜜酒やプライムトードーオイル、竜骨灰といった舶来品の他にも、六連式の駆動銃(ハンドガン)機巧鋸(チェーンソー)、ゼンマイ式の自立人形(オートマタ)といった、帝国独自には再現の叶わなかった機巧道具伝来の地でもあった。

 今でこそ回転式拳銃やゼンマイ式給仕など、旧式(かたおち)として大陸のそこかしこに散見されるが、それらのルーツを辿ってここを通らぬ機巧道具はない。またいまでもレナコーンと聞けば、そこを先端都市として想起する帝国人は少なくなかった。

 レナコーンは各国の建築家が集まって造られたその華やいだ景観ばかりでなく、行き交う街人も多様で異国情緒に満ちていた。

 東方から遥々とギルドの依頼受諾にやってきた剣士。帝国にくすぶる火種で一財産を目論む黒ターバンの武器商人。我が身の異形を晒して生計となす道化見世物集団。辛うじて人語と文明を解す半人半獣、高慢ながらも情熱的なエルフ等々。レナコーンは文明や物品ばかりではなく、異国人たちの玄関口としても機能した。

 かつて繁栄した多くの都市・帝国が、河川や海沿いに位置したという歴史にも習う通り、ここはギリシア帝国を代表する都市の一つとして名を馳せていた。

 それがしかし、濃霧と死臭の立ち込める死国として忌まれるようになってから早3年である。



 そんな港湾都市レナコーンにある工房『レーベンブロイ』の前で、一人の男が足を止める。

 長身痩躯を赤い外套で包んだ男。年の頃は20と少し。肩には重々しいガンケースを背負っており、腰辺りに見える硬質な膨らみもおそらくは駆動銃の銃把(グリップ)。風貌からしてもそうであるが、そもそも今になってこの街を訪れようというものに、おおよそ碌な手合はいない。この男もその類と見て相違ないだろう。


「さてと、これが無駄足にならなきゃいいがな」


 男は呟き、工房を見上げる。屋根より下げられた錆びた看板(ふだ)には、剣鎧(けんがい)の紋章ではなく一丁の駆動銃のみが描かれている。ここで扱う武具は銃火器のみだという、騎士への門前払い。帝国に限らず大陸でも希少な駆動銃専門の機巧師、ガンスミスがここを営んでいる証である。

 遠距離精密射撃という戦における圧倒的アドバンテージも、正々堂々・真っ向勝負を旨とする騎士道精神からは程遠い。故に例え優れた職能を持つ彼らであっても、騎士が支配するギリシア帝国においては鼻摘みとなるのは言うまでもない。しかしそれでもその卓越した技術を欲すギルドや街は多く、引く手は数多である。故に彼らの腕前からすればレナコーンは不相応に過ぎる場所なのだが、それでもここに工房を構えているとなれば、なにか後ろ暗い事情があると見て間違いないだろう。さもなくば狂人とすべきである。

 赤い外套の男はそして、店の中に明かりを認めると微かに笑った。


「どうやらまだ鎚は振れるんだな、あの親父。マジありがてぇわ」


 言って躊躇いもなく、外套の男は勝手知ったる我が家のように、その扉をギィと開いた。

 中に入ると、まずは所狭しと飾られた火器が目に付く。壁の(ラック)に下げられた長銃、短銃、小銃、散弾銃。無造作に立て掛けられた対物銃(アンチマテリアル)に、複数の砲身を束ねた連射砲(ガトリング)。ザっと目に付くだけでも、紛争一つ程度を起こすには十分な火力量である。

 そしてそれらをバックに、片眼鏡(モノクル)をつけた白髪の老人が、黙々と工具台の上で小型駆動銃の分解整備に勤しんでいた。

 彼は来客に気付くと片眼鏡を軽く持ち上げ誰何する。


「いきなりで悪いが、急な仕事を頼まれてくれ」


 赤い外套の男は言ってから、肩に背負っていた長いガンケースを降ろし、そこより一丁の長物を取り出す。白髪のガンスミスはその鈍色に光る二連装砲身長銃を受け取ると、品定めを始めた。


「……これはまた年代物の対物長銃(アンチマテリアル)じゃな。近いうちに城攻めでも始まるのか?」


「相手は建物じゃねぇが、まぁそんなとこだ。今のままだと固定砲台みたいなもんだからよ、取り回しが効くように、こんな感じに切り詰めてくれないか?」


 言いながら外套の男は、内ポケットより皮紙を取り出して渡した。ガンスミスはそれを手にして目を細める。


「むぅ……人間相手への対物銃使用は帝国法で厳格に禁じられておるぞ――という無意味な説教でも垂れながら請け負ってやろうと思ったが、お前さんこれ正気か?」


 やや厳かな面持ちで言えば、


「今のレナコーンでその言葉は役に立つのかい? 俺が聞きたいのは『出来るか・出来ないか』あるいは『したいか・したくないか』だぜ」


 ガンスミスはフンと鼻息を吐いて、それを脇に立てかけた。


「こんなものはガンスミスでなくとも、少々手先が器用な機巧師なら造作も無い。しかしわざわざ出来損(スクラップ)を一つ作るだけのようなものじゃがな」


「良い返事だ。明日には間に合うかい?」


「今日の暮に来てくれても構わん。代金はそのときに伝える」


「吹っ掛けるつもりかい?」


「さぁな。気乗りせんなら他をあたれ」


 そう言って、再び工具台の銃をいじり始めたガンスミス。赤い外套の男は何も言わず、その場を離れた。


「待つんじゃ」


 ガンスミスの呼びかけに足を止める。


「一人の機巧師として、善意からもう一度だけ警告してやる。頼まれた以上仕事は全うしてやる。しかし完成品は間違いなくスクラップだ。お前さんのような痩男が撃てば一発で手首がイカれるか腱を断裂するだろう。誰がこれを扱う? 化物か? 魔物か? それとも単なる飾りか?」


 外套の男は振り返らぬまま


「出来れば飾り物のままにしておきたいね、俺もよ」


 それだけ残し、工房を後にした。

 濃霧の立ち込める陰鬱な通りに戻ると、外套の男は今夜の宿を探して歩き始める。

 異国情緒溢れる街の外観や、立体的な造り、左右を軒で挟んでもなお馬車が二台は並走できる広々とした目貫通りに、大都市レナコーンのかつての名残を垣間見ることが出来る。しかしいまや人影は自分の他には見当たらない。音も自分の立てる靴音の他には、時折すすり泣くような風鳴が抜けるばかりである。


「どこも休業か。ま、そうだろうな」


 男はそこかしこを見上げなら独り言ちる。


「……とりあえず待合酒場にでも向かうか。依頼の一つぐらいあるかもな」


 そう方針を固めて、視線を前に定めた。



 港湾都市レナコーンを包む海風に、潮の香りよりも濃い死臭を孕み始めたのがおおよそ6年前。午前のことである。

 その日、日中でも暮れかと紛うばかりの薄暗い濃霧が街全体を覆いはじめ、どういうわけか雨が降ろうが風が吹こうが、以降それが晴れることがなくなったのだ。

 五里霧中とは言わぬまでも、晴れの日であれ数件先の者は誰何する。そんな程度にまでレナコーンの見通しは、しかし唐突に悪くなった。

 朧気な明かりしか通さぬようになった街は、まるで枯れるようにしてその活気を潜め、代わりに薄雲のような陰気が首をもたげるようになった。そしてその陰気は徐々に人の心を冷めさせてゆき、そして心の冷めた者は道楽に(うつつ)を抜かそうとしなくなった。財布の紐は硬くなり、生活も質素で倹約的なものへと変じてゆく。

 虚無的に、ただ生きるだけの街人たち。

 異国の玄関、港湾都市レナコーンでは考えられぬ様変わりだった。

 そんな無気力にも似た日々が半年ほど続き、やがて街を覆う霧のごとく風潮としてそれがレナコーンに定着し始めると、異国の行商たちも『ここらが潮時か』と荷をまとめ、流浪の掟に従い去っていった。陽の光だけでこうも有様は変わるものかと、わずか一年という歳月でレナコーンは凋落した。

 ――凶兆じゃ。

 そうしてさらに一年後、街の片隅、小さな鑑定台を設けて占いを続けていた老婆が、年代物の頭蓋骨を手にし、黄色く濁った眼を歪めてそう嘆いた。

 ――じきに街は死に覆われる。

 その日のうちに老婆は簡素な店を畳み、消えるようにしてレナコーンを離れた。

 また耄碌婆の戯言かと、普段は物笑いにされる(ペテン)師の捨て台詞である。しかしこの不吉な予言は大方の予想を裏切り、また逆に暗澹たる不安を的中させるかのように、レナコーンの今を物語っていた。



 赤い外套の男はギルドの待合酒場であるグウィドリンを尋ねた。

 いまや禁忌区域として一般民の立ち入りが禁じられている都市だけあり、帝国からは業務停止を勧告されているものの、店の明かりは消えていない。どうやらまだ商っているようである。


「まだまだ俺も見捨てられてないわけか」


 と、男は扉に近づきノブを握った。

 遊軍組織に帝国が過度に干渉することはないが、しかしここに詰めるギルドメンバーも途絶えて久しいと巷では(もっぱ)らである。ならば此処は何を持って営まれているのか、それを知るものは少ない。

 カランカランと扉を開けると、初老のマスターが会釈で彼を迎え入れた。

 二人の他には誰もいないが、よく磨きこまれた木の調度品はいつでも客人を持てなせるよう、どれも飴色の艶を放っている。

 外套の男はごく自然な足取りで、席の一つに腰掛けた。するとマスターもまた、ごく自然に注文(オーダー)を取りに向かってきたが、


「いらっしゃいませ。お兄さん若いのに、一体何をやらかしたんですか?」


 と、掛ける一声はレナコーンならではである。マスターはそしてグラスに蜜酒を注いで「これのお代は結構です」と薦めつつ、意味深な笑みを赤い外套の男に向けた。今になってレナコーンを訪れよう等という者は手配者か賞金首か狂人か、いずれにしても無頼(ろくでなし)と相場が決まっている。帝国に見つかれば縛り首とは言わぬまでも、終身牢は固い連中ばかりだ。

 赤い外套の男は「悪いな」とグラスを手にとって一口傾け、


「実はいまスゲー怖い女房に追いかけられててよ、そっから逃げる最中なんだ。下手に謝っても腕の一本は持ってかれる。だからそのマグマみてーなほとぼりが冷めるまでは、どっかで雲隠れしようと思って」


 言えばマスターは愛想よく笑う。


「ここは年中霧が立ち込めてますからね。雲隠れにしろ霧隠れにしろ、行方をくらますには最適です。……それにしても、死者帝国(こんなところ)にまで逃げ込んでくるなんて、よほど恐ろしい奥様なんですね」


 もちろんマスターは彼の言葉を真に受けていない。しかしセリフの行間に潜んでいるであろう僅かな真実の片鱗を、伺うように読み取らんとしているのかもしれない。儲けの薄い仕事の慰みとして。

 外套の男は頬肘をついてニヤっと笑う。


「ああ、恐ろしいのなんの。アレがキレたら軍神アレスだって逃げ出すぜ?」


 言ってから再びグラスを傾けた。


「それはそれはなんともはや。ギリシア神話における最も好戦的な神アレス様が比喩に上がるとは、確かに恐ろしいことこの上ないですね」


 マスターが愛想よく相槌を打つと、男は肩をすくめた。


「しかし軍神アレス様ですか。そんな風に比喩される女性など、私の狭い知識では……そうですね。あのギリシア帝国親衛隊イージスの副隊長、帝国最強の騎士と謳われるアテナ様ぐらいしか思い浮かびませ――どうなさいました? 酒がお口に合いませんでしたか?」


 ムセたようにえづく彼を気遣えば、男は制するように手をあげる。


「ケホッケホ! ケホ! ああ、いや、ケホ! 悪い。水を少しくれ」


 かしこまりました、とマスターは応じた。

 渡されたグラスで喉を湿らしながら、男は言う。


「……まぁしかし、俺もそうだがあんたもさ、いくら待合酒場のグウィンドリンとは言え、こんなところでずっと店を構えてるなんてよ、スネに見られたくない傷でもあるのかい? 帝国からは引き払えってうるさいだろ?」


 マスターは笑う。


「そうですね。そういうご親切は定期的に頂きますが、しかし私はここを離れるにはあまりに多くのしがらみを持ち過ぎたようです。ですから……この老骨の身では今更になって出て行くなど、あまりに荷が重すぎます」


 そこでふとマスターの足に目をやれば、外套の男はそれが木製の義足であることに気付いた。店内に飾られる調度のように、飴色に変色した年代物のステッキが、足首に変わって彼を支えてる。


「それは?」


 と、何気なく尋ねる。マスターは好々爺のように微笑み、


「ええ、これもそのしがらみの一つです。あるいは思い出と呼べるやも知れません。ははは」


 と、あくまでにこやかに笑う彼。外套の男はそれ以上を追求しなかった。今や無法地帯でもあるレナコーンでは、心にしろ体にしろまともで居続けることのほうが難しい。五体の不満足など、ここでは掘り下げるに値せぬ話題(ネタ)なのだ。

 と、そこで店の入口で、来客を告げるカランカランという物寂しい音が響いてきた。マスターがそこに目を向け


「今夜は繁盛ですね。まるでかつての港湾都市(レナコーン)のようです」


 というマスターの言葉通りか、現れた客人は二人。

 一人は東方の剣士らしく、()の国特有の、反物をそのまま着たようなゆったりとした服装(みなり)であり、腰には長い倭刀を帯びていた。髪は青く後ろでまとめられた総髪で、目は閉じられているように細い。そして口元には薄い笑みを讃えている。柔らかな身のこなしと合わせ、涼し気な印象だった。

 もう一人は肩まで金髪を垂らしているが、顔には道化師の片面を付けているため人相は伺いにくかった。しかしながら身体のラインに沿った密着性の高い暗鎧(あんがい)を纏っているため、女であることは確認できた。また腰に帯びている得物は、鉤爪のように湾曲した短刀が二揃いである。こうした屋内の明かりで目にすれば奇怪の一言で済む出で立ちであるが、宵闇や霧の中で朧となって目にすれば、死神(リーパー)とも錯覚し得る不気味な身なりでもあった。

 二人は連れ合いにしてはチグハグな格好であるが、しかし知らぬ同士という程には距離を開けず、店の一角のテーブルに腰を落ちつけた。マスターの言うことにはなるほど、確かに異国の玄関として栄えた頃に相応しい取り合わせである――――外套の男は内心でそう思った。


「いらっしゃいませ。何かお飲みになりますか?」


 と、マスターが二人のテーブルに伺う。するとまずは剣士の方が会釈し、


「手前は下戸ですので水を。他は結構です」


 と。すると道化面の女はしっとりとした溜息を吐き、


「傾月さん。せっかく極東からレナコーンくんだりまでいらしたのでしょう? このような場では郷土料理を召し上がるというのが道祖神への礼儀ではございません? ……そういうことで、マスター。私には何かレナコーンならではの品をお願いしますわ」


 妙に品のある言葉調子で言えば、マスターはかしこまりました、と頭を下げてから下がった。


「ところでお二人様、このような場所まで本日はどのようなご用向きでしょうか」


 マスターがグラスを用意しつつ尋ねると、女は剣士に流し目する。


「そうですわね……。ここで何か素敵なお話があればと思いまして。ねぇ、傾月さん」


「ええ、まぁ。手前は藁にもすがる気持ちで探しものをしに参ったのですが、なかなかお話の聞ける御仁に会いませんでしたので」


 と、剣士は少し困った様子で応えた。マスターは頷く。


「それは難儀でございましたね。今となってはもう、ここでは生きている我々こそが特異ですから。話し相手を探すのも一苦労だと思います……それで、お二人はどのようなものをお探しですか?」


 このようなマスターの好奇心は、本来、レナコーンでは抱いてはならない種のものである。しかしそれを、長年ここで暮らす彼が知らぬ道理はない。


「新鮮な死体ですわ」


 女はサラリと言う。


「レナコーンならば活きの良い死体の一つや二つぐらい野垂れ死んでらっしゃらないかしらと思いまして、私はこんなクソ辺鄙なところまでやって参りましたの」


「……はぁ、まぁ。確かにここは死者の国と呼ばれてますから、探していらっしゃれば道中に果てている方もいるかもしれません」


 マスターはカクテルを準備しつつ冷静に応答したが、ハンカチで軽く額を拭っている。多少、火遊びが過ぎたと気付いたのだろうか。


「そう思いまわすよね。私もそのように考えて参りました次第ですの。けれども今のところ、ここまでの道中には人っ子一人、猫の子一匹死にやがってなさいませんの。死者の国とは聞いて呆れましたわ」


「それは少し、検討が外れてしまいましたね。ハハ」


 もちろん、マスターの顔は笑っていない。


「そのようで。けれども私の方に不都合は一切ないのですけれどね」


「とすると、他にお目当てのものが見つかりましたか?」


「まぁそれもありますけれど、ハプスブルクの言葉をお借りすれば『死体がないなら作れば良いじゃない?』ですわね。この辺をほつき歩いてる輩ごとき、首を刈り取ったところで悲しむ方はいらっしゃらないでしょう」


「お客さん、どうかご容赦して下さい。ただでさえうちは経営難なんですから、これ以上治安が悪くなったら本当に店じまいです」


 そう言いつつ、マスターはグラス二つをトレイに乗せて二人の元を訪れる。

 そしてルビー色に輝く酒に満たされたカクテルグラスを、女のほうに置いた。


「ガーネットティア。堕天使の血涙とも言われるカクテルです。宝石のようなワイバーンの鮮血を神花コルネリオの最上部で取れる肉蜜で割った一品です。濃厚な甘みの中に鮮烈な血の味が楽しめます」


 道化師の面の奥で、女の目がうっとりと緩んだ。


「コルネリオ島……。あと数年内に花災流を起こすと言われている呪咲の大輪。一度この目で確かめて見たいのですけれど、あいにく私が上陸申請をしても頂けるのは処刑場への出頭命令ですわね」


「こちらお代は結構ですので、どうか御慈悲の心で持ってレナコーンの生者にはご容赦の程を」


 マスターは頭を下げて、そして水の入ったグラスを剣士の方にそっと置いた。


「そうですわね。それでは心優しいマスターに免じて、ここで予定していた首刈(ネックハント)は取り止めにしますわ」


「有難うございます」


「けれどもこのお酒がいまいちでしたら、グウィンドリンのマスター気取りの首ぐらいは頂きますわ」


 いつの間に抜かれたのか、湾曲した刃の先端がマスターの喉にきらめいていた。


「!」


 それに気付いた瞬間、マスターの顔が引きつったが、女は逆に目を弛緩させる。


「その程度の覚悟があっての給仕ですわよね?」


 道化のように笑う女に、マスターはゴクっと喉を鳴らす。


「何とも手厳しい。しかし私はお客様にお出しするものには絶対の自信を持っておりますので、分かりました。もしもこれにご満足頂けなかった場合、この老いぼれの首で良ければ差し上げましょう」


 道化の面の奥の目が、まるで道化そのもののように笑う。


「伊達にここでマスター気取ってませんわね? 貴方」


「恐れながら、私はマスター気取りではなくマスターでございます」


 女は満足そうに頷いてから曲刀を滑らかに収めた。しかし酒には手を付けず、立ち上がってそのまま入口の方に向かう。


「ところでマスター。ここの墓地はどちらに?」


「西側になりますが、今度はどのような趣で?」


 その好奇心はいつか身を滅ぼす、しかしやめる気配はない。マスターの言うしがらみとやらはその辺りかと、赤い外套の男は他人事のように推測した。

 女が微かに振り向く。道化の面がない方を向けて。


「『死体がなければ掘ればいいじゃない?』ですわね」


 そしてその顔は麗人というに相応しく端正であったが、しかし面相は仮面よりもなお道化染みた笑みで歪んでいた。


「世の中には『熟したほうがイイ』とか『腐りかけが一番うまい』なんて言うどうしようもなくクズみたいで救いようがなくクソみたいで耐え難いほどゲスみたいなお客様もいらっしゃいますの。今回はそういう輩のために『傷んだ女子』でも頂いていくことにしますわ」


 言うだけ言って笑って、ドアノブに手をかける。


「それでは御機嫌ようマスター、傾月さん。それから旅の人」


 カランカランという音を最後に、彼女は外へ消えた。しばしの沈黙が酒場の中を満たしたが、やがてそれを破ったのは


「ゲルニカと、そう名乗っておられましたね」


 相変わらず涼し気な様子の極東の剣士だった。


「……ゲルニカか」


 赤い外套の男がそこで口を開いた。


「ギリシア帝国が大陸全土で指名手配している大規模人身売買ギルドの名だ」


 言いながら、ゆっくりと立ち上がった。


「家柄や出自、血筋家系を職位判断の重要参考資料にしている通り、身分制度や階級社会を肯定的に捉えたギリシア帝国は『奴隷貿易』や『生きた積荷』っていう商売について相当寛容だ。事実、レナコーンが港湾都市として栄えていた頃には、舶来品に紛れて未開人や戦災孤児などが人的資源として取引されていた。帝国側はそれを良しとはしなかったものの、取引対象がギリシア帝国平民未満である限りは黙認していた節がある」


 男は静かに、剣士とマスターの方へと歩を進める。 


「また、ギリシア帝国はゲルニカの構成員の捕縛に過去三度成功している。その中には見世物小屋に転売するために、年端も行かぬ少年少女の四肢を裂いたっていう外道もいたらしいが、当該少年少女が元奴隷というだけで刑は禁固止まりとなっている。へ。騎士道精神が笑わせるだろう?」


 やがて二人のところに来た男は、先程まで女が座っていた椅子に腰掛ける。


「そんな慈悲深いところで捕縛後裁判なしの一発縛り首が確定してるとくれば、ゲルニカでもアイツぐらいしかいない。……ギリシア帝国の名門アトキンス家の第一息女、一度は帝国親衛隊イージスの隊員候補にまで上り詰めた、竜人(ドラゴニアン)も黙る曲刀奏者(ショーテルマスター)。二つ名は首刈淑女(ネックハントエグゼキューテス。ここまで言えば分かるな? ほら、3年前のコボルト討伐戦でフィナンセル村を焼き討ちにした――」


 そのときさっと、マスターの顔色が変わった。男はそんなマスターと剣士を一瞥ずつしてから言う。


「元ギリシア帝国・近衛第0師団スリーピーホロウ隊長、アンゼリカ・アトキンスだ」


 ギリシア帝国近衛第0師団スリーピーホロウ。

 敵兵の首を刈り、投降兵の首を刈り、捕虜の首を刈り、占拠した村人の首を狩り、軍令を犯した自軍の首さえも刈るという、帝国の誰よりも首を刈りながら、しかし敢えて自らを『首なし騎士』と称するその巫山戯た師団は、窮地を救われた友軍をしても『目に余る』と言わしめた残忍無双な戦ぶりから、帝国では魔物討伐専用部隊として扱われ、そして忌まれていた。

 そして彼女――アンゼリカ・アトキンズがスリーピーホロウを率いるようになってからは、たとえ魔物相手であっても忍びなしと言われるほど、残忍さに拍車がかかったという。例えばそれはダークエルフに行われた血浴(ブラッドバス)。コボルトに行われた生輪切(ラウンドスライス)。ワイバーンに行われた剥皮(シペトテック)。そして名門アトキンス家でさえ擁護の叶わななかった、フィナンセル村の焼き討ちである。

 如何に敵の士気を削ぐためとはいえ、そしてそれが効果を上げたとはいえ、所業が騎士から逸脱しているという前例のない理由で持って、スリーピーホロウはアンゼリカ就任後、僅か2年で解体された。そしてそれから同じ2年が過ぎるのだが、未だその悪名がギリシアで薄れることはない。

 ――スリーピーホロウ。

 ――アンゼリカ・アトキンス。

 その名を聞いて顔を蒼白に変えているマスターの前で、赤い外套の男はアンゼリカが残していったカクテルグラスを引っ掴み、


「ついてるぜマスター。アイツがこれ飲んでたら、今頃あんたの首はそこに転がってただろうよ」


 一息に煽った。グラスを置いて一言。


首刈狂(ネックハントジャンキー)に間違っても血なんか吸わすな。こいつは酒代だ」


 チェシャ猫のような笑みを浮かべると、マスターは蒼白のままに苦笑した。



「さてと、ところで話は変わるが金がいる」


 赤い外套の男は、マスターにかかった呪縛を解くように軽い口調で話題を転換した。


「ここが待合酒場グウィンドリンの看板を掲げてそしてマスターがいる以上、最低一つぐらいはあるんだろ? ギルドの依頼が」


 言われてマスターは我に返り、


「え、ええ。それは。あるにはありますが、しかし曰くつきのものが1つだけでして、それももう依頼とは名ばかりの単に形骸化しただけのものと申し上げますか……」


 言いあぐねている彼に対し


「ああ、まぁ一応見せてくれ」


「かしこまりました」


 そう言ってマスターは下がり、カウンターの奥に向かう。


「こちらになります」


 空になった酒瓶に隠れるようにして、件の依頼はボトルラックの壁に貼り付けられていた。マスターがそれを丁寧に取り出し、軽く払ってからテーブルに広げる。

 経年によりやや黄ばんだ紙に記されているのは、緊急依頼という殴り書き。これをギルドへ提出した街人の必死さが、紙の筆跡には滲んでいる。

 赤い外套の男は依頼内容に目を通した。


緊急依頼:濃霧調査

概要:レナコーンを覆う霧の発生原因の特定、及び集団怪死事件の解明と解決。

報奨金:10000G

特記事項:契約金

当該任務に限り、遊軍ギルド・レナコーン支部は依頼受諾者に契約金1000Gを課すものとする。ただし依頼達成時に、ギルドは報奨金に加え契約金を受諾達成者に返還するものとする。


「集団怪死事件――?」


 チラとマスターに目をやれば、彼は黙って首を左右に振った。話すことを拒否しているのか、それとも事情を知らぬのか――否、ここに長く根を張っているのであれば後者は有り得まい。しかし男は追求せず、報酬金の額に目を細める。

 ――10000G。

 宿を選ばなければ半年程度は悠に潜っていられる大金である。当座のしのぎとして文句はない。ないが、これだけでは身の振り方もない。


「これに関して手掛かりらしいものは?」


 マスターはしかし、ゆっくりと首を左右に振った。


「全くありません」


 手掛かりなしに依頼を受諾すれば、当然その地をシラミ潰しに当たることになる。しかしレナコーンは他都市に比べて相当に広く街の造りも凝っている。隅々までの探索は骨が折れるだろう。早々、暗礁に乗り上げたか。


「が、私から言える事実が1つだけあります」


 そう言ってからマスターはかしこまるように、手を体の前に組んだ。


「この依頼を受諾された方の運命はこれまで二つだけです。一つは、手掛かりが無く諦めてレナコーンを去ったか。もう一つは、何かを掴んで西の墓地へと進み帰らぬ人となったか」


 役場(シティホール)に残された記録を便りとしたか、それとも事前にある程度の当たりはつけてきたのか。ともあれそんな具合に『なるほど、確かにここが死者の国とは言い得て妙だ』と手応えを感じ、地下墓地(カタコンベ)を目指した受注者は、しかしここ6年間例外なく戻って来なかったとマスターはいう。


「ふむ、地下墓地か……」


 外套の男は顎に手を当てる。『死者の国』との呼称を素直に考えれば、『地下墓地』を連想するのは易い。しかし調査対象としてかと言えば、そうではない。港湾都市で濃霧調査と聞いて浮かび上がるのは普通、海風の吹いてくる東の海岸である。そして地下墓地はその真逆――街西部の丘陵地にぽつねんと位置するのだ。順当にいけばまず海沿いを巡り、廃屋を当たり、街の歴史が蓄積された役場を当たり、そして散々調べ尽くした末、なお余裕があれば訪れる、というぐらいの場所だろう。少なくとも最初から臨むにしてはゾっとしない場所だ。故に確信的にそこを訪れたとなれば、相当の根拠があったと見て間違いあるまい。しかし――

 しかし何より6年間生還率ゼロという数字は、緊急依頼において何を置いてもそこを掘れと言っているようなものである。

 赤い外套の男は結論に達し、微かに笑った。


「最高の手掛かりだ。ありがとよ」


「礼には及びませんが、もしや?」


 そのまま入口に向かう男を、マスターは期待をかけるように呼び止める。


「金は欲しいが命はもっと惜しい。受けるかどうかは、軽く様子を見に行ってからにするぜ」


「賢明なご判断だと思います」


「じゃ、日が暮れないうちに早速行ってくるわ。宿も探したいしな」


「それでは私はここで、吉報をお待ちしております。……ところで東方からいらっしゃった剣士様、貴方はどのようなご用向きで」


 そんなセリフを背中に聞き、やれやれと赤い外套の男は嘆息しつつ、ドアノブを捻った。そんな調子ではここのマスター、片足に続いて腕の一本も何れ失うかも知れぬと。

章名の通り、これは不立文字飛鳥の物語になります^^

完結まで三話ぐらいになるでしょうか。

ではではまた

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ