第4話:花災流(後編)
攻略の朝、コルネリオ島に対して帝国からの撤退命令が出た。
そしてそれを裏付けるかのように、今朝、村の観測隊が単眼鏡にて、コルネリオの一輪から花弁が舞い落ちたのを認めたと言う。
確実に、花災流は今日起きる。
村もエレナコもレッドハットも、観測隊の見立てに同意した。
これを受け、村に未だしぶとく残っていた村長達、観測隊、上陸所にいる門衛、酒場の親父などは、抱えられる範囲の財産と貴重品をまとめ、島の港に停泊していたXX達が乗ってきた軍船に乗り込み、コルネリオ島を離れることになった。
湿り気のある潮風を帆に孕み、波に揺られて遠ざかる彼らを、今や見送る者はいない。未だ島に居残る無法者など、精々、それを背中の遥か後方とするギルド二つのみである。
「信じられないわねホントに。帝国直々の命令に背いてまで、どうしてワタシ達は命がけで花見なんてやってるのかしら。ギルドライセンス返上する絶好の機会だったのに」
空気の薄い中、張り付くような湿気の中、ソプラノ・ブリリアントは独りゴチつつ、けれどもレッドハットの魁としてもくもくと上って行く。流石は森を住処とするウッドエルフと言うべきか、このぬかるんだ密林を行く足取は舗装された街道を行くように滑らかで、XXと飛鳥は追いすがるのに精一杯だった。
登攀開始から現在6時間が経過。時刻は昼前で、現在位置は高さにして4合目。休憩もろくに挟まず、水分補給も食事も歩きながらの現地調達で、常人ならもう二度は行き倒れていても不思議はない。にもかかわらず、ソプラノのピッチは衰えない。
「ほらもっと速度あげなさい! 苗の位置はまだまだよ! 途中で花災流起きたらどうするの!」
多少なり体力には自信のあったXXも白旗だった。
ちなみにギルドの依頼は帝国の事情とは一切無関係のところにあるため、コルネリオ島で花災流が起きようと撤退命令が出ていようと、依頼を請け負った限りは達成しなければ組合にライセンスを返上しなくてはならない。
「ヒィ、ヒィ。飛鳥、次は一言相談頼むぜ」
「ハァ、ハァ。合点承知です御主人様」
二人は息も絶え絶え。
「何足止めてるのよ! いつ花災流が起きても不思議はないんだから! そんなチンタラしたスピードで辿りつける程コルネリオは低くないわ!」
ソプラノ・ブリリアントが振り返って叱咤した。しかし二人は手を振って応えるのが精一杯という有様である。
コルネリオの登攀ルートは二通り。
いまソプラノ・ブリリアントが切り開いているルートと、それとほぼ平行するテノール・ブリリアントが進むルート。進行速度は歩調を合わせ、時折合図を送って前後のズレは修正される。
鬱蒼と茂る花と蔓草のせいで、互いの姿こそ視認出来ないが、大声を出せばコミュニケーションは可能な開きである。そんな程度の距離ならばそもそも、ギルドは二手に別れる意味はあるのかという事だが、ウッド・エルフ曰く、全滅を免れつつ互いを確実に援護する編成がこれなのだと言う。
昨晩の宴が終わった後、酒場のテーブルでコルネリオ島の地図を開いたテノールブリリアントからその案を聞かされた時、XXは首を捻った。
「まぁ戦力を分散して全滅を避けるってのは分るし、援護出来るギリギリの距離で行動するって言うのも分る。けどよぉ、見通しの悪いコルネリオで飛び道具使った援護ってゾっとしねぇんだが」
ウッドエルフに生き馬の目を抜く弓術があっても、的が見えなければ話にならないのではあるまいか。即ち、XXの不安は視界不良による誤射である。
「だから人間風情の物差しで計るなと言っただろうXX? まさか、俺達の耳がただの飾りだと思っているのではあるまいな?」
テノール・ブリリアントは自分の長く尖った耳を指差しながら、テーブル向かいで足を組んでいるXXに言う。
「俺達ウッドエルフは的を『見る』以上に的を『聴く』」
「的を聴く?」
「そうだ。森に潜む獣の姿は見えないが、森に潜む獣の声は聴くことが出来る。お前達もそうだろう? ここのような見通しの悪いは場所は目ではなく耳が口ほどに物を言うからな。そもそも視界の悪さが起こす失敗を懸念していること自体、それこそ『的外れ』というものだ」
「へっ。エルフさん達は目を閉じてたって矢は100発100中なわけかい?」
「耳が開いていればその表現も大仰ではないぞ。逆に目を皿の様に開こうとも耳をぴたりと塞がれたら、俺達の弓術は能力が半減するやも知れない」
XXは頷いた。
「OK。分ったよ。その辺りの感覚は人間の俺が追及したって始まらねぇ。信頼するぜ」
「当然だ。改めて言うがそちらには俺の姉でありエレナコの副隊長を同行させるのだ。こちらからの矢など心配するべくもなかろう?」
XXは手を振って否定する。
「いやいや、俺は別にエレナコさんが暗殺する可能性があるとか言ってるんじゃないんだぜ?」
テノール・ブリリアントは嘆息し、やれやれと首を左右に振った。
「当たり前だろう。そしてXX、お前が誤射のことを気にして今の話を出してきたのも分っているし、俺はそれに応えたつもりだ」
流れ矢が飛来しようと、『天弓愛染』が傍にいる時点でお前達の安全は保証されている、彼はそう言った。
「テノール様!! ワイバーンです!!」
鉛色の空を切り裂いて飛翔する暗緑色の影を認めたのは、エレナコ側のウッドエルフである。
テノールは、飛来してくる翼竜の風切り音に眉を潜める。距離はおおよそ100。目ならぬ耳を閉じてもその目を穿つことのできる距離である。しかし彼が気にしているのはさらにその奥で、霧と雲のせいで視認は不可能ながら、しかし獰猛な気配を隠し切れていない残り4頭の存在である。
「奥にはまだいるぞ。どうやら群の様だ」
風音から察するに、ワイバーンの軌道は上空を旋回している。偵察行動の典型だ。つまり幸いな事に、4頭はまだこちらへ気付いていない様子だが。
「しかし一頭に見つかれば同じか。……連中も何れ俺達に牙を剥いてくるだろう。ならば先手を打つのが上策」
そう言って彼の代名詞、竜狩りの白弓『アリアドネ』を背より降ろし、本弭をコルネリオの適当な幹へ打ちこんで固定した。
「全員構え」
テノールの声を合図に、滑空してくる一頭目に対し、ウッドエルフ達が矢を番えて引き絞る。四十数人ものウッド・エルフがいれば、如何に空の強者ワイバーンとはいえ仕留め損じることはないだろう。彼らの腕前については極東出身の野良々も良く知っているし、その点に懸念は無い。
けれども、彼女は愛刀『撫子』を腰のあたりに滑らせて、重心を低くした。剣豪特有の、勘である。
「野良々様?」
静かで鋭い剣気を放つ想い人に、アリアドネに竜狩の矢を番えつつもテノールは問いかけた。
「くるで」
彼女がそう呟いた時、矢は一斉に放たれた。ズレのない重い空気振動と共に面状に広がった矢の群――文字通りの矢面が、両翼を広げて空中制御を計ったワイバーンに剣山の如く突き立った。
ビリビリと身体を打つような悲鳴と共にワイバーンは墜落し、エレナコの前に転がり落ちてきた。至近距離で矢を放った為に撃墜には成功したが、翼竜の鱗は岩の様に固い。故に未だのたうつ緑の竜に致命傷は無く、血走らせた目でウッドエルフ達を皆殺しにせんと首をもたげ、咆哮する。
「この距離では外す方が難しいな」
テノールは極至近でアリアドネを放った。
無音のまま竜の首が弾かれたように消失。
コルネリオが揺れたかと見るや、近くの幹に引きちぎられたような竜の首が、目の位置で深々と穿たれ揺れていた。歓声の前にアリアドネの余波である突風が巻き起こり、全員が身体を低くする。マントを抑えつつもウッドエルフの一人が、ワイバーンを仕留めたリーダーを称えようとした時、
「まだや!!!」
野良々が声を発した。その直後、右前方の茂みを薙ぎ倒して現れた極彩色の大輪が、肉に喰らいつく猛獣の様な凶暴さでワイバーンにのしかかり、花弁を口の様に操って持ち上げ、『丸呑み』にするよう包み込んだ。
「食人花だ!!!」
蕾の様に閉じた花弁が蠢きながら、異様な音を籠らせる。
ばりばりばり。ごきゅごきゅごきゅ。ごりごりごり。
噛み砕かれるような、引き潰されるような、嚥下されるような。湿り気のある音。肉と骨の咀嚼音。それを立てながら、高さ10mはある七色の花が、黄緑色の蔓草や葉を手足として、こちらへ『練り歩いて』きた。
「おいウソだろ……」
この様相に、ウッドエルフ達は後ずさりする。恐怖ではない。異様なのだこの事態が。
ワイバーンとコルネリオは共生関係にある。
食人花は、たまに訪れる無知で屈強な人間や、野生の小動物を、蔓草やあるいは花弁で直接捉え、それを咀嚼した後に飲み込み特殊な酵素で発酵させ、ゼリー状の肉蜜を生成する。ワイバーンはそれを餌として食人花の元へ現れ熟れたゼリーを貪るのだが、これがコルネリオにとっては受粉行為となっている。
故に翼竜と食人花は互いが互いを必要とし、襲う事は全くないのだが、その節理が今、目の前で破られているのだ。
――満開を控えて気が昂ぶっているのか?
推察をしつつも、
「第二射、構え!」
テノールのその声で一斉に矢を番えるウッド・エルフ達。
「あああああああ!!」
悲鳴は後列より上がった。何時の間に忍び寄っていたか、食人花の大蛇の様にうねる蔓が、一人のウッド・エルフの足を捉え、逆さ釣りにしたのである。
「くそ!」
傍の一人が弓を放って腰から曲刀を抜いた時、先に一筋の銀光が閃いた。
目にも曖昧な抜刀速度とその斬撃。既に空中で納刀を終えているのは野良々である。彼女のフワリとした着地に合わせて、ウッドエルフを捉えていた蔓は滑らかに斬り口に切断され、蔓はようよう傷を負ったと悟って緑色の粘液を撒き散らしながら逃走する。
「御怪我はありませんか野良々様!」
「うちは何も! それより次くるで!」
飛びかかる様な速さでやってきたのは新手の緑手。テノールはコマの様に回って避けつつ、そのまま勢いを殺さず一刀で切り落とした。
しかしそれに留まらず次々と、入れ替わり立ち替わり鞭の様にしなって襲いかかって来る太い蔓の群。
切った傍から際限なく、茂みの間から溢れるように飛び出してくるそれら。しかもタイミングはバラバラで位置も不明確。後ろから前から、左から右からと縦横無尽に変幻自在。不意を打って蔓草が襲いかかるには、密林ほど適した隠れ蓑も無い。必然、彼らは背中合わせに円を形作る、方陣をとることとなる。
テノール・ブリリアントは曲刀を振るいつつ舌打ちする。ウッド・エルフ達が不慣れな白兵戦を強要されるているからだ。
「難儀なヤツらめ」
しかし彼らもギルドに所属している戦士である。弓術でこそ真価が発揮されるとは言え、決して剣術がおざなりで済まされているわけではない。その腕前は、彼ら一人一人を剣の手錬と言っても言い過ぎではない。故にこうして防御に徹する限り、危険性は薄かった。しかしその上で、
「まずいな」
曲刀を緑色に染めつつ、テノール・ブリリアントの頬を焦燥の汗が伝う。
油断は出来ないとは言え、蔓草はこうしていれば何とかいなす事は出来る。しかし問題は、今もじりじりと寄ってくる食人花の存在だ。高さ10mを越える極彩色の猛獣。捉えられたら一溜まりも無いのは、先にワイバーンが身をもって表してくれている。
テノール・ブリリアントは不本意ながらも、つい野良々に期待の目を向けてしまう。しかし彼女は彼女で、白兵戦の不得手なエルフを守るために、他のウッドエルフの数倍の労力を費やされていた。
密林の中を前後左右のみならず、上下を加えたまさに立体機動で、彼女は幹や蔓草を足場に飛び回り、目にも曖昧に剣筋を鮮やかに閃かせている。 その剣舞に、野良々様の手を煩わせおって! という場違いな腹立たしさに加え、場違いな笑みをテノール・ブリリアントは浮かべてしまう。得心が言ったのだ。なるほど、XXが貴重な戦力だと言った理由は良く分ったと。
と、その時である。
銀の雨が風切り音の重奏と共に降り注ぎ、食人花の全身を削る様に穿った。
「!!!」
極彩色の大輪は、猛烈な勢いで身体を貫かれて狂ったように身悶えするが、回避と言う概念を嘲笑うように降り注いでくるその密度に為すすべなく、あっさりと未消化のワイバーンをぶちまけて倒れ、さらに地面に張りつけにされた。
蔓草など言うに及ばす、食人花が標本の様に沈黙している頃には、既に痙攣さえしている死に損ないもいなかった。
瞬く間の出来事。
残されたのは、銀の針山。
問答無用の空間制圧攻撃。
それでも野良々やエルフ達を避けるように降り注ぎ、突き立って行った、計算された無数の矢。
言わずもがな、ソプラノ・ブリリアントによる曲射『天弓愛染』である。
「おっしゃー!!!」
気合い一発とばかりに横薙ぎにされた猛るデイジーが、直径1mにもなる食人花の茎を分断する。
「まだまだ~!!」
振り返りざまに振り上げられたチェーンソーは、丸呑みにしようと覆いかぶさってき極彩色の大輪を真っ直ぐに貫き、
「庭の手入れはお任せあれ!!」
そのまま巻き割りの如く斬りおろされ、真っ二つとなった。
「一丁上がりです!」
飛鳥は宣言。
そのエッヘンとした傍に緑の巨躯が墜落し
「キャ!!」
と地響に揺られて飛びあがって見れば、脳漿をバラのように咲かせたワイバーンの首がぐったりとしていた。
「わりぃわりぃ飛鳥」
遠方でXXが、銀のラインフィードを中折れさせて空薬莢を吐きだし、次弾を込めながら言った。彼の周りには既に、脳天から背中までを抜かれた翼竜の死骸が3頭も転げている。
「一言ぐらいお願いします御主人様! 危うく私ペッタンコになるとこでしたよ~!」
頬を膨らませているゼンマイ仕掛けのメイド、XXは苦笑した。
「まぁソイツでワイバーンは終わりだろう。全部で五頭いたが、一頭は向こうが始末してくれたようだしな」
ラインフィードを一振りして金属音を鳴らし、XXは薬室を閉じてホルスターへしまった。
「しかし――まるで速射だな」
XXが流し目。
「援護要請はなかったけど、念のためにね」
朱塗りの弓に張られた、弦楽器と見紛うばかりの無数の弦。
和琴を奏でるが如きの優雅さで、空へと放たれた銀矢の嵐。
「アタシがいないとたぶん、弟は相当苦戦してるはずだから。……あの子、昔から喧嘩は強くないし」
天弓を改めて背に負い直す、名うてのウッドエルフ――ソプラノ・ブリリアント。
「それにしても――」
空になった矢筒をコンコンと指で弾きつつ、しかし目線は眇めるように鋭い。
「貴方達何者よ?」
彼女は問うた。
緑の樹液に塗れつつ、高さ10mはある食人花を三つも薙ぎ払った不立文字飛鳥に。
距離300から空の強者ワイバーンの頭蓋を正確無比に打ち砕いたXXに。
しかも自分の助力があったとは言え片手間に、襲い来る無数の蔓草までしのいで見せた二人に。
片割れがまずは応える。
「XXだ。ただのXX」
残りの片割れもまた応えた。
「メイドです。でもたぶん、将来は御姫さんです」
二人して笑った。
一方コルネリオ島の岸壁。今は無人の上陸所。そこを通過する一人の影があった。
普段であれば凛とした趣を称えていたであろう、その金髪碧眼の美丈夫は、2泊3日の強行独り船旅を終えてよれよれである。
「あのチャランポランめ~。一度ならず二度までも、よくも許嫁たる私を謀ってくれたな」
グググと握り拳を作り、ぎりぎりと奥歯を噛みしめて村に入る。
「加えて私が直々に帝国へ進言し発令した、コルネリオ撤退命令にまで背くとは。英雄オリハルコンはそこまで金に目がくらんだか」
青と銀の豪奢な鎧で身を固め、ノッシノッシと歩くこの美少女は、
「騎士の名にかけて私が直々に叩き直してやる!」
もちろん帝国親衛隊のアリシア・オーランドさんだった。
正直なところ、アリシア・オーランドさんは憤懣やるかたなかった。
茂りに茂った道なき道を拓きながら、汗よりも湿度に塗れて彼女は行く行く。
「ええい、あの許嫁は一体どこまで登ったのだ!」
大陸最強とも謳われる帝国親衛隊、イージスの隊長アテナは、いま現在、絶賛無計画にコルネリオ登攀中である。
当初の計画はコルネリオ島撤退命令で島民全体を避難させた後、こうして単身乗り込んでコルネリオとかさっさと『雷光の槍』でお焚きあげし、軍船に迎えに来させて意気揚々颯爽と帰るつもりだった。
花災流だか何だか知らないが、そんなもの二泊三日の風呂なし船旅の苛立ち込み込みで奇跡を起こし、刀身を何時もの倍増しにして振り回せば余裕だった。
ビスケット村を新地に変えたあの一撃でさえ、実は加減した上でのたった一振りだったのだから。
ところがどっこい、自分の小船とXX達が行きに乗っていた軍船が沖合で擦れ違うとき、彼女は自らを悟られまいと顔をフードで覆いつつ
「済まぬがその船に赤い帽子を被った少しチャランポランな感じの男と、酒を飲むと絡んでくるゼンマイ式のメイドと、関西弁の人格者アンデッド少女が乗ってたりしないだろうか? 我か? いや、ふふ、我はしがない通りすがりの船旅人。将来は海賊王。一向お構いなく。それでさっきの三人は船上におられるのか。いや、いたらいたで良いのだ。それですごく良いのだ。大丈夫だ。問題なぃ――え、……いない? ……なんで? いや、でも私ちゃんと撤退命令出したしそんなわけ――無視った? 残った? どこに? 島に。どこの島? こるねりお? え、いやそれちょっと意味が」
そんな感じだった。
密林をかき分けながら彼女は独りゴチる。
「いちいち私の神経を逆なでしたいようだなあの男は! 私一人で何とかなるものをわざわざ面倒事に変えてからに!」
まさに憤懣遣る方無く、聞くものがいないのをいい事に当たり散らす。
往来では決して出来ないような形相でアリシアはさらに言う。
「まったくあの男と関わるとろくなことがない! そしてそんなもに煩わされている私の気持ちを少しでも――ひゃん!?」
コルネリオの蔓草が急に腿に絡みついてきたものだからアリシアは飛び上がった。
そして見てみたら、ただの雑草だった。
コルネリオ風情のツルが、足元でなおからかうようにうねっていた。
「……」
ギリリっと奥歯を噛む音。
「貴様……」
いまのがモノノケの不意打ちかと思っただけに、
「よくも」
そして不快度指数マックスなこの湿度だけに、
「よくも」
さらに今の理不尽な境遇だけに、
「この私に」
自称温厚なアリシアさんもとうとうブチ切れて幅広の剣を抜き払い
「騎士に恥をかかせてくれたな……」
拳はギリギリ。肩はワナワナ。
「もう!! アイツが素直に私の言う事を聞いてたら今頃は湯浴みして髪に香油を塗ってハチミツ舐めながらアロマを焚いてくつろいでたのに! どうしてこんなとこで私はピクニックしてるのよ!」
騎士もアテナもへったくれもなく、ストレスMAXなアリシアは年相応な女の子と化して雑草に八つ辺りとか始めた。なんか途中で7mクラスの食人花とかいたような気もしたけど伐採したから問題なかった。
「オリハルコンのアホーー!!!!」
「なんかイヤな予感するんだよなぁ」
「何がですか御主人様? あ、もしかしてそろそろ花災流とか?」
「いや、ある意味でそれよりもっと怖い事」
濃密な霧の中に、芳醇な花蜜の香りも漂い始めたコルネリオの八合目。もうそろそろ『最初の苗』を、テノールが射程に捉える頃である。
今では密林の色までが極彩色。
濃霧の中を交差する七色の草葉と蠢く花々。そんなどこか不安を誘う幻想世界を視界に広げるコルネリオは、しかし今や踏み出す一歩に命がけが要求される死と隣り合わせの魔境となっていた。
ただでさえ見通しの悪い煙るような霧と鬱蒼と茂る草蔓の、その至るところに、獣の足を食いちぎる狩猟罠のような猛花が、ワイバーンに肉蜜を供出せんと息を潜めているのだから。
また時折、ワイバーンの風を切る音が霧の外を揺らしたりもして、必然彼らは声音のみでなく足音を殺す事が要求される。進行速度は当初の数分の一以下にまで下がっていた。
向こうのエルフのギルドで、既に怪我を負った者がいるらしい。
連絡役のソプラノによると、依頼遂行に支障はない程度であると聞いてはいるのだが、彼女のやや陰った表情から察するに、掠り傷で済んでいない事は読みとれる。XXは何も言わぬソプラノを懸念した。
「やっぱり妙よね」
ソプラノが足を止めて屈みこむ。そして葉摺れの音も静かに七色の草をかき分けると、猛獣の乱杭歯のような雄蕊と雌蕊を持つ真っ赤な大輪がそこに咲いていた。彼女は曲刀を抜いて、その切っ先をワイバーンの爪に見立てて花弁をひっかく。するとその猛花はまるで嘔吐でもするようにゲロっと不潔な音を立て、その中央から桃色の粘液を吐きだした。肉蜜である。
その粘液の中には手のひら程のアバラ骨や横長の頭蓋がとろけていた。どうやら小動物を捉えたものらしいが――。
「……どうしてかしら」
XXが傍に寄って屈んできたので、ソプラノが違和感を告げる。
「これだけ蜜が塾してるのに、ワイバーンが口をつけた形跡がないわ。取り合いになってもおかしくない濃度なのに」
「テノールのとこで起きた事と関係ありそうかい? 食人花がワイバーンを捕食したっていうよ?」
ソプラノは無言で頷く。その顔には焦燥の色が滲んでいた。やはり近いのだろう。
XXは務めて明るい口調で尋ねてみる。
「もし万が一。いま花災流が起きたら、お前さん達どうする? 一目散に駆け降りるかい?」
「無理ね」
彼女はきっぱりと言った。しかしそれも無理はない。今自分達が踏みしめているこの地面そのものが、いまやコルネリオに咲く花の花弁一ヒラに過ぎないのだ。故に花災流が起きるとは即ち、ここを含めた地盤の崩壊と同義である。退路が崩れるのに撤退も何もない。
――そうなったら、もう空飛ぶしかねぇわな。
XXは思った。
「え、これ樹皮とかじゃなくて花弁なんですか!?」
アスカはグイグイと地を踏み締めながら頓狂な声をあげた。ソプラノが肩をすくめる。
「そうよ。驚いた? でも最初に言わなかったかしら。コルネリオには花弁一つで小さな村一つに匹敵する大きさのがあるって。半時間前に変な段差あったでしょ? そこで上に乗ったのよ」
これはつい先ほど飛鳥とソプラノが交わしたやりとりである。XXはそれを耳に挟み、思わず口笛をヒュっと鳴らした。
しかし指摘されるまでそれと気付かない程、つまりXX達のコルネリオ登攀ルートはスムーズ――もちろん彼らが戦士ギルドであると言う事もあるが――な道を選んでいる訳である。これは一重に、森を住処とするウッド・エルフが地図を睨んで事前に入念な筋道を立て、さらにその上、現場に臨んでは油断なく安全な道を一歩単位で吟味して来た、その証に他ならない。
もしも足の向くまま悪戯に道を進んでいたなら、一寸先に崖を隠す茂みに踏み込んだり、食人花の巣窟に迷い込んだり、あるいは家一軒ぐらい飲み込みかねない500年の猛花に出くわしていた事だろう。
現に今XXが乗っているこの大輪も、寿命が尽きたばかりの猛花の上なのだ。訪れるタイミングがもう少し早ければ、XXや飛鳥は地面がめくりあがる怪事を花弁の運動と理解できぬまま、今頃はワイバーンへの肉蜜として混じり合っていたやも知れない――、と、アスカは良い感じの想像をしているのだが、彼女はゼンマイ式メイドなので溶けたりしない。
XXも似たような想像をし、今回はウッド・エルフの精鋭集団エレナコと出会えて、本当に良かったと思っていた。
「み、道がない……」
一方、コルネリオ絶賛ソロプレイ中のアリシアさんは、生来の方向音痴を遺憾なく発揮し、たぶん登攀地図のどこにも載ってない人外魔境で雄々しく屹立していた。
ガチャガチャガチャ。ガチャガチャガチャ。ガチャガチャガチャ。ガチャガチャガチャ。
「……」
なんかさっき腹いせで駆逐した10mクラスの食人花が可愛く見えるぐらいの、30mぐらいの、虹色の花とかが普通に咲いている。
咲き乱れている。
百花繚乱である。
満開。
獣牙どころかワイバーンの爪牙にも劣らぬ雄蕊と雌蕊が、まるで螺旋の様に花を色どり、そこら中で噛み合わさってガチャガチャガチャと不快な音を立てている。
「……」
その根っこ付近に、頭にキノコをアフロっぽく生やしまくった人骨が、団子のように固まっている。
「……」
七色に踊り狂う蔓草の中で、幾つものワイバーンが溶けていた。
「……」
ここでは動く全てが、例外なく『餌』らしい。
「……」
正直、アリシアさんは帰りたかった。
ぶっちゃけ山を甘く見ていた。
台風の時に『ちょっくら畑の様子見てくる』ぐらいヤバい感じだった。
しかしけれども、騎士が剣を抜いて一度対峙すれば、例えそれが人外であれ幽鬼であれ、次に切っ先を納めるのは自分か相手が果てた時だと相場が決まっている。
「ふん」
アリシアは好戦的な笑みを浮かべた。
「道がなければ作ればい良い? 甘いな先人」
アリシアは愛剣を青眼に構え、鋭い眼光で行く先を阻む魔物めいた大輪を見据える。最早それは大きさからして壁である。
「道がなければ作りはせん。ただ切り拓くのみ!!」
彼女は地を蹴って距離5はある間合いを一息に詰め、騎士の誇りとアテナの気迫でコルネリオを尚切り裂き、切り拓いて行った。ただし明後日の方向に。
眩い閃光が数度空を走ると、食人花が重たい花をドサっと草むらに落した。尚痙攣するそれに向けてエルフ達の矢が殺到する。
「お見事です、野良々様」
納刀する彼女をエレナコのリーダーであるテノールが労った。柔らかに着地した彼女はその言葉をくすぐったそうに、けれども手を小さく挙げて応える。
この辺りまで来ると、野良々に対するウッド・エルフ達の認識は最初に比べて天と地の開きがあった。
最初は蠅のゾンビ程度としか思われてなかった彼女なのだが、さきほどから見せている極東の剣豪の名に恥じぬ剣舞と、身を呈して仲間の窮地を幾度も救うその心根は、まさに戦女神ヴァルキリーかアテナかと彼らに思わせた。(注:本物はもう少し下で暴れてます)
それと同時に、いち早く野良々の本質に気付いたテノールに対する評価も、ウッドエルフ達の中では一新されていた。しかしこれは、アンデッド人間少女などに求婚して落した評価を持ちなおした、という意味ではない。
因果連結の一矢、竜狩りのアリアドネ。天才肌のテノールは、生来の変わり種であると仲間内から思われていたので、その一件では精々『またいつもの奇癖か』と嘆息された程度であり、別に彼のカリスマ性が損なわれていた訳では無かった。つまりは純粋に評価があがったということである。
一方、野良々も野良々で、ウッド・エルフ達と行動を共にするに連れ、彼らに対する認識を大きく改めていた。
最初に待合酒場で矢を射かけられ睨みあった時、その剣呑な状況にやはり高慢で鼻もちならない連中とも思ったものだが、しかしこうして同伴してみれば、彼らは礼儀正しく義理堅く、またリーダーに対する忠誠の厚い、尊敬に値する者達だったのだ。
彼女にとってなじみ深い言葉を使えば、彼らは大和の国いた武士に近い。
武士もそんな風にどこか傲岸ながらも礼儀正しく義理堅く、そして忠義に命を駆けた存在だった。
そんな故郷を介した親しみを感じるところもあってか、あるいは彼女元々の豪胆さもあってか、いまはもうエルフ達に対して何の垣根も感じていなかった。
「あの、野良々様、そろそろこちらを……」
と声をかけてきたのは、後生の宝とばかりに、彼女の生命線である防腐剤の麻袋を抱えていたウッド・エルフだった。
登攀前、テノールによって幾重にもコルネリオの葉でくるまれた――愛情表現ですユア・ハイネス――それは、この多湿のコルネリオにあっても一粒の露さえ通していなかった。
野良々は『さま』付けが痒くて仕方なかったが、しかしテノールがそう呼ぶ手前、部下の彼らが自分を呼び捨てに出来るわけがないという、その辺りの事情は分っていたので、
「あ、おおきにおおきに」
せめて気持ち良く応じる事で礼儀を示そうと努めていた。袋の口を開いて、手早く白い粉を手に取り出し、すぐに締める。そして口に頬張った。この高温多湿の環境では夜を待たずに摂取しなければ具合が悪くなる。野良々はモグモグと口を動かして
「美味しいですか?」
テノールの声にむせそうになった。
ゴクンと喉を鳴らしてから一呼吸置き、
「い、いや、その。こんなん味あるもんでもないよ?」
彼女は言う。しかしテノールは少しばかり照れつつも
「恐れながらこのテノールめも僅かばかり頂きとうございますユア・ハイネス」
リーダーの奇癖発動! と誰もが思った。
野良々の摂取している防腐剤は、しかし常人が摂取して毒に成るものでもないのだが、薬になるものでもない。まして美味いものでもない。各種鉱石の粉末を少量と、砕いた竜骨を主成分とするそれは、無味無臭でひたすらに粉っぽい。
そんなことを説明しようともしたのが、彼女もぼちぼちとテノールの性格を理解し始めているので、無言で袋を差し出した。
「光栄でございますユア・ハイネス」
恭しく受け取る。
そしてテノールが粉末を取り出す手並は鮮やかで素早く、しかし丁重であった。
掌に乗った少量の白い粉末をマジマジと眺め
「ホンマに食べんの?」
「頂きます」
サラっと口に流し込んで、もぐもぐ。目を閉じて吟味する。
「……」
固唾をのんで見守る一同。
ゴクン、っと嚥下する音。
テノールは開眼した。
XX達が空を見上げた。
テノールより連絡を告げる矢が飛翔したのだ。ソプラノが目を細める。
「負傷者が出た様ね……」
「重いのか?」
XXが尋ねると、ソプラノは顔に暗い影を落として首を左右に振った。
――――食中毒って、一体あの弟なに食べたのよ。
XXはソプラノの様子を見て思った。どうやら掠り傷で済んだものではないらしいと。
――ついに、負傷者か。
数十分前の出来事だった。
「ハァ。ハァ。そうか。貴様がそうか。き、貴様が、……コルネリオの最初の苗だな?」
一方この物語のヒロインであるアリシアさんは相変わらず登山剣劇アクション『コルネリオ』をソロプレイ中だったのだが、ソロプレイはソロプレイでも最早クソゲーの域に達していた。
彼女が見上げるそこには、わめき叫ぶワイバーン数頭を雌蕊と雄蕊で砕いて飲み込み終えた、得体の知れぬ怪物がそびえていた。
花弁一枚で数メートルはあるにも関わらず、まるでそれが産毛だとでも言わんばかりに球形に密集させ、そのクスダマのような花の中央より、ドラゴンのような口を突き出して涎を垂らす、定義不能の何か。その花と呼ぶには憚られる姿形を巨塔の如く支えるのは、しかし茎や葉ではなく、髪の様に垂れさがった無数の蔓だった。
しかもその無数の蔓の、どれ一本とて根を張っている様子がない。そればかりか全てが手足の如くに動いている。
それだけでも大概というのに、そのうえ果たして、これはどれほどの大きさがあるというのか。
アリシアは距離10を隔てているにも関わらず、その花を見上げる首はほぼ真上を向いている。
――まるで動く大樹だ。
並の剣士であれば既に幾度も詰んでいる。
これより十数分の一の食人花を、彼女はまるで雑草の如く薙いできたのだが、それとてツヴァイヘンダーを振るう帝国の上級騎士を出してきたとて、7、8人が決死で挑んで五分であろう。
アリシアの振るうブロードソードは、帝国屈指の名刀工が鍛えた業物である。数打ちを鈍器と嘲り、その辺の一級をナマクラと侮る切れ味を誇る。扱うべきものが正しく扱えば、オークの首さえ刃零れ一つなく滑らかに引き落とすだろう。加えて彼女の膂力は飛鳥と同等、技量では剣豪の野良々をして『ナマクラ担がれても怖くて刀を抜いていた』と言わせている。そんなアリシアがそんな業物を怒り心頭で振るっているのだから、食人花風情が立ちはだかる事自体、おこがましいのかもしれない。
しかしこれは別物だった。
大きさと言い、動きと言い、存在感と言い、疑う余地なく、これまでの有象無象とは別格だった。間違っても人間が挑む様なものではないし、たとえ彼女のような並外れた力と天才的な技を持つ剣豪とて、引き下がると言う選択以外は全て下策である。まして戦うなど正気の沙汰でなかった。
彼女が『ただの剣士だった』ならばであるが。
「お前が最初の苗ならこれでしまいだな」
アリシアはここで、『安堵』の笑みを浮かべた。
「どうかコケオドシであってくれるなよ」
握る剣を、薙ぎに薙いで緑の血飛沫に塗れた刃を、天高く突きあげた。
彼女の周囲が青白いスパークを放つ。
天才的な剣豪から。
神性的な戦神への。
崇高な変遷の儀式。
ビスケット村で起こしたような稲光は無い。しかし彼女を取り巻いていた青白い光の飛沫は、着実に刃の穢れを払い、清く正しい青へと染め上げて行く。
「お前『風情』、この程度で十全だな」
アリシアが、さながらアレスのような笑みを浮かべた時、その刃が仮初に正体を顕現させる。
長さ3mを越える蒼き刀身。青白い火花を滾らせ、絡みつかせるそれは守護神アテナの神器『雷光の槍』。ただの一振りで戦局を傾かせ、二振りもあれば戦局を終了させる、アリシア・オーランドのみに許された絶対の奇跡。無条件勝利の代名詞。
「すまんが力を相当に抑えている。故に苦しむことになるが、それはお前の喰らった翼竜の分と諦めてくれ」
彼女はその神器を車に構えた。放射状の突風が一度迸る。
生物としての本能が告げる、絶対的な生命の危機。
それを全身と全霊で感じた怪物は、これまでの威厳も威容も捨て去り、無数にしても無数、膨大にしても膨大、出鱈目やペテンの領域で、花を支える蔓草を一斉に飛びかからせて来た。
視界を緑一色で染め抜かんばかりの猛攻。不可避の死の結界が彼女を飲み込む。
「その心意気やよし」
しかし事は事も無げに決す。
緑一色の視界に。
青白い十字の境界線が迸る。
すると火の付いた乾紙のように。
緑の世界は十字を起点として焼けただれて弾けた。
狂ったように、瀑布の様に緑がのたうつ。
自らを焦がす聖炎を振り払うべく、数千の緑手が死に物狂いに暴れている。
そのまさに中央にいるアリシアは、既に無防備な背を晒して踵を返している。何もかもが、既に終わっているのだ。
その証左として、暴れ狂う緑の波は滑稽なほど、彼女と彼女の行く先を避けていた。まるで水に混じった油一滴の様に、滑稽なまでに避けていた。しかしそこに不思議はない。死に行く者が最も恐れるのは、自らの死とそれを与える死神なのだから。
「これでまだ花が咲いているようなら、別のルートだな」
その背中で、怪物が青く青く燃え盛る。焼き崩れて天に召されていく。
ゼウスの怒りと言う、逃れられぬ死を約束された怪物など、既にアリシアの眼中には愚か、頭の片隅にさえない。
「……咲いているな」
蔓を手に取り、なお健気に残る一輪に、彼女は嘆息した。
「一体どこにあるのやら。一体どこにいるのやら」
アリシアは再び、最初の苗と許嫁達を探してコルネリオを彷徨い始める。その心はしかし決して折れず、剣もまた決して折れず、二つはどこまでもこの密林を切り拓いて行く事だろう。ただし明後日の方向に。
そして、花災流は起きた。
風とは無関係な葉鳴り。
食人花や猛花とも無関係な地揺れ。
外気を揺るがす、ワイバーンの悲鳴にも似た咆哮と羽ばたき。
その天変地異は、登る者達みなに等しく絶望をもたらした。
ハラリハラリと、花々が七色の花弁を散らして行く。
ボタリボタリと、大輪がその首を地へ落して行く。
コルネリオが一万年ぶりの落花――花災流を開始したのだ。
「そんなバカな……」
有り触れた手遅れの言葉を呟き、目を開いて愕然としているのは、今しがた竜狩りの白弓『アリアドネ』で『最初の苗』を射抜いたばかりの、テノール・ブリリアントだった。
木々の導きに従い、
静かな葉の囁きに耳を傾け、
花の教えを守って案内されて、
ようよう射程に捉えた『最初の苗』。
それに向け、放った銛の如き一矢は、確かに苗を深く貫いたのだ。
これで花災流は止まるはずだった。
――――ならばこれは一体?
「じゃぁなんなんやこれは?」
誰もが抱いたその疑問を、蠢く大地で転ばぬよう、野良々は重心を低くしつつ問いかけた。しかし誰も、それに答えなかった。答えられるものがいないのだ。
コルネリオに伝わる伝承の通り、『最初の苗』を自分たちは撃った。そして確かに、目の前でそれは枯れた。
にも関わらず、花災流は起きた。
自分たちは失敗した。
何故と思いつつも、その事実を徐々に受け入れ始めたエルフ達が、混乱に右往左往を始める中、しかしテノール・ブリリアントの判断は早かった。
彼は白弓『アリアドネ』を背中に背負い、
「野良々様、お手数ですが、足元にある適当なツルをお選びください」
とだけ告げ、次に彼はエルフの方に向いた。
そして動揺する彼らに、毅然と申し付ける。
「これよりコルネリオを脱出する! 全員! 矢にコルネリオのツルを結わえよ!」
揺れる大地でバランスを取りつつXXは、矢に太く頑丈な蔓を結わえているソプラノ・ブリリアントに苦笑した。
「ははは、ソプラノさんよ。それマジで言ってんのかい?」
XXの声は、口調こそ軽かったが若干強ばっていた。
ただいまソプラノより聞かされたコルネリオ脱出の手段、それがあまりにも現実離れしたものだったのだ。
彼女は目もくれず即答する。
「そうよ。他に脱出手段があれば教えて。私にもこれは上策だと思えないから」
ソプラノは自己弁護をしなかった。提案者自らも下策だと自覚しているらしい。
「そして今は何やってんだ?」
「ワイバーン餌付けの処置よ。……はいこれ」
手渡されたのは、彼女が曲刀で切断したコルネリオの蔓の端である。
もう一方の端は、矢の袖摺節――中央よりもう少し後ろの部分に、しっかりと結わえられていた。
XXは覚束ない足元でステップを踏みつつも、蔓をぎゅっと掴みつつも、ソプラノが持つ矢の矢じりに目を眇める。
猛花より抽出した肉蜜が塗られたそれは、濃厚な血と油の臭いを放ち、嗅ぐだけでも胃が持たれそうだった。
「なんだかすごくカロリー高そうですねー」
同じものを手に持った飛鳥も、鼻を摘んでいる。背中にはしっかりとデイジーが結わえられていた。
「しかしソプラノさんよ、本当にこれ、ワイバーンがキャッチしてくれるのかい?」
XXは尋ねる。
ソプラノ・ブリリアントが提案した下策というのは、この肉蜜が塗られた矢を空に放ち、それをワイバーンに食わせ、それに引かれるまま騎乗してしまおうというものである。
「ワイバーンは一度咥えた獲物は絶対に離さないわ。だから放り出される心配はないけれど、振り落とされないようにだけ気を付けてね」
要するに、彼がギャグで言った『そうなったら、もう空飛ぶしかねぇわな』の実現である。
「経験者は語るってかい?」
「いいえ。弟の受け売り。私は初体験よ」
ソプラノがウィンクした。
XXは崩れてきた大輪を避けつつ
「しかしさっきの食人花の対応見てる限り、ワイバーンはこの臭いをかぐだけでも逃げちまうんじゃねーか?」
ワイバーンと食人花、あるいは猛花。普段それらは共生関係にあるかしらないが、つい先ほど、その食人花はワイバーンを捕らえ、咀嚼して食らったわけである。そして群れで行動する翼竜達が、そんな仲間の死を見て、何も感じないとは思えない。XXの感想は自然なものだった。
しかし彼女は否定する。
「私は逆だと思うわ」
と。
キリリリリっとしなるような音がしてみれば、矢を2つばかり番えているソプラノ。2つともに蔓が結ばれていた。もちろんその端は、XXと飛鳥が握っている。
ソプラノは、湿気で額に張り付いた髪を払うよう首を軽く振って、
「あれだけの勢いで襲われていたのなら、これまでろくに肉蜜にありついていないはず。だから文字通り、これは垂涎の的となるわね」
言ってから流し目
「……さて準備は?」
「ダメでも飛ばすだろ?」
「アタシはばっちOK!」
ソプラノは二人の声を聞くと、蔓を弾いた。
「それでは快適な空の旅を」
矢をヴィンっという低い音と主にリリース。
ヒュルヒュrヒュルと上空へ伸びていくツル。
その後、上空でワイバーンの鳴き声。
瞬間、空に吸われるようにXXと飛鳥は消えた。
ソプラノは見上げる。
「あの子たちも上手くやったようね」
目線の先には、既に、エレナコ達エルフの姿があった。
皆が器用にツルを翼竜の口に結わえ、不恰好ながらも空の強者を御している様子だった。
「へ~、ブラ下がるだけじゃないのね」
ソプラノは、即席の竜騎士の先頭で、アンデッドと共に飛翔する我が弟に苦笑する。
「変わり者の案も馬鹿にできない、か」
そして彼女も矢を放った。
一頭の翼竜が涎を零しながらそれを加え込み、彼女も空に消えた。直後、足場は極彩色の濁流に消えた。
「はっはっはっはっは! どうしたどうしたそれまでか魔物め!」
一方この物語のヒロインであるところのアリシア・オーランドさんは、ついに登山剣劇アクション『コルネリオ』の最終ステージに到達したようだった。
津波のように猛襲してくる食人花や猛花、その他良くわからない謎生物を、再び『雷光の槍』に変じた愛剣で、ザックザクと青くなぎ払っていた。
「それまでか!? それまでなのか貴様は!? もっと抗え! 抗ってみせろ!」
襲い来るもの襲い来るものを、彼女は青炎で容赦なく切り裂いていく。
ぶっちゃけてしまうと食人花も猛花も謎生物も、別にアリシアさんに牙を剥いてるわけではなかった。
ただこの花災流に翻弄され、為す術もなく流されてるだけであり、たまたま彼女の前に来ただだけであり、要するに単なる被害者だった。
「ぬるい! ぬるすぎるぞ! それで私を討てると思っているのか!」
戦神アレスの如き笑みで哄笑しつつ、彼女は濁流の中に突き立った一本の巨木の如き堅牢さで、迎え来る極彩色の波を不乱に蹴散らしていた。
大口を開けてやってくる猛花。
触手を浴びせかけてくる食人花。
とろけかけて呻いてるワイバーン。
頭にキノコ栽培した人間の死体。
怒涛のように流れてくれるそれらを、彼女は流れ作業のように焼き払い、切り開き、そして哄笑した。
「はっはっはっはっは! もっとだ! もっとだ!」
ものすごくハイテンションだった。アリシアさんの脳内には色んな物質が分泌しまくっていた。そしてこの気の高ぶるまま、次から次へと斬滅していく快感に、彼女はただ酔っていた。
「もっとだ! もっとだ!」
ここにきて驚異的な冴えを見せる剣さばき。
紛うことなき死地にあって、アリシアはさらに進化していた。
――もうここまでくればヤケクソだった。
頬を一滴の涙が伝う。
こんな事態になってまで、こんなヒドイ事態になってまで、もはやXX達が島に残っているとは思えなかった。
どうせ自分とは行き違いになって、今頃は船上で、いつものマヌケ面をして、この大災害を眺めているに違いなかった。『わー、すげーなー』とかノンキかましてるに違いなかった。まさかこの期に及んで、この可愛い許嫁が、こんな人外魔境で嬉々として、こんなハイテンションに無意味な草刈りをしてるとは思っていまい。二泊三日の風呂なし船旅で、健気に追いかけてきたとかも知らないだろう。
「ひっく。もっとだ! もっときないさいよ!」
アリシアさんちょっと泣きそうだった。
飛び込んでくる猛花。螺旋の牙のような雄蕊・雌蕊を剥いてくるが、これも彼女を襲おうとしているのではなく、単なる悲鳴である。もちろんアリシアさんはエルフみたいに植物語とか分からないので
「100年早いぞ雑草が!」
視界そのものを分断するような横薙ぎ一閃で焼き払った。そしてそのまま間断なくやってくる七色の洪水に、しかし飲まれることなく交わすこともなく、あえて真っ向から臨んで彼女は青炎の嵐で薙いでいく。
「どいつもこいつも私の邪魔ばっかりして! もう許さないんだから!」
もはやプッツンきていた。いくらアテナにだって忍耐にも限界がある。我慢にも限度がある。もうXXは許せない。
いっそここに流れてきたらぶっ潰してやる。
そんなありもしない怒りに任せて剣を振るっていたら、『上空』に気配を感じた。
ふと目をやる。
目撃し、呆然となる。
「あえ?」
素っ頓狂な声を漏らした。
手こそ淀みなく動いて、この波を蹴散らしている。
足こそ油断なく動いて、揺れる踏み場を選んでいる。
しかし目が、空を飛翔する影に釘付けだった。
「オリハルコン……?」
頭が白くなる。
どういうことだろうか。
夢だろうかこれは。
現実を疑った。
夢かと自問した。
彼が、必死に探しまくった彼が、どういうわけかこの状況、ワイバーンに騎乗して空を掛けているのだ。
「なんで?」
見 知 ら ぬ 美 人 と 隣 り 合 っ て。
アリシアの脳裏を、今回の成り行きダイジェストが過る。
このたびギルメンとして呼び出された自分。
歓喜し、大枚はたいて軍船を手配する。
極彩色の花が見られる島出発の前に、ご機嫌だった自分だけが外される。
便利使いされたと知る。
酒場で不貞腐れていたが、そこで花災流という大災害起きることを知る。
慌てて撤退命令を出すべく、帝国へ早馬を送る。
途中、レッドハットというアホなギルドが、花災流を阻止るため出向いたという話を耳に挟む。
依頼達成しなくてはギルドライセンス返上という話と相合、嘆息しつつ自分が尻拭いを決める。
金欠につき、小舟でえんやこら島を目指す。
すれ違う船に、アホが乗っていないか確認。→いない。
依頼達成に加え、アホ探索もミッションに追加。
よれよれで島到着。
誰もいない。
アホもいない。
宿を覗けば、どういうわけか派手に飲めや歌えやをやった形跡。
美形と噂の、エルフの残香もあり。
――――まさか。
嫌な妄想は捨てる。アイツはアホでも、乙女を泣かすようなそういうアホではない。
そう信じてこれまで頑張ってきた。
すごく頑張ってきた。
そしたらいま。
「なんで?」
見知らぬ美人エルフと共に、空にそのアホがいた。
仲睦まじく、身を寄せていた。
「なんで?」
もう一度呟いた時、目から涙が散った。
「ああ……」
それと同時、
「あんの……」
イージス隊長アテナとしての、
「あんのチャランポラン……」
真の力が愛剣に解放された。
この身体を貫く、電流のような奔流が怒りだと悟ると同時に、アリシアの目前へ、
銛の如き大きな矢が穿たれた、一本の苗が雪崩れてきた。
テノール・ブリリアンの射抜いた『最初の苗』だった。
――捌け口はこれと、本能が決める。
柄を砕かんばかりに握った時、放射状の突風が雷鳴とともに巻き起こった。
まるで反磁場が生じたように極彩色の波は吹き飛び、
蒼き刃は距離40を超える長身まで延長された。
涙とともに車に構えるアリシア。
叫ぶ言葉はただひとつ。
「オ リ ハ ル コ ン の 浮 気 者 ー ! ! ! ! ! !」
『雷光の槍』が薙ぎ払われた。
このとき、コルネリオで弾けた青の爆発は。
大陸からでもハッキリと観測されたという。
『花災流』 了
ギルカ一覧
(野良々のみ使用可能)
登録名:テノール・ブリリアント
通り名:『アリアドネの糸』
膂力評価:D
技量評価:S
素早評価:C
知力評価:C
総合評価ランク:A
称号:ギルド『エレガント・ナルシスト・コンフィデント』のマスター
コメント:愛は恋より出でて恋よりも愛し。お~、ユア・ハイネス。
(テノールのみ使用可能)
登録名:ソプラノ・ブリリアント
通り名:『天弓愛染』
膂力評価:E
技量評価:S
素早評価:D
知力評価:C
総合評価ランク:B
称号:ギルド『エレガント・ナルシスト・コンフィデント』のセミ・マスター(副リーダー)
コメント:大和に赴いて経験した鬼退治は良い思い出。元気かしら、お師匠様
特記事項:曲射『天弓愛染』:
ハープを奏でる優雅さでほぼ真上に放たれる連続射撃。豪雨の様な銀矢の創る殺界は回避概念そのものを否定する。極東で出会った武神『傾月』より習得。