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連弾のオリハルコン  作者: 常日頃無一文
第1章:レッドハットXX
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第2話:雷光の槍

 帝国親衛隊――その又の名をイージスと言う。

 由来は言わずもがな、ギリシア神話における最高神ゼウスが、神の世界に存在する全ての邪悪を打ち払う為、愛娘であるアテナに授けた全能の盾である。

 そんな大それた名を冠するその部隊は、構成員僅か7名と言う戦術単位的には分隊でさえなく班と呼ばれる極めて規模の小さなものである。しかしながらそこに名を連ねる一人一人が一騎当千と評されるに値する豪傑であり、ひとたび戦場で剣や矛を振るえば、嘘偽りなく、たった一人で戦局を一変させるほどの戦果をあげると言われている。

 そのイージスにおいて、6人を束ねる7人目、即ち長として君臨しているのは、しかし剛腕怪力を振るう山の様な男ではない。眉目秀麗の美丈夫である。

 その通り名は、イージスを預かる者にこそ相応しい、守護神アテナ。

 出で立ちもまた神話をなぞるように、アテナはいつもメドゥーサの描かれた盾を左手に持ち、右手には一薙ぎで天を切り裂くとまで言われた『雷光の槍』を携えていた。

 しかしながらその振る舞いだけは、守護神アテナではなく、それと不仲であった軍神アレスのそれに近く、アテナは敵にも味方にも容赦がなかった。


 だからこそ、ビスケット村で軍令違反を犯したベオウルフの中隊長は、自分を裁きに遥々と教会にやって来る上官が、あのイージスのアテナだと聞かされた時、彼の顔は蒼白になった。


 それでも一縷の望みを抱き、教会に現れた馬上のアテナに対し、部下共々騎士の礼を取って跪いていたら、アテナは馬から降りるや否や彼に近付き、腰の剣を抜いてその鼻先に突きつけ、目を眇めて言ったのである。


「貴様、何故我の到着を待たずに自害しなかった? どれだけ我がその報せを待ちながら行軍を遅らせたと思っている? よくも今まで長らえて生き恥を晒していたな」


 その言葉に、ベオウルフの隊長は改めて自分の認識の甘さを痛感した。


「その浅ましい軍功を得ようとしていた事に、何か申し開きでもあるのか?」


 ベオウルフの隊長は、突き付けられた剣の鋭さではなく、アテナの放つ威圧感に滝の様な汗が流れ、うんともすんとも言えなくなった。


「二度は言わぬぞ。立て」


「は!」


 すぐに起立したが、その直後、クラブで殴られたような衝撃を顔面に受けて転倒した。左拳で殴られたのである。


「二度は言わぬぞ。立て」


 隊長は鼻から血を流しつつもガクガクと膝を震わせて立ち上がり、再び殴打されて転倒。アテナは再び『立て』と命令し、殴打、転倒。

 同じような事を数度も繰り返し、やがてとうとう彼は立ち上がれなくなった。アテナの拳を受けた顔はいつもの倍に腫れ上がり、鼻柱は潰れ、唇は裂け、奥歯が欠けた。

 アテナは返り血も拭わず、冷徹な眼差しでベオウルフの隊長を見下し、そして告げた。


「着様の領地と財産は全て没収し、それらを全てビスケット村の復興に当てるものとする。騎士の爵位も今をもって剥奪だ。分ったな?」


 次に視線を、無言のままに震えていた隊員達に向け、アテナはそれこそ、まるで斬り裂くような鋭さで彼らを見渡した。


「我はこれよりビスケット村の視察に赴く。夕刻には戻るが、それまでに――」


 アテナは腰から鞘を抜き、自らの剣と共にその場に放り投げた。ベオウルフ達の視線が、草場に沈む幅広の剣に移る。


「お前達はこれでケジメをつけておけ。それが納得のいくものでなかったら、お前達全員を縛り首に処す。覚悟しておけ」


 そう言い残してから馬の手綱を握り、アテナは彼らにはもう目をくれず、そのまま歩いて教会を後にした。

 アテナはその足で馬屋に寄り、愛馬を繋ぎとめて牧草を与える。そしてその凛々しい頬を撫でながら、アテナは旅の友を優しく労った。

 公式では、アテナがここに赴いた理由はビスケット村の視察と、ベオウルフ中隊の処分となっているのだが、それはアテナにとってあくまで建前であり、本当のところは別にあった。

 教会の裏手では、今もビスケット村の村民達の一部が避難生活を送っている。

 簡易的に作られた小屋で、炊事や洗濯をしているのは、主に老人や女子供ばかりで、力のある男達は早速、ビスケット村再生の為に、村で汗を流しているのだ。

 アテナは、常人ではろくに身動きも取れないであろう自らの重装甲を振り返る。銀と青とを品良く組み合わせ、全身に唐草の文様をあしらった拵え。

 もちろんこの出で立ちのままで、アテナがビスケット村を訪れたなら、例え村民達に対し『楽にしてくれ』と声をかけたところで、彼らは戦々恐々と畏まってしまい、確実に仕事の妨げになってしまうだろう。それはアテナにとって極めて不本意な事だ。

 そしてそれは、今、枯れ枝を拾い集めて食事の支度をしている女達にとっても同じ事である。

 そういうわけでアテナは、悪戯な騒ぎを起こさぬ為、木蔭に身を潜めて様子を窺い、彼女達のうち、手頃な一人に接する機会を伺っていたのである。

 そしてちょうど、自分と同じ背格好であると思われる村の娘が、近くを通り過ぎたので


「すまぬが少し良いか?」



 ビスケット村の南の茂みを真っ直ぐ進むと、二筋の清流が横切っている。

 東向きに川沿いを辿って行けば、この二つの川は同じ源流であることが確認できるため、ビスケット村の村民からは揃って兄弟川と呼ばれている。

 その兄弟川のうち、兄側――北側の方、そこを跨ぐ橋のたもと近くの川べりに腰を降ろし、午後の陽ざしを受けて星屑のように光る川面に向け、小石を投じているのはギルド『レッドハット』の野良々である。

 彼女が今回、ギルドマスターであるXXから授かっている仕事とは、村と教会を往来する村民の道中護衛である。依頼主は村長で、依頼料は70G。普段なら歯牙にもかけないような端金であるが、事情が事情、成り行きが成り行き。同じギルドに所属する不立文字飛鳥が勝手に受諾し、XXに対して事後報告という形式を取っていたのである。要するに『やっちゃった』。

 野良々としては別に、その金額がいくらであれ特に不平はないし、不服も無い。しかし今の自分のこの状況だけは、どうにも納得がいなかった。

 重労働と言う意味では、今もビスケット村で瓦礫の撤去や、廃材の解体、木材の運搬などで煤けているであろう飛鳥の方が、圧倒的に割を食っているのだが、しかし彼女が問題にしているのはそこではない。


「ふぁ~わ……」


 にゃむにゃむと口の涎を弄びつつ、目を擦る。

 早朝こそ、村民の移動に付き添ったり、昼夜を間違えて襲ってきた寝惚け山犬の牙や爪を裁いたりと、それなりに身体を動かす機会があったのだが、朝食の時間が過ぎてからは、もう御覧の有様。こうして優しい日の光を浴びつつ、手近な小石を適当に拾っては清流を乱すばかりの、単純なお仕事である。

 さて、どうしたものだろうか、昼寝でもしようかしら。でも死体と間違われたら嫌だな、まぁ死体だけど。

 一応、村では優しい飛鳥ちゃんが『ギルドには可愛い死んでる女の子がいるから間違って燃やしちゃダメですよ?』とか、何か微妙な言い回しで色々言い触れ回ってくれているらしいが、それでもこの群青色で大の字に転がっていたら、耄碌したお爺さんとかお婆さんとなどが通りかかると『あ~あ、まだ年端もいかんじゃろうに惨いことじゃ』とか哀れみつつ、お花とか添えてきかねない。そんで自分が唐突に目覚めるとかで、彼らを昇天させかねない。野良々は誰にも聞かれぬ溜息を吐いた。死者には死者の悩みがあるわけである。

 と、そんな折り。教会の方から人影がしずしずと歩いてくるのが見えた。

 野良々はよいしょと立ちあがり、手で陽ざしを遮って誰何する。

 ブラウスに青のベストを締め、ロングスカートにエプロンを下げた、ごくごく普通の村娘のようである。が、しかしなにやら全身の醸し出す雰囲気がやんごとなき。

 背は自分より高いが、飛鳥よりはやや低そうだ。

 髪はブロンドで、解いて流しても精々でショートだろうが、後ろできっちりと束ねてある。色白で碧眼。どうやら飛鳥と同じ出身――最も彼女はゼンマイ式であるが――のようだ。

 しかしなによりその立ち振る舞い、例えば足運びや重心の動かし方一つに、野良々は自分が剣豪だからこそ分る、隙の無さをヒシヒシと感じ取っていた。


「あの、ギルドの方ですか?」


 自分を認めてから近寄り、にこやかに話しかけてきた彼女に、

「そうやけど、アンタはビスケット村の……えっと」

 野良々は気さくに応じるも、その親指は柄にかけ、半身にしている。


「はい、そうです。馬屋の餌遣りを担当していたアリシアと言います。確認が必要でしたら、名簿帳の方に目を通して頂ければ分るかと思いますが」


 愛想の良い娘だった。野良々は張っていた肩の力を抜き、表情を和らげる。


「いやいや、ええよ。そう言うのはさ。それでその、アリシアちゃんは村に用事って事でええんかな?」


 彼女は丸越しだった。衣服のどこにも、ナイフ一つ隠し持てるような場所がない。それなら、剣を手にした自分が恐れるに満たないだろう。そう判断したのだ。


「はい、そうです。ですので、ビスケット村までの護衛をお願いできないかと思いまして……宜しいでしょうか?」


 おっかなびっくりと伺う様な表情は、ただただ品よく、愛らしい。少なくとも悪党ではなさそうだ。それが分れば十分である。

 野良々は、ようやく暇潰しの相手が現れてくれたかと、ウ~ンと緩い伸びをして


「よ~し任せとき! ギルド『レッドハット』の名にかけて、称号『極東の剣豪』の名にかけて、アンタを無事に村まで送り届けるで! とは言うてもこの時間帯なぁんもないやろけどね」


 っはっはっはっと、彼女は陽気に笑った。が、しかし。アリシアと名乗った村の娘は、野良々ではなく、教会に続く茂みの方に、何やら憂いごとを秘めたような目を流していた。

 無論、読心術などない野良々は、それを穿って推測したところで


「大丈夫大丈夫。この時間帯やから道中は何にも怖いもんあらへんよ。茂みにはまぁでっかい蛙がおるかもせんけど、害も毒も無いしな。教会の方かて軍が駐屯してるみたいやしさ? それに」


 と、彼女は自分の愛刀の鞘を掴んで腰から外し、アリシアに突き出して見せ


「万が一オークが襲ってきても、この太刀にかけて、アンタを守り切るよ?」


 自信満々に、そして甚だ検討違いながら安心させる様な笑みを、野良々は浮かべた。

 その向日葵の様な笑顔――でも群青色――に、アリシアは表情を崩してクスリと口に手を当てた。そして百合のように愛らしい笑みを浮かべ


「はい。お願いしますね」



 あのオーク討伐戦から三日後の事。帝国からの偵察隊も引き挙げ、教会に避難していた村民達に『村の様子が見たい』と飛鳥はせがまれ、今朝。彼女は野道を先導しながらも、一体どんな顔をして、あの子に説明すれば良いのだろうかと、胸の奥をキリキリと痛めていた。

 無事に返すと約束した村は、全て炎に巻かれた。

 その子が暮らしていた家も例外なく、真っ黒な瓦礫と化しており、借りていた地下工房に至っては、どこが入り口なのかさえ分らぬという、本当に酷い有様だった。

 村の命と言える井戸水も、灰や泥が混じって使えなくなっており、最低限の機能を取り戻すには、早くとも半年はかかるというのがXXの見立てだった。

 火薬を扱う村であれば、火事に対して細心の注意を払うのは、勿論、当然の事である。その上で万一に備えて水の確保も十分に行い、家屋も藁ぶきに木材と言った燃えやすいものではなく、不燃性の煉瓦造りとすべきなのは常識である。村の誰もがそれは分っていた。

 しかし理想は理想、現実は現実である。

 ビスケット村の近くに良質な石が切り出せる岩場もなければ、それを扱う石工も村には居ない。居るのは、慣れ親しんだ北の森から木材を伐採する木こりと、それを加工する大工ばかりである。

 村の中央にある、唯一の煉瓦造りである釣鐘塔でさえ、ここのシンボルだからと相当に無理をして、半年と資金20000Gという大金を掛けて、村全体でやっと建てた始末なのだ。最も、そんな労力と時間をかけ、村に建造された釣鐘塔なのだが、しかし役割としては村の時報と子供の遊び道具となるばかりで、村民達は最初のころ、苦笑と共に見上げていたものだった。

 無事に残っているものと言えば、精々それだけである。

 几帳面に二列縦隊でついてくる彼らを時々振り返っては、飛鳥は静かに溜息を吐く。あの女の子が見当たらない。

 恐らく、偵察隊から簡易報告を聞いた時に、きっと怒って教会に残ってしまったのだろう。あるいは、静かに泣いているのかもしれない。

 茂みを抜け、無残な村の姿が徐々に徐々に露わになってくるに連れ、やはりと言うべきか、背後で悲しみや落胆の声が漏れ聞こえて来た。

 被害は確かに、教会の村人達に対して偵察隊が説明したように、最小限で済まされたのかもしれない。けれども、その最小限は、ここに暮らす人々にとって、相当以上に深い傷を残した事に違いない。

 ささやかながらも、しかし確かな思い出を育んでいたであろう残骸を見ながら、飛鳥はそう思った。

 あの時、自分に落ち度はなかっただろうか。

 何かもっと上手い手はなかったのかと、無意味と分りつつも自問してしまう。

 考え得る最善手を、ゼンマイを一生懸命捲いて捻りだしたはずだった。

 そしてその通りに、戦いは順調に運び、自分も野良々もXXも、着実にオークの群れを小さく小さくしていった。村にはほとんど傷らしい傷もつかなかった。

 ――どうしてこうなったんだろ。

 ベオウルフ達のせいにしてしまうのは簡単だった。彼らが火矢を射かけたのが全て悪いと、そう言ってしまうのは簡単だった。けれども、そう言ってしまう事は出来ても、そう考える事が出来ないから飛鳥は苦しかったのだろう。

 その理由は分らなかった。

 見つからなかった。

 銘々に自宅の跡地で肩を落としている彼らを見て、自分でも気付かないうちに涙を零しつつ、「ごめんなさい」と一人呟いた。

 と。

 ビスケット村に、そのとき。

 大きな鐘の音が響き渡った。

 皆一斉に見上げると、村の中央の釣鐘塔で、子供が一人、その小さな身体を目一杯揺らして、鐘を衝いていた。

 朝を告げる音。

 昼を告げる音。

 夕暮れを告げる音。

 幸せを告げる音。

 そして時々、悲しみも告げる音。

 村の歴史の節目も、些細な日常も平等に告げてきた鐘。それはどうやら無事だったらしいと、村民達はこの時気付いた。

 煉瓦造りの壁には、オークの戦斧の跡が深々と刻まれている。しかしその戦の爪後も、また釣鐘鐘が生き延びた証。

 皆がその音を聞いていて、皆がその鐘の揺れる様を見ていて、皆がその、元気一杯に鳴らす少女の姿を見ている。

 やがて息が切れたようで、彼女は膝に手を当てて息をした。しかし飛鳥の姿を認めると、大きく手を振って叫んだ。


「ありがとーーー!! 飛鳥お姉ちゃーーーん!! 鐘は無事だったよ~~!!」


 村を守ると飛鳥が約束した、あの子だった。

 だから飛鳥は、その笑顔を目にして、つい蹲って泣いてしまった。



「まっ黒けやなぁ飛鳥」


 その華奢な双肩に、男数人がかりで運ぶような瓦礫を乗せ、鼻歌交じりに南の丘を登る不立文字飛鳥を見つけ、アリシアと共に辿り着いた野良々はそんな声をかけた。

 飛鳥はかつてないぐらい大活躍だった。もうビスケット村における超英雄になっていた。先のオーク討伐戦なんかも霞んでしまうぐらいの無双ぶりを愛鋸デイジーと共に如何なく発揮していた。瓦礫の撤去に廃材解体。材木の伐採。灰袋の運搬。もう若干転職とか考えていた。ギルド名を『レッドハットと愉快なキコリ達』にしようとか、もう皆を巻き込む気も満々だった。

 飛鳥はそして、「よ」っと手を挙げているギルメンNo3に気付くと、いつも通り


「やぁやぁノラリスやよくぞ参ったのぉ」


 と、担いでいたそれをドシンと瓦礫置き場に寝かせて足早に歩み寄った。

 野良々は村を一望しつつ


「だいぶ見れるようになったやん。ここ数日風が強かったし、灰は結構洗ってくれたみたいやね」


 一昨日から夜通し吹いていた強風のおかけで、大方の灰が村を囲う丘の縁へ張り付くよう寄せられており、飛鳥達が来た時には、さながら履き掃除を終えた後のようになっていたのである。

 それらは今日午前のうちに、村に来ていた女達が口布をして袋に集めて処分した為、男達はスムーズに作業を行う事が出来た。

 もしもそうした天候による悪戯がなければ、今頃は板一枚を返すだけでも目が染み、咳き込んで、復興作業は出鼻をくじかれていたに違いない。


「あの、不立文字飛鳥さんですね?」


 野良々の傍にいた村の娘が、品のある柔らかな笑みを浮かべた。


「御活躍の程は聞いております。私は村で馬の世話をしている、アリシア・オーランドと申します。此度は本当に何から何までして頂いて、感謝の言葉もございません」


「いえいえいえそんな! そ、そんなの私が勝手に好きでやってるだけですので! どどど、どうか気にしないで下さい!」


 深々と頭を下げているアリシアに、何故か飛鳥はあたふたと恐縮してしまい、むしろ若干テンパっていた。


「え、えっと、改めて自己紹介します! ギルド『レッドハットと愉快な仲間達』のギルメンNo2、不立文字飛鳥って言います! よろしくです!」


 そして握手の手@真っ黒けをズバっと差し出す。そうか分った。このアリシアちゃんの醸し出す貴族めいた雰囲気がアタシのメイドセンサーを刺激してくるからだぜ!@飛鳥想


「なぁ、その『愉快な仲間達』って正式名称なん? 『レッドハット』だけでようない?」


「え~、『レッドハット』だけだったら御主人様のワンマンギルドみたいで嫌じゃない~?」


「いや、別にそんなことないやろ。あれってただの戦術名やしさ、何て言うかなぁ、ウチはその『愉快な仲間達』って言うのがどうにも痒うて」


「え~痒いかな~? ん~? あ、それ単にノラリスがナウ腐っティングしてるとかじゃなくて?」


「言いにくい事ばっさりいいなや! ちゃんと防腐剤ガッツリ食っとるわ!」


「えへへ。冗談冗談。例えノラリスが腐っティングどころか腐っティッドになっても私の愛は変わらんぜ?」


「腐っても飛鳥の愛はごめんやわ」


「ノラッチも結構シビアなこと言うよね?」


「また変なニックネームついたな、ウチ」


 そこでクスクスと笑っていたアリシアに気付いて、二人は揃って頭を掻いて苦笑した。

 と、いつまでも突き出しっぱなしだった握手の手が、今更になって煤だらけだったことに気付き、飛鳥は慌てて


「これはこれはバッチイものをば」


「いえそんなことないです」


 引っ込めようとした手を、アリシアの真っ白な手が握った。

 握手とは本来、互いに武器を携えていない事を証明し合う為、手の内と手の内を合わせるという、例えば一時休戦の意味で敵同士の男達が行う厳かな挨拶である。

 極東の島国で、この地で言うところの騎士に該当する武士と呼ばれる生まれであった野良々には、その意味が良く分かっていたので、自分はもちろんアリシアにそれを求めなかった。最も、それ以前に自分は汚れた死者でもあるため、誰も好き好んで触れたがらない事を、充分に承知していると言うのもあったのだが。

 もちろん、飛鳥が差し出した手にそんな深い意味はない。ただ単に仲良し子良し、手を取りましょうという、それだけのことである。

 そして今、飛鳥は自分の真っ黒な手が、アリシアのきめ細かで真白な手を汚そうとしている事に気付いて、引っ込めようとしたのだが、それが掴まれてしまったという状態である。

 アリシアはその手を慈しむように撫でながら


「この手は村を守り、村の悪を払い、村を支え、今尚も村を助けている、気高く美しい者の手です。けがれなどどこにもありませんよ?」


 そんな事を真顔で言われ、思わず顔を赤くしてしまっている飛鳥に、アリシアは手を解き、百合も恥じらって俯くような微笑みを浮かべた。


「いや、あの、その、あはははは、あはははは」


 ゼンマイ式はとりあえず笑った。嬉しいやら恥ずかしいやらくすぐったいやらで


「あ~、あ~、あ~……。あ、でも、その、意外だなぁ私。えっと何ていうか、何て言いますかですね、その」


 指同士をつんつん突き合わせたり、自分でゼンマイを巻いたり、カチューシャを直したりと、何やら忙しく落ち着きない様子で、何を言ったものか、どうお礼を言おうか、いや、お礼も変か? 変だよな。とか色々迷走したあげく、どうでも良い事を口走ってしまった。


「アリシアちゃんって、お花畑でお花摘んでるようなイメージがあったんだけど、も、も、も、もしかしてキコリさん? そ、そのですね。すっごくすべすべで綺麗でビックリしちゃったんですけど、でも、その、手にままままま、豆があったものでやんすから」


 アリシアはほんの少しだけその笑顔を陰らせたが、しかしそれも一瞬の事である。


「ふふふ。お花ですか。有難うございます。でも、ええ。そうですね。私は普段から馬の世話で、よく手綱を引いてるものですから」


「あ、あ~あ~! そうですよね~! あはははは」


「アリシアちゃん。ほんなら左手も見せてもうてええかな?」


 発したのは野良々だった。


「確かに荒縄を四六時中握ってたら、利き手に豆ぐらいは出来るやろな。馬も結構聞かん坊多いしね……せやけどさ、利き手でない方の手に、もしも利き手以上に豆があったりしたら、それはなんやろかな?」


 彼女は遠まわしに、剣の握りの事を言っているのである。それも的確に、『利き手は鶏卵を握るよう添えるだけ』という、帝国正規軍の両手持ちの型を指摘している。

 利き手で振るい、逆の手で御す。

 帝国正規軍の剣術において、体重を乗せて打ちこむ、渾身の一振りに剣筋を与えるのは、確かに利き手である。しかし、振りに重さと早さを与え、さらに振り切った剣を再び中段や車の構えに直すのは、利き手とは逆の手である。体重のあらかたを乗せた一撃。そのつけを全て逆の手が支払うのだから、当然、その痕は掌に刻まれていくのだ。

 野良々がアリシアはただの村の娘でないと確信したのは、兄弟川の橋で見かけた時の身のこなし、既にその時点である。


「隠さなくたってええやん? ウチら村を守りに来た仲間やん?」


 アリシアはしかし、野良々の向ける目が非難の眼差しではなかった事に内心驚いたが、しかし。直後にその胸を安堵に撫で下ろし、改めて挨拶をする事にした。


「それでは――」


 と。

 村がざわついた。

 聞き違えでなければ、彼らの誰かが、『コボルト』と言った。

 三人がほぼ同時に目を向けると、確かに白く毛深い半人半獣のコボルトが、村の北側で歪な牙を覗かせ、神経を逆なでするような声で「ヒヒヒヒヒヒ」と鳴き、村人達を後ずさりさせていた。

 オークがブタと揶揄されるように、コボルトはキツネと呼ばれている。

 力も体格も、オークには遥かに及ばぬ為、ヒエラルキー的にはオークより下に位置するのだが、しかしそれらがキツネと忌まれるように、コボルトはオークにはない素早さと知恵を備えている。

 単体であればコボルトは、ツヴァイヘンダーを扱う手練の上級騎士二人で五分(ゴブ)と言うところである。しかし彼らの脅威は、オーク以上に群れをなす事と、群れの意味を理解している事と、そして何よりも彼らを統べる存在にある。

 今森から現れたコボルトは、野良々が察するに偵察役である。しかし偵察役が、身を隠さず堂々と姿を露わにしたと言う事、それが意味するのは、群本体の到着が近いと言う事に違いあるまい。

 ――急がなくては。


「飛鳥! みんなを集めや!」


「合点承知!」


 地を蹴り、疾風もかくやに丘を駆け降りて行ったのは野良々である。

 彼女は一陣の風となって足音さえなく村を駆け、人波を縫い、瞬く間にコボルトまで距離を詰め、そのまま迷いなく飛びかかってすれ違いに数閃。抜刀も納刀も曖昧なうちに肉片に解体した。

 しかしすぐに飛び退いて森に向け居合の型を取る。次の備えである。

 飛鳥もアリシアも、それですぐに悟った。既に本体が到着しているのだ。

 こうなっては穏やかに避難といった、悠長はしていられない。


「速やかに教会に戻れ!!」


 裂帛のような声が村に響いた。


「ここにコボルトの軍勢が押してくる!!」


 野良々の妙技に見惚れていた村人達も、撃たれたように我に返り、丘にいる見知らぬ娘を振り返った。アリシアである。


「はいはい皆さん従って従って~!!」


 アリシアの声に続いて、飛鳥はパンパンパンと手を叩きながら、村中を駆け回って集合をかけた。そして駆け回りながら内心焦っていた。実は昼から、愛鋸デイジーがうんともすんとも言わなくなっていたのである。今朝早くからの酷使と、灰や煤が原因なのだろうが、よりによってこのタイミングである。

 吠えなくてもデイジーは強い。

 正確に振るだけでグレートクラブやバトルアクスなど及びもつかない威力を秘めている。

 とは言え、飛鳥は武人ではない。

 刃物の扱いを碌に知らぬ彼女が、XXから前衛を任されるまでの戦力たり得ているのは、一重にデイジーがチェーン・ソーだからである。飛鳥はデイジーで相手を仕留める際、決して『斬りつけている』のではない。正鵠を射るならば、彼女はデイジーを『押し付けている』のだ。故に彼女はデイジーの駆動を奪われると、その力の数分の一も発揮出来ないのである。

 とは言え飛鳥の膂力、デイジーの重量である。

 一振りに技巧がなくとも、当たれば唯では済まない。しかしコボルトには恐らく『当たらない』。彼女の出鱈目かつ単調な大振りは、知恵と素早さを備えた半人半獣に、いとも簡単に避けられてしまうことだろう。その意味でデイジーが動いたところでどうにもならないのだが、しかしせめて、注意を引くぐらいの役には立てるのだ。そして今はそれさえ出来ないとなれば、自分は最早誘導役に回るしかない。

 故に彼女は焦りつつも、駆けているのだ。

 チラリと飛鳥は横目で、村の南側の様子を窺う。アリシアが手際よく誘導している。しかし小高い丘に囲まれたビスケット村から出る道には、一定の幅がある。そしてそれはそれほど広くないし、ましてパニックを起こしている村人が殺到すれば、誘導は誰であっても楽にはいかない。

 そしてそれを、そいつらは狙っていたのだろう。

 北の森から、地揺れと共に、それらが駆け降りて来た。

 夥しい、雪崩の様な白の大群である。

 村の北側が、まるで白の染料を流し込まされたかのように、埋め尽くされた。 

 楽に200はいる。

 アリシアは誘導の手を止めて舌打ちし、急な丘を滑り降り、村人達を避けながら野良々の方へ駆け、そして腰に帯びているブロードソードを――――、否、ない。

 彼女は足を止め、必死に探す。手近な武器は? 代わりとなるものはあるか? 青の瞳に写るのは、復興用に持ち出された工具ばかり。

 伐採用の斧、枝狩り用の鉈、加工用のノミ。刃毀れしたナイフ。どれもが軽過ぎる。

 どれもが武器たりえない。

 しかし空手よりはマシかと、彼女は木材に打ちこまれていた手斧を引き抜き、唯一人でコボルトに対峙し、注意を引いていた野良々の脇に肩を並べた。


「帝国正規軍のアリシア・オーランド! 及ばずながら助太刀する!」


 野良々は先ほどとは打って変わった、アリシアの力強い声と面相に、へ~、と横目に小さく笑った。キコリの手斧一振りを、ここまで様に構える手合を彼女は知らない。


「そっか。やっぱり帝国の偉いさんやったんか。道理で隙がなかったわけや。アリシアちゃん相当な剣士やろ? ウチには分る。正直な話、もしあの時アリシアちゃんがナマクラ一振りでも差し取ったら、ウチは怖うて抜いてたで?」


「如何にも。我は剣に生きて剣に誓う者。先日のギルドに対するベオウルフの一件、何も申し開きはない。部下の始末は我の不始末。本来であれば死して詫びるべき大罪なれど、今は火急につき、どうか御容赦願いたい」


「っは~固い固い! いややいややそんなんは!」


 野良々は笑った。


「確かにあのときはびっくりしたし腹も立ったけれど、済んだ事は蒸し返さんよ。ウチも旦那も飛鳥もさ。せやけど、まぁ、ん~。どないしてもアリシアちゃんが心苦しい言うんやったら、これが済んだら一杯付きあいよ? ウチらにな」


 野良々の流し眼にアリシアは笑った。しかしその笑みはこれまでの穏やかな娘のようなそれではなく、凛々しく冷たい騎士の微笑である。


「我は帝国より任を帯びている故、済まぬが酒は呑めぬ。しかしギルドと協力して酒場の衛生状態を調査をするのは吝かではない。その辺りでどうだろうか?」


「っはっはっは。思っとったより帝国の人間も話分るんやな。見直したわ。ほな一緒に後で酒樽の具合を見にいこか。へへ、死体にも消毒ぐらい必要やろしな」


 アリシアは鋭い眼光はコボルトに向けたまま、しかし口元だけは笑みを返した。

 自分達を円形に取り囲むようコボルトの大群が動いていく為、二人は必然と背中合わせになる。やはりオークとは違い、群れの意味を理解している。しかしその知恵故、その用心深さ故、コボルトどもは村人は追わず、大群に臆さず対峙する二人ばかりを警戒している。これは狙い通りである。

 ジリジリと、着実に、コボルトがその円を狭めてくる。

 アリシアはチラっと横目に南側を見た。今は飛鳥が代って誘導してくれている。しかし不慣れな様子でぎこちない。遅くはないが、早くもない。


「キツネが余所見せんうちに、ぼちぼち打ってでるかいアリシアちゃん?」


 同じ事を野良々も気にしているようだ。


「それとも、ウチが退路用意するから、そこから一気に丘まで行くかい?」


 そしてその上、アリシアの身までを案じている。アリシアは心から彼女は大したものだと思い、そしてギルドに対する認識をもう一度改めようと思った。先日のオーク討伐の件にしてもそうだが、飛鳥にしろ野良々にしろ、まさに騎士よりも騎士然とした心構えに立ち振る舞いである。

 アリシアは敬意を込めて、しかし誇りを持って自らの心構えも伝えることにした。


「今の言葉は聞き捨てならんなギルドの戦士。我は6人とは言え部下を預かる身。コボルト風情に背を向けたとあっては騎士の名折れ。如何に得物が手斧とは言えこのアリシア・オーランド、構えたからには討つか討たれるまで降ろす気はない。今の言葉をそのまま返すが、どうだ?」


 っはっはっはと野良々は笑った。手斧一つでコボルト200を討ち取ろうとは、これほど戦を舐めた馬鹿もいない。しかもそれを帝国正規軍の剣士が口にしたのだから、彼女は一周回って感服してしまった。


「いや~参った参った。ほんま参った。アリシアちゃんいいねぇ。すっげー気に入ったわ。せやけどさ、ウチは見ての通りもう死んどるからな。死んだもんをさらに死なすなんて、そんな大それたマネがキツネに出来るとは思わんな……ほな準備はええか?」


「いつでも」


 野良々がそれを聞いてカチっと太刀のツバを弾いた時、しかし。野良々の目が、信じられないものを捉えてしまった。

 コボルトのすぐ傍の瓦礫、その陰で子供が震えているのだ。野良々はショックで自分の瞳孔が散大するのを感じ


「……ばか」


 と、思わず漏らした。

 警戒していたコボルトは、その動揺を見逃さなかった。半人ならではの知恵と半獣ならではの勘で、一頭がそれを悟り、そのキツネのような顔を、注視せよとばかりに突きあげ


「ヒヒヒヒヒヒヒ!」


 と鳴いた。瞬く間に群れに伝播し、コボルトどもの視線が揃ってその瓦礫へ向けられ、


「くそったれ!!」


 野良々は我も忘れてコボルトの包囲を突破し、矢のように駆け、すぐさま子供を抱き抱え――その背中に、一頭のコボルトが爪を振りおろしたが、その手の甲にズダン! と手斧が食い込んだ。骨が砕け肉の潰れる鈍い音がし、続いてコボルトの悲鳴。アリシアの一撃である。しかし彼女はそのまま容赦なく、傷口を開く様に斧を捻じりながら引き抜き、そのまま円運動に身体を返して今度はコボルトの脛肉にズダン! と手斧を叩きこんだ。

 コボルトがのたうつ音に野良々はそろっと振り返りつつ、自分の背中を守るように構える彼女を見上げて


「その子を下がらせろ!!! 早く!!!」


 アリシアは吠えたが、しかし野良々が動かない。

 野良々は、普段ならこんな無様、寝惚けていようと起こさないだろうにと苦笑しつつも、それを脇腹から抜いた。

 黒い血と共に彼女の手に収まったのは、瓦礫から突き出ていた、握り拳ほども大釘である。彼女は湿り気のある息をしながら、横向きにペっと黒い血を吐いた。


「急ぎなお嬢ちゃん。早く」


 と、その子を後ろに手で追いやってから、改めて太刀を握り直した。その間にも襲いかかっていたコボルトに対し、アリシアは一歩も後退せず、むしろその否妻の様な気迫で群れを圧していた。彼女は手斧を中段に構えたまま、


「立てるか!?」


 と声を掛けると


「ったりめぇよ」


 と脇腹を抑え、太刀を杖代わりにして、野良々は何とか立ち上がろうと膝を立てるが、しかしそこから先が動かない。

 そしてその間にコボルトは、あろうことか『陣形』を整えている。アリシアに圧されていたわけではないのだ。ただ唐突の野良々の行動が解せなくて、そしてアリシアに予想以上の反撃を受け、狡猾で用心深いコボルトどもは様子を窺っていただけである。

 そして今は問題なしと判断し、いよいよ仕留める支度を始めたのだ。

 野良々は片膝を立てたまま、強がって苦笑した。


「へへ。わり、ちょっとだけ」


 突きあげるような衝動が胃からかけ上がって、野良々は思わず口に手を当てると、真っ黒な血反吐がブっと飛び出してきた。

 その掌で滲む黒い血を茫然と見つつ、しかし野良々は歯を食いしばって覚悟を決めた。


「……まずったわ。こりゃ腑までいっとるな」


 アリシアもそのただならぬ様子を背中で感じ取り、その顔に焦りの色が滲んだ。その一方でも目を右に左に動かし、コボルトの動きを把握する。陣形は『Y』の字になっているようだ。前面に兵力を集中させつつも、両脇から挟み撃ちにするつもりらしい。取り囲むのをやめたのは、やはりもう様子見の必要なしと踏んだのだろう。しかしそれにしても、たかが二人に酷く周到な、とアリシアは苦笑した。


「あ~あ、最悪に格好悪いわ。逃げやアリシアちゃん。今のウチでも、注意ぐらいはひけるで」


 ゼーゼーと湿った息をしながら、もはや瓦礫に背中を預けてしまっている野良々は、徐々に後退してくるアリシアの背中にそう言った。しかし彼女は野良々の傍まで下がってくると、手斧を右手に任せ、野良々を左脇に軽々と抱える。


「随分と見くびられたな」


 野良々はその腕力にも驚いたが、しかしそれ以上にそう言ったアリシアの、強がりではなく自信に満ちた表情にこそ驚いた。コボルトは前から分厚く、左右から広く攻めてくる。後ろは空いているが、いくらアリシアに力と早さがあっても、野良々を抱えてコボルトを振りきれるとは思えない。まして得物は手斧だ。

 自分の太刀を貸そうとも思ったが、しかし帝国の太刀遣いでは数度の振りで刃毀れを起こすだろうし、最悪は折れてしまう。それならまだ手斧の方がマシだ。

 つまりこれでは、どう転んでも勝機はない。なのに何故、どうして、アリシアはこんなにも自信に満ちた笑みを浮かべているのか。

 野良々の困惑にも似た表情に、しかしアリシアは今一度頷いて見せて、しかもそして、あろうことか。彼女は唯一の武器であるその手斧さえも場に捨てたのである。

 流石にそのあまりの不審に、いくら獣とは言え知恵のあるコボルトは、何かの異様を察知していた。これは、何かあると。

 そしてアリシアが、その『解』と思われるものを呟くよう口にした。しかしそれは、コボルトにはもちろん、野良々にさえ意味が分らなかった。

 ――腐っても、ヤツは我の弟だ。

 と、

 刹那。

 空より鉄の雨が、コボルトの陣に降り注いだ。合わせて素早くアリシアは脱兎の如く後退する。その続けざまである。


「第二射! 放て!」


 再び鉄の雨が、快晴の空に弧を描いて降り注いだ。コボルトは一気に散開して後退する。

 それは碌に当たりもしない、力も纏まりもない投石染みた、自由落下のような、数ばかりの矢である。


「第三射! 放て!」


 しかしそれでも、猜疑心が強く、疑い深いコボルトの群れを下がらせるには、十分だった。アリシアと野良々を下がらせるには、十分だった。

 一体何事かと野良々が顔を向け、その正体を誰何しようとした時、目に飛び込んできたのは飛鳥だった。今の事態なぞお構いなしに、噴水みたいにビービー涙を零して泣きながら、もしかしたらさっきのコボルトより怖いかもしんない感じに飛び込んで、 彼女は野良々をアリシアからひったくるや否や抱き締めて


「わ~~~!!! 野良々ちゃん死なないで死なないで死なないで死なないで死なないで! おにゃ~~~!」


 大声で泣き出した。おにゃ~~の意味がわかんない。


「やだやだやだ~~!!! う~~~!!! 死んじゃいやだ~~~!! やだやだやだやだやだやだやだやだやだ~~~~!! おにゃ~~~! 私に黙って死んだら殺す~~!! 殺すから死なないで~~!!」


 要所要所意味不明だったが、しかし彼女は本気でボロボロと泣いていた。


「ううううう!!! 死体なのに死なないで! そんな新しい死にかた私認めない! わ~~~~!」


 顔にボロボロボロボロと涙を零されながら、やれやれ泣きたいのはウチやのにと野良々は苦笑しつつ、飛鳥の頬に指を当てて涙を拭った。


「……大丈夫やから飛鳥。大丈夫。ウチは大丈夫。本当に、正味の話したらさ、ウチ今メッチャ痛いけど、死なれへんから。ウチはさ」


 と。

 そのタイミングである。


「帝国親衛隊イージスが隊長、アテナ殿とお見受け致す!」


 村の南の小高い丘の上、やや西に傾いだ陽ざしを受け、そこにズラズラズラと姿を現したのは、教会に駐屯しているはずのベオウルフ中隊総勢150だった。

 その登場に、飛鳥も野良々も村人も、皆が唖然とし、アリシアばかりが笑んでいた。


「我ら! 『元』誇り高き帝国正規軍中隊ベオウルフ!」


 その『元』とと言う言葉に、村では小さくざわめきが起きた。

 コボルトどもにはもちろん、人の言葉は分らない。しかし今しがた起きた奇襲の正体と思しきものが群れをなして現れて、その首領と目される存在が声を張り上げているとあれば、コボルトはその性格上、耳を欹てざるを得ない。


「我ら領地を失い! 爵位を失い! 名誉を失い! 今は罪人遊軍の身なれど! 未だ命はここにあり! 未だ誇りはここにあり! 汚名ここに雪ぐべく! 我ら一同身命として! 及ばずながら助太刀致す! 皆、ここに騎士の誓いを立てよ! 抜刀!」


 弓兵達は腰よりズラズラズラとショートソードを抜き、スモールシールドと共に胸の前にかざし、声高らかに宣言した。


「この剣は民を守る為!! この盾は民を守る為!! この心が民の剣となりて!! この身体が民の盾となりて!! 我ら一同!! ここに民の為に死なんと欲す!!」


 彼らはそして、身を守るべき盾を構えず後ろに背負い、剣を両手に持って八双に構え、決死の覚悟を露わにする。


「全軍!! 命に換えて民を守れ!」


「おおぉぉおお!!!」


 怒号の如き掛け声を挙げ、彼らは雪崩の如く村に乗り込んできた。

 無謀か蛮勇か狂気の沙汰か、ろくに戦の経験も無い弓兵達が、ただ一振りの剣を頼みとし、ろくな陣形も整えぬままにコボルト共に特攻をかける。

 戦力的に見れば圧倒的に、ベオウルフが不利である。個々の戦闘能力、統率力、総数、何一つ取ってコボルトの群れに勝るものがない。

 しかしそれでも、コボルトは命を惜しまぬ騎士でも武士でもない、我が身一番の獣である。

 さらに今しがた受けた弓兵達の奇襲に、相当戦意をくじかれたらしく、この何でもない特攻に対して、彼らは必要以上の臆病風に吹かれ、そしてその風はそのままベオウルフにとって追い風となった。


「アテナ様! ひとまずこれをお返し致します!」


 皆が入り乱れて奮戦する中、アリシアのもとに駆け寄り、跪いて恭しくブロードーソードを捧げ持ったのはベオウルフの隊長だった。


「帰還を待たずの独断行動、まずはお許し下さい! 我ら全員既に領地爵位を返上し、今はただの通りすがりの遊軍にございます! どうかそれで御容赦を! この窮地を抜けた後ならば、縛り首なり斬首なり何なりと受けます故!」


 彼女がそれ手に取ると、彼は自らも腰のショートソードを抜き、八双に構え


「も、元・帝国正規軍ベオウルフ中隊隊長! 名乗るべき名はなし! いざ参る!!」


 と、声を震わせながらも、しかし彼もまたコボルトの中へ飛び込んで行った。

 その背中にアリシアは目を閉じて、小さく呟く。


「お前の処分は本日夕暮れに下す。それは今も変わらぬ。故にそれまで生き残れ。これはイージスのアテナ、直々の命令だ。生き残れ、我が弟」


 愛剣を手に再び彼女が開眼した時、アリシアの目は騎士のそれではなく、まして村娘のそれでもなかった。


「帝国親衛隊イージスが隊長アテナである!! ベオウルフの助太刀有難く頂戴する!!」


 村中からどよめきが起きた。帝国正規軍において最強の誉れ高い帝国親衛隊のイージスのアテナ。そんなものが村にいたとは知らなかった。そしてそれは誰だろうかと、屈強な男を村から見出そうとしていたら、うら若き乙女が名乗りをあげたからである。アリシアはそんな中で愛剣の鞘を払い、猛然とした勢いでベオウルフに加勢した。

 窮鼠猫を噛むとはこの事だろう。

 決死の覚悟を決めたベオウルフの騎士が振り下ろす剣は鋭く渾身、全身全霊で、コボルトどもの足や腹を切り裂いた。

 しかし所詮はショートソード。軽く短く、得物の威力不足は否めない。しかしその取り回しの良さがあるからこそ、彼らはその猛る心を猛るままに任せ、剣を振るう事が出来たのである。威力の高いロングソードやブロードソードも、技量がなければただの重りや枷であり、振るうのではなく振り回され、悪戯に体力を消耗するばかりである。

 例外はもちろん、アテナと名乗りをあげたアリシアで、彼女ばかりは大の男さえ満足に扱えぬその幅広の剣を、安々と振るいながら一頭、一頭、着実に斬り伏せて行った。


「言葉を解す獣がいるなら同胞に伝えよ! 我は誇り高き帝国親衛隊イージスのアテナ! 腕に覚えのあるものから前に出よ!」


 剣筋は素早く合理、全てが途切れることなく連続。流麗にして的確。尽くに真髄。降ろす刃も返す刃も流れる用で、見るものを虜にする鮮血の舞い。死の舞踏。

 血風を巻き上げ、凛とした面持ちで駆け抜ける、戦場の女神の姿がそこにあった。

 アテナの一騎当千ぶりにコボルトはいよいよ浮足立ち、ベオウルフはいよいよ勢いづく。

 そんなこんなで一気呵成、一網打尽の一瀉千里、とまではいかないが、しかし着実に次々と、コボルトどもが森へ敗走していく様に、村民達は歓喜の声を挙げた。

 決死の覚悟と獅子奮迅。

 もしもそれがコボルトにもあったなら、結果は真逆になっていたかもしれない。

 しかし決死の覚悟も獅子奮迅も、言うほど易く、得られるものではない。まして地位も名誉も誇りも、意地も意気地も矜持も持たぬコボルトには、どうしたって得ようも無いものだった。


「全軍!! 勝鬨!!」


 故にこの勝利は、やはりベオウルフ達のものである。彼らは剣を天高く突き上げ


「えい! えい! おー!!」


 と勇ましく声をあげた。勝鬨がビスケット村にこだまし、村人達の歓声がそれを包む。

 一度は村を焼き打ちにして名誉を失った騎士たちが、誇りをかけてそれを雪いだ瞬間である。そしてこれが名実共の、ベオウルフ初陣にして初勝利だった。 

 が。

 ――――しかし。

 森の奥から地響と奇声が響いてきた。

 勝鬨が止み、歓声も止む。


「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ」


 と、神経を逆なでする声で鳴きながら現れたのは、コボルトの首領、キングコボルトである。

 頭頂部に見事な鬣を生やし、体躯は並のコボルトと小柄なオークの中間程度――およそ3m。しかし握力はオークの頭を潰し、掛ける足は駿馬よりも早い。その単体能力もさることながら、何よりも怖ろしいのは、その存在が群れに与える絶対の自信である。

 ――キングコボルトがそこにいるならば

 コボルトはもう臆さない。

 コボルトはもう脅えない。

 コボルトはもう疑わない。

 コボルトはもう迷わない。

 コボルトはもう惑わない。

 コボルトはもう、人に敗れない。

 敗走したコボルトまでが、再び森からゾロゾロゾロと、ゾロゾロゾロと展開し、さらには本体を含め、村の北側半分を埋め尽くすばかりに犇めいた。

 白色、一色。

 400からはいる。

 数は先の倍で、士気は数倍。総数はベオルフの約二倍。

 そこにはただ一言、絶望しかなかった。


「アテナ様」


 アリシアの傍らに片膝をついたのは、ベオウルフの隊長だった。


「私の、不手際です。これだけ御尽力を頂きながら、村人たちの半数はまだ教会にすら避難しておりません。丘付近にも数多くが残っています。ですが」


 彼は兜を脱いで、アリシアの目を真っ直ぐに見た。


「ここで我らが喰いとめれば、まだ少しは時間が稼げます」


 教会で彼女に打たれたその顔は、まだ痛々しく紫色に腫れ上がっている。しかしその目には、もう情けなく命を乞うていた負け犬の脅えはない。今その瞳には、確かに騎士の鉄意が宿っていた。

 彼は、自らの姉に告げる。


「どうか、御覚悟下さい!」


 言わんとしている事は単純明快だった。彼はアリシアに自分達と共にコボルトの囮になってくれと、そう言っているのだ。一人でも多くの村人を逃す為に、少しでも遠くへ逃す、その時間を稼ぐために。

 この期に及び、ベオウルフの中には誰一人として、その場から背を向けるものはいなかった。

 確かに、足が震えている者がいる。

 確かに、剣の握りが頼りない者がいる。

 確かに、肩で息をしている者がいる。

 誰もかれもが、例外なく、銘々に怖がっている。

 しかし怖がりながらも、誰もかれもが、逃げようとはしなかった。


 一人がショートソードを高く掲げる。


「汚名を雪ぎし我ら一同!! 今改めて!! ここに誇りの為に死なんと欲す!! ここに誉れの為に死なんと欲す!!」


「おおぉぉぉおお!!」


 彼らは合わせて、その剣を天高く突き上げた。

 これが本当に、あの村に火矢を放ったベオウルフと同じ部隊なのだろうか。と、野良々にはそれが信じられなかった。

 飛鳥の腕に抱かれながら、薄れる意識の中、そんな不思議を覚えていた。人はこんなにも変われるのだろうか。人はこんなにも変えられるのだろうか。と。

 アリシアの返事を待たす、ベオウルフの隊長は誰よりも前に出る。そして号令。


「陣形! 鶴翼!」


 彼らは再びショートソードを八双に構え、広く間隔を開けてV字型に隊伍を組み、防御に特化した陣形を布いた。

 彼らはもう勝てぬと分っている。生き残れぬと知っている。だから少しでも、少しでも時間を稼ごうと、一分一秒でも生き延びようと、この陣を布いたのである。

 少しでも村人を遠くへ逃す為、その為の時間を少しでも稼ぐため、彼らは。

 キングコボルトどもに、『くびり殺される』事を選んだのである。


「突撃!!」


 彼らはまたも果敢に飛びこんで行った。

 しかし奇跡は、もう起きなかった。

 振り降ろす剣が尽くかわされ、コボルトの爪が深くベオウルフの騎士たちを抉った。

 元より弓兵の鎧は、白兵戦を意識して作成されていない。動きやすさと軽さに重点の置かれた革の装甲など、コボルトの猛爪の前には布にも等しい。

 首領キングコボルトを頂いて本領を発揮した半人半獣により、騎士達は噛みつかれ、振り回され、引き裂かれた。

 集団で取り囲まれ、断末魔の中で散っていった。

 それも時間をかけての嬲り殺し。

 この期に及んでアリシア一人の猛威など、今のコボルトには意味を為さなかった。

 ベオウルフの隊長の声は、既にない。

 弟はもういない。

 既に、もう。

 アリシアは歯を食いしばる。ならば今、指揮をとれるのは自分しかいない。

 一人でも生きて返す。


「全軍後退! 陣形を整える!」


 号令をかける。

 彼女の元に集ったのは、しかし手傷を負ったものばかりたったの数十人。

 しかも彼らは自らの足で後退してきたのではない、悪足掻きをさせるために放り投げられ、押し返されたのだ。

 コボルトは彼らを殺すが出来た。しかしコボルトは彼らを殺さなかった。

 嬲っている。

 萎靡っている。

 嘲っている。

 侮辱している。

 侮蔑している。 

 獣どもに生かされる。それは騎士にとっておおよそ耐えがたい屈辱である。

 しかし彼らは自分の名誉も誇りも勝利も、既に村人に預けている。自分達は彼らの盾であり剣であると誓ったのだ。だから今は、いかに自分の有様が無様であろうとも、そんなものなど蚊帳の外である。

 だからベオウルフの手負い達は、この期に及んで笑った。


「模擬戦闘さえ経験のない兵糧潰し150を、400がかりでこれほどまで仕留め損なうとは、コボルトおそるるに足らず」


 一人が再び剣を構える。その手が血で滲んでいる。


「大将が最後尾で踏ん反りかえっておるとは笑止千万、所詮はコボルト。如何ほどでもない」

 一人が再び剣を構える。片手は既にあがらない。


「我らベオウルフ、未だ命はここにあり。一人が10も斬ればそれで良し」


 一人が再び剣を構える。その剣は既に欠けている。

 眼前に広がり、哂い声をあげる白一色を前に、しかし彼らは笑っていた。

 目の前で死んだ。

 仲間が死んだ。悲鳴をあげた。血を見た。断末魔を聞いた。裂けるのを見た。砕かれるのを見た。千切られるのを見た。

 それは形容できない程、怖ろしく、恐ろしい。絶望的に絶望的で、悪夢めいたほど悪夢めいた、悪夢の様な光景だった。

 まざまざと見た。

 まざまざと聞いた。

 身体の震えは、どうあっても止まらない。

 それでも。

 ここばかりだけは、ここばかりは引いては、何か自分の中で最も根本的な部分が、根幹を貫く何かが、根元からそっくりと折れてしまう。彼らはそんな気がしてならなくて、だから彼らは恐怖を殺し、この無謀と蛮勇を選んでいた。

 騎士の鉄意。

 帝国正規軍の中で、騎士における騎士のみが心に宿すという決死の覚悟。自分の中で現れたそれがそれであるとは、まだ彼らは知らない。

 無論そんなことなど理解せぬ、新たにキングコボルトという大いなる戦力を得たコボルトどもは、


「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」


 と、また耳障りな声をあげた。

 まるで彼らを嘲笑うかのような、いよいよ全てを嬲り殺しにする愉悦を堪え切れない様な、そんな不快で下卑た声を、それらはあげた。

 白色一色が、まるでざわめく波のように、剣を向ける彼らに、そして必死に逃げていく村人の背中に向け、それらはあげた。

 そしてそれが終わりの始まりだった。


「……哂ったか? 騎士の覚悟を」


 アリシアが、ゆらりと、『それ』に向いた。


「……この者達が命を賭して守ろうとした村なればこそと、我は最後の最後まで食い縛るつもりだったのだがな」


 これまで誰もが聞いたことのない、喉元に切っ先を突き付けるかのような声で、彼女はそう言った。


「最早これ以上は止むをえぬ」


 彼女はそのブロードーソードを、両手に握り、そして天高く突き上げた。

 そこより先は、一重に奇跡であった。

 彼女の掲げる切っ先に誘われるが如く、雷鳴を轟かす暗雲が、晴れ渡っていたビスケットの空を、煙のように覆い隠し、たちまちのうちに大雨が降り注いだ。

 天が割れたかのように叩きつける豪雨と、青白い稲光が空を掛け巡り、そんな中で、彼女は今まで見せた事のない、険しく厳しい、アテナよりもアレスに近しい血相になった。


「分も引き際を弁えぬものよ、こうなっては我は加減を知らんぞ」


 刹那、天をも砕く亀裂の如き稲光が、彼女の掲げる剣に駆け下りて、接触と同時に閃光と雷鳴。

 ビスケット村全体を揺るがす衝撃と突風が辺り一帯に伝播して、そこかしこで悲鳴があがった。村人のあげたこれは、しかしアリシア達を慮っての声である。

 あの神の怒りの様な雷の直撃を受ければ、例え1000年の大樹であっても、幹の根元まで黒焦げに裂かれたであろう。

 まして打たれたのはただ一人の人間、骨の芯まで灰になっていようと不思議はなかった。

 しかし、野良々を風から守ろうと覆いかぶさっていた飛鳥が、どよめきに誘われてそっと顔をあげると、そこに奇跡が広がっていた。


「全軍!! 我を切っ先とする楔の陣形を取れ!!」


 アリシアの――アテナの号令に、ベオウルフ達は素早く指示に従い、彼女を先頭として△の形に、陣とは呼びがたい小さな陣を布いていた。

 しかし今や村娘などと呼べぬその凛々しき美丈夫は、自らの足でしかと大地を踏みしめ、柄を両の手に握って腰を低く落とし、剣を車に構えていたのである。

 その色白の顔にも、ブロンドの髪にも、意思の強い碧眼にも、傷一つ煤一つ見当たらない。

 しかしなにより驚嘆すべきは、その刃で、それは先の雷を帯びて火花をたぎらせ、さらに神々しいまでに輝く蒼き切っ先は、悠に槍の長さを超えていた。

 さながら、守護神パラス・アテナの携える槍である。

 アテナは冷徹な眼差しをキングコボルトに向け、宣告する。


「これにて戦局を終了させる。獣ども。せめて守護神(アテナ)の慈悲を賜りて、悔悟の間も無く散華せよ」


 キングコボルトも咆哮をあげ、アテナを穿つが如く指さして、同時に一斉、コボルトどもが呻りをあげて襲いかかって来た。

 野良々はそのとき、アテナの二つ名とも言われる『雷光の槍』の意味をを理解した。


 ―――あの長さは、確かに剣にゃ見えへんわな。


 得心と同時に、事は決した。

 ものの、一薙ぎ。

 視界そのものを真横に分断する、蒼き稲妻。

 青く、白く、焼かれ裂かれるコボルトの群れ。蒸発するキングコボルト。

 尚勢い余り、中空を駆けまわる青炎の嵐。

 対峙する全てが青白い焦土と化し、コボルトどもは灰塵に帰した。

 一薙ぎで天を切り裂くとまで言われた『雷光の槍』。

 ひとたび戦場で剣を振るえば、たった一人で戦局を一変させるほどの戦果。

 噂に違わぬ戦神の一振りがそこにあった。

 

 結局、村人たちはビスケット村を離れる事になった。

 ここまで執拗に、短期間に魔物が現れるには何か理由があるのだろうと、帝国が決定を下したのである。

 良質な火薬の原料となる土や、家屋の建造に適した材木が獲れる北の森も、工業油の元になる、ラージトードーが跳ねている兄弟川も、全てが惜しかったが、それでも命に換えられるものではない。

 教会で男達の帰りを待っていた女子供に、彼らが事の成り行きと事情を話した時、しかし彼女達はまず夫や恋人が無事であった事に涙を流し、そして道中を警護していたベオウルフ達に頭を下げて感謝した。

 彼らの新たな移住先については、既に帝国親衛隊イージスの隊長が直々に一筆をしたためて帝国に送った為、さほど時を待たずに決まる事だろう。

 不幸中の幸いと言うべきか、あるいは素直に幸いと言うべきなのか。ベオウルフの隊長は、負傷兵として教会で目を覚ました。彼は今回の事に重い責任を感じ、身動きままならないままにナイフを喉にあてがったものの、寸んでのところでアテナから『責任の取り方を吐き違えるな』と叱咤され、一命を取りとめた。引き続き彼は隊長として職務を全うする事になった。

 しばしの間、ビスケット村に暮らす村民達はこの教会を仮住まいとする事になるが、護衛は引き続き、否、新生ベオウルフ中隊である。不満の声はあがらなかった。

 村から引き揚げるときに、別れの挨拶として、釣鐘塔の鐘を鳴らしたのは不立文字飛鳥だった。持ち前の膂力で以て、その『どっせい!』と付いた鐘の音は、教会の中で手当てを受けていた村人や騎士たち、そして野良々の耳にも届いたと言う。



「は~~~。やっぱり人は見かけによらないですね~~。アリシアちゃんがあのイージスの隊長だなんて」


 待合酒場グウィンドリンにて、皆の視線とヒソヒソ話を全身に浴びつつも、木のコップを両手に持ち、暖められたミルク酒をチビチビとやっているアリシアは、肩を落として溜息を吐いた。


「どこに赴いてもそのように言われます。私としては不本意なのですが」


 向かいに座る飛鳥も飛鳥で、教会に預けている愛鋸デイジーと、傷の手当てを受けている野良々の事がずっと気になっていて、さっきから机の上で指をトントンとせていた。彼女二人は共に野良々の傍にいると言ったのだが、野良々当人はそれを最後まで良しとせず、彼女は『アリシアちゃんは、ウチと約束した通り一杯付き合ってや』『飛鳥は、ウチの代りにアリシアちゃんと一杯やってきて』という何とも妙な事を、腹に包帯を巻かれながら言っていたのである。ちなみに傷は放っておけば治るらしい――すげぇ@飛鳥。

 しかしそんな事でそう簡単に了承する二人でもなかったのだが、しかし。この時間になって、ようやくギルド『レッドハット』のマスターであるXXが、遠方の用事を済ませてこの待合酒場に帰ってくる。そんな報せがあったと教会の神父より聞かされ、飛鳥は『今日の出来事全部全部ブチマケテやるです!』と息を巻き、しかしそれでも不承不承という具合に野良々を置いて、こうしてゼンマイ式はリンゴをシャクシャクやっているわけである――私もちょっと捲いてみたいな@アリシア内心。

 ともあれ、本題に戻る。


 飛鳥はゴクンとリンゴのヘタさえも飲み込んで証拠隠滅し、アリシアの耳に口を寄せ、

「それで、ここに来た本当の目的って?」


 と尋ねた。

 酒のせいではない。

 確かにアリシアは今、頬を別の理由で染めている。


「そ、それはぁ、その。はー、まぁ」


 パラス・アテナが、なにやら挙動不審である。視線が右往左往。マバタキの回数増加。さらに今まで半時もかけてチビチビ飲んでいたミルク酒を、一気にグイと開けた。ゴトンと置かれたコップの底が見えた事に、飛鳥は目を丸くして


「あ~、大丈夫アリシアちゃん?」


 尋ねてはみたが、しかしそんなものは一目瞭然である。アリシアは頬を一層に染め、大きな目を半分閉じて潤ませ、妙に色気のある表情になっていた。しかしそれでも彼女は


「ええ、このぐらいは。いつも戦のあとで部下に付き合ってますから。ヒック」


 あ~~~嘘っぽい@ゼンマイ式。

 飛鳥は苦笑しつつ、顎肘をついて


「アリシアちゃんって、幾つ?」


 予想外の質問だったのか、アリシアは一瞬きょとんとして、それから指を折って


「今年で17を数えます」


 今更何にも驚かないぜ@飛鳥。


「ねぇアリリン」


「ア、アリリン?」


「そ、アリリン。それで、アリリンは何をしにここに来ちゃったんです?」


 冷静に考えれば、飛鳥がさっきからとっているこうした行動は命知らずにも程がある。アリシアは17の乙女とは言え、帝国親衛隊イージスの隊長アテナである。もしも今酒が入っておらず、場所も部下達の前であったなら、対面的に即座に斬り捨てられても不思議はない。だから酒場の空気は最初から、実はずっと凍てつきっぱなしなのであるが、しかし飛鳥はそんなことに全く思い至らす、自分の分のミルク酒に口をつけつつ、アリシアの答えを待った。

 確かに帝国親衛隊の隊長が、たかたが一中隊の処分や村の視察ごときに赴くなどはあり得ないと、飛鳥でもそんな事ぐらい理解できる。ならばそれに値する、秘められた本当の理由とは何なのだろうかと、アリリンの顔が赤くなった理由とは何だろうかと。彼女はミルク酒でゴクゴクと喉を鳴らしながら気にしている訳である。


「許嫁を追って参りました」


 ゼンマイ式が盛大に噴いた。アリシア神回避。


「大丈夫ですか!?」


 っげほ! っげほ! とむせているゼンマイ式の背中を擦る守護神アテナの顔は、本気で心配そうである。さっき飛び出たネジとか歯車とかバネとか、アレ良いのか? あれ大丈夫なのか? 結構重要なパーツとかも出てたけどとか、ちょっとアリシアさんの気が気でない。

 ともあれ二人居住まいを正し、さて。再開である。ちなみにさっきのパーツは全部飲んだ――本当に良いのかその対応@アリリン。

 アリシアは今、アテナの面影も騎士の面影も微塵もなく、ただ純粋な乙女と化して顔赤く俯いていて、でもやっぱり力は強いから、テーブルで円を描いている人差し指は、許嫁の事を語るに連れて、もうどんどん削って行く削って行く。

 飛鳥もまた顔を赤くしつつ、腕を組んで考え込むように目を閉じていた。


「ん~……なるほどね~。その人は帝国親衛隊イージスの元隊長ですっごく強かったんだけど、ヒック。でも全然騎士っぽくなくて性格がチャランポランで。そんでアリシアちゃんをいつも小馬鹿にしてて、ヒック。ただ時々格好良くて、ヒック。頼もしくてステキでときめいてたりして」


 実を言うとさっきの酒が飛鳥にきいている。アリシア、どんどん顔赤くなる。


「それで、ヒック。今でも忘れられなくて追いかけてると。OKアリリン?」


「は、はい」


 アリシア、削って行く削って行く。店の親父、青くなる青くなる。

 ゼンマイ式がフラフラし始めた。


「そんで~~~。ん~~~。通り名が『赤色の鬼札』か。ん~~、にゃるほどなぁ。ヒック」


 まぁどこの世界にも、鈍感な人物と言うのは必要不可欠である。ゼンマイ式は腕を組んで呻る傍ら、顔の赤いアリシアはテーブルに二つ目のクレーターを作成開始。彼女もだいぶ酒がまわり、話も佳境である。


「それでその、ヒック。わ、私は自分の寝室で、シーツを抱いてドキドキと初夜を待ってたんですが。ヒック。その方はドアじゃなくて窓からヒョッコリと顔を出して、こんなこと言って、消えてしまったんです」


「ん~ほいほい?」


 アリシアはその顔を、まるで悪戯でもしに来た子供の様な表情にかえて


「『わりぃわりぃアリシア。ちょっと俺野暮用が出来たんだわ。つうわけでイージス抜けるから後はオメェ宜しく。そんじゃな』って言ったんです」


 声マネ終了。飛鳥それに笑わずテーブル叩いてガチ切れして


「わ~!! さいってーー!! ヒック。 まるでそれうちの御主人様みたいじゃないですか~~!!」


「あはははは。ビスケット村を救った英雄と一緒にしないで下さい、あんなバカを」


 もうアリリンもぶっ倒れる寸前だった。実はお酒などほとんど飲めないのである。しかしそれは飛鳥も同様で、もう今にも閉じそうな目を強引に開けて


「ヒック。お~~、言うねぇアリリンちゃんも~。元隊長をバカっていいますか~? 愛する人をバカっていいますか~?」


「ええ、騎士だって言う時は言いますよ。ふふふ」


 奇跡的なすれ違いの中、二人はそうして笑いあった。酒場の空気をとことん氷点下にしつつ、笑いあった。しかしここまで来ると、最早お約束の展開である。

 宴も酣という頃合い。店の扉がカランカランと音を立てて開いて、


「わりぃわりぃちょっくら仕事が長引いたもんで遅くなっちまったわ。いやぁしかし裏口にいねぇもんだからノラコが怪我したって本当だったんだな。ちょっと先に様子」


 とヒョッコリと入って来たギルド『レッドハットと愉快な仲間達』のマスターXX@死亡フラグ全開は、テーブルに座って背中を向けているギルメン2にその場でそんな声をかけ、次に彼女の正面に座って即ち自分と向かい合っている、碧眼色白ブロンドのうら若き乙女と目が合うと


「すいません間違えました」


「どこへ行くつもりだ着様?」


 立ち去ろうとしたXXの肩に乗せられたのは、本日ビスケット村にてコボルトのべ400を一瞬にして灰に換えた、神器『雷光の槍』の青白い刃である。

 XXはこれが悪夢でなければ果たして悪夢とは何だろうかとギルドマスターじゃなくてフィロソフィストになりかけていた。おいマジか、何だこれは。何であそこに置いてきたアレがココにいるんだ。おいどういう事だ。ちゃんと説明しろ。あるいはシナリオ書き直せ。いますぐ改稿しろ。見切り発車でファンタジー始めやがって。どうせお前いつものノリでこんな設定用意したんだろう。適当に自虐やってりゃ笑い取れるとか安易なこと考えて走っただろ。冗談じゃねぇぞそんなもの、こちとら命がけで――とかXXがバグっていたら


「何か、申し開きはあるか?」


 酒場が完璧に凍ついた。飛鳥は酔いつぶれていた。

「帝国親衛隊イージス元隊長? 称号オリハルコン? 赤色の鬼札クリムゾン・ジョーカー? 我が何と呼べば返事をするのだ貴様は? 答えよ」

 その切っ先が徐々に、肩から首へ動かされていく。XXは振り返らぬまま、静かに「へ」っと笑い


「……すごかったらしいな、今日の活躍よ?」


 ニヤっとアリシアは笑い、次の瞬間XXは入口扉ごと外に吹き飛んだ。凍えるどころかもはや石になっている店の親父に、彼女はチラリと一瞥だけし


「しばし表で迷惑をかけるぞ。手当は追って払う。それと酒の質は問題ない。後で報告しておく」


 冷たくそう残してから店を出た。

 XXは草っぱらの中で大の字になりつつ、頭の中がグルングルン回っていた。色々な衝撃がいっぺんに混じり過ぎている。しかしあの一撃。たった一発のくせ、殴られた頬は口の中がもう裂けているし、足にまで来ているし、目眩も止まらない。全く冗談ではない。

 ――発育も宜しいこったよ。


「二度は言わぬぞ。立て」


 冷たい声がして、見上げると、寒色の月を背にしたアリシアが、それ以上に冷たい眼差しで見下ろしていた。XXは溜息を吐いてから観念したように頷き、


「ああ、そうかい」


 よろっと立ち上がると再びその拳が顔に――ヒラっと交わされ、その腕を掴まれる。アリシアは抵抗したが、しかしXXから振りほどく事が出来なかった。力負けはしていない。むしろこれまで一度も負けた事がない。幼少に始まり彼が自分の元を離れるまで、力比べで負けた事はなかった。しかしそれでも、振りほどく事が出来ない。


「……くそ!」


 ただ、力が入らなかったのだ。視界が滲み、呼吸が乱れ、嗚咽が漏れて。

 これまで世界各地、ありとあらゆるところ、様々な理由をつけて、彼女は単身赴き、許嫁の消息を追っていた。

 ギルドに身をやつしたと風の噂に聞いてからは、手当たり次第に、虱潰しに、本当に草の根を分けるようにして数えきれないギルドを当たってきた。そして当たりをつけていた人物が戦死したと聞かされた数も十や二十ではないし、その度に心が折れそうになって、けれども。そう簡単に『オリハルコン』が砕かれるわけがないと自らに言い聞かせ、何度も立ち上がって来たのである。

 だからだった。

 今それが、今それが。夢にまで探して、追い続けていたそれが。何の前触れもなく目の前にいて、笑っているのだ。

 幻覚ではない、確かに自分の腕を、あの時よりもほんの少しだけ大きな手で、確かに掴んでいるのだ。


「随分とまぁ、綺麗になったじゃないのアリシアちゃん? ぶ!!」


 XXは蹲った。

 膝を鳩尾に入れられたのだ。

 アリシアは離れて手早く涙を噴き、そしてその時がくれば必ずと、ずっと渡そうと身に付けていたそれを取り出して、情けなく四つん這いになっているXXに放り投げた。XXは両手をついて立ち上がろうとしていた矢先、目の前にカランと落ちてきたそれに『何ぞ?』と一度目をすがめ、しかし何かを認めると目を疑った。


「私の、ギルドカードだ。持っておけ」


 見間違えではなかった。


「ギルドって……。でもオメェ、帝国親衛隊の隊長やって」


「遊軍という形でなら、依頼受諾の許可を帝国から得ている。必要な時はそれでよべ。そして出来るだけ必要としろ、私を。では、これで」


 アリシアはそれだけ残して、その場を足早に立ち去ろうした。自分は許嫁である以前に騎士である。騎士が無様な泣き顔を見られるのは、例え許嫁が相手であっても許されない。例え親の死に目であっても、騎士は涙を忍ばねばならないのだ。

 足が動かない。

 互いに戦を生業とする身。今ここで離れたら、もう一度会える保証などない。ようやく辿り着いた今回の奇跡を、もう終わりにしても良いのか。それで満足なのか。けれども顔を見たら、どうしても涙が止まらなくなる。だから、やはり今は面と向かえない。けれども、離れたくはない。一体どうすれば良いのか、自分に分らない。また嗚咽が漏れてきて、顔を両手で覆い隠し


「おいアリシア!!」


 振り返ると、XXから何かが投げられ――ハシっと受け取ると、それはギルドカードだった。


「オメェも、用があったら声掛けな。ゼンマイ式メイドと女の子の死体連れて、迷惑かけてやっからさ」


 『レッドハットと愉快な仲間達』と書かれていた。


「いつでも最優先に飛んで行くぜ? いつでもどこでもオメェのお呼び出しだったらさ。……アリシア」


 涙に滲んだその奥で、無様に鳩尾を抑えている許嫁が、にやっと笑っていた。


 ――――――もう我慢の限界だ。


「ギルド風情が騎士にものを投げるとは良い度胸だ!」


 アリシアは騎士の誇りにかけ、XXに飛びこんで行った。


 『雷光の槍』 了


ギルカ一覧(遊軍)


登録名:アリシア・オーランド

通り名:『雷光の槍』

膂力評価:A

技量評価:A

素早評価:B

知力評価:B

総合評価ランク:S

称号:帝国親衛隊イージス隊長アテナ

コメント:彼が去った後にキャベツ畑で葉の裏を見てみた。どうやらコウの鳥はまだ来ていなかったらしい。

特記事項:神器『雷光の槍』:

ゼウスの怒りに例えられるアリシアのみに赦された奇跡。荒れ狂う蒼き否妻は対峙する全てを灰に変える。

 

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