第8話:ネクロマンス(完結編1)
「……つまり、お兄ちゃんはボクを殺しにきたんだね?」
「いいや、霧を止めに来ただけだ。嬢ちゃんをどうしようって訳じゃない。……街の海霧を必要以上に濃くしたり、生きた人間を誘い込んで命を奪い取る。そいつを止めて欲しいだけだ」
「ここに貴方の大事な人が暮らしているの? その人だけは見逃してあげてもいいよ?」
「そうだな。一人か二人ぐらいはいるかもしれない。が、そいつらだけじゃダメなんだ。この都市を生きてる連中にまるまる返してやる、元のレナコーンに返してやる、それが今の俺の目的だな。まぁ、ついさっき出来たばかりなんだが」
「……そうなんだ。でも、それじゃあボクはどうしたらいいの? ボクはここ以外に世界を知らないし、この方法でしか生き方を知らない。知っていた世界は焼けちゃったし、知っていた人はみんな死んじゃったから」
ギリシア帝国近衛第0師団スリーピーホロウにより、故郷のフィナンセル村から焼きだされた孤児達――その一人がこの少女なのだろうと、XXは最初そう睨んでいた。
そして、彼女は人身売買ギルドのゲルニカによって拉致され、レナコーンに禁制品の一種として密輸されたものの、死生病感染の疑いにより街の何処かに破棄された――。アンゼリカと邂逅したとき、彼の直感はそう告げていたのだ。
そして、地下墓地は人目を忍ぶ場所として悪くない。
故にXXは己の直感を確信に変えていた。
しかし、何故に少女はアンデッドの生成と使役に長けているのか。それだけは実際に話を聞いてみるまで想像もつかなかった。
――だからこそ。
少女の口から真相を知った時、XXは眩暈を覚えて二歩三歩と千鳥足を踏んでしまった。冷静に交渉事を進めている今でさえ、そのショックから立ち直ったわけではない。XXは改めて事態を振り返る。
――フィナンセル村を焼いたのがスリーピーホロウではなく。
――この嬢ちゃんの親父――フィナンセル教会の神父だったとはな。
少女は淡々と続ける。
「お父さんとは言っても、生まれてすぐにボクを死体置場に捨てたから、ボクが勝手にそう呼んでるだけなんだけどね。それはでも仕方がないことだよ」
――ボクは生まれついての死体奏者だから、神父がそんな子を認めるわけがないよね。
少女は端的に出自を明らかにし、そしてさらに残酷な事実を語ってくれた。
フィナンセル村に死生病が蔓延したあと、おぞましい共喰いが始まったこと。
気の触れた神父が燭台と香油を手に、村の家々に火を放って回ったこと。
火の回りが想像以上に早かったこと。たまたま村の中心に逃げおおせてきた子供達をアンゼリカたちが助けてくれたこと。
また。
――あら、戦利品というべきなのかしら?
――お嬢ちゃん、幾つ?
――お父さんは生きてる? お母さんは生きてる?
――言葉は話せる?
――ああ、何もかもが完璧ね。――いらっしゃい?
死体に紛れて息を殺し、元より村から破棄されていた異形の自分さえも見つけ、『恐怖』と共に助けてくれたこと。
そのまま村を離れ、船に乗せられ、見知らぬ地に運ばれ。
自分たちは、あらゆる国で里親を宛がわれたこと。
そして。
引き取り手のなかった自分は、アンゼリカが引き取り、地下墓地にかくまってくれたこと。
「だからね、アンゼリカお姉ちゃんは、ボクにとって本当の騎士なの」
少女は尊敬の一心で語った。
ぎゅっと握り拳を作る。
XXは、今更になって言いようのない苛立ちをアンゼリカに覚えていた。あの女の掲げた騎士道は、確かに彼女の語るように本物の騎士のそれだった。たとえ後ろ指を指されようとも、アンゼリカと共に騎馬を並べたときは誇らしくあった。その果敢さと崇高さには焦がれたときさえあった。
けれども、
彼女はいつだって自己犠牲に過ぎて、身体にも名誉にも無様な傷を負い、そのことが常に腹立たしくもあった。イイススの献身さえ霞むほど、アンゼリカは己の存在を手段と割り切っていたのだ。
――変わってねえのか、アイツは本当に。
だからこそ、いかに死生病の根絶が目的とはいえ、無辜の村民もろとも焼きつすくなどという所業を、あのスリーピーホロウが、あのアンゼリカがやってのけるとは思えなかったし、思いたくなかった。
やっぱり、無実だった。
二つ名の首刈淑女――ネックハント・エグゼキューテス。
敗残兵と命令違反者への首狩り処断。魔物への血浴と生輪切、剥皮。ギリシア帝国から聞こえる彼女の戦歴には必ず悪名が伴う。無論、火のない所に煙が立ちはしない。それらの所業に事実も含まれているだろう。
しかし、ギリシアの鼻つまみ者、名家の面汚し。異形の騎士団。そうした日陰者の栄誉が、人の口を経るにつれてあらぬ侮蔑に変じていくのは、旧態依然とした騎士社会において珍しいことでもない。
しかし彼女自身はその悪名を良しとし、大いに振りまき、少なからぬ敵の戦意を削ぎ、結果的に多くの犠牲を減らしていた。名声が全てとも言える騎士社会で、彼女の騎士道はやはり異端だったのだ。
――元より私は首無しの騎士ですから、如何様な面も下げておりません。故に、今更どのような悪名が塗られようと、汚れる面もありませんから。でも、隊長。いいえ、ダブルエックス。もしも首無し騎士からでさえ、その首を奪い取ることができるものがいるとするなら、たぶん、私が背中を預けていられるあなたぐらいのものでしょうね。
フィナンセル村に赴くアンゼリカ、ギリシア帝国の裏門から忍ぶように出征していく彼女が、唯一見送りに出てきた騎士にかけた言葉がそれだった。
「……馬鹿な女だ」
「……お兄ちゃん?」
「悪い。独り言だ。……邪魔したな」
XXはそれ以上のことを聞きたくないとばかりに背を向け、歩み始める。
「帰っちゃうの? ねぇ、もっとお話をしようよ」
XXは頭を振る。
「いいや、俺には嬢ちゃんと話す資格はないらしい。それに、お友達を増やすその霧もだ。止める資格なんざない。もう好きにしてくれ」
戸惑う暗がりの少女をよそに立ち去るXX。
その首元に無数の銀光が閃いた。
空間の屈折。
そんな錯覚をもたらすほどの剣速である。
彼を死から救ったのは、わずかな空気の違和感だった。
もし一瞬でも跳躍が遅れていたら彼の命はなかっただろう。
もっとも、今となっては無意味なことだが。
ⅩⅩが跳躍した足先へ正確に撃ち込まれた小刀、その刃を避けんと空中で体勢を崩した彼を、そのまま軽々と足一本で組み敷いた者がいる。
枯れ木のように細い四肢を、絹のように柔らかな長衣で包んだ異国の剣士。
待合酒場にアンゼリカと共にいた、傾月と名乗った男だった。
――まるで動けねえぞ……。
ⅩⅩは驚嘆した。信じられぬことに、地にうつ伏せている己を抑えているのは優男の足一本である。それが利き腕を捩じ上げるように足を絡めているとはいえ、全身が微動だにしないのは妖術の類としか思えなかった。
「やめろ!! お兄ちゃんから離れろ!!」
少女の悲鳴。
途端に控えていたアンデッドが大挙して押し寄せるが。
「 喝 ! ! ! 」
大喝一声。
裂帛の気合が神気を帯びたか、振れもせずにアンデッドが瓦解した。
――違う。やられたのは嬢ちゃんだ!
XXは暗がりの気配から、たしかに今、少女が腰を抜かしているのだと察知した。
――即座に死体奏者の特性を見抜いて無力化する。喧嘩がうまい。なんだこいつは……。
「義を見てせざるは勇無きなりと言います。港湾都市を変えた原因を突き止めていながら、おめおめそれを見過ごす貴方にはとことんまで失望しました。このまま殺して差し上げましょうか? だぶるえっくすさん」
スルリと白刃が喉に触れる。
「初めてお会いしたときからその心根が腐り切り、死に果てている。そうは思っていましたが、拙者の忍耐にも限度があります。助けるなら助ける、殺すなら殺す。白黒つけるまでここから出られるとは思わない事です」
「……なんなんだお前は?」
「名乗るほどの者ではありませんが、野良守と呼ばれております。全く、貴方方は先ほどからジメジメジメジメと暗い話ばかりに花を咲かせ、まるで死人のようではありませんか。風流さの欠片もない。道中を共にしたあんぜりかさんも大概でしたが、貴方はそれ以下です」
カチン、と納刀の音が響いた。
「さてそれから、そこのオナゴさん。名はないと言いましたね? でもあんぜりかさんから呼ばれていた名前ぐらいあるでしょう?」
「……お嬢ちゃん、としか」
「やれやれまったく。この国には人情というものがないのですか。あきれ果てたものです。後でとっておきの名を考えて差し上げますから、以後はそれを名乗るように」
言いながら、傾月はXXの背中より足をのける。途端自由になったXXだが、しかし飛び掛かる気力さえ失せていた。
「さて、話を整理します。まず、拙者は金が欲しい。だからぎるどの依頼を達成します。そしてオナゴ、貴方はすごく寂しがりです。そしてあんぜりかさんが好きです。だからこれからここを離れて、拙者と共にあんぜりかさんを探しに出かけます。それからだぶるえっくすさん」
お前はさっきからなんなんだよ、と突っ込む間もなくパシン! と、目から火が出るような強打で頬をぶたれ、XXは吹き飛んだ。後頭部をしこたま壁面に打ち付け、意識は急速に薄れていく。
「このオオウツケもの! 貴方はしばらく墓場で己のあり方を猛省し、自棄を改め、十全に反省しきったらもう一度待合酒場を訪れなさい。そこでさらにきついお灸をすえて差し上げます。逃げないように、この二振りの剣は預かっておきますからね。さて、行きますよオナゴ」