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あやかし問答・鬼

作者: 栖 周

『あやかし問答』 鬼之壱。


 二〇〇七年、四月三日。


例年よりも長い寒気の為、陰地には雪がまだ融け残っている。日は出ているものの、肌寒い風が行きかう人々の身体を小さくした。

加賀見洋創かがみひろかずもまた、頬を撫でる寒風に肩をすくませた。ずず、と鼻を鳴らす。

「さっびぃよなぁ」

 隣で小野皆瀬おのかいぜが鼻の頭を赤くしてぼやいた。皆瀬は広げるとゴザになりそうなマフラーでがっちり首元を守り、ごわごわしたセーターに身を包んでいる。去年の今頃なら考えられないほどの重装備だ。

三月に中学を卒業したばかりの二人は、揃って松ヶ瀬高校への進学が決まっている。入学式まであと五日。「暇だから」という理由で呼び出された洋創は、早くも寒さにやられ、「俺も暇」と答えた事に後悔していた。

「タケもヤスも出てこれないってよ」

 口をひん曲げて皆瀬が愚痴る。幼少時から付き合いのある友人達だ。どの道、気の短いヤスなどは、この寒さで直ぐに帰ると言い出したことだろう。

洋創と皆瀬はブラブラと城山公園までたどり着いた。いつもなら花見客でにぎわう公園も、チラホラと影が見えるくらいだ。城跡には、稲荷が祀られている。元々『神示路かみしろ』といったこの地に、五、六百年前に城が建築されたらしい。その後、三百年ほどで落城。信仰心の厚い初代城主が、庭の片隅に祭っていた祠が後にお稲荷さんとして整備された――と、洋創達は幼い頃から聞いている。

昔から公園で遊んでは神社へ続く鳥居と石段を登り探検ごっこや鬼ごっこをしていた。今日は、「新しく始まる高校生活を、バラ色に、よろしくお願いします! (皆瀬・談)」と挨拶に来たわけだが――鳥居を前に二人の足はすっかり止まってしまった。

ほんの暇つぶしに来た、神社の長い石段。余り日が当たらない為、夏の秘書には最高だが、今目の前にあるそれは石ではなく、まごうことなく『雪の段』。硬く踏み固められ、明らかにツルツルしている。


「……ここ上るのか?」

 眉間にしわ寄せ洋創がため息をつく。

「こりゃ……上から滑ったら楽しそうだなぁ……」

 皆瀬も棒読みで答える。すでに瞼は半開きだ。

「こんな事なら家でゲームでもしてりゃ良かったよ、なぁ、ヒロ?」

 誘ったのはお前だろうが、と洋創が口にしようとした瞬間――。

「いっやぁぁぁぁぁぁぁぁ……!」

 甲高い悲鳴と共に、どごどごどごどご、と大岩が転がるような音が近づいてきた。

「! なんだぁ?」

「おい、カイ、あれ……!」

 洋創が叫び、石段の上を指差す。連なった鳥居に隠れて全ては見通せないが、真っ赤な何かが石段を滑り降りてきている。よく見れば女性らしい。見事な黒髪が後ろへと棚引いている。どう踏み外したものか、女性は正座した状態で真っ直ぐ二人の方へと向かってくる。

「おい、やべぇんじゃね?」

 慌てだす皆瀬。洋創もどうにかして止めないと、と思案する。が、見る見る女性は近付いてきた。

「……! そうだ、カイ、マフラー!」

「お? をを、良しっ!」

 一息にマフラーを広げると、二人して両端を手に石段に足をかける。ゴールテープの様に構え、受け止めるつもりだ。石段の下はコンクリになっている。しっかりと受け止めなければ――。

「うわっぷ!」

 思う間に真っ赤な女性がマフラーに突っ込んだ。何とか地面に激突させないよう、二人掛かりで踏ん張る。力が空回ったか、不意に皆瀬がすっ転んだ。旨い具合に女性のクッション代わりとなってしまった。

「……おい、大丈夫か、カイ?」

 マフラーに包まれた二人を上から覗き込む。真っ赤な振袖を着た女性の方は洋創達より少し年上に見える。

「痛ててててて」

 尻をさすりながら皆瀬が呻いた。その声で気付いたらしい女性が、ガバッと起き上がる。

「あ……あの、ごめんなさい」

 立ち上がろうとして――転んだ。再び下敷きになった皆瀬が「ぐえ」とカエルみたいにないた。


「怪我は――無いみたいスね?」

 ベンチでうーんうーんと唸っている皆瀬をヨソに、振袖の女性に声をかけた。着物はところどころ濡れて汚れてはいるが、顔や手足の方に傷は見当たらない。

「はい、あの、大丈夫です」

 辺りをキョロキョロうかがって落ち着きが無い。寒さの所為か、顔も妙に青白い。地元の(もうすぐ)高校生であると告げると、いくらか安堵の表情を浮かべた。

「しっかしなんでまたこんな時に神社なんて……」

 自分たちの事はすっかり棚に上げ、皆瀬が問いかける。見れば、女性には似つかわしくない高下駄、それも一本歯を履いているではないか。よくもまぁあの石段を上れたものだ、と洋創は呆れ顔。

 その態度をどう受け取ったものか、女性はキッとまなじりを上げ、

「あの、いつから見てました!?」

 白い顔を更に青くして二人に詰め寄った。

「え? えぇと……悲鳴がして、そうそう、気が付いたら滑り始めてたよなぁ」

 皆瀬の言葉に洋創もああ、と頷く。

「そう――ですか」

 女性は少しだけ安心したように微笑んだ。

「……さってと。ものはついでだ、転ばない所まで送って行くっすよ♪」

 腰をさすりながら皆瀬が立ち上がる。惚れっぽい皆瀬の事、和服美人のこの女性が気になるのだろう。洋創にしても、このままここへ女性を残していく気にはなれなかった。色の白さに病的なものを感じたからだ。せめて暖かい場所へでも、と女性に促す。

「いえ、ありがとうございます。ですが……それより一つ、お尋ねしたい事が」

 はぁ、なんですか、と皆瀬が聞き返す。


「鏡の如く全てを写し取り、従者の如く付き従う――是何ぞや?」


 キンとした声が空気を震わせる。女性が発したはずの問いであるにも拘らず――その言葉はやけに遠くから響いたように感じた。

「は? 鏡……?」

 皆瀬が首を捻る。

「従者……?」

 洋創も口ごもった。

「答え――られないのですね」

 つい、と目を伏せ、女性は悲しそうな表情をする。どうも、と一言残し、女性は静かにその場を後にした。

何だったんだろう? 狐につままれたような表情で二人は立ち尽くした。


『あやかし問答』 鬼之弐。


 二〇〇七年、四月十五日。


夕暮れ間近な薄闇の中。ビルとビルの間にひっそり佇む一軒のレンガ造りの家がある。蔦の這う外壁が、街中に在って一層周りとの不協和音を奏でている。

店の中には薄暗いランプが灯っていた。この店の二階が、売れない画家、鈴木すずきがはら原静兼せいけんのアトリエである。

静兼は六海むつみ大学を中退後、美大に進んだ。学費はバイト代と奨学金で捻り出し、周りに文句を言わせる余地も無く、自分の歩きたい道を歩んできた。バイト生活は現在も継続中だ。

そんな静兼が何故アトリエを持てたのか?その理由に九十九静城つくもしずきと言う男が関わっている。静兼には六海大学へ入学早々、二つの出会いがあったのだ。


最初の一つはガムラ・グレイ・ロード。四十年ほど前に亡くなった女流画家である。初代学長・出海専舟いずみせんしゅうと懇意であったというガムラは、専舟の肖像画を寄贈している。その油彩画は観る者を魅了させた。

冷たい空気を感じさせ、専舟の苦悩している様な眼差しは、向学の意思を奮い立たせる。更に、絵心のあるものにとっては、“その域まで達したい”と思わせるほど精密だ。髪の毛一本、しわの一本まで描き込んであるのでは? と誤解させる。

そして――静兼もまた絵の魅力に囚われた。

高校時代まで美術部に所属していた事もあり、元々絵を描くことは好きだった。だが、「死んでからしか評価されない」という画家の側面に、大学進学を選んだ。その大学で――「コレと同じくらい描けたら評価などされなくても構わない」と思わせる絵と出合ってしまったのだ。

そして半年で大学を去った。


二つ目の出逢いは先の九十九静城。ガムラの後裔であり、自身は紙を扱う商売をしていた。その延長で画材も扱っている。

静兼が久しぶりに画材を手にしたのが静城の店であり、現在のアトリエであるこのレンガの家なのだ。

ガムラに魅かれて絵の道に生きようと定めた事、その為に大学を止め美大に入りなおした事、学費は死ぬ気でバイトして自力で貯めた事、そして名前に同じ「静」の字があった事。

店の常連になった頃、静城と一杯呑む機会があった。意気投合した静城は、ガムラから受け継がれた財産である店で、手伝いをしながら下宿しないかと持ちかけてきてくれた。バイト代から食費と家賃を格安で差し引き、その他の生活費は静城持ち。更に絵を描くスペースも充分にあるし、作品は店頭において売る事も出来る。

勿論いきなり売れたりはしないが――共同生活が始まって早四年。馴染みの固定ファンも出来た。

美大を卒業して二年。学費に回していたお金は必要無くなったものの、一部奨学金を返金しなければならない。破格の家賃と職場を逃す手は無く、相変わらず静城の好意に甘えている所だ。


「いるかい?」

 カランカラン、と喫茶店のような鐘が、来客を告げる。サングラスに茶髪、高い鷲鼻が印象的なライダースーツの男が顔を覗かせた。外からの風が、店内の油彩のにおいを奥へと吹き込む。

「やぁ、モモさん。いらっしゃい。久しぶりですね〜シズさんならちょっと出かけててね、十八時ろくじ半には帰るってさ」

 そうかい、と言いながら明日川百夏是あすかわももかぜが後ろ手に扉を閉めた。再びカラン、と響いた。

「どうだい? 何か新作は?」

「そうですね……最近のは――コレなんかですね」

 どれどれ、と百夏是がB1の作品の前に立った。

百夏是は静城の友人である。静城の方が二歳年上だそうだが、幼馴染故遠慮が無い。時々ふらっと立ち寄っては酒宴が始まる。静兼が下宿初めてからは、三人で盛り上がる仲間になった。

百夏是は二つ年下の静兼の作品のファンでもある。「自分には詳しい事は判らないが、静兼の絵はすっげぇ“来る”」のだそうだ。くすぐったくはあるが、静兼も純粋に嬉しく思っている。


カラン――ガタン!

一際大きな音を立てて入り口が開かれた。夕焼けよりも赤い衣装が飛び込んでくる。何かに追われる様に直ぐに扉を閉め、肩で息をしていた。風に乱れた長い黒髪が顔に張り付いている。和服の女性がそこにいた。

「……いらっしゃいま、せ?」

 あまりの勢いに呆然となった静兼だったが、辛うじて店員の職務を思い出す。同時に、女性の雰囲気から犯罪のにおいを嗅ぎ取る。

「何か……ありましたか?」

「さぁ、こちらへどうぞ」

 百夏是もまた、不穏な空気を感じ、席を勧める。勝手知ったる他人の店だ。ソムリエよろしく優雅にエスコートする。女性もゆっくりと応じた。

「あ、どうも……」

 商談用の席に座り、一つ大きく深呼吸をした。よく見ると、赤い振袖は所々汚れている。シミや乾いた泥がこびり付いている。すわ変質者でも出たか? 思わず静兼は外の様子を窺った。

それを察したかのように、女性が声をかける。

「あ、あの、大丈夫です。何でも……」

 そう言うと、再び深呼吸で息を整えた。

「ここは――アトリエですよね?」

 女性が首をかしげた。

「えぇと、アトリエは二階になっていますが……」

 自分のことだと思い、静兼が答える。しかし、この女性には見覚えが無い。初めて会ったはずだ。誰にアトリエの事を聞いたのだろうか? 疑問が顔に出た。

「いえ、あの――以前、ここが画邑さんのアトリエだと……聞いたのですが」

「ガムラ? ええ、確かに亡くなる前――四十年ほど前まではそうだったようですけど」

「亡くなる……? あ、いえ、そうではなくて」

 言いさした女性に、百夏是が口を挟む。

「あぁ、ナナシさんの事では?」

 漸く静兼にもピンと来た。

「あぁ、ナナさんの! や、確かに五年前にはこちらで絵を描いていらっしゃったんですが。入れ替わりに僕が」

 そこで女性は、そうなんですか、と驚いた風でもなく肯いた。

画邑七水――。ガムラ・ロード・グレイの技術を全て受け継いだと称される画家だ。ガムラの遠い血族だと言うが、詳しい事は公表されていない。殆ど覆面作家の扱いだ。

静城がこの店で働くようになった時の店主も兼ねていたらしい。手腕を買われ、店は全て静城に任せ、本人は旅行しては旅先から絵を送ってくる。静兼はまだ一度も会った事は無いが、画邑の絵もまた静兼のカンフル剤となっている。

「そうですか、いらっしゃらないんですね」

 呟いて、意を決したように顔を上げる。

「では――お二方にお聞き致します」

 はい、何でしょう、判る事なら何なりと、と静兼が答えた。


「空気の如く目には見えず、鷲の爪の如く心の臓を捕らえて離さない物――是何ぞや?」


「……え?」

 面食らった静兼に二の句は告げない。百夏是は何かを察したようだが――言葉を発する素振りは見せない。

答えは得られない、と感じたのか、女性は嘆息し――すみませんでした、と一言残し店を出て行った。

――カラン、と小さく、鐘の音だけが静兼の耳に刻まれた。


『あやかし問答』 鬼之参。


 二〇〇七年、四月十八日。


眠気を催す春の放課後。週の中日とあってクラスメイト達は一様に眠たげな顔をしている。教室には夕日が差し込み、一層その場にいる生徒の目を細めさせた。

「っはぁ〜眠っむっ〜まだかな?」

 そう言って背伸びをしたのは三日星天みかぼしそら。この四月に高校三年生になったばかり。少したれた目をグッと細めてあくびを漏らす。目尻にはきらりと涙が光った。

「だよな〜。なぁ、なんでうちらだけ残されてんだよ?」

 眠たそうな顔で中西聡なかにしさとしが不満げに吐き出す。ただ、言葉とは裏腹に、どこかそわそわしている。天の机に腰掛けたままで残されている面子を見渡した。

「ケイゴにアリにヤマカン……共通点なんてなくねぇ?」

「ちょっと、そのヤマカンってやめてよ!」

 眼鏡にギラリと夕日を反射させて神田麻耶かんだまやが抗議の声をあげる。何だよヤマカ……、と聡に最後まで言わせることなく、消しゴムを聡の眉間にヒットさせた。

机から落ちまいとバタバタする聡の姿に、アリ――氷室亜利亜ひむろありあがプッと噴出した。

同時にふぅ、と軽くため息をついたのは高宮敬護たかみやけいご。見るからに気の強そうな釣りあがった目を、眼鏡の奥に隠している。

天と聡は小学校からの友人だ。今この場にいる中で最も付き合いが古い。マヤとケイゴとは中学からの同級生だったが、それほど親しいわけではない。特にケイゴとは、初めて同じクラスになったばかりだ。アリにいたっては別の中学校出身で、天は話した事すらほとんどない。

男女分け隔てなく友人の多い聡は、既に新学期早々親交を深めていたようだが。


天が腕時計に目を落とす。もう直ぐ六時十五分を回る。そろそろ予告の時間だ。

「本当、何だろうね、この手紙?」

 短めの髪を揺らしてアリが一枚の紙を手にする。同時に聡とマヤも紙を開いた。そこには一文――。


「本日午後六時半、三年G組で待たれたし」


 とだけ記されていた。

天と聡、マヤ、アリ、ケイゴの五人だけ、知らぬ間に机の中に入れられていたのだ。聡は最初ラブレターの類いと勘違いし、喜びの余り小躍りしていた。それが間違いだと気付いた時、がっくりうなだれる所をマヤにからかわれた。その所為でマヤに突っかかるのだろう。さっきからヤマカン扱いだ。

「シカトして帰っても良かったんだけどなぁ……」

 聡が手紙に目をやっては自然と笑みを零す。

「やっぱ、ほらさ、女の子の字だよな、これ!」

 確かに一見女性的な字に見える。繊細で、筆で書いたような滑らかな文字。古風な言い回しと相まって、聡の中では絶世の美女の手による文だと決め付けられているようだ。先ほどの態度は、むしろ自分ひとりだけが呼び出されたのではない事への不満らしい。

「……だから何さ?」

 呆れ顔でマヤが手紙を仕舞う。手紙の主が男であろうが女であろうが関係ないのであろう。ただ、普段から好奇心が旺盛だと自認するマヤのこと――。これから何が起こるか楽しみにしているらしく、目だけは笑っている。

読書、ことにミステリーが好きだというアリも同様だろう。ただ一人、ケイゴだけはマヤに無理やり残らされた感じだ。二人は天と聡の関係に似た境遇らしい。腐れ縁、そしてトラブルメイカーとトラブルシューター……そこまでは言い過ぎかもしれないが、気が付けば天は聡に振り回される事が多い。

しかし、今回に限って言えば天もまた当事者である。誰が自分の机に手紙を入れたのか? この事は天にとっても、気になる命題だ。


そうこうする内に間もなく六時半。何が始まるか、ケイゴを除く四人はしきりに廊下の方へ目をやる。三階にある教室の為、誰か来るならば廊下からしか方法が無い。

「……あれ? 琴の音?」

 最初に気が付いたのはアリだった。シンとした学校に、琴の音が微かに聞こえる。童謡か何かのメロディだが、天には興味の無いジャンルの為、曲名はわからない。

「本当、『かなりや』だっけ」

 耳を澄ませてマヤが言う。明るい曲調だが、タイトルを聞いても天はピンと来ない。聡も同じらしい。

「かなりや? そんな唄あったっけ?」

「確か……唄う事の出来なくなったカナリヤの歌だよね」

 アリが解説する。そうそう、と肯いてマヤが続けた。

「唄えないから捨てようか、とか埋めてしまおうか、とか鞭で打とうとか……」

 やめてぶたないで女王様〜、という聡のたわ言に、マヤの強烈なでこピンが炸裂した。再び聡が頭を抱えてわたわたもがく。

ふと気付くと――曲が大きくなった気がした。筝曲室は校舎の三階端にある。今いる教室からは一番離れた場所だ。にも拘らず。

「……何か近くなったよう……な?」

 天の言葉に、皆、無言で肯く。――一瞬。

だだだだだ、と廊下から駆け寄ってくる音がした。一斉に視線が廊下へ流れる。

姿を現したのは――黒尽くめの男性。黒いスーツにYシャツまで黒い。サングラスを掛け、髪だけがほんのり茶色だ。

「……間に合った」

 男は呟くと、何やら紙を取り出した。よく見ると、天たちが受け取ったのと似た紙である。

「……何すか? あんたが呼び出したんすか?」

 女性でない事に肩を落とし、聡が男に近寄った。男が無言で紙を聡に手渡す。

「へ? なに? 読むんすか? えぇと……?」

 天も近付いて、紙に目を向ける。筆跡は天たちが受け取ったものと同じようだが、中身は違う。


『筒の如く裏表無く、雲の如く変わり続けるもの――是何ぞや?』


 ただ一文、そう書かれていた。

「さぁ、答えてあげましょう」

男が柔らかい口調で告げた。


『あやかし問答』 鬼之終。


 一九七五年、四月三日。

 気が付いた時、自分が何処にいるのか――アヤメには分からなかった。ただ、酷く寒く、薄暗い部屋の中に横たわっていた事だけが知れた。

身に着けているのは真っ赤な着物。父から授かったものだ。立ち上がってみると、足元が覚束ず、直ぐに転んだ。よく見ると高下駄を履いている。一本歯のそれは酷く不安定で、鼻緒がきつい。脱ごうにも、手がかじかんでうまくいかなかった。


『気が付いたか』


 不意に頭の上から声が響く。寺の梵鐘のように、ぐわん、と耳に残る大音声だ。


『我と戯れごとをせむ』


 再び声が耳を襲う。アヤメは耳を覆い、言葉も出ない。


『三つの問いを与える。今宵から十六夜の内に答えよ。答えられなければ――』

     ※

 そうして遊戯は始まった。


部屋を飛び出した彼女は、思わず前につんのめった。勢いでそのまま地面を滑る。地面は雪が踏み固められ、一度速度が増すと中々止まらない。真っ直ぐ――石段を滑り降りてしまった。

    ※

 翌日、痛めた手足をさすりつつ、必死でアヤメは答えを探した。ちっとも意味がわからない。昨日、石段の下で助けてくれた若者達にも、一つ目の問いは解らなかった。どうしようかと考えあぐね、古い馴染みを頼る事にした。「鬼」のことは「鬼」に聞けばよい。生涯「鬼」を描き続けた画家――ガムラ・ロード・グレイ。

    ※

消息を訪ね歩いてみると古武術の道場に行き着いた。ガムラが晩年すごしたという。――既にガムラは死んでいた。

妙な齟齬を感じる。最後にガムラと会った時、確か米寿の祝いだったように記憶している。しかし、享年は九十三歳。亡くなったのは十年前の話らしい。十六年ほど時が過ぎている。

    ※

 一九七五年、四月十八日。

夜が訪れた。時間が無い。考えても答えは浮かばない。そして『鬼』の声が。

『答えられぬなら山に捨てようか』

    ※

一九九一年、四月三日。

アヤメが意識を取り戻すと、再び薄暗い部屋。ぞくり、と背中が粟立つ。そして再び『鬼の声』が――

    ※

 またガムラについて尋ねてみると、既に二十五回忌を一昨年終えたらしい。また十六年、時が過ぎている。

身内だという九十九久里子という女性に出会った。そして、ガムラの弟子と名乗る画邑七水という人物の情報を得る。その後、久里子に『鬼の問い』を投げかけても、答えは得られなかった。

    ※

 一九九一年、四月十八日。

夜が訪れた。時間が無い。考えても答えは浮かばない。再び『鬼』が――。

『答えられぬなら藪に埋けようか』

    ※

 二〇〇七年、四月三日。

アヤメは闇の中、目を覚ます。無意識に部屋を飛び出し――「いつも通り」、石段を滑り落ち――。

    ※

 二〇〇七年、四月十五日。

 アヤメは画邑七水のアトリエを訪ねてみた。若い男性が二人、いた。どちらとも面識は無い。『鬼』に怯えつつ、画邑の事を尋ねたが、ここにはいないと言う。

やはり十六年――。諦めが混ざりつつ、二人にも二つ目の問いを投げかけてみたが……やはり答えは返ってこなかった。

    ※

 二〇〇七年、四月十八日。

『今回の身体』は思うようにならない。今日が最後の日。また答えられなければまた十六年後に『鬼』に追われる事になるのだろう。出来れば、それは――御免被りたい。

『今回の身体』の友人の中には答えてくれそうな人物が何人かいた。先日の画邑のアトリエにいた男も――少し様子が違った。手紙を書いてみたが届いただろうか、とアヤメは思い返す。

時計に目をやると六時二十七分。間もなく。いつもの時間に。『鬼』が――。

     ※


「さぁ、答えてあげましょう」

 ゆっくり明日川百夏是が告げる。遅れて静兼が駆けつけてきた。

「早いよモモさん。あ、キミ……」

 三日星天を指差して、こないだのお嬢さん、と言った。

天には何が何だか判らない。二人とも見覚えが無いのだ。人違いでは、と言葉にしようとした所で――天の意識は消えた。


「おいで下さってありがとうございます」


 天の口から、天のものではない声が紡がれる。

「……おい? どうした? 天?」

 眉間にしわ寄せ、聡が声をかけた。小さい頃から知っている天の変貌に、心底戸惑っているようだ。

聡の言葉に、すまなそうに眉を下げ、「初めまして、私はアヤメと申します」と答えた。聡をはじめ、マヤやアリも目を丸くしている。

「では、お答えをお教え願えますか」

 アヤメ――天の身体は、百夏是を正面から見つめた。

「……一つ目は『鏡の如く全てを写し取り、従者の如く付き従う』、それは『影』だ!」

 力強く百夏是が答える。

「二つ目は『空気の如く目には見えず、鷲の爪の如く心の臓を捕らえて離さない物』、即ち『魂』!」

 天の――アヤメの目が期待に輝く。

「三つ目は『筒の如く裏表無く、雲の如く変わり続けるもの』、つまり『魄(肉体)』……だな?」


『御名答――!』


 何処からとも無く大声が響く。教室の窓ガラスがビリビリ揺らいだ。聡ら四人は机の下に潜り込んだ。静兼も壁にすがりつく。

「『影』があり『魂魄』を具す――それは『我』であり『汝』! 『お前』だ!」

 百夏是もまた腹から声を張り上げた。

地響きが一斉に止む。

「私は……人に戻れる」

 アヤメが漏らす。天の目からは涙が止め処なく流れた。不意に天がくず折れた。倒れこむ寸前、百夏是が天を抱きとめる。

    ※

「あの……いったい何が?」

 アリが百夏是に言葉をかけた。天は聡が椅子に座らせたが、意識はまだ無い。

「いやなに、気にしてもしょうが無いから忘れなさい」

「気になるよモモさん!」

 静兼の突っ込みに、マヤも便乗する。

「そうですよ……さっきの声や、天の……」

 ふぅ、と一息ついて百夏是が呟いた。

「『鬼』とは『陰』、つまり『いないという存在』なのさ。『そこにいる』事にしてしまえば――消えてしまう。あの大声の主は『鬼』だったのさ。そして――あ〜さっきの……アヤメさん、か? 彼女の『影』と『魂』と『魄』を欲しがったんだろうな。恐らく何十年もかけて、ゆっくりと」

 彼女アヤメは『自分』を取り戻したはずだよ、と一言残して――百夏是と静兼は教室を出て行った。


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