その3
「魔法でキミに勝てるなんて思っちゃいないよ、ケイオス。勝てるとしたら、母さんくらいのもんだ」
首の薄皮一枚のところに父親の形見の剣を当てて、面白そうにルディアスが笑う。魔法の詠唱を途中で辞めた女が憮然とした顔をしながらも反論をしないところを見ると、異論はないらしい。
顎と頬を冷や汗が伝うのを感じならが、ケイオスは思う。その通りだ、あの魔女なら自分を凌ぐほどの魔法を使って見せるかも知れない。
ということは、この青年はきちんとわかっているのだろうか――今この状態においてすら、ケイオスが絶対的に有利な状況にあるということを。
魔法を発動するにあたって詠唱と魔法陣は必ずしも必要では無い。
呪文や魔法陣は魔法を理論を交えて具体化しやすくするためであったり、体系化するためのものに過ぎない。つまり(複雑な魔法や、あえて威力や効能を上乗せしたい場合は別だが)本来は詠唱も魔法陣も必要は無いものである。
自分は魔王なのだ。ましてやここは世界樹の袂で、一番自分の力の強くなる場所である。だから言葉一つ発することも、指先一つ動かすこともなく、ただそう意図するだけで、魔法を発動させ彼らを消し炭にすることができる。
それはつまり、何のそぶりも無く、自分がただ「殺そう」と思えば即、彼らの命は無くなるということだ。
だが。
「キミは、ボクを討伐しに来たと言ったね。本気かい?」
動揺の素振りを押し隠して、ケイオスは背後の人物に尋ねた。首筋に突きつけられた刃物がぴくり、と反応して動いた。
「キミは『魔法で勝てるとは思っていない』と言ったね。そのとおりだ、ボクは指一本動かすことなく魔法を発動することが出来る。そこにいるお嬢さんも魔法使いである以上、よく知っていると思う。ということは今この瞬間にも、キミたちを殺すことが出来るということだ」
「キミは僕たちを殺せないよ」
背後から聞こえてくる声から、笑みが消えた。しかし動じている素振りも無い。
「出来るのに今していない、ということは殺す気が無い。そういうことだろう?」
「まぁそうだね。でも、それはキミたちも同じじゃないのかい? 背後を取って満足している暇があるのなら、その刃物をボクの首に容赦なく突き立てればいいんだよ」
そうしないと、ボクに殺されるかも知れないだろう?
背後で、低く笑う気配がした。
「それは違うよ、ケイオス。キミは僕を殺せないだろう、両親との契約があるからね。でも僕はキミを殺せる。殺せるんだよ」
言葉と共に、ぶつりぶつり、と刃が肉を食い込む音がする。つつ、と何かが首を伝う感触がした。ああ、そうか。血が流れ出したんだ。
――何色だろう? そんなことが気になった。
「だって僕はさ――」
勇者と魔女の、息子だから。
意識が真っ黒に染まった。