その2
あれからどのくらい経つだろう。
ニセ勇者が現れて売名のために魔王討伐に来て返り討ちにしてみたり、世界樹が代替わりするとかで大変な魔力の放出を余儀なくされたり、部下に叱られたり部下に叱られたり部下に叱られたりと、魔王にとってはあっという間に充実した時間が過ぎていった。
タイクツする暇などありはしない。すべきことは常にある。
魔族たちが人間を害さぬよう・人間に敵意を抱かれぬよう・エルフたちと衝突せぬよう。
――三者の調和を崩さぬように。父がしたような無益な戦乱を、呼び込まぬように。
直接的にルディアスを守ることは出来なくても、魔族の王として、間接的に守ることは出来る。
その日は朝から何やら森が騒がしかった。この森に棲んでいるのは上位の魔物たちばかりで、人語を解し頭も良い。人間に手を出すことは禁じているし、何の問題も無い――はずだった。
世界樹の袂で、世界に満ちる魔力の調整をしていたケイオスの下に、部下のフライスが血相を変えて飛び込んできたのは太陽も高くなった頃。
「ヤバイです魔王、早く逃げて! ていうかオレは逃げる!」
「ちょ、フライスってば落ち着いてよ。何があったの?」
「アンタがあんな子供と仲良くするから、こんなことになったんだっ。人間が、人間が――」
話してる間にも、ざわざわざわざわ。嫌な気配が少しずつ森の中に充満するのを感じる。
足下から上がってくる、よく分からない寒気には覚えがある。が、その正体を思い出せないまま、ケイオスは部下をなだめる言葉を探した。
「だから落ち着いてよフライス。人間が、何? どうしたの??」
「これだからバカ魔王は! 人間がこの森に――」
と、そこまで聴いて。
急に、聴覚が遠くなった。
部下は相変わらず目の前で、必死に何かをまくし立てているというのに。
部下の後ろから、ゆっくりと歩いてきたその人物を目にした途端に。
「魔王討伐に来たよ、ケイオス」
ああそうか、とケイオスは納得した。
この目の前の人物は、あまりにも姿を見せなかった自分に業を煮やし、自分から会いに来てくれたのだ。
……父親の形見の剣を手に、終わりの刻をもたらすべく。
この嫌な気配は、目の前の子供――いや、今は青年か――の両親と対峙したときに感じた、殺気とよく似ているのだった。
父親譲りのくすんだ金髪は、最後にあった時よりも伸びている。一つにくくられたそれが風に揺られて、木漏れ日にキラめいている。
ニッコリと笑んだ顔とは裏腹に、緑色かかった青い目は笑っていない。まっすぐにこちらを見定めてぶれない。
顎や頬から丸さの消えた、スッカリ大人になったシャープな顔立ちは母親譲りだろうか。
ああ、無事に大きくなったんだなぁ。などと保護者のように思いつつ、勝手に身体が恐怖と悲しみに硬直するのを感じた。
ひどく残念だった。こんな風に対峙する日がやって来ようとは。
ルディアスと自分なら、魔族と人間の因縁を、断ち切れるんじゃないかと思ってたのに。
慌てふためいて逃げてゆくフライスを視界の端に認めながら、ケイオスはルディアスに負けじと引き攣る頬を無理矢理動かして、ニッコリ穏やかに微笑んでみた。
「いらっしゃい、ルディアス。来るなら連絡入れてくれたら、おもてなしが出来たのに」
「おかまいなく、魔王。馴れ合いにきたんじゃないんだ」
ふとルディアスの後ろから、もう一人人間がやってくるのが見える。大きな耳にエルフには珍しい金色の髪の毛の女。見た目はルディアスと同じくらいだが、長寿エルフならば見た目どおりの年齢とは限らない。
彼の母親に似た雰囲気のある女は、ルディアス同様まっすぐとこちらを見据えてきた。かと思えば、ズンと音を立てて杖を地面に突き立て詠唱を始める。
地面に走り始める魔法陣に目を走らせて魔王は思う。捕獲の魔法。しかしこの程度の魔法で自分を捉えることはできない――
かと思った次の瞬間に、背後に殺気を感じた。首筋に冷たい刃物の当たる感触。
彼女の目的は、魔法で魔王を捕獲することでは無かった。魔法陣で魔王の気をそらせて、ルディアスが背後に回る一瞬の隙をつくること、だった。