重力=拳で破
雨が降っていた。
高架下のコンクリートに、水滴が細かく跳ねる。
夜の街はネオンで滲み、赤と青の光が水たまりに溶けていた。
黒いパーカーの少年――真白レンは、静かに拳を握る。
「……来たか」
目の前に立つのは、白い軍服を着た男だった。
年齢は二十代後半ほど。長い銀髪を後ろで束ね、右目には黒い眼帯をつけている。
「逃げると思ったが」
男は薄く笑った。
「ガキにしては肝が据わってる」
「逃げても意味ないだろ」
レンは低く答える。
「お前ら、“機関”はどこまでも追ってくる」
「理解が早くて助かる」
男――神崎クロウは、ゆっくりと片手を上げた。
その瞬間。
空気が軋んだ。
雨粒が、空中で止まる。
「……っ!」
レンは即座に後方へ飛んだ。
次の瞬間、さっきまで立っていた場所のコンクリートが爆ぜる。
轟音。
砕けた破片が雨と混ざって飛び散った。
「重力操作かよ……!」
「正確には“圧縮”だ」
クロウが指を軽く動かす。
見えない力が押し寄せる。
レンは咄嗟に腕を交差した。
ドゴンッ――!!
衝撃で身体が吹き飛び、背中から柱に叩きつけられる。
「がっ……!」
肺の空気が全部抜けた。
立てない。
身体が重い。
まるで全身に鉛を括りつけられたみたいだった。
「終わりだ」
クロウが近づいてくる。
軍靴が水たまりを踏むたび、静かな波紋が広がった。
「お前の能力は危険すぎる」
「……危険なのはそっちだろ」
レンは震える腕を押さえながら立ち上がる。
「街一つ潰せる力を持ってるくせに」
「力に善悪はない」
クロウは冷たく言った。
「使う者で決まる」
「なら――」
レンは笑う。
「お前、悪人だな」
瞬間。
クロウの眉がわずかに動いた。
その隙をレンは見逃さない。
「《起動》」
青白い光がレンの右腕に走る。
空気が震えた。
次の瞬間、レンの姿が消える。
「……!」
クロウが振り返る。
遅い。
レンはすでに背後にいた。
拳を叩き込む。
しかし。
「浅い」
クロウは片手で受け止めた。
重力の壁。
拳が届かない。
「速いだけでは勝てない」
「だったら!」
レンはさらに踏み込む。
一秒間に五発、十発、十五発。
拳の連打が雨を裂く。
だが全部止められる。
見えない圧力が、レンの攻撃を押し返していた。
「無駄だ」
クロウが手を握る。
瞬間、重力が爆発した。
レンの身体が地面に叩き落とされる。
アスファルトが陥没した。
「ぐぁぁ……!!」
骨が軋む。
呼吸できない。
視界が白く点滅する。
「お前程度では、俺には届かない」
クロウの声は淡々としていた。
「“零域”を扱えるのは、この世界で数人だけだ」
「……知るかよ」
レンは血を吐きながら笑った。
「俺は、お前を殴れればそれでいい」
「愚かだな」
「そうかもな」
レンはゆっくり立ち上がる。
膝が震えていた。
身体中が痛い。
でも。
まだ倒れてない。
「でもさ」
レンは小さく息を吐く。
「守りたい奴がいる時って、人間意外と立てるんだよ」
クロウの表情がわずかに変わった。
「……妹か」
「調べ済みかよ」
「当然だ」
クロウは淡々と続ける。
「病室で眠っている。能力汚染による神経崩壊。あと半年も持たない」
レンの目が細くなる。
「やめろ」
「お前が“核”を渡せば治療できる」
「……信用できるか」
「信用は不要だ」
クロウは静かに言った。
「選べ。妹の命か、世界か」
沈黙。
雨音だけが響く。
レンは俯いた。
妹の顔が浮かぶ。
病院の白いベッド。
細い指。
苦しそうな呼吸。
助けたい。
当たり前だ。
世界なんかより、大事だった。
「……っ」
拳が震える。
クロウが手を差し出した。
「終わりにしよう」
レンは動かない。
長い沈黙。
そして。
「断る」
低い声だった。
「何?」
「世界とか正直どうでもいい」
レンは顔を上げる。
「でも、妹は――そんなことで助けられても喜ばない」
クロウの目が細まる。
「綺麗事か」
「そうだよ」
レンは笑った。
「ガキだからな」
その瞬間。
レンの身体から青白い光が爆発する。
空気が唸る。
高架下の水たまりが一斉に浮き上がった。
「……暴走!?」
クロウが初めて動揺した。
「違う」
レンは拳を握る。
「制御した」
光が収束する。
右腕だけだった輝きが、全身を覆っていた。
「第二段階――」
レンが踏み込む。
地面が砕けた。
一瞬でクロウの目前へ。
「速っ――」
拳が突き刺さる。
重力障壁が砕けた。
クロウの身体が吹き飛ぶ。
コンクリート柱を三本貫通し、壁に激突した。
轟音。
雨が揺れる。
「がはっ……!」
クロウが血を吐く。
「馬鹿な……!」
「終わりだ」
レンは静かに歩く。
青白い粒子が周囲に漂っていた。
「お前の重力は強い。でも――」
レンは拳を構える。
「止められるなら、壊せる」
クロウが笑った。
口元から血を流しながら。
「……そうか」
眼帯が外れる。
その右目は、真っ黒だった。
底のない闇。
「なら見せてやる」
空気が震える。
雨が消える。
音が消える。
世界が静止した。
「本当の“零域”を」
次の瞬間。
夜空そのものが落ちてきた。




