クレム 1
「――ああ。本…っ当に! くっだらない!」
頬を赤く染め、身に着けている白いローブには殴られたせいで、至る所に土がついている男がいる。
肩先までの長さの淡い緑の色を纏った髪も、ところどころ汚れてしまったようだ。
目を細め、地面に伏している彼を見下ろすように三人の冒険者らしき男たちが吐き捨てるように怒鳴った。
「うるせぇ! じゃあな! お前とは二度と組まねえから、安心しろ」
「マジで、それな」
「回復役として有能でも、あんな口のきき方してちゃ、だーれもお前に癒してくれだなんて思わねえわ。なんなら、死んだ方がマシだ!」
踵を返し、殴りつけた彼を振り返るものは誰もいない。
「……納得した上で、一緒にいたんじゃねえの? 俺に対して、お前が普段んなこと言うような奴じゃねえって知ってるって言ったの……誰だよ」
遠くなる三人の背中に向けて呟くそれは、彼らの耳には届くこともない。
それを理解した上で、地面に付いていた手をパンパンと払って、その手を自分へと向けてヒールと唱える。
ホワッと淡く光って、赤くなっていた頬もわずかに血が滲みかけていた手のひらも元通りだ。
ため息を盛大に吐きつつ、ゆるりと体を起こして背伸びをした男の名前はクレム。
回復術師として生計を立てていたが、数年前に手に入れたスキルの影響で良くも悪くも人生を振り回されつつある。
彼の回復魔法は、そのスキルが手に入る前は中ランクほどの回復術師のそれと同等程度だった。
だがスキルが手に入った後には更に効果がグンと上がり、魔力少なめで広範囲回復などが可能になった。
共に冒険者をやっていた仲間からは、一人一人の回復と複数人の回復が選べるということで重宝されていたはずだったのに。
彼らとクレムが離れることになった原因は、重宝されていたはずのスキルの発動条件の内容。
「こっちだって好きであんな使い方してんじゃないって、何回も言ったろうに」
四人で一緒に冒険をしていく中で、何度となく文句のような冗談のような言葉を吐かれ、そのたびに何度も同じ言葉でしか返せなかったのが現実だ。
特定の条件行動をしないままで回復をした場合は、以前と同等の回復状態になる。
それでも十分な状態に持っていけるというのに、一度高級な物を口にしてしまえば普通の食事には戻れないのと同じようなものだ。
仲間たちからは度々その条件行動無しで同じ状況にしろと、クレムからすればかなり無茶を言われることも少なくなかった。
条件行動として、回復対象者にむけて暴言などを吐くことで、効果を上がる。と、いうもの。
最初はバカやアホ程度の暴言で様子見をしていたクレムだが、実験的に他の言葉や本人が嫌がっていることをクレムが知っていた範囲内で言葉に乗せた時の効果が、それまでの比ではなかった。
そのことから、仲間にその条件に付いて相談と先に詫びておくことで、理解を得られていると思っていたのだが。
回復してもらう側からすれば最初の方は仕方がないなと思えていたとしても、年単位で回復の対価でがんばって戦っている自分を罵られたり蔑まれたりし続けていると、さすがに精神的に堪えたようで。
それじゃあと条件行動無しで回復すれば、足りない! と怒鳴られ。回復術師としてのレベルを上げてみても、毒舌満載の時よりは効果が薄く。また文句を言われてしまう…という、誰も納得しないという状態で堂々巡り。
最終的にクレムが口にする内容は、実は本音なんだろうということで決めつけられてしまい。効果を上げるためにと吐いているものが、信用を失くすこととなった。
普段の会話は普通にしていたので、クレム以外のメンバーにとってはその会話の中から自分を癒してもらうための毒舌のネタに使われるとは思っていなかったのだが。
そのせいで警戒されるようになってしまい、普段の会話も徐々に減り。そんな状態でいれば、クレム以外の三人だけで話している回数が増えていたのが最近の話である。
クレム自身はというと人の悪口を言うのは本人が嫌う行動のひとつで、地味にストレスになっていた。
回復術師ではあるものの、三人に習って多少の攻撃は出来るようになっていた。としても、メインは三人に戦ってもらっていたので、尊敬もしていたし感謝もしていた。
そう思っていることも、三人には常に伝えていた。それに対して、自分らもクレムに感謝していると思いを返してくれていた。
上手くやれているとクレムは思っていたので、こんな形で仲違いをするとは予想していなかったのだ。
「全部、全部…ぜん…っぶ! 嘘だったってことだろ? 俺は毒を吐くことはあっても、本心はみんなを尊敬していたのに。大事に思っていたのに。…結局は、誰からも信用も信頼もされてなかったってことだろ? スキルのことを理解したフリして納得もしないままで、こっちにムカつきながら回復されていたってことで……。ああ…っ。腹が立つなぁ」
クレム自身、彼らの気持ちを理解できていないわけではない。
自分が嫌っている、人の悪口を言うこと。言うことが嫌なのは、言われる側がどんな気持ちになるのかだって理解してるからこそ。
だから、彼らの言い分を理解できないわけじゃないし、なんなら戦闘が終わった後に毎回何度も頭を下げてしまうほどに申し訳なく思ってきた。一番ツラかったのは、クレム本人だったかもしれないのに。仲間の誰もが、その可能性をこれっぽっちも想像することなく、その関係を終わらせてきたのだ。
『でも』
『だって』
『けれど』
(そう最初に付けて、言い訳のように魔法の効果について何度目か忘れてしまうほどしてきた説明をお詫びがてらして。そのたびに、大丈夫だの気にしてないよって返してくれてたじゃないか。申し訳ない気持ちの裏側で、どれだけ感謝していたか)
伝わらなかったこと。伝えられなかったこと。これまで繰り返された彼らとの会話が思い出されて、クレムは奥歯を噛む。
「全部、全部、ぜん…っぶ、台無しだ。ここまでかけて築き上げたものが、全部」
仲間を失ったのは、《《俺》》だけ。他の三人は、損失が少ない。回復術師だけ探せばいい。
と若干イラつきながら、クレムは彼らが向かった方へと一瞬顔を向け、すぐに反対の方へと視線を流す。
三人がどこに向かったのかは知っているので、クレムはその逆の方向へと向かう。
ギルドはいろんな街や都市に点在していて、ギルドごとに所属しているしていないがあるけれど、基本的にはどこかのギルドに固定されなくてもいい。
なので有事の時にはいろんな場所のギルド同士で協力体制をということで、それに関係する情報も共有されることが多い。
(アイツらが拠点としていたギルドに戻らなくても、ひとまずの活動は可能といえば可能)
そう思い出しながら、クレムは最初の一歩を踏み出す。
「…っても、回復術師だけってのも…アレだな。早いとこ誰かと組まないと」
そう言いながら自分を照らす太陽を睨むかのように、顔を上げるクレム。
別の街にあるギルドにソロ冒険者だけが集まる部屋があることを思い出し、彼はまずはそこへ向かおうかと考えつつひたすら歩いていく。
二日ほど歩いた先の街でギルドの中にあるその部屋へと入ってみれば、どこかで見た記憶がある人物の背中があった。が、どこでなのか、誰なのかが思い出せないままのクレム。
彼の服装から、黒魔術師あたりだろうなと予想をたてた。ただ、それ止まり。名前も、どこのチーム所属かも思い出せない。
どうにもスッキリしない気持ちのままで、自分同様で冒険者らしき人たちの顔ぶれを、水筒の水を飲むふりをして盗み見ていた。
なんであの人が? という人がクレムの予想以上にいて、違う意味で混乱させられつつあった。
気になる人がいれば、ギルド経由でコンタクトを取ることも可能。最初の段階でギルドから得られる情報は、名前と職業と年齢が公開されていればそれもという程度。
クレム的には思い出せないままの黒魔術師らしき彼が気にはなるが、それだけの話だと思っていたこともあり、特に行動に移すこともなくその日は宿屋へと向かった。
(あそこにいたってことは、誰かと組むことでもなきゃまた会える可能性だってあるはず)
そう思いながら、あの場所にいた彼の印象を思い出してみたクレムだが、あまりいい印象とは思えないような内容で。
あの場所にいた自分以外の冒険者も、もしかしたら同じ印象を抱いたんじゃないか? と思えるほどに、彼はずっと無表情だった。誰かに話しかけに行くでもなく壁の花と形容してもよさそうなほどに、壁にもたれ掛かってぼんやりしているだけにしか見えなかった。
(あんな状態なら、何故あの部屋にきたんだ?)
クレム以外にもそう思っている人がいそうな疑問。そんな感じの視線を浴びているような部屋の空気を、クレムですら感じていた。
(あの調子じゃ、誰かと組むとか無理っぽいな)
だから、あの黒魔術師はまたそこにやってくると考えていた。誰かとコンタクトを取る努力も無しに、あの場所にいることを選んでいたのなら。
けれど、彼なりに誰かを探そうとしている可能性があるのなら。…と。
だが予想に反して、その後、その場所で彼を見かけることはなく。代わりに彼を見かけるようになったのが、新人が冒険者として本格的に冒険をする前に潜るダンジョンの方だった。
彼を見かけなくなったことで、最初はあの調子じゃ諦めたのかと思いはしたものの、なんだか気になって情報を集め出したクレム。ソロ冒険者が集まる部屋でも、彼が話題に上がることは度々あった。
見覚えがあって当然なチームに所属していた彼は、ギルドの方に報告書を出すことが多かったので、見かける回数が多かったのも当然といえば当然で。クレムも同じようなことでギルドに顔を出すことが少なくなかったので、それはたしかに見かけたはずだと彼は小さく何度もうなずいた。
結果的にギルド経由ではなく、その部屋にやってくる他の冒険者から入る情報の方が正確性が高い内容なことに気づき、情報収集のためにその部屋を訪れることが増えていく。
それにギルドを経由してしまうと、情報を渡した方がいますという…簡単なものとはいえ事後承諾のような報告が相手に伝わってしまう。それを回避したかったので、クレムは同じ場所にいた冒険者の中から情報を得られないかと探り始めたのもあった。
その中で手に入れた情報のひとつが、彼が潜っているダンジョンについてだった。
「なんでまた、新人冒険者専用のダンジョンなんかに」
思わず、そうもらしてしまうほどのことだ。
何故ならよほどの事情でもない限り、新人冒険者専用のダンジョンに高ランクの冒険者が潜る必要性がないからだ。
クレムがそう感じたことを、同じように怪訝な顔つきでオリバーを遠巻きにしながら思う人は少なくなかった。
そんな中での、ある日。ある人物が、クレムに声をかける。
ギルドの受付の中にはクレムの事情や性格を把握した上で、内緒で他の人には渡さないような情報を渡してくれる事務員がいた。
事務員からの情報だと、クレムの予想通り職業は黒魔術師で名はオリバー。彼がどうして新人冒険者たちを見守っているかというと、仲間同士で互いをもっと知りあって、なにより冒険を楽しんでほしいんだという気持ちで彼らを見守っているとか。
そこの部分だけを聞けば、親か? とツッコむ誰かがいるのではと思えそうな理由にしか聞こえない。
そんなことは何度も共に冒険をしていけば、もっと知り合いたい相手か否かを本人が判断することだろうとクレムは思った。
そして、冒険を楽しむかどうかも、本人が冒険者という職業に対しての向き合い方で異なるのだろうから、それを他人の彼が見守ることに意味があるのかと首をかしげた。
クレムが怪訝な顔つきになったのを見て、どんな感想を抱いたのかを事務員は察したようだった。
その空気のまま、事務員は話を続けていく。クレムになら聞いてもらいたいと感じた部分があったが故に。
事務員はかなり前だがオリバーにギルドの仕事で助けてもらったことがあり、人手が常に足りていなかったギルドにとってまさに救いの手だった。何日も何日も帰ることが出来ず、心身ともに荒む職員が日々増えてった中でのオリバーからの提案。しかも、無償で。
事務員の彼も危うく離婚の危機かという状況の中で、オリバーによって救われた。新人職員を雇って一から育てるよりも、オリバー一人の戦力の凄さ。
彼が所属していたチームの報告書などの事務処理を一手に引き受けていたのはオリバー。報告書の書き方をギルドの事務員たちに学ぶ時に、世間話のように他の書類についての話を度々耳にしたものを記憶していたらしい。
元々その手のことが得意だったのかもしれないが、ほとんど彼への説明や指導をせずに作業を手伝ってもらえる状態だった。
オリバーが手を貸すようになって、わずか一週間ほどで目処が立ち、一人また一人と交代で休みを取れるようにもなった。その頃の事務員たちは疲労困憊状態だったせいで、手を貸してくれているオリバーがその一週間の中で無休で働いていたことに気づいたのは、すべてが落ち着き彼が去ってから。
あの時期のギルドの職員たちのほとんどは、彼に恩義を感じていた。無表情で素っ気ない彼の態度に、いい感情を抱けない者も多少はいたとしても。それでも少なくとも、今クレムの目の前にいる事務員は、どんな形でもいいから恩返しになるのなら彼に手を貸したかったらしい。
けれどオリバー自身が誰かに甘える様子をみたという話を聞いたことは無く、ギルドに対しても同様の態度なので、何に対して手を貸せばいいのかわからなかったという。
クレムのこともよく知っていた事務員なので、クレムにならもしかしたらと期待を込めて情報を流したとか。
「《《僕》》なんかに、そんな話をよこしてもいいのかい?」
糸目の目尻を下げて、微笑みながら彼にそう話しかけると。
「ギルドに勤めてそれなりに経ってますが、僕の勘って外れたことがないんで。逆にいい予感がしてます。……ということで、初めての外れにならないように、よろしくお願いしますね」
そう話しながら、事務員の彼は何かをメモして折りたたむと。
「それでは、お気をつけて」
そう笑顔で言いながら、クレムの手にギュッと押しつけた。
受け取ったメモをその場では開かず、ゆるくこぶしを握って「じゃ」と言い捨てて足早に事務員から距離を置く。
クレムはギルドから出てしばらく歩いてから、通りを右へと曲がり建物の陰に潜むように身を隠す。
直感というか予感というか何とも言えないものが、あの場所でメモを開くなと囁いた気がしたのだ。
あたりに誰の気配もないのを確かめてから、クレムはこぶしを開いてメモを開いていく。
あの短時間で? と驚くほどの情報量が、そのメモには書かれていた。
「…………あの事務員とそこまでの話をするほどに仲がいいのか、その話を吐き出したくなったほどに追い詰められていたのか。…あの彼の心情は、どっちだろうね」
オリバーの名、黒魔術師としてどれくらいか、所属していたチーム、そのチームにいた時の立場と”やらされていたこと”、彼のスキル、スキルの発動に関して彼が抱えていること、彼の性格で今後抱える可能性がある状況と必要なフォロー。そして、最後に追記と書かれて〇で囲われていた事務員からの言葉。
『彼もあなたと似たような境遇だと思います。もしも彼がその境遇を打ち明けられるような関係になれた時には、一番の理解者で協力者であってほしいと願います。アナタになら、彼を託したい』
という、彼へだけではなくクレムへの、彼がその文章を読んでわずかに動揺して頬を赤らめてしまうような思いが綴られていた。
最後まで読み切ってから、もう一度最初から読み返す。
そして思い出したのは、ソロ冒険者たちが集まっていたあの部屋での彼の挙動。
メモの内容と自分が彼に感じていた印象と、メモの内容から予想した彼の性格を整理していくクレム。
クレムがどれくらいの時間、その場所でそうしていたのかは不明。
ただ、しばらく立ったまま無言で思案していたクレムが顔を上げた時、彼の口角がどこか楽しげに上がっていた。
――――それから数日後、クレムがオリバーの後を追うようになる。
新人冒険者のためのダンジョンとはいえ、多少の攻撃も防御も必要なはずのそのダンジョンで、回復術師だけで潜るという危うさを知っていながら。
自分がやっていることは、決して安全ではない。それなりに冒険者として過ごしてきたからこそ身をもって知っているとしても、その危険を対価にしてでも彼を追うことが必要な気がしていたのだ。
一種の勘。冒険者としての勘。
クレムの中では、あの事務員に頼まれたからではなく、あのソロ冒険者たちが集う部屋で彼を見かけた時点で決まっていた気さえしていた。
彼に近づくべきなのだと。それがクレムにとっての、分岐点かもしれないと。
自分のスキル発動条件行動について理解を得られる保証はないけれど、あの彼ならば時間がかかっても離れていった彼らたちよりは理解しようとしてくれるような気もしていた。
(あれもこれも、勘だ)
形の無いものに未来を託すこと自体危ういと感じていても、「それでも、だ」と呟けるほどに一度も直接話したことがない彼を信じかけているクレムがそこにいた。
彼と直接話す機会は、意外と早くやってきた。
道の途中、木陰で料理をしようとしている彼がいた。
ナイフで切っていたのは、肉ではなく彼自身の指。どうやら苦手なのかもしれないと考え、からかうように声をかける。
「へったくっそー」
と。
彼をからかいつつ一緒に料理をし、その流れで一つの鍋を二人でつつき。
そこでオリバーに自分を印象づけさせてから、クレムは彼と離れる。
オリバーに内緒でコソコソと後をつけ、彼が今後どんなことをしていくのか、と同時に彼がどんな人となりなのかを人の口からではなく自分の目と耳で知るために。
そうして行く先々で、自意識過剰な新人冒険者たちから煙たがられたり、死にかけたところを救ったのに横取りされたと責められたりするオリバーを見守る。それを何度も繰り返していくうちに、オリバーが去った後でコッソリ多少の回復を施すようになるクレム。
自分がしている事がオリバーのそれと近くなってきてしまったなとクレムが思いはじめた頃に、それまで同様に新人たちに巻き込まれ、今度はチームが二分した状態で残った彼らを育てようとするオリバーを見守ることとなったのだが。
逃げ出した冒険者たちは、主に攻撃に特化した者たちだった。残ったのは、盾役のタンクとシーフ。タンクの彼だけが残ろうとしたところに、自分もと残ったのがシーフの子だ。
クレム自身は、二人が残ったこともオリバーが二人へとしていることも危ういと感じていた。
…が、止めるわけにはいかないとも。
一度だけ直接コンタクトを取ったことがあったとしても、クレムに甘えてくれるかなど判断しきれない。そこまでの信頼関係があるとも思えない。
あの事務員に託されたとはいえ、結果的に自分でこの日々を選んできたはずで。彼を知れば知るほど、自分が彼の理解者になろうなどと考えることも、彼の前に出ることも。どちらもおこがましいのではないか? と思いはじめていたのだ。
彼の人柄も能力も、見る人が見れば人格者だと表現していいほどだと。自分とは違うのではないのか? と。
一度そう思いはじめてしまえば、その考えをなかなか消すことが出来ないままで彼の姿を追う日々を重ねてきたクレム。
迷いはじめたタイミングでの、その日。クレムは焦れた気持ちを持て余して、一歩踏み出す。
踏み出したその日に、まさか二人きりでどこへ飛ばされるか知れない転移陣に吸い込まれることになるなどと誰が予想できただろうか。
(こういうのもある意味、運が無いようであるとも言える)
オリバーと共にどこかへ転移されながら、そんなことを考えていたクレム。
淡い光に包み込まれたまま横を見ると、オリバーが見た目で分かるほどに眉を下げていた。
足場がない浮いた状態の彼に、クレムは呟く。
「変な顔してるね」
と。
オリバーはクレムのその言葉に一瞬、ビクッと肩を揺らしてから。
「この顔は生まれつきだ」
と、自分がしている表情を知らずに返してきた。
オリバー自身は、自覚がないようだ。申し訳ない気持ちなんだと表情だけで伝わるほどなのにと、クレムは笑う。
「…そーなんだ。僕もこの顔は生まれつきなんだ」
わざとらしいほどに両方の口角を上げ、にんまりと笑んでみせるクレム。胡散臭いとよく言われてきた笑顔をみせたのだった。
そうしたクレムに対してオリバーは、また的外れな返しをした。
「生まれつきイケメンということだな。…羨ましい限りだ」
とかなんとか。
(どこかズレてるんだな、この人)
たったそれだけの会話で、オリバーに対しての印象を変えたクレムは手を差し出す。
「…ん?」
不思議そうにその手を見つめるオリバーに、クレムは告げた。




