オリバー 2
クレムに背を向けて歩き出したオリバーは、ボソッとひとり言を呟く。
「案外悪いやつじゃなかったな」
そうして、さっきまでそばにいた彼のことを思い出してみた。
まず見た目は、目が開いてるのかわからない。けれどその開いてるのかどうかわからない目で意外と観察してきては、あれやこれやと正直に口出しをしてきた感じがしていた。記憶違いじゃなきゃだけれど、と自分の記憶に自信が持てないのは、オリバーがこれまで出会ってきた中に彼のようなタイプがいなかったこともあり、無意識で警戒していた緊張感からなのかもしれないなと、なんとなく思った。
初対面でのその態度は正直ちょっとどうかと思う人も少なくないだろうなと思うのに、オリバー自身に対して最終的にはそこまで悪い印象を持てなかった。どうしてかはわからないけれどと、不確かな感情に首をかしげるオリバー。
冒険者をやっていると、食事をちゃんととれるか否かは結構重要で。
自分が食べていくので必死なのが当然な中、お互いに出しあったとはいえ食事は心も体も満たされる結果になった。
もしかしたら、彼だけで食べた方がたくさん食べられたかもしれなかったのに。
――とかなんとか、挙げてみれば思ったよりもいろいろ思いつく。
長い付き合いだった幼なじみと別れたばかりで、新人冒険者以外の誰かのことを思案するとか当分ないなと思っていたはずなのに。と、オリバーは片眉を上げる。
あの後以降、改めて誰かと組んで冒険をする勇気はないくせに…と自分を卑下しつつ、ただの食事とはいえクラムと共に過ごすことが出来たことは悪いことじゃなかったよな? とオリバーは自分に言い聞かせるかのように自問自答する。
実際のところは、まだ今後の方向性について決めかねている。ソロで継続するのか、誰かと組むのか。どこかに参加させてもらうのか。
自分の名前も顔も、元いた場所が場所だけにそれなりに売れてしまっている自覚はあるオリバー。
(下手なところに入るのも難しい話だ。ランクが上のところに入ろうとすれば、力不足のくせにと誰かに言われそうだし、下のランクのチームに入れば入ったでその程度だと知っていたとか誰かに言われそうだ)
これからを想像しては、消せない誰かの顔に奥歯を噛むオリバー。どっちに転んでも、彼なら小バカにした顔をするに違いない自信があった。
そうして、彼は思った。今すぐじゃなくとも、いつかがあれば…と。期待をしていいのか、もうしない方がいいのか決めかねたままで。
「遠くない未来で誰かと組んで、今よりももっと深い場所まで潜れるようになれるもんだろうか。…………アイツらと一緒にいた時よりも、もっと奥へ」
未来で自分が出会っていく仲間たちと、アイツらと潜ることが出来なかった場所までいける日がくるかもしれない。と、オリバーは小さな夢を頭の中で描いてみる。
その反面で、そう願っていても自分が起ち上げたのに捨てられた過去という事実も、可能性の一つにしなければならない重さがあるがゆえに、楽しいばかりの夢にはなりそうもなく。
期待とその先の失望とを同時に抱えて生きるのは、きっとすごく生きにくい。
オリバーはその矛盾に気づきながらも、お人好しだろうが何だろうが利用されてしまおうが、ずっとソロではいられないことを知っていた。
寂しがり屋だのどうだのの話じゃなく自分のスキルさておき、それ以外の部分でお節介を焼く相手にくっついて過ごしてしまうんだろうなと自嘲した。
どうしても放っておけない。自分が過去に同じことで困ったり迷った経験があるのなら、なおのこと。自分のように、傷つけあう人間がなくなればいいと思ってしまう。自分で思っていたよりも、彼らとの別離は心の中に深い傷として残っているよう。
(だからこそ、尚のことで…だ)
自分がしている事は、所詮自己満足でしかないことで。
自覚ありの、お人好し。そのままそうして生きるのなら、ソロの方がいいに決まっている。そうでなければ、自分が勝手に決めて世話を焼くことに対して、仲間も巻き込みかねないのだから。とか考えながら、オリバーはまた小さくため息を吐いた。
「それを理解してくれるような、俺以上のお人好しがどこかにいるかもしれない…といいんだけどな」
巻きこめないと考えるのと同じ頭で、オリバーはさっきまで一緒にいたクレムの姿を思い出す。
「…いやいやいやいや。アイツはダメだろ? そういうのに付き合ってくれそうな感じがしなくもないが、付き合わせたくないタイプだろ」
そう呟きながら、かなり前の記憶を引っ張り出す。あの糸目には見覚えがあったかもしれない、と。
冒険者なんて、相当な人数がいるもので。その中にも、彼に似た感じの糸目の男なんて他にもいたはずで。
「…のに、話したことはないはず…だが……どっかですれ違うくらいはあった気がする」
本当におぼろげな記憶の中の端っこにか、彼がいたはず。と考えながらも、ハッキリとは思い出せない。どうしても。オリバーは、「ん―…」と唸る。
「どこで、どのタイミングだったっけな」
後頭部を掻きながら、ボンヤリすぎる記憶にため息を吐く。
(こういう時に思い出せない記憶ってのが、後になってみれば意外と重要なことが含まれていたりするはずなんだよ)
などと、焦れながら。
「…あぁー、イラッとしてきた」
なんてぼやいてみたものの、愚痴っても結果が変わるわけでもないことを、彼は嫌というほど知っていた。
「あ…」
そういえば、とオリバーは踵を返す。
ダンジョンに潜るにしても、アイテムが足りていないなと。手持ちの補充を思い出したのだ。
「新人らのこと言えなくなっちまうな、こんなんじゃ」
まず自分の分の用意が出来ていなきゃ、フォローも何もない。それをこれまで何度も感じてきたことを、道具屋に向かいながら思い出していたオリバー。
「なんか今日は調子狂ってんのかもな」
誰かから自分に関わってきた人間が久しぶりだったことに、思ったよりも緊張していたのか。それとも警戒していたのか。普段の自分じゃなかったのかもしれないなと、今更のようにさっきまでの自分を振り返っていた。
「もう閉店なんだがなー、オリバー」
道具屋に着くと、いつものようにニヤつきながらオリバーを迎える店主。
「どこがだよ。時間までまだあるだろ? それに俺以外にだって、客はこんなにいるんだ」
ここの店主は、オリバーが来ると毎回こんな感じで迎えてくる。
「ま、挨拶はそれくらいとして、今日は」
慣れたもので、受け流したらさっさと買い出しについての交渉を始めるオリバーに、店主が何度もうなずきながら注文を受けていた。
「魔力回復の方は、在庫が少なくなっている。だから今日はこれだけ。それと」
一気に発注をしても、記憶力がいい店主は漏れることなくすべての商品をカウンターに並べていく。
「最近はこのポーションに使う薬草が入手しにくいとかで、うちの店からも別でギルドの方と相談することになりそうだぞ」
「それに使われている薬草だったら、この間、群生地を見つけたぞ。…ギルドに報告しておいたはずなんだがな」
「え? その話は本当か?」
「本当だ。つい最近の報告だから、書類の処理がまだ終わってないのかもしれないがな。…にしても、遅い気がする。書類に不備はないと思うのに、なんで」
「あー…まあ、変わった形式の書類だからな。群生地の地図が、わかりにくかったりしてないだろうな」
「かなりわかりやすい場所だったから、それはないと思う。…なんにせよ、この俺が書類関係でミスることなどないのは、元副ギルド長だったアンタなら知っているだろ?」
「まあ、それはずっと見ていたからな。あのチームにいた時のその手の仕事は、全部丸投げされていたもんな。クックック。教えたのも俺だったしな? 間違うわけがないか。……今頃、あのチームのその手の書類の扱いがどうなってるやら。…受付嬢たちが、可哀想なことになってなきゃいいけどよ」
なんて話をしながら、発注したものを確かめていく。お互いに数と、指で金額を示しながら交渉して。まとめ買いをすると、結構値引きしてくれる店主は、顔見知り価格だから内緒でなとオリバーに向かって人差し指を立ててみせた。
「あとでギルドの方に顔を出してみるか。オリバーが言うその話が本当で、それでも必要なところに薬草が回っていないのなら。…考えたくないが、どこかに流れちまっている可能性がある。高く買ってくれる相手を見つけたギルドの誰かが…とかよ」
支払い金額をカウンターに置くと、手早く金額を確かめていく店主。
気づけば店内は、二人きりになっていた。
「毎度あり。…じゃ、さっきの話は俺に任せといてくれ。それと、他の薬草についても見かけたら俺の方にも話を回してくれるか」
「ああ。なんなら、先に話をしにくるよ」
「そうしてくれ。……こんなに大量に買って、またすぐに潜るのか?」
話をしつつ、ポーションだなんだとしまっていくオリバーは、黙ってうなずいた。
「また新人向けのダンジョンか」
店主はオリバーがやっていることを本人から直接話を聞いたことはないが、他の冒険者からの噂で知っていた。そして、オリバーがどうしてそれを繰り返しているのかも察していた。
「……これで最後にするつもりではいる」
彼がそう呟いたのを聞き、店主はプハッとふき出す。
「前回もそう言ってただろ。一体何回目の最後だよ、オリバー」
「……気づいてても、言わなきゃいいのに」
店主にツッコミを入れられて、オリバーにしては珍しく耳を赤くしていた。
「そこを言うのが俺とお前の関係らしいだろ? なんにしろ、初心者用のダンジョンってことになってはいるが、最近あまりいい話を聞かないからな。注意して潜れよ」
彼が働く道具屋には店が店なので、酒場やギルド並みに情報が入りやすい。実際、オリバーも時々情報をもらうことがあった。
「別のランクのダンジョンにつながることが、ごく稀にあるらしいぞ」
彼の話が本当ならば、新人が潜ってその状態に遭ってしまえば生存確率はかなり低くなるだろう。
「なら、尚更…潜らねぇと」
自分が偶然そこにいた形ででも、未来ある新人冒険者を救えたら。次につながる戦い方を教えられたら。
オリバーの手がギュッと強く、こぶし状に握りこまれる。
――と、店主が一本のポーションをカウンターに置いた。
「これは?」
初めて見る色合いのものに、目を瞠るオリバー。指先で瓶を摘まみあげ、目の近くまで掲げて。
「中に…何か…キラキラしたものが浮遊してるな。…大丈夫なのか? これ」
透明度の高い、淡い紫色をした物だ。
チラッと店主の方へと視線だけ向けると、意味ありげにニヤリと微笑む。
「べらぼうな金額がつきかねない代物だが、お前にだったら渡しておいてもいい。…いや。むしろ、お前なら無駄にはしないだろ」
とんでもない話が出てきた。
「べらぼうな金額…? いくらか知らんが、俺の手持ちはかなり少ないぞ? ついさっき、ここで買い物をしたばかりだろ?」
ギョッとしたオリバーは、壊さないようにとそっとカウンターに瓶を返す。
「いやいやいやいや、やったんだから持ってけ。それはなー」
というと、店主は自分の口元に手をあてて上半身を屈め、耳を貸せを言わんばかりの顔をした。
話を聞かない方がいいのではと思いつつも、オリバーは自分も上半身を屈めて店主の顔へと耳を向ける。
「どこぞの賢者様が作ったという、エリクサーだ。しかも、普通のエリクサーよりも上質。体の一部さえ残っていれば、すべて元通りに出来るほどの代物だぞ? ここぞという時に使えよ?」
が、聞かなきゃよかったと心底思った。そんなもん、城が一つ買えるんじゃないのか? と思うほどの金額になるはずだと、オリバーの開いた口がふさがらず。
すごいポーションだというのは理解できたが、すごいという三文字で表現するのは軽すぎる品。
「普段から冗談好きなのは知ってるが、その冗談はどうかと思うぞ」
真実なら、目の前のポーションを奪い合う戦争が起きてもおかしくないほどの代物だ。誇張しすぎているとは思えない。合っているはずだと彼は唸る。
「あのな? オリバー。このポーションは、お前にこそ持っていてほしいんだ。本当の意味で間違った使い方をしそうな相手には、何があっても渡したくない物なんだ。誰に渡そうとずっと考えていたが、誰よりも信頼を置ける奴に託したかった」
「……ジェフ」
オリバーが思わず昔呼んでいた名前で呼ぶと、彼はフ…ッと笑んでからオリバーの方へと改めてポーションを押しつけた。
デカい図体でどう見ても可愛げも何もないタイプなのに、すこしだけ身を屈めて彼のことを可愛らしく上目づかいで見つめながら。
「もう、よ。お前が潜る時に、昔みたいにくっついていくことも出来なくなったしよ。俺」
けれど呟く言葉も声音も、そこそこ歳を重ねた男のそれだ。その状況を誰が見ていても、きっと気持ち悪いと顔をしかめるに違いない。
オリバーもその態度に眉を寄せつつ、彼が副ギルド長を辞めることになったキッカケを思い出していた。
結婚をして、子どもが出来てすぐは比較的平和で。そんな日を過ごしていたはずなのに、とあるダンジョンに潜った新人と連絡がつかなくなったという報告があり。
タイミング悪く高ランクのチームが出払っていたこともあって、元は冒険者だったということで白羽の矢が立った彼が捜しに出て。
その後、新人を連れ帰ってきたものの、かなり無茶をして連れ帰ったことで奥さんは待っている間にやせ細ってしまったらしい。
貧乏になっても構わないから駆り出されることがない仕事に就いてほしいと懇願されたと、しょげていた彼を慰めたのは他の誰でもないオリバーだったのだから。
オリバーはジェフがポーションを押しつけてきたのが自分とのそういうつながりもあって、本当に心配をしてくれているのだと受け取る以外の選択肢はないなと諦め。
「わかった、わかった。オッサンのキラキラした目でされる上目づかいくらい気持ちが悪いもんはないから、その面をさっさと引っ込めろ」
そう言いながら、ポーションを大事そうにバッグにしまった。
「よっしゃ。これで安心出来るな。お前に何かあったらな、すごいポーションだとは言わずにそれをぶっかけさせろ。そうすりゃ、お前は生きてここにまたやってくるだろ? …いいか? くれぐれも、自分にそのポーションを使う手助けをしてもらう相手に、それの凄さを言わずにいろ。相手が悪きゃ、お前に使わずに持ち去って行っちまうに違いない。それは、お前が、生き残るために、この俺が、お前に託したものだ。いいか? それを、忘れるな。余ったら、他の奴に使ってもいいぞ」
信用できないのか、オリバーへの釘を刺す念の入れよう。しかも、最初はオリバーに使い方も任せるような物言いだったはずが、自分が生き残るために使えと言い出した。
「お前って人間ほど、お人好しはいないからな。…いいか? お前を優先して使うんだ。他の誰かじゃ、意味がねぇ」
最初の物言いさておき、本音はこっちらしいと、オリバーは後頭部を掻く。
「わかったって」
こんなやりとりは、一度や二度じゃない。これまでにいろんなことに対して、ジェフはオリバーに釘を刺してきた。
だが、たいてい後になってから「ごめん」と叱られるのが分かっている子どものようなしょげっぷりで、オリバーは彼の元へと帰還の挨拶をしに来るのだ。
「お前のわかったほどアテにならないものはないんだよ。…でもな。今回こそ、本当に自分のために使ってくれ。こうしてまた話がしたいんだよ、俺は」
目の前の彼はきっと、自分の奥さんが自分へと向けていた感情と似た思いを、オリバーに向けているんじゃないだろうか。などと、ボンヤリ考えながら、オリバーは口角を上げた。
「…帰ってきたら、旨い飯でもおごってくれ」
自分のことを心配してくれるような人間は、もういないかもしれないななどとどこかで思っていたオリバーは、胸の奥がほんのすこしだけ温かくなった気がしていた。
「それはうちの奥さんに小遣いを上げてもらわなきゃな。お前がダンジョンに潜っているうちに、相談しとく」
カラカラと笑って、オリバーの肩をポンと叩くジェフに。
「尻に敷かれているって聞いてるのに? 相談して、出してもらえるもんか? どっかにコッソリ隠してる金はないのか? 結婚前にはそういうのやってただろ?」
長い付き合い故に知っている話を冗談めかして言うと、彼は口を尖らせ。
「俺が隠すだろう場所は、とっくに知られてる」
その顔はさしずめ、悪いことが見つかった子どもがいじけているよう。
「…プハッ」
さっきから上目づかいだの、子どものような顔つきだの。目の前でクルクルと表情を変える友人を前に、オリバーは改めて彼に告げた。
「なら、ちゃんと帰ってきて、俺が奢ってやるから心配するな」
と。
それまでの表情とは違って、すこし明るく笑んだ友人の顔を見て同じように笑み。
「なら、メニューの上から下まで全部ってやつ。一回やらせてくれよな」
そう言い返すジェフ。
こんな風に見送ろうとしてくれる友人に食事を奢るためにも、何があっても無事に戻らなければとオリバーは心に決め。
「年なんだから、そこまで食えねえくせによく言うぜ」
と、言い返して笑った。
――――その翌日からしばらくの間、オリバーはジェフの元に顔を出すことはなかった。
彼が戻ってこない間、普段通りに道具屋の店主としての仕事をしつつもギルドから情報を仕入れ、大事な友人の帰りを待っていたジェフ。
その友人が戻ってきたのが、新人が潜るようなランクのダンジョンからではなく、離れた街からになったのはしばらく後の話。




