オークリー 1
雲一つない空。
王城の広場を開放し、たくさんの民たちが集うその場所を見下ろすように、王族がバルコニーに姿を現す。
「素晴らしい! さすがは俺の自慢の弟だ!」
ひと際大きな声と拍手が、空へ響いていく。
国王、王妃が佇むそばで、まだ幼い王女は王妃のマントを不安げに握ってくっついている。慣れない場で、少し恥ずかしそうにも見え。
そして国王たちの前で一人、小さな王冠を頭上に誇らしげな王子が凛と立ち、笑顔を振りまいている。
手を振る王子の斜め後ろから満面の笑みで、止むことなく誰よりも大きくよく響く音で拍手を送りつづけているのは。
「立太子、おめでとう。ジェイバー!」
第二王子の立太子を祝う、兄である第一王子のオークリーだ。
オークリーが拍手をし続けていると、その間…ジェイバーが皆に右へ左へと体の向きを変え、手を振り応えるように笑む。
やがて拍手で第二王子の立太子を祝う民たちの上に、金色の光の粒子が降り注ぐように舞いはじめる。
「これは…! 祝福ではないか! 第二王子の立太子を、神が祝福しているのだ。この国に、幸いあれ…と」
筆頭司祭がその光へと両手を伸ばし、まるで雪をその手に受けるような仕草をして見せる。
バルコニーの端の方で、両手のひらを広げて。
その仕草を真似たように、空へと手を伸ばす者が一気に増えていく。
――と、その光に触れた瞬間、対象者の体が淡く光ってすぐさまその光は消えた。
祝福とは、いわゆる幸運を分け与えるものや、戦闘中などは能力の底上げなどの支援系の効果と言われているものである。
通常は神に仕えるものにそのスキルが与えられがちなのだが、なぜか王族である彼はそのスキルを持つこととなったのだ。
そのお披露目もかねての第二王子の立太子を祝う場なのだが、単純になんの政治的な背景もない司祭にそのスキルが与えられたのなら問題はないはずだった。
王族の、後継者として育てられてきた第一王子に、それが授けられてしまったのだ。
いつまでも響きつづける拍手の音。
「素晴らしい! ジェイバーの立太子の日に、こんな光景が見られるとは」
国王が満足げにうなずき、立太子したジェイバーの横で手を振り続けている。
「オークリー、頼むぞ。ジェイバーを…お前の弟を支えてやってくれ」
父親でもあり国王でもある彼からそう告げられ、彼は表情をほとんど変えることなく無言で笑みを深めたことで答えた。
ずっと…ずっと…大きく、そして晴れ渡る空へ響いていく拍手の音は続いている。
けれど誰よりも大きな音をたてて拍手をし続けている第一王子であるオークリーの心は、空とは反対に黒く暗く曇っていく。
そのことに気づけているのは、わずか。
だが、気づけていてもそれをどうにかしてやろうと思う者は、皆無。
祝福の恩恵を思えば、これが正解なのだと疑うことがなかったのだ。受け入れることで、国が、王が、王太子が…幸運を手に入れられるのだから。
最適解だと、信じていたのだ。
★☆★
事の始まりは、二年前。
それまでのオークリーは5歳から始まった後継者教育に明け暮れ、王族ということもあり子どもらしい暮らしなどどこにもなかった。
けれどオークリーは、自分を必要とされていることが嬉しくてたまらなかった。他の誰でもなく、自分が選ばれたのだと。
後継者教育が始まり、その数か月後に弟のジェイバーが産まれる。
どこか冷えた目をした弟ではあったが、差し出した指にキュッと掴まってきた姿に庇護欲が沸いた。守らなければ、と。
オークリーは淡い水色の髪に、ゆるい天然パーマがかかったような長い髪を一つに結んでいた。
大きくて少し垂れた目が可愛いと、侍女たちの人気者だった。
幼い時など、ただひたすらに可愛い可愛いと褒められ、王弟=叔父などふざけて女の子の服を着させようとしたこともあったらしい。
その可愛さと真面目に後継者教育にいそしむ姿から、実際母親である王妃からの寵愛も、ジェーバーが産まれてもオークリーの方へと傾いていたはずだった。よくある弟が産まれたら…云々など不安に思ったことなどなかった。
ただし、ジェーバーが成長するまでは。
ジェイバーはオークリーとは違い…硬くて太めの真っ直ぐな髪質で、伸ばしてしまえばいがぐりのような髪型になるほどで。それゆえに、淡い水色の髪はいつも短く整えられていた。
三白眼の目はどこか目つきが悪く見え、それを本人もかなり気にしていた。
言葉が若干遅かったこともあり、人に話しかけるのが苦手な時期があった。その頃は黙って相手を見つめて、なかなか気持ちを伝えられないことが多く、侍女たちからはしばしば話しかけにくそうな顔をされていた。
そういう時にオークリーが間に入り、弟の声を聞き、侍女たちに弟の願いを伝えていた姿を王城の中でよく見かけられていた。
それもジェイバーが成長していくと、すこしずつ減っていったのだが、間に入っていたオークリーはその成長を嬉しい反面寂しくも感じていたよう。用がなくとも、困ったことはないかと度々ジェイバーの部屋を訪れたりもし。
何も問題はないと素っ気なく返され自室に戻る姿が、その後よく見かけられるようになっていた。
見た目からして真逆の二人の兄弟。
弟の方には、可愛らしさは少なかったよう。厳しそう、付き合いが難しそう、何を考えているのか顔に出にくい…などなど。あまりいいとは思えない評判の方が多かった。
それでも家族の仲は悪くなく、それぞれにいたって普通の家族のように朝に夜にとテーブルを囲んでいた。その日あったことを話し、褒め合い、笑い合い。よくある家族の姿のはずだった。
それも、ジェイバーが成長するまでのこと。
オークリーは後継者であることと兄であること、弟が産まれてからの自分へのまわりの態度に変化がないこともあり、不安を抱えることはなかったのだろう。それに、まだ当時は気持ちに余裕があったはずだ。
後継者教育の合間や寝る前の読み聞かせなど、弟のためにとオークリーは疲れを隠してそばにいた。大事にしよう、守ろう、兄として与えられる時間は与えてやりたいと。
何も知らない者が見ていたら、ただの仲がよい兄弟によくある姿だと感じるのかもしれない。
が、年月を重ね、自分の立場や置かれている環境を知っていくに従い、ジェイバーの様子は少しずつ変化していく。
家族全員が集う場では、さほど表に出さないままだとしても……。
個別で一対一で会う時には、母親である王妃には本音と嘘をバランスよく混ぜて、自信のない息子になり。
父親である国王の前では、言われたこともない妄言を吐き、唇を噛み、兄と自分との差が心底悔しいと訴えてつつオークリーへの父親としての態度が変わればいいと願った。
自分が産まれて数年後に産まれた可愛らしい妹には、兄は妹に使う時間などないと言っていたけれど、僕が代わりに遊んであげるよと自分を頼るように仕向けていた。
徐々に変化していくまわりの態度に違和感を抱きつつも、それまでの関係性を信じ続け。何も問題は起きていないと思いながら、真面目なオークリーは後継者としての様々な学びを得ながら日々を過ごしていった。
――――そして、キッカケの二年前がやってくる。
前日の夜も、いつもと同じように勉強に食事に家族との会話に…と時間をとり、過去の武人の戦略について書かれた本を読みながら寝たはずだった。
変わったことがあるとするならば、偶然書庫で一緒になった久しぶりの弟の会話が出来たことくらいで。
自分が腕に抱えた分厚い本を横目で見てから、「兄さんはすごいよね、いつも。やっぱり敵わないんだろうな、ずっと…ずーっと」と悲しげに呟かれた。
「そんなことはないだろう。家庭教師の方から、ジェイバーのいい評判しか聞いたことがないぞ。自慢の弟ですから! と胸を張って返したんだ。俺は。俺にはまだまだ足りないものが多いから、いつかのためにとこういった本も読むようにしているだけの話だ」
「自分に足りないものがあるからと、寝る前にも学ぼうとするその心が敵わないなって言ってるんだよ。…僕には、兄さんを超えることは出来ないよ。いつまでも…ずーっと」
そう呟くジェイバーの手には、隣国の言語で書かれた小説があるのを見つけ。
「ジェイバーもすごいじゃないか。その年齢で、隣国の言葉で書かれた本を辞書なしで読めるんだろう? これも家庭教師から教えてもらっているぞ? 俺はまだ…時々自信がなくて、辞書が離せないからな。きっとお前の力を貸してくれと頼むこともあると思う。…その時は、助けてくれるだろうか」
な? と首をかしげて問えば、「しょうがないから、助けてあげるよ」と口角を上げる弟の笑みにオークリーは安堵した。
「もう遅いから、書庫から出ようか。その本を読んだら、すぐに寝るんだぞ?」
「うん、兄さん。でもそれは、兄さんもね? また明日ね」
なんて言いながら、書庫を出た二人。そうしてぱっと見…仲良さげに並んで歩いていたのは、その日が最後になる。
翌日以降、二人の関係性が誰も予想していなかった形へと変化してしまう。
特にオークリーが望まない方向へと……。
――――この国でスキルを手に入れる時には、決まりごとがある。
スキルを手に入れた時、本人の側にそのスキルについて書かれた本が一冊授けられるのだ。どこから現れたかは、誰も知ることのない本が。神からの啓示だとも言われているその本は、いつから人々の前に現れるようになったのか…。
知ろうとしたものは、誰もいない。
理として本の中を解読できるのは、基本的に本人のみ。本人以外に読める場合は、時として特殊な条件がクリアーされていなければならないこともある。
その条件は、人と同じ場合もあれば全く異なる場合も。
オークリーの場合は、相手との信用もしくは信頼関係が深くかかわることとなっていたようで。
早朝に自分の枕元に気配を感じ、目を覚ましたオークリー。
すぐさま自分へと与えられた本に気づき、開いてみた。両親含めてこれまでの王族より、年齢的に遅い方である。もしかしたら、自分は何も手に出来ないのでは? と思い悩んだこともあったほど。
そんな思いを抱きつつ、すこし緊張しながら開いた本は大きさの割に軽かった。
彼は数ページ読み進めたところで呟く。低く、重たい声で。
「見なきゃよかった。知らなきゃよかった。こんなものなら……スキルなど、与えられなければよかった」
と。
王族が与えられるスキルの多くは、王族としての務めに深く関係するものがほとんど。
オークリーのそれも、ある種の務めといえば務めと言えなくもないもので。
両親の性格や、普段関わっている国王たる父親の側近たちの性格を思い浮かべ、オークリーは察してしまった。
「後継者を辞さねばならない…ということか?」
5歳から続けてきた後継者としての教育とたくさんの経験を、自らのために生かすことが出来なくなるということかと肩を震わせた。
(俺のこれまでのすべてを、無条件で弟のジェイバーに渡せと? 託せと? これからは支える側にまわれ…と?)
普段は穏やかで、怒りを露わにすることもなく過ごしてきたが。
「…絶望せずにいられるか…っ! クソッ!!!」
王族は民のためにある。民は王族のためにある。その関係性を理解していたつもりだ。
「だが……だが、しかし…俺はそんな形で……民や家族を守るつもりなど…決して…っ! く、っそ…っ」
彼は何をするのでも、先陣を切る場所に立っていたかった。それが望みだったのだ。
泣きたい気持ちを押し留め、オークリーは改めて自分へと与えられた本を開く。
『スキル名:祝福 範囲は本人が祝福をと認める範囲なら、どこまででも。範囲の差で魔力やマナ・体力などの消費はない。ただし効果が広がる速さに、条件あり』
『発動条件:1)笑顔 2)遠くまで聞こえるくらいによく響く拍手をする 3)拍手に対して(※祝福をするという)の気持ちが、本意ではないこと※心から喜んだり楽しんではいけない。その乖離の差が大きければ大きいだけ、またその乖離の影響で本人が辛かったり苦しければ、効果は高く広範囲で祝福できるスピードが増す』
『発動条件外※本人の心的変化で、変化するもの:条件等を教え相手に心からの理解が得られると、一時的に効果は上がる。が、理解が嘘だった場合は除外。それを本人が知った場合、効果は即時無効。また、発動条件3について心から理解をし、且つこのスキルについて無くてもよいと相手が認めた場合には、効果が最大値まで上がる』
その後にもいろいろと書かれてるのだが、読めない文字が数多くあり、歯抜けの文章になってしまう。
そのすべてを読み終えることが出来ず、何かの条件があるのかと思案したオークリーだが、ヒントになりそうなものは何一つ見つけられなかった。
「…最後の発動条件外の意味が、いまいち理解しがたい。スキルが無くてもいいと相手が認めたら効果が上がる? それはある種の矛盾というものではないのか?」
いつもなら着替えて、朝食を…という時間が迫っている。
スキルの内容が内容だ。さすがに国王である父親に相談をしないわけにはいかない。ズルズルと先延ばしにも出来るはずがない。そのことを、オークリーはよく理解していた。
「…このままなかったことに出来ればいいのに」
思ってはならないことをこぼしたくなるほど、オークリーは絶望していた。
王族関係者には、スキルの本が授けられたことが教会を通じて伝えられることになっている。
人づてではなく、神からの声でも聞こえたかのように当代の司祭長にあたる人物へと伝わるのだ。
ということは、朝食の場に赴けば両親からその話が出ないはずがない。
そして朝食が終わった後には、諸々の手続きの後に自分から弟への後継者変更の手続きの話へと進んでしまうことを、オークリーは理解していた。
「行きたくないな。…こんなに朝食を食べに行くのが憂鬱な朝があっただろうか」
愚痴をこぼしつつも、真面目な自分が恨めしくなるほどに、勝手に体が動き準備を進めていってしまうのだ。
と、ノックの音が部屋に響く。
「兄さん? 起きているかい?」
滅多にこの時間に部屋を訪れることがないジェイバーの声が、ノックの後に続く。
「朝食に一緒に行かないかい?」
珍しい彼の行動に、オークリーは察してしまった。
(ああ…。もう、話がいったんだな)
これまでどこにでもいそうな仲が良い兄弟だった二人の関係は、どうあっても変わってしまうのだろう。とも。
ドアを開けようとドアの方へと近づくが、ドアノブへと手を伸ばしたにもかかわらず掴むことが出来ないオークリー。
手を伸ばした格好のままで、固まってしまった。
ドアの向こうにいる弟に声をかけようとも思っているはずなのに、口をわずかに開けたのに声を発することも出来ず。
そうしている間に、口が渇いてくる。
開けっぱなしているからだけではなく、今までにない緊張感のせいでもあった。
「兄さん? まだ寝ているのかい? ……お寝坊だなぁ。それじゃ、先に向かっているよ? あとでね」
こちらの返事をたしかめることもなく、ひとり言のように言うだけ言ってから彼はドアの前から去っていく。
本当に寝ていると思っているのなら、あんな風に声をかけていかないだろう。彼はきっとこちらの反応を知っている。オークリーは、そう感じた。
ドアの近くかどうかはさておき、オークリーが起きていたことに気づいていたのだろうと。
「行かないわけにはいかないのだろうな。……これまでどれだけ眠くても辛くとも、後継者教育も視察もなにもかも…サボったことなどなかったが」
ドアを背にオークリーは床にぺたりと腰を下ろして、あごを上げ天井を見上げて愚痴を吐く。
そうして膝を抱き、ひたいを膝頭にコツンとのせた。
「こうして無駄に時間を引き延ばしたところで、これから起きることはなにも変えられない。今サボるか明日サボるか。それだけの話だろう? ……ならば、無駄なことはすべきではない。……わかってる。わかってるんだ…」
ため息を吐きながら、自分のスキルについて考えるオークリー。
(祝福というものがサポート専用のスキルに該当するだけに、国を率いる人間がサポートスキルだとは言い難い)
(国王であれば、ジェイバーにまだスキルが授けられていないとしても、サポートスキルだと知っていて後継者に指名することは無い)
(国王たるものが持つスキルは、他国との交渉や為政者として必要とするものでなければならない。幼い頃から、彼が国王たる父親から繰り返し聞かされた言葉だ)
(それならば、賭けになるかもしれないとしても、ジェイバーが今後手にするスキルの方が上位と考え、俺は支援する側だと確定してしまった方がいいと思うだろう。ましてやジェイバーが後継者としての教育を多少かじったことがあったとて、スキルがいつ現れるかわからないのならば今からでも始めることにしなければ…”足りない”だろう)
幼い時には勉強部屋に、成長してからは執務室と名を変えたそこに弟たる彼も時々やってきていたが、全く同じだけ学んできたわけではない。であれば、”足りなければ”足元を掬われてしまう。その恐ろしさを、今までの学びでオークリーは嫌というほど知らされてきた。
「…ああ、いやだな。行きたくないな。…行けば、父の一言で未来が決定されてしまうのなら」
無駄にしかならない抗いをする自分が、子どもみたいで恥ずかしい。…のに、今だけは許してやりたくもなる。
「どうして……どうして…」
項垂れたままで床で膝を抱えていると、そのうち宰相がやってきた。
これも今までにないことだ。
ノックも無しに、いきなり開かれた扉。床で膝を抱えている俺を見て、部屋に入ってきた時点で眉間にあったシワが一層深くなった。
「こんなところで何を…」
床で、という意味なのだろうが、一瞬違う方へと考えてしまった。
もう後継者じゃなくなった俺が、後継者が使う部屋になぜまだいるのか…と聞かれたのではないかと。
ジェイバーがやってきたことも、宰相がやってきたことも、どれもこれも昨日までにはなかったことばかりだ。
(俺がサポートスキルを得たから、か)
「何を…? それを聞いて、何か変わることでもあるのか」
含みを持たせた俺の言葉に、宰相の表情が固まる。言葉の意味を理解したらしいな。さすがというかなんというか。
「皆様がお待ちです、オークリー様」
そう言いつつ、ドアから先に出てスッと手を指先までピンと伸ばして、行き先を指し示してくる。
「待ってなくてもいいだろうに。……今日に限って、ずいぶんと仲良くしたがるんだな。別に一緒に食事をしなくとも、家族であることには変わりがないはずだろう。…きっと」
ゆっくりと立ち上がり、ゆっくりと廊下の方へと向かう俺に。
「お急ぎください。本日はこの後、謁見の予定が」
その言葉で、抱いていた疑念が晴れた。俺にとってだけ、嬉しくも何でもない方向へ。
「教会の方か? それとも」
「教会も含めて、ですね。その後は、緊急性が高いということで一部の貴族を集め」
「……わかっている。とにかく今日は忙しいということだろう?」
「…はい。ですからその前に、しっかりお食事を。そして…父君からお話を」
「父君、ねぇ。…国王、の間違いじゃないのか」
スキルに関しては、父親というよりも国王からの最終決定を告げられるだけだろうが。
そこに親子だのなんだのの、家族関係は含んではならないのだ。それくらいは、弁えている。
「…ですが」
何かを言い淀むその空気すら、もう…耐えられないというのに。
気づけば、ドアの前に俺はいた。
そのドアを開けて中に入ってしまえば、事は動き出す。俺はもう、昨日までの自分には戻ることを許されない。
「お待たせしました」
宰相がドアをノックして、俺の意思や気持ちの準備などおかまいなしに向こうの景色を視界に入れてくる。
(ああ…もうおしまいだ)
ドアの向こうでは、両親にジェイバーがテーブルに着き、俺を待っていた。
「どうぞ、オークリー様」
入りたくもないのに、宰相がいつまでも手で示してくる。中へどうぞ、と。
奥歯をグッと噛み、口元が歪みそうになるのをごまかし、唾をごくりと飲む。
「おはよう…ございます」
一歩入った瞬間、ジェイバーの表情が視界に入る。
(……っっ!)
何を言うでもなく、俺が食卓に着くまでを視線で追っているその表情は、どこか期待にあふれているような顔に見えた。
――そこから二年が経過して、ジェイバーの立太子当日を迎えた今日。
俺は王太子としての自分を捨てるかのように、素材のいい王族らしく装飾で飾られた服を脱ぎ。
「さようなら、父さん、母さん…ジェイバー」
警備の隙を狙い、王城を離れる。
後継者になりたかった俺も、ジェイバーを支えるだけの人生が待っている俺も、王族の俺もなにもかも…。
「捨ててやる。何者になれるのか今はまだわからないが、全部捨てて…ただの男から始めてやる」
何一つ準備も志もないところから始めることにして、こんな祝福なんていうスキルで誰かを支える場所から離れてやるんだ。
何者になれるのかすら、未来に希望など期待すら抱くつもりはないけれど。
「こんな場所で、今まで俺がいた場所に立つジェーバーの姿を見続けるよりは…マシだ。このまま王城に居続けるなど……反吐が出る」
身分を隠して視察に出る時に着ていた子爵や商人の息子程度の服を着て、ポケットに魔道具で小さくした剣をしまい。
「警備の隙をつけるタイミングがあるだなんてな。…そのうち暗殺者が潜りこんでも知らんぞ」
王城に背を向けて、雨が降り出した中。
「…行くか」
一歩を踏み出した。