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混濁

 深夜、沖田は廃病院の回転式ガンマトロンから、コバルト六〇を抜き取った。その物質は比放射能が高く、長時間被曝すると死に至る。

「これで、あの男に復讐できる」

 微笑む彼の手に握られた銀白色のその物質は――

 

「あー、ダメだダメだ。なんで放射性物質を手で握っているんだよ」

 神崎玲人(かんざきれいじ)はテキストを反転させ、その部分を消した。タイのサムットプラカーン被曝事故から発想を得たまでは良かったが、彼はそれを上手く小説に活用することが出来なかった。放射性物質を安全に持ち運びする為には、ある程度の大きさの容器や設備が必要で、とても殺人には向いていない。自分の小説に、何か特異性を見出そうと試行錯誤しているが、空振りに終わっている。神崎はカレンダーを見る。担当から言われた締め切りが二週間後に控えているにも関わらず、一向に筆が進まない。

 やべー、どうしよう。鶴岡さんに泣きつくか。……いや、ダメだ。

「やれることはやろう」玲人は再びネットを漁った。

 神崎玲人は倉庫でアルバイトをしながら、二十三歳で文学賞佳作に滑り込むことが出来た。あれから年を一年重ね、副業の小説を本業にしようと、日々情報をインプットしているのだが、次回作を完成させずにいる。小説に集中したいからと、実家に近いところに部屋を借り、時間があればパソコンに向かっている。もう時刻は深夜一時を回っていたが、目は冴えている。温くなったエナジードリンクを飲み干した。

 東一、起きてるかな……。

 彼の幼馴染である坂本東一(さかもととういち)に助けを求めようと、深夜にも関わらずメッセージを送った。すぐに返信が返ってきた。

『明日は休みだ』

 お、ついてる。明日、飯でも食いながら、あいつの話を聞こう。

『話がしたい。昼飯を奢る』

 返信し、エナジードリンクの缶を握りつぶしてゴミ箱に入れる。フルニトラゼパムとデエビゴをシートから取り出して飲んだ。強い眠剤はエナジードリンクのカフェインをものともしなかった。

 小説の事を考えながら、彼は微睡の底に落ちていく。


 目覚めは最悪だった。覚えてはいないが悪夢で目が覚める。一つ溜息をついて半身を起こす。眠剤の効き目がまだ残っていた。目を覚ますために煙草を一本吸ってシャワーを浴び、トーストとスクランブルエッグで空腹を満たした。紺のジャケットを羽織り、姿見で確認した後、家を出た。午前十一時。今日二本目の煙草の吸い口を叩きながら、東一の店へと向かった。煙草は大学を出てから覚えた。『文壇家は煙草を嗜む』という謂れのない情報を鵜呑みにしていた。煙草を吸い終わる頃に商店街の端にある坂本金具店についた。一度アスファルトでもみ消し携帯灰皿に入れる。店の脇を通り、裏手の倉庫に回った。

 シャッターを開けた倉庫の中で、東一はリクライニングチェアに座り、ドラム缶の上に置いた電気スタンドの灯りを頼りに本を読んでいた。季節外れの商品を置くための割と広い倉庫である。

「よっ」足音に気付いた東一が視線を入口に向けて待ち構えていた。「ハンバーグが食いたい」

「いいぜ、約束だからな」

 本に栞を挟み、東一は電気スタンドの紐を引っ張った。「どうせ小説のネタがないのだろう」

「さすが、お見通しだな」出てきた東一と並んで玲人は歩き出した。「何か面白い話がないかと思って」

 玲人が来た道を戻り、二人は駅前へと戻っていく。

「デルタのハンバーグって気分だな」涼し気なハーフリムの眼鏡を指で上げる。

「ああ、あそこ美味いからな。夏美ちゃんとも話したいし」

「次の締め切りはいつだ?」

「二週間後だ」玲人は煙草を取り出したが、東一は副流煙を気にしているのでポケットに戻した。

「書けるのか?」

「良い凶器が見つからないんだ」

「凶器ねぇ。どんなのが思い浮かんでいる?」

「コバルト六〇を使ったんだが、文字通り取り扱いが難しい」

「ははっ、違いない」

 二分ほど歩いてデルタに着いた。開店の十一時半前で『CLOSE』の看板がこちらを向いていたが東一は入っていく。玲人も続いた。

「あっ、まだ……」と言いかけた夏美が笑顔を向ける。「なんだ。いらっしゃい。マスター! いっちゃん」

 キッチンに立つ顔なじみのマスターが口の端を上げる。「特別料金だぞ」

「今日はハンバーグでしょ」トレイを拭いていた夏美が訊く。

「ああ、ハンバーグ二つで」

「さすがだな」玲人は息の合った二人を関心して呟く。

「いっちゃんとは付き合って長いもん。マスター、ハンバーグ二つで!」夏美はピッチャーからグラスに水を注いだ。「これも特別料金」

「玲人につけといてくれ」

 二人はカウンター席に座る。

「お手柔らかにお願いします」玲人は乾いた喉に冷たい水を流し込んだ。

「プロットは出来上がっているんだろ?」

「出来上がってはいるけど、いまいち納得がいってないんだ」

「それで俺からネタを貰いに来たわけか」

「東一は頭良いからな。話すると何か良い物語が生まれるかも、と思って」

「よせよ、おだてても何も出さないぞ」

 東一は都内の有名私立大を卒業している。幼馴染の玲人も、こいつには敵わない、と思わせる程の秀才ぶりを子供の頃から発揮していた。有名な会社に就職すると誰もが思っていたが、彼はUターンして実家の金物屋を継いだのだ。

「そう言えば、桜花ちゃん元気?」

 玲人の言葉に夏美の動きが止まった。そして表情を硬くし訥々と話し出す。

「桜花は二年前……、駆け落ち同然で出ていったんだ……」

「駆け落ち? 二年前といったら……、高校三年生の時?」夏美は頷く。「どこに住んでいるのか分かっているの?」

 その続きは東一が引き継いだ。「都内の渋谷区ってとこまでは分かっている」

「知らなかった。でも連絡は来ているんだ」

 夏美と東一は顔を合わせて頷く。

『失踪』

 その言葉が玲人の頭を占めた。

「何かいい案でも浮かんだようだな」

「ああ、まあね。家に帰って色々と調べてみるよ」

 その後も二人は小説の事について話し、チキンソテーとマッシュポテト、バターキャロットが載ったハンバーグに舌鼓を打つ。

「久しぶりに食うと美味いな、やっぱり」

「ごちそうさん」

「いやいや、東一と話していると、難しい話も聞けるし、こっちこそ、ごちそうさんだよ」

「そうか、それは良かった」

 店を出た二人は商店街の喫茶店へ入り、小説の話題で語り合った。


 帰宅した玲人は、失踪という言葉を検索した。日本国内における年間新規行方不明者届出受理件数は八万五〇〇〇人にものぼると書いてある。だがその多くは所在が確認できているというものだった。

 意外と多いんだな。

 玲人の中で少しずつ物語が形作られようとしていた。だが自分の想像力は一般人程度と認識している。ただ、文章力や知識を噛み砕いて書くことで穴を埋めているに過ぎない。今回は失踪をテーマにプロットから練り直すことに決めた。玲人の執筆速度は担当の鶴岡も舌を巻くほどで、時間二千二〇〇文字に達する。だが肝心のプロットが、まだできていない。カレンダーを見る。締め切りまで、あと十日。

 プロットさえ……、プロットさえできれば間に合う。

 頭の中で物語を構築していた時、チャイムが鳴った。

「誰だ、こんな時に」独り言ちながら立ち上がり、ワンルームのキッチンを通り過ぎて、ドアスコープを覗き込む。そこには高校の後輩の鍋田貢が覗き返していた。玲人は扉を開ける。

「どうした、鍋田」

「ちわっす、神崎さん。今日休みと聞いて」

「俺、忙しいんだ」玲人は非情にも扉を閉めようとする。

「ちょ、ちょっと待ってくださいよ、神崎さん! 折角、電車乗り継いで来たのに!」

 貢は玲人が小説家になる前からのファンで、玲人は蔑ろに出来なかった。

「ちょっとだけだぞ」「ちわーっす」「今日、仕事は休みか?」「そっす」

 会話しながら、部屋に招き入れた貢にクッションを用意する。「ビールあるけど」

「じゃあ、いただきます」

「遠慮ないな」キッチン下の備え付けの冷蔵庫から五〇〇缶を取り出して、テーブルに置く。「ほれ」

 玲人はまだ酒を飲む気になれなかった。代わりにエナジードリンクを取り出し、開けた。

「夏美さんから、坂本さんと小説の話をしていた、って聞きまして」

「デルタ行ったのか」

「ええ」貢はビールを一口流し込む。「たまに桜花ちゃんのことについて聞きに行くんすよ」

「鍋田、桜花ちゃんのことが好きだったもんな」

「ホントっすよ。彼氏に捨てられて戻ってきてくれたら、と何回、思ったことか。桜花ちゃんには悪いっすけど」

「ふーん」最近は玲人も恋愛とは距離を置いていた。小説に集中したいのもある。だがたまに東一から、恋愛も小説のネタになるぞ、と言われ続けていたが。

「で、今、締め切りが近いんですって?」

「ああ、良い作品が出かかってたんだけど、鍋田のせいで引っ込んだ」

「相変わらず、辛辣な言い方ですね。でも神崎さんの作品、好きっすよ」

 玲人は笑顔で溜息をついた。「お前だけだよ、リアルで評価くれるの」

「じゃあ、俺がプロットの手伝いしましょうか?」

「いや、いい」

 冷たくあしらうが、玲人も嫌いではなかった。次回作のために早めに辞去した鍋田の背中を見送り、玲人はプロット制作に戻った。

 失踪、保険金、詐欺……、あー、出てこねー!

 玲人の頭の中はぐちゃぐちゃにかき回されていた。かれこれ三時間ほどプロットに集中していたが、既存の作品でよく使われているテーマだったので、特異性を捻り出せない。締め切りという崖が波に侵食されるかのように迫って来る。

 ……仕方ない、身近な人を参考に作ろう。

 今回は逃げることにした。

 毎回、会心の作品を世に送り出す業界トップの作家に追いつくためには、綿密に練り込まれた伏線と、あっと驚かす展開が必要なのだが、玲人には時間がなかった。

 次回だ、次回にかける!

 少ない想像力で身近な人を登場人物に仕立て上げ、何とかプロットを作り上げた。

 担当の鶴岡から可の連絡を貰った時は一週間を切っていた。

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