第8話 悪役令嬢リスト
「おー、おはよう」
「え。昨日の今日で、なんで会社にいるんですか?」
ツーリを調達し終えた翌日、出社した三姫は、既に仕事を始めている弥太郎を見て驚きの表情を浮かべる。
弥太郎の手は包帯でぐるぐる巻きにされており、弥太郎は包帯の巻かれた手も使ってタイピングを続けていた。
「お医者さんから、何か言われませんでした?」
「あんま手を使うなとは言われたなあ」
「ですよね! 使ってるじゃないですか!」
「使わないと、どうやって仕事すんだよ」
「休んでください!」
三姫はため息をつきながら自分の席につき、仕事を続ける弥太郎にじっとりとした視線を向ける。
「私、天馬さんのような社畜にはなりません」
「おう。その方がいい」
三姫は自分のパソコンを起動し、チャットに緊急性の高い用事がないことを確認すると、椅子ごと移動して、弥太郎のパソコンを覗き込んだ。
「天馬さん、私にできる仕事があれば回してください。……うわっ、なんですかそのリスト」
弥太郎のパソコン画面には、日本人離れした名前の一覧が、ずらりと並んでいた。
「おっと、こいつは関係者以外見るの禁止」
善意の三姫の行動に対し、弥太郎は両手で素早く画面を隠した。
「もしかして、調達する悪役令嬢のリストですか?」
見せることは禁止だが、仕事の内容に興味を持った部下をないがしろにすることもよろしくない。
弥太郎は、新入社員に対してどこまで情報を開示するべきかを考え、社則に違反しない限りでぽつりぽつりと三姫の質問に答え始めた。
「まあ、そうだよ。調達した悪役令嬢と、調達候補の悪役令嬢の情報が載ってるんだ」
「へー。何に使うんですか?」
「過去の転生実績資料を作る時とか、転生希望者の希望条件を満たす悪役令嬢がいるか調べるときとか。まあ、色々だな」
「私は、まだ見れないんですか?」
「ああ。個人情報保護の都合でな。リーダー以上しか見れないことになってんだ」
「悪役令嬢に個人情報保護適用されるんですか!?」
三姫の瞳は、好奇心の色から驚きの色に変わり、興味深そうに弥太郎のパソコンに視線を向け続ける。
が、社則で決まっている以上、好奇心だけで見ることはできないだろうとすぐに思い至り、椅子を動かして自分の席へと戻った。
三姫は起動したパソコンでドキュメント作成アプリを開き、悪役令嬢ツーリの調達報告書の続きを書き始めた。
二枚のモニターの片方には作成中の報告書、もう片方には過去に弥太郎が作成した報告書。
手本を参考にしながら、初の報告書作りを進めていた。
始業時間が過ぎ、社員たちが会社に増えてくる。
パソコンのキーボードを叩く音も、徐々に増えていく。
悪役令嬢転生株式会社は、いつも通りの一日を始める。
「天馬さん、報告書書けたのでレビューお願いします」
「わかった。最初だし、対面でやるか」
「はい! お願いします」
そして迎えた定時。
「終わったー!」
三姫は、初めて自力で報告書を提出できた達成感で喜んでいた。
両手を天井につきあげて、満面の笑みを浮かべる。
「お疲れ」
弥太郎は珍しく作業の手を止めて、三姫をねぎらった。
「まさか、報告書作成に丸一日かかるとは思いませんでした。結局、三回も書き直しになりましたし」
「初めてなら、十分でしょ」
「天馬さん、いつもは調達から帰ってきた日に書き終えてるじゃないですか」
「慣れだよ、慣れ。清水さんも、いつかパパッと書けるようになるさ」
「そうだといいんですけどねー」
三姫はてきぱきと荷物を鞄へとしまい、帰宅の準備を始める。
そして終業時間のチャイムが鳴ると、真っ先に帰路についた。
「では、お先に失礼します」
「おう、お疲れ」
疲労の溜まった三姫はそのまま会社を出て、自宅に向かって歩き始める。
昨日の初の調達成功、今日の初の報告書作成完了。
三姫は自分で自分を褒めたい気分だったため、その足は自然とお酒の飲める店へと向かった。
会社の周りには飲食店も何もないが、最寄り駅が近づいてくると繁華街が姿を現してくる。
制服に身を包んだ学生に、スーツに身を包んだ会社員。
そして、私服の有象無象。
居酒屋には明々と電灯がともり、早くも顔を赤くした大人たちで溢れている。
三姫は、大学時代によく友達と訪れていたチェーンのイタリアンファミリーレストランに入り、メニューを開く。
ワインにパスタ、そしてサラダを注文し、一息ついた。
社会人になって、一度だけ好奇心で立ち飲み屋に入ったことはあった。
が、立ち飲み屋の女一人客は珍しいらしく、店員からも常連客からも話しかけられる羽目になり、休まるどころか疲労がたまる結果に終わった。
盛り上がりたい時であれば三姫にとっても歓迎なのだが、今日は一人でしっとりと飲みたい気分だった。
「お待たせしました」
騒がしい店内の中、届いたグラスワインに口を付ける。
お酒が強くない三姫は、一口で脳がとろけたように思考が緩み、ぼんやりと二口目を飲んだ。
「ああ、美味しい」
届いたサラダも口に運び、空っぽになったタイミングでパスタが届いた。
フォークをくるくるとまわして麺を絡め取り、もっちもっちと食べ進めていく。
「へへ。デザートも後から頼んじゃお」
三姫が、自分で自分を褒めるための夕食。
ツーリとの戦闘を思い出し、石をぶつけてツーリの動きを止めた自分の功績を何度も思い返して、何度も表情が緩んだ。
もちろん、石を放つことも弥太郎に伝えられた作戦ではあったが、自分の手で実行して成功したという実感が、三姫の満足感を満たしていた。
三口目のパスタを食べた時、ふと思い浮かんだのは弥太郎の顔だった。
「そういえば、入社してから飲み会ってしてないなあ」
大学時代は、定期的な飲み会があった。
新入生歓迎会、残暑飲み会、忘年会、誰かの企画した気まぐれ飲み会。
面倒な時もあったが、普段別々の授業を履修していて会えない同級生たちが一堂に会す、コミュニケーションの場としては有効だった。
三姫は大学時代の先輩から、社会に出たらもっと飲み会が増えるし上司のグラスが空になったら注がないといけないんだぞ、と言われたことを信じ、面倒な飲み会を覚悟していた。
が、いざ入社してみると何もなし。
新入社員歓迎会など開かれなかったし、三姫の初調達の祝賀会も開かれなかった。
三姫は、面倒な飲み会は嫌いだが、何もないのはそれはそれで寂しさを感じていた。
「明日、私から声をかけてみようかなあ。……来ないだろうなあ」
思えば、三姫は弥太郎のことを何も知らなかった。
会話はするし、褒めてもくれる。
だが、どこか感情が乗っていないような、距離をとっているような感覚を受けていた。
ハラスメントが騒がしい世の中、世代の差、性別の差、と言われてしまえばそれまでだが。
「あ、でも」
そんな弥太郎の瞳に、一瞬だけ感情が載った気がしたのは、弥太郎が悪役令嬢のリストを見ていた時だった。
普段感情を乗せない弥太郎だったからこそ、三姫はいけないこととわかりつつ、モニターを覗き込んでしまったのだ。
成果はなかったが。
「なんだろ。リスト、何が載ってるんだろ」
酔った頭は、仮定に仮定を積み上げていく。
妄想に妄想を積み上げていく。
それは、現実的かどうかさえ判断できない程、大きく大きく、三姫の中で膨らんでいった。
「……酔って来た。一杯しか飲んでないんだけどな」
三姫は水を一気に飲み干して、頭を冷やす。
二敗目を飲みたい感情を律して、レジへと向かう。
「ありがとうございましたー」
一時間いただけで、外はどっぷり暗くなっていた。
繁華街の灯りがなければ足元が見えず、歩くのに苦労する夜だ。
「くしゅんっ」
三姫は店内との温度者でくしゃみを一つし、自宅へ向かって歩き始めた。
後日。
「天馬さん、たまには飲みにでも行きませんか?」
「え、行かないけど」
三姫は、弥太郎を誘っていた。
そして、予想通り断られていた。