第34話 清水三姫
「寝坊かな?」
弥太郎は、誰も座っていない三姫の席を見ながら呟いた。
三姫は、普段遅刻をしない。
むしろ、弥太郎よりも早く来てやろうと、全社員中二番目に出勤することも多かった社員だ。
「ま、昨日の様子じゃあ仕方ないか」
いつもであれば弥太郎は、三姫の不在に疑問を呈しただろう。
だが、弥太郎は昨日の三姫を知っている。
三姫の昇進祝いでたらふく酒を喰らった後、その足で仕事を片付けるために会社に戻った三姫を。
故に弥太郎は、本来であれば三姫に電話をかけて状況確認するところを、今回はメール一本で留めた。
三姫が疲れて眠っているのだとすれば、電話は三姫の睡眠の妨げになるからと言う気遣いだ。
『おはようございます。目が覚めたら、連絡をください。疲労が強ければ、今日は遠慮なく休んでください』
弥太郎はメールを送信し終えると、社給スマホを机において、自身の仕事にとりかかる。
三姫から連絡が来たら、すぐに気づくことができるように。
昼休み。
三姫からの連絡は未だになかった。
弥太郎は食堂でうどんを啜りながら、食堂のテーブルに置いた社給スマホに時折視線を向けていた。
「おかしいな」
三姫が遅刻することも休暇をとることも、弥太郎の想定の範囲内だ。
入社三年目。
若いが故に、そういったミスもあるだろうというのが弥太郎の見解だ。
ただし、昼休みまで連絡が来ないというのは、想定の範囲外だった。
もちろん、人によっては夕方まで寝過ごすようなタイプもいるだろう。
しかし弥太郎の中で、三姫はそれに当てはまらなかった。
三姫を買いかぶりすぎていたのか。
それとも、帰宅中に事件にでも巻き込まれてしまったのか。
嫌な予感がした弥太郎は、うどんを急いで啜り終え、一本電話を入れよう社給スマホを持って立ち上がった。
食堂のテレビに、臨時ニュースが流れたのは同時だった。
『私はただいま、天下転生ホールディングス株式会社の前に来ております。見てください、この巨大なビル。しかし、どこを探しても社名のようなものが見当たりません』
天下転生ホールディングス株式会社の周囲にはマイクとカメラを持った記者たちが集まっており、その間を潜り抜けるようにしてパトカーが次々とやって来る。
『たった今、警察官が到着したようです。ビルの中に、続々と入っていきます』
「……なんだこれ?」
弥太郎の目には、あり得ない光景が映っていた。
転生業界の存在は機密事項。
関係者を除けば、国と警察組織とメディアの上層部だけが把握している存在だ。
万が一、報道がされそうになった暁には、幾度も握りつぶして守ってきた。
だが、テレビに映るのは、機密の崩壊そのもの。
転生業界が隠匿していた情報が、転生に使われているファイルやオークションサイトと共に、躊躇いなく説明されていく。
『この天下転生ホールディングは転生と言う名目で、多くの人間を昏睡状態にした容疑がかけられています。関係者によると、非合法な新薬の実験や、口封じのための殺人に関与していたとの噂もあり、警察の方でも慎重な捜査が開始されているとのことです』
テレビの中では、手錠をかけられた獅子無と餓狼が警察に連行されていた。
暴れ回る餓狼とは対照的に、獅子無は不快そうな顔で歩いている。
『また、他にも複数の企業が本件に関与していたという疑いもあり、警察では引き続き調査が進められていく方針とのことです』
食堂の中にいる社員たちは、とっくに食事をする気分などではなかった。
食べかけの食事を放置し、周囲にいる同僚たちと不安そうな顔で今後のことを話し合う。
悪役令嬢転生株式会社にも警察が乗り込んで来るのではないか、乗り込んできた場合に自分たちは犯罪者になってしまうのではないか。
機密事項とは、機密である限り自分たちを守る盾となる。
機密が漏れたときは、世界が掌返しをする。
「どうする?」
「逃げるか?」
「どこへだよ!」
「まだ家のローン残ってんだぞ!」
阿鼻叫喚の中、弥太郎はスマートフォンを握りしめたまま、自分の席へと急いだ。
一つの予想が嘘であることを確認するため、リーダーしか参照することのできない情報へとアクセスし、操作ログを確認する。
「……間違ってて、欲しかったんだけどなあ」
昨日。
三姫の歓迎会の後。
機密情報であるファイルがダウンロードされた履歴が残っていた。
ダウンロードをした主は、三姫だ。
「警察の潜入捜査員だったのか、それとも別のどこかか」
弥太郎はパソコンの電源を落として、てきぱきと荷物をまとめていく。
そこへ、焦った顔で直人がやってきた。
「ああ、天馬くん。丁度良かった! ニュースは見たか? 今から、緊急会議を開」
「逃げたほうがいいですよ」
だが、弥太郎は直人の言葉に耳を貸すことなく、さっさと会社を後にしていた。
弥太郎は、考えていた。
昨日機密データを入手し、警察が動いたのは翌日の昼。
あまりにも早すぎる。
であれば、機密データを流出させること自体、警察組織が把握していた可能性が高い。
把握していた以上、悪役令嬢転生株式会社にもすぐに法の手が伸びてくるだろう。
むしろ、弥太郎の感覚からすれば、まだ来ていないことが遅いほどだ。
弥太郎が窓から外を覗くと、近づいてくるパトカーが見えた。
弥太郎は正規の出口から出るのを止め、会社の後方の窓から外へと飛び降りた。
そして、警察の目が届くより前に、町の雑多へと消えていった。




