第33話 リーダー
「え、昇進? 私がですか?」
「そ。おめでとう」
弥太郎からの言葉に、三姫は驚きの声を上げる。
「私、まだ二十五ですよ?」
「年は関係ないさ。清水さんが優秀だった、それだけだよ」
「私が……リーダー……」
二年目の後半から、三姫の仕事量は爆発的に増えた。
それは、代表取締役である清澄からの期待であり、課長である直人からの期待の現れである。
弥太郎も三姫の育成スケジュールに目を通し、三姫であればこなせるだろうと計画にお墨付きを与えた。
粗削りではある。
だが、どんなに多忙であろうと決して仕事を投げださない姿勢や、悪役令嬢と呼ばれる『人間』から魂を抜く仕事もすぐに受け入れた柔軟性が評価されていた。
三姫はしばらく昇進書を眺めた後、力いっぱい握った。
昇進書が、くしゃりという音を立てて皴を作る。
「期待に応えられるよう、全力で頑張ります!」
先程まで戸惑っていたはずの三姫は、覚悟を決めたようにはっきりと宣言した。
目はキラキラと輝いているが、ほんの少しだけの不安も感じられる。
それでも、自身の評価を受け入れ、新たな職務に真摯に取り組もうという意気込みが見て取れた。
「うん。これからもよろしくね」
「はい!」
そんな三姫に、弥太郎はエールを送る。
ようやく弥太郎の隣に立てる。
自身の昇進からそんな思いを抱いた三姫は、同時にふと気恥ずかしさに襲われた。
「どうしたの?」
「あ、いえ。私、リーダーになったってことは、弥太郎さんと役職が並ぶってことですよね? えへへ、なんだか……変な感じがします」
昇進してリーダーになるとはつまり、リーダーである弥太郎と役職上並ぶということだ。
入社以降、直属の上司として接してきた相手と横並びになるという感覚は、三姫に一つの自信を与えると同時に、なんだかとても誇らしいことに思えた。
一つの壁を乗り越えた、そんな達成感があった。
「ちなみに俺は課長になるから」
「へ?」
が、弥太郎の一言で三姫の感情の揺さぶりが止まった。
誇らしいことに思えた事実が、次の瞬間妄想として消えていった。
三姫は、じっとりとした目で弥太郎を見る。
「……何?」
「天馬さん? もう少し私に、感傷に浸る時間をくれてもいいと思うんです」
「感傷?」
「天馬さんには、この繊細な乙女心がわからないんですか」
「乙女心?」
「はあ。もういいです」
三姫は昇進書を乱暴に鞄の中にしまって、いつも通りパソコンに向かった。
疑問を呈す弥太郎の視線を無視して、メールの確認から始める。
「ひゃあっ!?」
「どうしたの?」
「いえ、メールが数百も」
「ああ、リーダー昇進に当たって、リーダー用のメーリングリストに追加しといたからかな」
「先に言ってくださいよ。心臓に悪いです」
「ごめん」
メーリングリストとは、複数のメールアドレスに、同時にメールを送ることができるシステムだ。
メーリングリストごとに特定のお客様担当、あるいは特定の役職以上でグループが作られており、関係者全体に同じ連絡をしたいときに好んで使われる。
役職が上がれば登録されるメーリングリストの数が増え、届くメールの数が増えるのが一般的だ。
三姫のメールボックスには、リーダーに向けられた連絡が山ほど届いていた。
それは、新規の調達案件であり、悪役令嬢オークションの結果連絡であり、社内のリーダーに向けた会社の機密事項であったりだ。
三姫は、少し慌てながらもメールの件名を流し見し、自分に関係ありそうなメールに優先して目を通していった。
「えっと、リーダー会開催のお知らせ。調達案件一覧? あ、これクリックしたら飛ぶんですね。……わっ、こんなにあったんだ。あとは」
「清水さん、全部口に出てる。重要なことは口にしないようにね。関係者以外にも聞こえちゃうから」
「あ! すみません!」
三姫はしばらく忙しそうに手を動かした後、立ち上がってプリンターの方へと急いだ。
リーダー会の開催メールには、三姫が新たにリーダーに加わる内容に加え、三姫に簡単な自己紹介を資料つきで行う依頼、そして今後の議事録担当が新リーダーである三姫の仕事になることが書かれていた。
一瞬、三姫は訊いていないと憤慨しかけたが、これがリーダーというものかと諦めた。
リーダー会は、午後一時から。
三姫は、午前に着手する予定だった仕事を午後に回し、リーダー会の準備に奔走した。
「という訳で、清水さんのリーダー就任を祝って、乾杯!」
「乾杯!」
とある居酒屋。
社員たちはビールジョッキを掲げて、宴会の始まりを祝福する。
宴会の趣旨は三姫の昇進祝いだが、そんなセリフも序盤のみ。
酒が進んでいった社員たちは、祝うよりも飲むことに集中し、いつしか雑談に花を咲かせるようになった。
「まったく、主役がいるっていうのに」
「いいですよ。こういう雰囲気も好きですし」
三姫の昇進祝いに終始したのは、弥太郎唯一人。
お酒に酔って思考がふわふわとしてはいるが、トレーナーとして最後まで三姫の隣を陣取り、三姫のもてなしに終始した。
最初こそ遠慮がちにしていた三姫だが、途中からは弥太郎のもてなしをうけるがままになっていた。
主役は三姫なのだから。
「三年かー。早かったなあ」
弥太郎が、感傷に浸るようにつぶやく。
「ですね」
三姫もまた、過去を思い返しながら言う。
三姫の頭に浮かぶのは、転生業界に入ろうと決めたあの日。
悪役令嬢転生株式会社の存在を知り、面接を受けたあの日。
内々定が提示され、喜んだあの日。
三姫は、自分の思い描いた未来に着実に進んでいることを、喜んでいた。
「どうぞ」
「ありがとうございます!」
弥太郎が手に持ったピッチャーを傾けたので、三姫は自分のグラスを差し出し、その酒を受ける。
「天馬さんもどうぞ」
「ありがと」
お返しと言わんばかりに、三姫は弥太郎からピッチャーを受け取り、弥太郎のグラスへとビールを注ぎ返す。
ビールがなみなみと入った二つのグラス。
弥太郎と三姫は同時に手に取り、小さく乾杯をした後で、ごくりと一口飲み込んだ。
「大変なのは、これからだよ」
「はい。覚悟しています」
弥太郎が三姫にエールを送ったところで、退店の時間がやって来る。
社員たちは店を出た後、二次会やパチンコ店と、思い思いに行きたい場所へと散っていく。
「あれ? 清水さん、どこ行くの? そっち、帰り道じゃないよね」
三姫も当然誘われたが、三姫は全ての誘いを断って会社の方へ向かって歩いていた。
「実は、今日やる予定だった仕事がまだ終わってないんですよね。リーダー会の準備に手が取られまして」
「そんなの、明日でもいいのに」
「いえ。今日やると決めていたことですので」
「そうか。あんまり無理をしないようにね」
「はい!」
去って行く三姫の背に、弥太郎は頼もしさを感じていた。
真面目で、責任感を持って、仕事を最後までやり切る意志。
会社にとって、これ以上ない次世代の戦力になると期待をしていた。
翌日、三姫は会社に来なかった。




